本日からペテロの手紙第一の講解メッセージに入る。著者ペテロはパウロと同じく、皇帝ネロの時代に殉教したと言われている。皇帝ネロの治世は紀元62~66年であるが、ネロは皇帝の中でも一番残虐で、しかもキリスト教徒を一番激しく迫害した皇帝として知られている。この手紙の執筆年代は、皇帝ネロの治世で、60年代前半であると思われる。キリスト教徒は苦難が続いていたが、これからさらに激しい苦難の時代が来ることが予想されていた。執筆目的は苦難の中にあるキリスト者を励まし、信仰に堅く立たせるためであることが容易に想像がつく。

本日は1~2節のあいさつから教えを受けたい。著者は自分のことを「イエス・キリストの使徒ペテロ」と紹介している。彼はイスラエルの北にあるガリラヤ地方の漁師であった。彼はガリラヤ湖畔でキリストに呼びかけられ、キリストの弟子となる。比較的分かりやすい性格で、猪突猛進型。彼はキリストの逮捕の場面では、あんな男は知らないと誓ってまで否定するという大失態を犯すも、この体験を通して自信過剰なプライドは砕かれ、自分の罪深さを知り、キリストの愛を再発見し、立ち直る。その後は初代教会のリーダー、メッセンジャーとして活躍することになる。エルサレムで始まった彼の働きはローマにまで及んだようである。

彼の元々の名前は「シモン」であった。「パレスチナユダヤ人の間で人気の高い男性名ベスト99」(紀元前330~紀元200年の間)というある統計によれば、シモン⁄シメオンが一位。キリストはシモンに「ペテロ」というあだ名をつけた。その意味は「岩」。パレスチナユダヤ人の半数が十かそこらの名前で呼ばれていたので、ただの名前では区別しかねるという問題が発生していた。シモンと呼んだら、何人振り向くかわからない。あだ名で呼ぶというのも一つの方法だった。一番多いのは、父親の名前を先につけて区別するというもの。シモンはキリストにあだ名をつけられる前に「バルヨナ・シモン」と呼ばれていたようである(マタイ16章17節 「バル」はアラム語で「子」を表す)。出身地で区別することもよくあった。「クレネ人シモン」「マグダラのマリヤ」「ナザレのイエス」。職業で区別することもあった。「皮なめしのシモン」。使徒となるシモンの場合は、すでに父親の名前をつけて区別されていたので、区別以上の意図があって、あだ名が付けられたはずである。では、なぜキリストは「岩」などというあだ名を付けたのか。「岩」というのは建物の土台となるものというイメージがある。キリストは山上の説教で、たとえとして、岩の上に家を建てた人と砂の上に家を建てた人の最後について話しておられる。次のようなみことばもある。「あなたがた(すなわち教会)は使徒と預言者という土台の上に建てられており」(エペソ1章19節)。ここからもわかるように、ペテロは他の使徒たちとともに、教会の土台になるように定められていたということになるだろう。キリストは言われた。「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます」(マタイ16章18節)。この後、ペテロはあだ名で呼ばれることが多くなる。キリストが皆さんにあだ名をつけるとしたら、何になるだろう?名は体を表すと言われるが、名前が人生に影響を及ぼすとも言われる。キリストはそれを意識したのかもしれない。けれども、それは、ただそうなってほしいという願望ではなくて、そうなるように定められている、ということから来ているのだろう。

手紙の宛先を見てみよう。「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤ」。これは小アジアの北西の地域で、現在のトルコ辺りを想像していただければよい。ペテロが書いた手紙は回覧というかたちで、これらの地域にある諸教会に読まれることになっただろう。今それを私たちは、個人的にいつでも読めるという恵みに与っている。

彼らは「散って、寄留している」人々だった。「散る」ということばは、使徒の働きでは、「ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は」(11章19節)という使われ方をしているので、迫害によって、ローマの属州に散らされたという印象を受ける。「寄留」というのは散らされた結果として起こることである。このことばは、一時的にある場所に居住することを意味することばで、在留外国人に適用されることばである。その地の市民ではない。法的保護も不安定。流浪の民である。たいへんつらい立場である。この「散って、寄留している」人々にはユダヤ人だけでなく、異邦人も含まれていた。彼らは信仰のゆえに社会的に疎外されていたということである。信仰のゆえに仕事を失うこともあった。ローマ帝国はピラミッド型社会であったが、教会のグループの大半は下層の人々。公民権を剥奪された人たちだったり、奴隷階級の人々だったり、とにかく主流から外れた人たちが多かっただろう。ローマ帝国は自由人と奴隷からなっていたが、自由人であっても公民権を持たない解放奴隷の身分の者が多くいた。救われた多くの人たちは下層の人々。またユダヤ人、異邦人の割合では、異邦人が多かったと思われる。

