2節に「地上の残された時」という表現がある。私たちには、地上に残された時間はどのくらい残っているだろうか。それは神のみぞ知るである。人それぞれ生涯設計の立て方が違う。ある方は人生100年で計画を立て、何年まで何を、次の何年まで何を、という綿密な立て方をしている。それも一つである。ある人たちは、そんな先のことまで考えられないと、とりあえず5年先、10年先という風に計画を立てる。私は後者である。私ぐらいの年になると、次世代のために生きることができればいいやとか、いやいや、体力的にも経済的にも自分のことでせいいっぱいだとか、ちょっとのんびりしたいとか、色んな声が聞こえてくる。私たちは、地上に残された時間はそれぞれ違う。年代、立場、健康状態、興味、得手不得手も違うので、当然することも違ってくる。けれども、残された時をどのように過ごすかという精神は同じでなければならない。
著者ペテロは、この手紙を書いて数年後に殉教しているので、彼の残された時はわずかであったわけである。ペテロは妻帯者であったので、奥さんを遺して先に天に召された可能性が高い。彼には俗に言う「余生」などという考え方はなかった。生涯、主のしもべとしては現役ということである。それは私たちも同じである。退職したしないにかかわらず、主のしもべとしては生涯現役である。ときおり、クリスチャンを卒業しました、などと言っている方を見かけるが、考え直したほうがいい。
地上に残された時の過ごし方は2節から二つに分けて見ることができるだろう。第一は、人間の欲望のために過ごさない、ということである。それは前後の節からも見ることができる。1節をご覧ください。「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました」。実は、この箇所も3章後半同様、解釈が難しい箇所と言われてきた。そのため、解釈がいくつも生まれた。一部を紹介すると、①苦しみそれ自体がたましいを鍛錬し、罪を断ち切らせるのだ。~何か偉大な思想のようにも思えるが、これは、ここでは当てはまらない。苦しまなければ人の罪は清められないという単純なことが言われているのではない。ここから禁欲主義を礼讃することもまちがいである。②肉体に苦しみを与えて罪を断ち切るのだ。~実際に過去の歴史において、これがされてきた。中世の聖徒たちの物語を読むと、肉体に鞭を加えたり、難行苦行で肉体をいじめ、罪を断ち切ることが行われてきた。キリシタンの資料を読むと、夏に外で裸になって苦行した記録が残っている。目的は全身虫に刺されるのを耐えるというものである。鞭打ちでなくて虫刺しである。昔は、肉体は悪、たましいは善という二元論に囚われていて、肉体をいじめることが奨励された。けれども、ペテロはそんなことに言及しているのではない。③キリストは人の罪のために苦しみを受けられた。キリスト者も同様に現世で人の罪や、また自分の罪のために苦しみを受けるが、キリストの勝利のゆえに、<死後>、罪とのかかわりを断ち切る。~死後に罪とのかかわりを断ち切るということがミソであるが、今日の文脈を見れば、死後に罪とのかかわりを断ち切ることができることを主張したいのではないことは明らか。この現世で、今生きているこの時に、罪とのかかわりを断ち切らせたいので、人間の欲望のために過ごしてほしくないので、模範例を挙げているわけである。
1節の「肉体において苦しみを受けた人は」とは、キリストを信じる信仰のゆえに人からもたらされた迫害の経験が意識されている。この苦しみは、罪に抵抗するところからもたらされた苦しみと言える。この世にではなくキリストに従おうとすることは、罪に抵抗することになる。罪と戦えば、罪を犯すまいと抵抗すれば、苦しみを経験することになる。ヘブル人の手紙の著者は、こう述べている。「あなたがたはまだ罪と戦って、血を流すまで抵抗したことはありません」(ヘブル12章4節)。あなたがたはまだ、あまっちょろいと言わんばかりである。戦う意識の最高の模範はイエス・キリストである。だから1節前半において、「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。」と命じている。