今日は、イエスさまがエルサレムに入城されるシーンである。小学生の時、図書館から借りた聖書絵本を読んで、なぜかこの場面をはっきりと覚えている。子どもたちも大人たちも大歓声で、ろばに乗っておられるイエスさまを王として迎え入れる場面である。

過越しの祭りが近づいていた。ガリラヤ地方の住民を主体として、巡礼者が過越しの祭りを祝うために、エルサレムに上っていった(1節)。「オリーブ山」はエルサレムの東に面していて、都を見下ろす丘であったので、本当に近くまで来ていた。「ベテパゲ」の位置ははっきりわかっていないが、いずれエルサレム郊外にある村である。

この日はヨハネの福音書によると、過越しの祭りの5日前で、日曜日だった(12章1~2節)。前日の土曜日は旅をしてはいけない日として定められていたので、この日、おびただしい数の群衆が都に上っていったであろう。これらの人々は、イエスさまのために「木の枝」を敷いた(8節)。ヨハネの福音書によれば、それは「しゅろの枝」であった(12章13節)。前回学んだ20章39節の「エリコ」という町は、しゅろの木で良く知られていた所であった。「しゅろ」とはなつめやしのこと。一般にその果実はデーツと呼ばれ、たいへん美味しいとのこと。木の枝も珍重され、それで屋根を葺いたり、垣根を作ったり、かごを編んだりした。このしゅろの枝を敷いてイエスさまを迎えたところから、この日は「しゅろの主日」(パームサンデー)と呼ばれるようになった。受難週は「しゅろの主日」から始まり、5日目の金曜日が、イエスさまが十字架についた「受難日」となる。今日のシーンを見る限り、これが受難週の最初の日とは考えられないような喜びの場面である。

イエスさまはベテパゲにふたりの弟子を遣わす(2節)。このイエスさまのことばに不思議さを覚える。この命令をわかりやすく言うと、「向こうの村に、ろばの親子がいて、母ろばはつながれていて、その母ろばのそばに子ろばがいる。母ろばの綱をほどいて、母ろばと子ろばを連れて来なさい」。何が不思議かと言うと、ろばの持ち主に「いつかお借りしますから、よろしく」というようなことはあったかもしれないが、イエスさまのことばは、完全に予知してのことばであるとしか言いようがない確信的なことばであるということ。不思議なことばはさらに続く(3節)。つながれているろばを勝手にほどいて連れて行こうとする。その時に誰かに何か言われたら、「主がお入り用なのです」と言えばいい、と言われる。まるで、その真のろばの持ち主はわたしだと言わんばかりの宣言である。

実は「主がお入り用なのです」というのは訳がむずかしく、二通りの訳の可能性がある。一つは「それの主が必要としています」。この場合、イエスさまは子ろばの主であるという意味になる。もう一つの訳は、「主が、それを必要としています」。この場合、イエスさまは私たち人間の主という意味になる。「主が」どちらにかかっているのか、わからない。ろばの子にか人間にか。いずれにしろ、イエスさまは万物の支配者であり、所有者であり、主権者であられる。コロサイ1章16~17節を見よ。ここで、イエスさまが万物の創造者であり、支配者であり、保持者であることが証されている。また万物よりも先に存在していた永遠の神であることが証されている。そうだとしたら、ろばはもちろんのこと、私たちという存在の所有権、使用権というものも、キリストが持っておられるということになる。「主がお入り用なのです」と言われれば、「こんなわたしでよければ、どうぞお使いください」と差し出さなければならないわけである。そのような適用をこのみことばから教えられる。