実際の迫害は三方面からあったと言ってよい。まずユダヤ教徒からの迫害。ユダヤ教徒たちはイエスを大罪人として十字架につけて殺すことに賛成した。イエスの信奉者たちも、同じようにのさばらせてはならないというわけである。一世紀、ローマ帝国の10分の1がユダヤ教徒であったと言われている。彼らにとって、キリストはペテン師にすぎなかった。

続いて、異教徒たちからの迫害。ローマ帝国は多神教の世界。あらゆるものに守護神が存在し、人々の日常生活には神々が密着していた。火の神、水の神などというのはまだいいところで、夫婦喧嘩の神までいた。家には神棚が祭られ、毎朝、家父長によって拝された。庭園や街路や丘には神々の彫像が威容を誇っていた。神殿も数々あった。様々な神々が祭られていた。日本の八百万の神々信仰と大差ない。

最後は国家による迫害。四世紀にローマ帝国の公認宗教はキリスト教となるわけだが、それまで道筋をつけてくれたキリスト教徒がたいへんであった。皇帝を神として礼拝することが強要された。それをしなければ死刑。特に暴君ネロの時代、キリスト教徒に対する迫害は激烈であった。具体的には後日、語ろう。

ペテロは、この手紙の受取人たちが、厳しい状況に置かれていたことは重々承知だった。だから励ましてあげたい。それが「選ばれた人々」ということばに表わされている。選んでくださったのは神。考えてみれば、神に選ばれるという、これ以上名誉なことはない。社会では生き残りをかけて「選ばれる人」になるために日夜努力し、技術を身に着け、業を磨き、経験を積み、自己ピーアールをし、選ばれることを待つ。オーディションにチャレンジしてみる。ある人は生まれ持っての才能や容姿のゆえに、苦労せず選ばれてしまうことがあるかもしれない。いずれ選ばれる人というのは、それなりの要素があるから選ばれる。私たちは神さまに選ばれるような要素があるだろうか。また選ばれるような何かをしただろうか。思い当たることがみつからない、ということが本当のところであると思う。これが神の選びの不思議である。神さま、まちがって選んでしまったんじゃないかしら?と思うことしばしばであっても、神さまにまちがいはない。神さまの選びの基準はミステリーに包まれている。

皆さんはこれまで、選ばれて嬉しかったという思い出があるだろうか。代表選手に選ばれた。級長に選ばれた。プロジェクトチームの一員に選ばれた、某会社にスカウトされた・・・。わたしは残念ながら、平凡な人生を送ってきたのでそういう思い出はない。なかには、選びの反対で、外されたという苦い思い出をお持ちの方もおられるかもしれない。とにもかくにも、神に選ばれたということ以上に幸いな事実はないことを覚えよう。

選ぶということにおいて目的がある。何のために選ぶのかということ。今日スーパーに出かけ、ジャガイモ、人参、玉ネギ、牛肉を選んで買ってきた。それは、夕食にカレーライスを作るためという目的があるから、ということになる。では、神さまは、私たちを何のために選ばれたのだろう。その答えが2節にある。

2節から選ばれた目的は明白である。キリストに従う者となるために選ばれているということ。「クリスチャン」というあだ名自体、「キリストにつく者」「キリストに従う者」という意味がある。これのことを見る前に、2節前半の、神の選びを補足する二つの説明を見よう。

第一は「父なる神の予知に従い」。選びが先か予知が先か、たまごが先か鶏が先かのような論争がされることがある。「予知」とは、単純には「あらかじめ知ること」を意味するわけだが、選んでからそれを知るんだよ、いや、あらかじめ知っているから選べるんだよ、と論争になる。しかし無益な論争はやめよう。ここは予知が時間的に先に来るということを言いたいのではない。予知は神の選びの要素だということ。この予知は固い意志を含んでいる。ここでの「予知」はただあらかじめ知るという程度のことではなくて、罪深い者を救おうと決意し、それを実行に移すための、神の固い意志が基としてある。「あの三番目の人、入社試験に合格するようだ。人柄がいいし、頭も切れそう。じゃあ選んでみよう」。その程度のものではない。「あの三番目の人、もともと落ちこぼれであることはわかっているけれど、とにかくあの三番目の人を救うことに決めてある。いのちかけて絶対救う。だからあの人は救われる」というような認識である。「父なる神の予知に従い」と、父なる神は永遠の昔から、私たちを選ぼうとして知っていてくださったのである。エペソ1章4節にあるように、世界の基の置かれる前から、私たちを選ぼうとして知っていてくださったのである。

