今日でペテロの手紙第一の講解メッセージは終わる。聖書個所は終わりのあいさつの個所である。神さまの恵みに思いを浸し、ペテロの手紙第一の講解メッセージを閉じたいと思う。
最初は、シルワノとマルコという人物に注目したい。ペテロは終わりのあいさつに来て、手紙の執筆者を明かしている。「私の認めている忠実な兄弟シルワノによって」(12節前半)。古代は書記を雇って手紙を代筆してもらうことが良くあった。いわゆる口述筆記である。自分の伝えたいことを告げ、それを筆記してもらって、最後の最後の部分だけ自筆ということが良くあった。だから、この手紙の大部分はシルワノの手によるということになろう。この手紙がガリラヤの一漁師が書いたとは考えられないほどの素晴らしい古典ギリシャ語の香りがする文体であるところから、ペテロ著者説を否定する人たちがいる。けれども、ペテロが手紙の著者なのだけれども、文字に表したのはシルワノであるということであれば、別におかしくはない。シルワノは文章を書く賜物が豊かにあった人物であったのだろう。
さて、シルワノは誰なのかということだが、それは初代教会の指導者の一人であったシラスのことである。「シルワノ」という名は、「シラス」という名前のはしょらない形、完全形である。使徒の働き15章から見てみよう。使徒15章22節~アンテオケ派遣の記事だが、ここでシラスは「兄弟たちの中の指導者」と言われている。彼は第二次伝道旅行の際はパウロに同伴している。使徒15章36~41節~ここでマルコの名前も登場している。パウロはマルコは第一次伝道旅行の際に離脱したふがいない男だからと同伴を認めず、シラスを選んだことが書いてある。以来、シラスは長い間、パウロの右腕として活躍することになる。ピリピで捕らえられた時もパウロとシラスは一緒だった(使徒16章24,25節)。
パウロに評価されなかったマルコを、ペテロはどう思っていたのだろうか。今日の個所に戻ろう。ペテロはマルコを「私の子」と呼んでいる(13節後半)。この呼び名は師弟関係にあるときに使うことばである。マルコは、あのマルコの福音書を執筆している。この福音書の執筆に関して、次のような伝承がある。二世紀末に生存していたパピアスのことば。「ペテロの通訳者であったマルコは秩序だってはいないけれども、正確にキリストの語ったこと、行ったことを集めて書き記した。・・・マルコの関心は彼の聞いたことを逃さず、曲げないことだったからである」。二世紀の指導者イレナエウスのことば。「ペテロの弟子で通訳者であったマルコが、ペテロが説教したことを書き記して我々に伝えた」。マルコはペテロの弟子であり、同伴者であり、通訳者であり、代筆者であった。
ペテロはシルワノのことは「忠実な兄弟」と呼んで尊敬の念を表し、マルコのことは「私の子」と呼んで親愛の情を表している。ペテロはシルワノもマルコも受け入れている。ペテロの人格というものが、なんとなく、この終わりのあいさつから伝わってくる。懐が深いという印象をもつ。
パウロのことを少し擁護しておくが、パウロがマルコを切り捨てた第二次伝道旅行の出発時の年代は50年頃と言われている。マルコの福音書は50年代半ばに執筆された可能性もあると言われている。その後のことだが、パウロは死の直前に64年頃にテモテへの手紙第二を執筆したが、そこには「マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです」(4章11節)とあり、パウロは晩年、マルコを受け入れたことがわかる。マルコも成長したということがわかるが、見方を変えれば、パウロの人を突き放ちやすい点も改められたと言える。ペテロは懐は深いのだけれども、人を恐れやすいという欠点ももつ。ガラテヤ2章を見れば明らかで、ペテロは割礼派のユダヤ人を恐れて本心と偽った行動をしたことが書いてある。それをパウロが面と向かって抗議したことも書いてある。パウロは人を恐れないが、人を切り捨てやすい弱さがある。ペテロとはある意味、対照的である。性格の違いから来ていることもあると思われるが、それぞれが弱さを克服していったように思われる。
いずれペテロは、通訳、書記といった同じ賜物があるマルコやシルワノを用いていった。ペテロはどう考えても筆の人というよりも「ことばの人」である。福音書を見てもそれは明らかで、弟子たちの中でイエスさまのことばに反応し、真っ先に口にするのは、だいたいがペテロであった。そして元の職業は書く仕事ではなくなまりことばのアラム語を使う漁師であったため、文章を書くのは得意とはいえなかったはず。神さまはそれをご存じで、片腕としてマルコやシルワノを用いられたわけである。
ついでに「バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人」(13節後半)に説明しておこう。「バビロン」は隠語で、ローマを意味する。ローマはユダヤ人からもキリスト者からもバビロンと呼ばれていた。「婦人」は欄外注を見ると、別訳として「教会」とある。新改訳2017では、本文で「バビロンにある教会」と訳している。欄外註で、別訳「女性」「婦人」としている。本文では教会を意味する<エクレーシア>は使われていない。ではなぜ「教会」と訳すのか。実は「婦人」と訳されていることばも<エクレーシア>も女性名詞。よって「婦人」「女性」と訳しうることばで集団としての教会を意味させているのだと解釈するわけである。ペテロは女性のことを言っているのか、それとも教会のことを言っているのか、ペテロに聞いてみないと実際のところは分からない。はっきりしていることはローマにいる聖徒たちであるということ。この人たちが「よろしく」と言っている手紙の受取人たちは、以前お話したようにトルコ付近の聖徒たちである。その距離、現代の飛行時間では3時間ぐらいであるが、距離にしたら千キロ以上は優に離れている。けれども、こうした交流があるというのはすばらしいことである。
