あの人は偉いな~と思う時がある。その人自身は自分が偉いとは思っていないのだけれども、偉いと周りが認める人がいる。聖書の基準からすると、神さまが偉いと判断する人が偉い。イエスさまは26節で、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は」と、偉くなること自体を否定せず、どういう人が偉いのか、当時にあっては逆説的価値を弟子たちに提示されている。

思えば、イエスさまは、弟子たちの上へ上と向かう気持ちを何度も戒めようとされてきた。18章1節からは、「天の御国ではだれが一番偉いのでしょうか。子どものように自分を低くする者が一番偉いのです」という講話がある。19章27節のペテロのことば、「あなたのためにすべてを犠牲にして従ってきた私たちには、何がいただけるのでしょうか」に対しては、19章30節で「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです」と功績主義に陥ってはならないこと、おごり高ぶりはいけないことを、20章16節に至るまで、たとえも使って教えられた。先週の17~19節はキリストの受難の三回目の預言となっているが、イエスさまがこのような預言を繰り返されたのは、イエスさまと同じ名誉の座につくことばかり考えていた彼らを諭すためでもあった。自己宣伝、自己栄光、そうしたことに心が向かっていた彼らに対して、自分を低くすること、自己否定、自己放棄を身に着けさせたかった。イエスさまはこれら以外にも、上へ上と向かう彼らの心を、下へ下へと向けさせる教えを幾つもされてきた。けれども弟子たちは悟れないでいた。これは他人事ではない。

イエスさまの受難の預言の後、一見、信じられない出来事が起きる。ゼベダイの子たちの母の行動である。彼女は空気を読めないというか、イエスさまの心を理解できていない(20,21節)。「そのとき」ということばで始まっている。これは、前の話のすぐあとに、という意味ももつことばだが、これからの話の導入としても使われることばで、「それから」といったニュアンスのことばである。よって、今日の話は、先の預言の後に、エルサレムに上る途上のどこかで起きた出来事と解釈してよい。先の預言の直後に、間髪入れずに起こった出来事と解釈する必要はない。

「ゼベダイの子たち」とはヤコブとヨハネである。「ゼベダイの子たちの母」は、イエスさまの十字架の場面でも立ち会うことになる(27章56節)。マタイ、マルコ、ヨハネの三福音書の十字架の場面に登場する女弟子たちの描写から、この女は「サロメ」ではないかと思われている(マルコ15章40節)。そしてサロメはイエスの母マリヤの兄弟であると思われる(ヨハネ19章25節「母の姉妹」)。この仮説を受け入れると、ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、イエスさまといとこ関係になるということになる。いつも時代でも王国は身内で固めることが多い。ゼベダイの子たちの母は、親戚の者として自然な願いをしているという意識があったかもしれない。

並行箇所のマルコ10章35節では、願い事をしにきたのは「ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネ」となっている。けれども、マタイでは、願い事をしにきた主体は「母」となっている。「母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て」と(20節)。続く「ひれ伏して、お願いがあります」という分詞は、原文で女性形がとられていて、子どもたちがいっしょだったのだけれども、いかに母の願いが強かったかがわかる。それは「ひれ伏して」という行為そのものからもわかる。母心の強さを感ずる。

イエスさまは「どんな願いですか」と冷静に聞き返している(21節前半)。彼女の願いは、エルサレムで確立するであろう神の国(王国)において、息子たちを一番高い名誉の座につけてください、というものであった(21節後半)。ゼベダイの子たちも母も、イエスさまは苦しみの預言をしているけれども、確かに過程においては色々あり、幾多の困難も予想されるけれども、最終的には神の国はエルサレムで樹立され、イエスさまは王権を確かなものとされると信じたのだろう。イエスさまの思いはエルサレムでの十字架刑、思いは下へ下へ、であった。しかし、彼らの思いは上へ上へと向かっていた。恥ずかしい思い出となっただろう。彼らはペテロといったリーダー格の弟子のことも意識して、出し抜かれないようにと思っていたのかもしれない。

イエスさまのことばはゼベダイの子たちに向けられる(22節前半)。ゼベダイの子たちは地上の火薬臭いというか血生臭いというか、力で築く政治的王国のことしか頭にない。また、神の奇跡、しるし、不思議といったものも、それに伴うと考えていたかもしれない。いずれ、人間的次元でこれからのドラマを思い描き、自分たちは英雄になろうと予想していた。彼らは、謙遜、低さ、聖さが求められていたことも、この世の国とは性質が異なる神の国の性質も理解していない。