さて、ろばの子に乗ったエルサレム入城は預言の成就であるということがクローズアップされる(4,5節)。5節で引用されている預言はゼカリヤ9章9節が支柱としてある。この預言に見る王の姿は一風変わっている。ゼカリヤ時代、先の王たちはみな、必ずエルサレムで即位したが、この預言では、「見よ。あなたの王があなたのところに来られる」と、別世界から王が来ることになっている。それ以上に奇妙なのは、王が乗る乗り物が「荷物を運ぶろばの子」であるということ。ろば自体は乗り物として奇妙ではない。馬がなかった時代のイスラエルでは、士師記に見る士師も預言者も王も、ろばに乗っていた。馬が輸入されるまでは、ろばが機動力であり、権力のしるしでもあった。ソロモン王の即位式では、馬ではなく雌の騾馬に乗った(第一列王1章33節)。しかしソロモンが王として即位し、エジプトから大量に馬を輸入してからは、ろばに乗る王侯貴族はいなくなってしまった。ろばは運搬用の家畜になってしまった。格下げである。「荷物を運ぶろば」という表現で、この家畜の卑しさを表わしている。しかも「子ろば」となっている。さらに卑しくなっている。もっと言うと、この子ろばは、かたちの上では借り物である。レンタルで済ましたイエスさまということになる。しかも、そのレンタルしたものは、卑しい乗り物ということになる。こうした乗り物に乗ることをよしとされるということは、自らを卑しくしなければできないこと。そのことが5節では「柔和で」ということばで表わされている。このことばは「へりくだり」を意味することばである。ろば自体が「へりくだり」のシンボルである。それは十字架にかかろうとする救い主を表わすのにふさわしい。救い主はへりくだっておられる。イエスさまは神であられるお方なのに、神のあり方を捨てることはできないとは考えないで、天の栄光をかなぐり捨てて、地上に下り、家畜小屋でお生れになり、卑しき家の子どもとなり、罪人の友となり、十字架の死という最も卑しい死に方を選ばれた。「荷物を運ぶろばの子」に乗るというのは、イエスさまの徹底したへりくだりを物語っている。私たちのような卑しい罪人を使ってくださるというのも、へりくだっておられるからこその姿である。なのに、私たち人間のほうが高ぶって、私にふさわしいのは一流のホテルだとか、乗り物はベンツだとか、飛行機はファーストクラスだとか、わたしを誰だと思っているのと、気位の高さを見せつけてしまうわけである。

次に、子ろばに対するイエスさまの配慮について見よう(7節)。ここを見ると、弟子たちは母ろばと子ろばの背中に、鞍代わりに自分たちの上着を掛けたようである。イエスさまが実際に乗られたのは子ろばのほうである。ここで心に留めたいのは母ろばの存在である。母ろばの存在は必要であった。イエスさまが乗ろうとしていたのは、まだ人を乗せたことのない子ろばである。近くに母ろばがいてくれたら安心だったろう。とりわけ、大歓声を上げる群衆の中を進むわけだから、初体験で興奮しやすい。母ろばが近くにいてくれたら、子ろばは落ち着くわけである。これは小さいことかもしれないが、イエスさまの配慮を見て取ることができる。

次に、王であられるイエスさまに焦点を当てよう。子ろばにイエスさまが乗られたとき、群衆が最初にしたことは、上着としゅろの枝を道に敷くことである(8節)。上着を脱いでそれを敷くということは、自分たちに服がどんなに踏みつけられてもよいという服従のしるしであり、また、その上を歩く者を王として認めますという意思表示である。旧約の時代も、王様に対してこうしたきた(第二列王9章13節)。上着というのは、前回、盲人のいやしで説明したように、どんなに貧しい人でも最低限もつことが許される財産。借金取りが来ても手渡さなくて良いと法律で定められていた。それを王の前に投げ出すわけである。完全な服従のしるしである。しゅろの枝は、古代オリエントでは、王や将軍を迎え入れるのに用いられた。それを道に敷き、またそれを手にもって旗のように振って王を歓迎したわけである。この場面でもそうした。今で言えば、オープンカーに乗って行進する偉い人を、沿道で国旗を振って歓迎するといった情景。そして、これに称賛のことばが添えられる。ここでは賛美である(9節)。

この歌詞は詩編118篇25~28節の引用である。仮庵の祭りや過越しの祭りの際に、祭司、エルサレムの住民、巡礼者たちが口にしたことばである。「ダビデの子」とはメシヤの称号で、イスラエルの王であることを表わすことばである。続く「ホサナ」は詩編118篇25節「どうぞ、救ってください」の引用である。「どうぞ、救ってください」の原語ヘブル語は<ホシアー・ナー>。<ナー>が「どうぞ」で、<ホシアー>が「救ってください」。それで「どうぞ、救ってください」となる。しかし、群衆が「ホサナ」と使っているとき、日本語で言うならば、「万歳」というような意味で使っている。「イエスさま、万歳!」といった歓呼の叫びである。続く「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」は、詩編118篇26節引用である。こうした賛美をささげ、イエスさまは賛美に取り囲まれながら、都入りした。