続く、「肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました」とは、肉体において苦しみを受ければ罪を断ち切れるということを言いたいのではなくて、罪に抵抗する意志があるからこそ苦しみを受け、その苦しみを受ける覚悟があるからこそ罪を断つ、ということだと思われる。「かかわりを断つ」と訳されている動詞は、「自ら罪をやめる」という意味である。それは自発的な意志である。この自発的な意志が、2節の「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです」につながるのである。
地上に残された時の過ごし方の第二は、神のみこころのために過ごすということである。「神のみこころ」の直訳は「神の意志」である。自ら罪をやめるという自発的な意志は、神の意志に沿うことを願う。それまでは神の意志がどこにあるかなどということは考えないで生きてきた。自分の意志のおもむくままに。あるいは、神々の所に出かけて占ってもらい、神々の言う通りに。もしくは誰かの言いなりに。いずれ神の意志は考えないで生きてきた。ペテロは「地上で残された時」と前置きしているが、この手紙の読者の多くは、人生の半分以上過ぎた人たちが多かったはずである。残された人生どういう生き方をするの?と問われているわけである。「残された人生あとわずか」と誰しもが思わなければならない。
ペテロは3節で、完全に神のみこころから外れている事がらを示す。この箇所は三つに区分して見ることができるだろう。第一は「好色と情欲」。両方とも性的罪に関するものであり、二つは同義語である。「好色」は原語で、放埓な態度を意味することばである。つまり平素の行状が治まらなくて、自分の欲のおもむくままにふるまってしまうことである。「情欲」は新改訳2017で「欲望」と訳されている。当時の性的堕落は以前もお話した通りである。男性にとって女性は商品のようなもので、娼婦は至るところにいた。飲食店にもいたし、墓地、神殿、公共施設、道端と、ありとあらゆるところにいた。同性愛も多かった。女性たちも自由奔放で、やもめたちも多い時代であったが、彼女たちも好色に走った。
第二は「酔酒、遊興、宴会騒ぎ」。これは酒に関する罪である。「酔酒」は新改訳2017では「泥酔」と訳されている。原意は「酒がわきこぼれること」。「遊興」と「宴会騒ぎ」の意味の大差はない。両方とも飲み騒ぐこと。これら三つは「酒色」にふけることを意味している。
好色、酒色と来て、第三は「忌むべき偶像礼拝」。「忌むべき」の直訳は「不法な」であるが、ようするに、偶像礼拝は神の律法に反しますよ、ということである。モーセの十戒の一、二戒は偶像礼拝の戒めであった。ローマ帝国は神々のメッカであった。というのは世界中の神々が輸入されたからである。ローマ古来の神々に合わせ、ギリシャの神々がいた。またエジプト系の神々、シリヤの神々、イラン起源の神々が入ってきた。また、こうした神々は神仏習合のように同化することも良くあった。ローマ帝国は神々に溢れ、大賑わいを見せていた。そこに皇帝は神であるとして、皇帝崇拝が強要された。
ペテロの手紙は小アジアのクリスチャンに向けて執筆されたが、小アジアでは特に、キュベレという女神が、母なる神として礼拝されていた。紀元前1世紀の著述家は、キュベレ祭典の模様を次のように描写している。「宦官たちが行進し、太鼓を響き渡らせ、シンバルを打ち合わせて賑やかな調べをかなでる。女神は歓喜の声を浴びて通って行く。舞台では派手な出し物が演じられ、競技会も始まる。法廷は空になり、もめごとは停止する。私は彼らにたくさんの質問をしようとするが、かん高いシンバルの音や角笛のうなり声に圧倒されてしまう」。キュベレの祭りはただ盛大に慣行されただけではない。牡羊と牡牛の血生臭い儀式が執り行われた。殺害する獣の下に深い穴倉が掘られる。穴の中にはキュベレの信者たちがいる。穴の上には、穴だらけの板が渡されている。その板の上で獣を死に至るまで切りつける。板の穴から血がしたたり落ち、信者たちはその血を浴び、真っ赤になる。この儀式に与ることによって、信者は20年間、神聖な人生を送ることができるとされた。