ペテロが今日の個所から手紙の受取人たちに教えていることは二つ見ることができる。第一は、神の恵みの中にしっかりと立つということ。「この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。」(12節後半)。その前に「これが神の真の恵みであることをあかししました」とあるように、ペテロが伝えたことは、神の恵みの証だった。ペテロはこの手紙の冒頭で、「選ばれた人々へ」というあいさつで始まっている。選びは神の恵みである。そして神は救いに選んだ罪人を決して見捨てることはない。この手紙は苦難の中にいる兄弟姉妹に向けて執筆された。苦難の中にいると、神の恵みが見えにくくなる。もう自分はだめになるんじゃないか。この試練の後には希望はないんじゃないか。神に捨てられるんじゃないか。しかし神は救いに選んだ人を決して見捨てない。滅びに至らしめない。神の救いは、神の恵みによって始まり、神の恵みによって完成される。神の恵みは過去、現在、未来とあり続ける。現在の苦しみも、キリストの苦しみにあずからせるためのもので、やがてそれは、キリストの栄光にあずからせることになる。苦しみすらも、神の恵みと切り離されたものではない。恵みの中にしっかりと立てば、信仰と希望が湧いてくる。そして、そうだ、思い煩いもいっさい神にゆだねればいい。神の恵みに信頼するのだ、という意志が与えられる。恵みの舟に乗っているから荒波が来ても大丈夫、向こう岸に必ず着ける、という希望が強くされる。恵みの岩盤の上に立っているから大丈夫だという確信が湧く。人は苦難の中にいると、そればかりに心を捕らわれてしまう。しかし、恵みの中にいるということを忘れてはならない。恵みがその人を取り囲んでいる。その恵みの中にしっかりと立つのである。詩編32編10節には、「主に信頼する者には、恵みがその人を取り囲む」とある。その恵みの中にしっかりと立つのである。
ペテロはかつて、我が強くて、自分の力まかせでがんばろうとして慌てたり、沈みそうになったり、信仰を捨てそうになったペテロだった。自分を過信したつけで、キリストのことを否み、つまずいて、お先真っ暗になってしまったことがあったペテロであったが、神の恵みを味わい、神の恵みによって生きることを会得したようである。十字架前のペテロとは別人のようである。私たちは様々な不安の中にあることは確かだろう。信仰は揺さぶられることがある。日常的にも、困った問題を抱えている。けれども、神の恵みの中にしっかりと立つのである。神の恵みは私たちの救いのためにすべてのことを成し遂げてくださる。また、みこころを生きることができるのかという不安にあっても、神の恵みはすべてのことを成し遂げてくださると信じよう。パウロも明言している。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」(ローマ8章32節)。
第二は、互いに、親しみと愛情と尊敬を表すということ。「愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしあいなさい」(14節前半)。これはユダヤ人や初代教会の通常のあいさつであった。口づけは親しみと愛情と尊敬を表した。このあいさつは福音書にもしばしば登場する。放蕩息子の父親は帰ってきた息子に繰り返し繰り返し口づけした(ルカ15章20節)。イスカリオテのユダは、これをゲッセマネの園でイエスさまに対して行っている。裏切りの口づけとして有名である(マタイ26章48,49節)。これは偽善の行為であった。ユダヤ人の場合、弟子がラビの頬に口づけし、先生の方に手を乗せることが習慣になっていた。ユダがイエスさまにしたのがこの口づけである。ペテロはこうした空しい行為ではなくて、心から親しみと愛情と尊敬の思いから、このことを表現するように勧めている。
初代教会の証言によると、この習慣は積極的に礼拝の中にも取り入れられていたことがわかっている。祈りや聖餐式などに取り入れられていた。初代教父のテルトリアヌスはこう語っている。「きよい口づけの欠けた祈りが完全なものであろうか。人が平和の口づけをしないで別れるのは何と大きな犠牲ではないか」。初代教会の親密な空気が伝わってくる表現である。テルトリアヌスのことばからわかるように、今日の個所で「愛の口づけ」と言われている口づけは「平和の口づけ」とも呼ばれ、奨励されていた。バプテスマの際にも行われていた。バプテスマを受けた者は、司式者から、ついでに全会衆から、神の家族に加わったことの歓迎のしるしとして口づけを受けた。
この習慣は時代とともに変化を見る。乱用され、誤解が生まれたことがもとで、この口づけは同性同士に限られるようになっていったが、西方教会では13世紀頃に、この習慣は完全になくなった。東方教会ではなくなっていない。アルメニヤ教会では丁寧なお辞儀に代わった。表現形態は、文化によってお辞儀とか握手とか、様々あるだろう。いずれにしろ、形はどう変わっても、親しみと愛情と尊敬を表すという習慣は変えてはいけない。あいさつそのものがおろそかにされるのも良くないが、教会でお互いに目も合わせなかったり、よそよそしかったり、声がけもないというのは良くない。何年経っても、お互いのことが全くわからず、知り合おうともしない、というのは良くない。神の家族として歩むべきである。
ペテロは最後の最後に、「キリストにあるすべての者に、平安がありますように」(14節後半)と祝福を贈る。こうして彼は、この世がもたらす一切の苦悩よりも大きい神の平安に、キリスト者をゆだねるのである。世にあっては患難がある。けれども、それにまさる平安を恵みのうちに、確かな救いとともに与えてくださるのである。皆様の上にも、神の平安が豊かにありますように。