イエスさまは王としてどういうお方なのだろうか。さきほど、イエスさまのへりくだったお姿に焦点を当てたわけだけれども、イエスさまは「平和の王」として入場されたということを忘れてはならない。それはゼカリヤ書9章10節の預言から明らかである。ゼカリヤ章9章9,10節を開いて読んでみよう。「・・・軍馬をエルサレムから絶やす。・・・この方は諸国の民に平和を告げ、・・・」。実は、イエスさまが乗ったろばには、もうひとつ、「平和」という意味が込められている。イエスさまは軍馬には乗られなかった。ろばは「へりくだり」のシンボルであるとともに、「平和」のシンボルである。イザヤ書では、出現するメシヤは「平和の君」として預言されていた(イザヤ9章6節)。イエスさまが降誕されたとき、天使たちは歌った。「天には栄光、地の上には平和が、みこころにかなう人々にあるように」。聖書が語る平和は意味が豊かである。それは争いのない世界程度の意味ではない。争いは生活の外側だけの現実ではない。心の中で邪淫がへびのようにうねっている。ねたみ、苦々しい思い、人との亀裂した感情がある。何よりも神との間に平和がないのが問題である。聖書が教えていることは、争いを引き起こしてしまう外的原因の除去、平等な待遇、公平な福祉、ゆとりを生み出す労働環境、ゆとり空間、そうした対処以前に、平和の根本的な解決である、罪の赦し、罪の除去、神との関係回復である。イエスさまを平和の王として心にお迎えすることが不可欠である。また、そうでなければ、平和で満ちた神の国、新天新地に入ることはできない。イエスさまは平和の真の実現のために、どうしてもしておかなければならなかったみわざが十字架による罪の贖いである。イエスさまは、それを意識して入城された。群衆の頭には当然、十字架のことなどなかっただろうが、イエスさまは、ろばの子に乗られることによって、わたしは他の王のように軍事力で平和をもたらす気はさらさらないよというメッセージを伝えようとしたことだけは確かであると思う。

イエスさまが入城した時のエルサレムの市民の反応はどうであっただろうか(10節)。普通に表現すると、「この人、いったいだれ?」という反応である。つまり、まだイエスさまは全国区でなかった。エルサレムの人々の何パーセントかはもうすでにイエスさまに会っていたし、イエスさまのすごいうわさも聞いてはいた。でも全体として、イエスさまのことがまだよくわからないでいた。「騒ぎ立ち」というのは、メシヤが自分たちのところに来てくださったという喜びの浮かれ騒ぎではない。「なんだ、なんだ」という疑惑の騒ぎである。エルサレム中の人々が、こぞってイエスさまを歓迎したかのように勘違いしている人がいるが、決してそうではない。この今一つの反応に、巡礼者として都入りした人々は、イエスさまの応援演説をする(11節)。ここには都の人に対する地方人の対抗意識がある。都に対するローカルのプライドを感じる。「この方はガリラヤのナザレの、預言者イエスだ」。これは、「おらが村のヒーローだ、覚えておけ」といった感覚。というのは巡礼者の多くはガリラヤから来たはずである。ガリラヤ人は粗野で教養がないと見られていた。田舎者と見られていた。それで、「ガリラヤからすごいお方が出たんだぞー。預言者イエスだ。ご当地ヒーローだ」。このときの「預言者」ということばは、モーセが申命記18章5節で預言した「わたしのようなひとりの預言者」の到来が意識されていると思う。とにかく、田舎から来た群衆は、都の人たちに対して、自分たちの中から出たヒーローを認めてもらおうと、声を上げた。これらの群衆のメシヤ理解はきわめて不完全であったにしろ、ほほえましいものを感じる。

次回は、イエスさまが平和の王らしからぬ、暴れんぼう将軍のような行動に出ることを見るが、それは注意深く考察すれば平和の信念と矛盾する行動ではないのだが、イエスさまの行動は予測がつかない。これまでもそうであった。それがイエスさまの魅力でもある。人の計算を外して動かれるイエスさまである。十字架と復活もそうである。ホサナと叫んだ群衆は、イエスさまが十字架を負おうとしていたなどとは気づかなかっただろう。けれども私たちは、子ろばの子に乗ってご自分を卑しくされたイエスさまの延長線上に十字架を見る。それにしても、十字架とは余りにも卑しすぎる。

水洗トイレになる前のぽっとんトイレをご存じの方は多いだろう。下を覗き込めば、ウジ虫がたくさん見えた。私は子どもの頃、その便所に入って、下を覗き込みながら、今地震が起きて、床が割れて下に落ちたらどうしようと不安になったものである。半世紀前のこと、日本にやってきたある宣教師はこう言ったという。「イエス・キリストさまが天の栄光を捨てて、この地上にやってきてくださったということは、まさに、あのお便所の中に、うじ虫となってやって来てくださったことと同じです」。イエスさまはこの罪深い世界に落ちたのではなく、飛び込んで来てくださった。そして私たちの汚い罪をかぶり、身代わりに罪のさばきを受けてくださった。なんという愛とへりくだりであろうか。イエスさまは私たちを罪と滅びから救おうとして、卑しさの極みとなられた。私たちは主の、この愛とへりくだりを知って、「ホサナ!」と心からの賛美をささげ、王としてあがめたい。