また、キュベレが恋に落ちたというアッティスという少年が神として人気を集め、他の神々と習合し、四世紀頃には、全能者、偉大な神として祀られるようになる。またアッティスにはキリストのような地位が与えられ、冬の間に失われていた物質界に生命力を与え、春に万物復活をもたらすもの、死に対する勝利を与えるもの、たましいを天に上昇させるものという意味付けが与えられるようになった。キュベレとアッティスは二人セットで扱われるようになり、その祭典は3月に慣行された。クリスチャンたちはこの祭典がイースター(復活祭)と同じ時期に行われるというだけではなく、その神学の類似性に気づいて、キュベレとアッティスの崇拝を批判し続けたという。また母なる神キュベレとマリアの混同も見られたといい、注意が喚起された。このキュベレとアッティス崇拝は5世紀頃まで存続したという。
日本は多神教の土壌で宗教に寛容で、何でも神さまとして拝むから、日本で信仰を貫くのは大変だと思っていたが、考えてみれば、当時のクリスチャンたちも大変だった。いや、私たち以上に大変だった。というのは神々を拝まないかどで、厳しい迫害を受けたからである。二世紀手前の記録によると、まずペテロの手紙の執筆年代の60年代、小アジアで総督をしていたプリニウスの書簡によると、クリスチャンたちはローマの神々に祈ることを否定する反社会分子として処刑されたことが記してある。皇帝マルクス・アウレリウスの時代(在位161~180年)には、疫病の流行と蛮族の侵入があった。こうした不運が起きた原因の一つは、クリスチャンたちが神々を無視しているからだとされた。そのため、165年には小アジアで、177年にはガリアで、無神論のかどでクリスチャンたちが逮捕された。偶像崇拝をしないことは無神論と同じで不法であるという理屈である。けれどもペテロは3節において、偶像崇拝こそが不法であると言っている。
ペテロは、好色、酒色、不法な偶像崇拝は「過ぎ去った時で、もう十分です」と言っている。かつてはこの世の人たちと同じように罪の楽しみに耽ってきたが、それは、もう十分やった、ということである。
クリスチャンが罪の生活をやめた時の周囲の反応は4節である。一つは「不思議に思う」。え~、なぜしなくなったの?なぜしないの?とクエスチョンマークが人々の頭に浮かぶ。それは当然予想されることだから、説明を求められた時のために答えを用意しておけば良い(3章15節参照)。もう一つの反応は「悪口を言う」。価値観が水と油のように合わなくなってしまったので中傷する。これも仕方ない。でも、それでひるんではならない。人を恐れてはならない(3章14節参照)。私たちが恐れなければならないのは神である。そのことを5,6節において見ることができる。5節では、神はすべての人の裁き主であることが言われている。神は生ける者、死にたる者、すべての人を裁かれるお方である。すべての人が義なる神の前で申し開きをしなければならない時が来る。6節前半で「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが」とあるが、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたということである。この福音を信じることの大切さが6節後半で言われている。「それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生かされるためでした」。「肉体においては人間としてさばきを受けるが」というのは、すべての人にもたらされる肉体の死について言及している。福音を信じた者、神を恐れかしこむ者も肉体は死ぬ。けれども、霊においては生かされ、永遠に神とともに生きる者となる。福音を信じた者も神のさばきの座に立つ時が来る。霊の滅びは宣言されない。
キリストはかつてこう言われた。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10章28節)。
私たちは、かつての罪の楽しみに舞い戻ってしまう弱さや、人を恐れてしまう弱さがあるかもしれない。だがキリストを模範にし、罪に抵抗し、神を恐れ、地上の残された時を、神のみこころを行うために過ごしていきたいと思う。