秋田県横手市にある横手聖書やすらぎ教会です

信仰告白

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横手聖書やすらぎ教会信仰告白

(聖 書)
1 旧新約六十六巻よりなる聖書は、すべて神によって霊感された誤りなき神のことばです。すなわち聖書は、それぞれの著者によって、聖霊の完全な指導と監督のもとに記されました。その結果、その記述に誤りがなく、信仰と生活との唯一絶対の規範です。
 したがって、聖書に誤りがありうるとすること、聖書は客観的には神のことばではないが人間の諸経験によって神のことばとなるとすること、聖書の上に、また聖書と並列した権威を認めようとすることは容認できません。

(まことの神)
2 生けるまことの神は唯一であり、霊なるお方です。その存在、知恵、力、聖、義、善、真実、愛、恵みにおいて無限、永遠、不変です。神はその本質において一つですが、父、御子、聖霊の三位において永遠に存在しておられます。
 したがって、神を不完全な存在とみなしたり、御子または聖霊の神性を否定すること、あるいはその他の霊や被造物を神とすることは容認できません。

(神のみわざ)
3 はじめに神は、ことばをもって、無から目に見えるもの、見えないもののすべてを創造され、それらすべてを保ち、支配しておられます。
 したがって、無神論や進化論、神と万物を区別しない汎神論を受け入れること、さらには神のご主権を否定し、あるいは、それに制限を加えようとすることは容認できません。

(罪)
4 人間の父祖アダムは、神のかたちに創造され、神との正しい交わりにありましたが、神の戒めに背いて罪を犯し、堕落したことにより、全人類は罪の性質を引き継いで生まれることになりました。人は新しく生まれ変わらないかぎり、この罪の支配と滅びの中にあります。人類のすべての苦悩と悲惨の根源はここにあります。
 したがって、人の罪と罪に対する裁きを否定すること、あるいは新しく生まれ変わることなくして救いがあるとすることは容認できません。

(イエス・キリストとそのみわざ)
5 主イエス・キリストは、まことの神にしてまことの人です。主は聖霊によってやどり、処女マリヤより生まれ、私たちの罪のために、私たちの身代わりとして十字架の上で死なれ、葬られ、三日目によみがえりました。主は天に昇り、神の右に座して、いま私たちのために大祭司の務めをしておられます。
 したがって、イエス・キリストの神性あるいは人性のいずれかを否定すること、あるいは十字架上の勝利を否定すること、復活が歴史的事実であることを否定することは容認できません。

(救 い)
6 主イエス・キリストの義と身代わりの死のゆえに、主を信じる者はみな、ただ恵みにより、その信仰によって罪赦され、義と認められ、神の子とされ、永遠のいのちを与えられます。
 したがって、救われるためにキリストを信ずる信仰は必要なしとすること、あるいはキリストの贖いのみでは足りないとすることは容認できません。

(聖霊のみわざ)
7 聖霊は罪人に罪を示し、悔い改めさせ、キリストを救い主と告白する信仰を与えられます。また信じる者のうちに助け主として住み、絶えずとりなし、みことばとともに働き、日々、献身と聖潔の生活を送る力を与え、こうしてキリストのかたちにかたどらせるみわざをなし続けられます。
 したがって、聖霊のみわざをキリスト者の特定の人、あるいは特定の体験や賜物のみに関連づけたり、みことばに反する働きを聖霊のみわざに帰すことは容認できません。

(キリスト者)
8 キリスト者は神の恵みによりたのみ、神の栄光のために、みことばと祈りによって神のみこころを生き、キリストのしもべとして歩み、神を愛し、隣人を愛し、世にあってキリストの証人として歩むように召されています。
 したがって、主の戒めを無視し、汚れた生活に安住し、あるいは主の日を軽視したりするような生き方は容認できません。

(教 会)
9 教会はキリストをかしらとするからだであり、聖霊によって新生した者たちの集まりです。教会は、神のみこころに従い、神を礼拝し、聖書を学び、バプテスマと聖餐式の礼典を守り、主のしもべとして互いに仕え、全世界にみことばを宣べ伝え、愛のわざに励みつつ、主の再び来られる日を待ち望みます。
 したがって、主にある共同体としての教会生活を軽視したり、あるいは教会を単なる人間的な組織としてしまうことは容認できません。

(教会と国家)
10 各個教会である地域教会は独立かつ自治であり、いかなる教会会議の権力や政治的権威による干渉からも自由でなければなりません。それゆえ、教会と国家とはそれぞれ異なった機能を持つものとして、その務めにおいて分離していなければなりません。
 したがって、各個教会主義が損なわれたり、あるいは政教分離の原則が損なわれたりすることは容認できません。

(再臨)
11 主イエス・キリストは、やがて、栄光のみからだをもって、目に見えるかたちで再臨されます。そのとき、キリスト者も非キリスト者も、それぞれからだをもってよみがえらされ、永遠の祝福または永遠の刑罰へとわかち定められます。主は終わりにすべてのものを新たにし、御国を父なる神に渡されます。
 したがって、主の再臨を否定すること、主はすでに再臨されたとすること、あるいは、主は単に天的、霊的にのみ再臨されたとすることは容認できません。

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