第二は「御霊の聖めによって」(新改訳2017「御霊による聖別によって」)。「聖め」は「聖別する」、もっと砕いた表現では「取り分ける」となる。「聖め」ということばは、「取り分ける」という選びの意味をもともと含んでいる。神は落ちこぼれや罪深い者を、ご自分のために、ご自分の側に取り分けてくださった。御霊によって。これまで私たちは悪魔の道具、罪の道具、ゴミの山に捨てられていた廃品のようであっても、そこから取り分けられて、再生の道を歩むということである。具体的には、キリストに従うということである。それが神に選ばれた目的である。

「イエス・キリストに従うように、また血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ」。私たちは、キリストのしもべとして、キリストの花嫁としてついていくように選ばれた。私たちの残された人生はキリストに献げるのである。それが神に選ばれた者の生き方である。私たちは神に選ばれキリストのものとされているという自覚に生きよう。

キリストご自身、選びについて次のように言われたことがある。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです」(ヨハネ15章16節)。ここから、選ばれたということはキリストの大使として生きる使命があるのだということがわかる。私たちには、あなたの地上での人生はこれまでと言われるまで、キリストに遣わされた者たちとして、キリストを証しする責任がある。この地上で息を引き取る最後の瞬間まで、キリストを証しする役目がある。

年に一、二度、知り合いのご年配の姉妹から電話がある。歩行が困難になり、足にブロック注射を打ち、教会にも皆に送り迎えをしてもらいながらの生活である。昔はCSの教師として、また婦人会の中心的メンバーとして、キリストを伝えることに邁進してきた姉妹である。その後、病気を様々患い、心の病気も患い、教会に行けない期間も長くあった。不自由な体で大変だと思わされるのだが、いつも以外なことばが返ってくる。「まともに歩けなくなってきているけれども、どんなかたちでもキリストを証ししていきたい、それが自分の願いです」。キリストに仕えるスピリットは若い者たちに負けていない。「今、腹話術を覚えています。ディサービスでお世話になる施設で証するためです」。「70歳過ぎてから短歌を始めました。短歌を通しても主を証ししたいから」。「あの人、この人の救いのために祈ってます」。弱さを抱えていても、常に関心の矛先は主を証しすること。自己憐憫に浸っている暇はなしという印象をいつも受ける。この前のお電話では、キリストに献げきった生涯で一生を全うしたいということがことばの端々から伝わってきた。

キリストはエルサレム入城の際、向こうの村に行って、つないであるろばの子をほどいて連れて来るように命じられた。そして、なぜそんなことをするのかと問われたら、「主がお入り用なのです」と言いなさい、と助言された。「主がお入り用なのです」、それは私たちにもあてはまる。

ペテロは「キリストに従うように」と言ったあとで、彼らの心を、キリストに堅く結びつけさせることばを加えている。「またその血の注ぎかけを受けるように・・・」。この血とはまがいもなくキリストの血である(第一ペテロ1章18,19節)。「血を注ぐ」というのは、聖書を読めば、契約の締結を意味していることがわかる。旧約聖書を見ると、イスラエルの民と神との契約の締結に際し、モーセが祭壇と民たちに血を注ぎかけている(出エジプト24章6~8節)。ペテロが意識させようとしているのは、この古い契約のことではなく、キリストの血による新しい契約である。ペテロがなぜここで、キリストの血の注ぎかけを手紙の受取人たちに意識させようとしているかわかるだろう。それは単に、あなたがたはキリストの犠牲の血によって救われていることを思い出させるためだけではない。キリストのものとされているのだぞと、彼らの心をキリストに堅く結びつけさせ、キリストに従わせるためだった。

忘れ形見というものがある。それは父親の遺品であったり、母親から譲り受けたものであったりする。それらが親の思いを忘れないようにさせたり、親の意志を継ぐための役割を果たしたりする。ペテロはここで、キリストの血の証を、いつも心に持っているように促していると思う。

今日のテーマは選びだった。私たちは選びということを、難しい神学論議の話にしてしまうのではなく、神に選ばれたことを謙遜に受け止めつつ、素直に喜びたい。私たちは、キリストに従うように、全くキリストのものとして歩むように選ばれた。その選びは、神の愛から来ている。選ぶというのは特別な愛である。この選びに不満があるだろうか。ないだろう。神の選びに感謝しよう。そして私たち自身がキリストに従うことを日々選んでいこう。そのようにして神の栄光を現し、キリストに従い通す生涯を全うしよう。