イエスさまは彼らにチャレンジを与える。「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか」(22節前半)。彼らはこの「杯」を、話しの流れにおいて、今後イエスさまが受ける苦しみと理解したであろう。彼らは、イエスさまと苦しみを共にする覚悟は一応持っていた。彼らはためらわず「できます」(22節後半)と言っている。「杯」が意味するところは具体的にどういうことなのかわからなかったが、それがなんであっても「できます」という返答である。ご存じのように、ゲッセマネの園の逮捕の場面で、彼らはイエスさまを見捨てて逃げていくことになる(26章56節)。けれども、後にヤコブは十二使徒最初の殉教者となる(使徒12章1~2節)。ヨハネはパトモス島に流刑の身となる(黙示録1章9節)。イエスさまは、こうした彼らの未来を知っており、彼らの発言に同意は見せる(23節前半)。同意は見せるけれども、彼らが神の国をこの世と同類とみなしていることに同意はしない。そして、そこで高い地位を求めるという、彼らの自分を高めようという動機、利己主義から来る野心、高ぶりには同意はしない。彼らが今、学ばなければならないことは低くなること、仕えることである。だからイエスさまは、右と左の座に誰がつくのかという不健全な関心はかわす。「しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです」(23節後半)。

ペテロは19章27節で、自分たちの払ってきた犠牲の大きさを自負して、「私たちは何がいただけるのでしょうか」と、自分たちの功績、手柄を自慢して栄誉を勝ち取ろうとする精神を露呈した。自己推薦の精神。ヤコブとヨハネは、それプラス、親にも取り入ってもらって、口利きというかコネまで使って上にのぼろうとした。彼らは神の国の性質を勘違いしている。けれども、他の弟子たちもどっこいどっこいだった(24節)。彼らの思いも上へ上へという点では同じ。彼らは出し抜かれようとしたこと、抜け駆けが許せないだけだった。現代社会でも、「あいつらは自己中心だ、欲張りだ」という非難はあるが、そういう風に非難する人に限って同じ欲望をもっており、非難することによって相手を叩き、低め、自分の劣等感をなだめようとしている。劣等感は功名心の裏返しである。それは他人への非難となって表われる。相手をことばで叩き、下げ、自分の下まで押し下げようとするのだ。劣等感は高慢と手を結び、競うことにやっきとなる。それは謙遜を嫌う。

十二弟子全員の霊性に問題があった。「心の貧しい者は幸いです」をはじめ、これまで繰り返し教えて来たへりくだることの必要を、ここでイエスさまはまた教えられる。先ずは、この世の偉い人たちの現状を告げる(25節)。「異邦人の支配者たち」は、暴政を行う暴君、独裁者であることが多い。彼らは自分の地位を保つために安穏としていられない。自分を守るために、また支配を拡張するために、権力を振るって力で治めようとする。出エジプト記のパロ、バビロンの王、ローマ皇帝カエサル、ヘロデ、ヒットラー、様々な人物の名前を挙げることができるだろう。次の「偉い人たち」とは、国の支配者ほどではないが、有名で高い地位についている人たちを指すと思われる。「偉い」は原語で「傑出した、目立った、著名な、有名な、名高い」といったニュアンスのことばである。この人たちは大衆から人気を勝ち取る術を知っていて、カリスマ性を発揮し、人心をコントロールできる。パフォーマンスにすぐれ、魅力的で、愛きょうを振りまき、最終的には自分に仕えさせる。いずれ「異邦人の支配者たち」も「偉い人たち」も、多くは自己愛が強い持ち主である。

イエスさまは26~28節で、福音書の中で最も美しい節の一つと言われることばを語っておられる。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」(26節)。「仕える」ということばがキーワードのようである。「仕える者」<ディアコン>とは、家の掃除や食卓をまかせられていた雇い人に使われていたことばである。そのような働きをキリストの御名によって苦も無く選び取れる精神が求められていた。

「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべとなりなさい」(27節)。仕える存在は、ここでは「しもべ」<ドゥーロス>である。別訳は「奴隷」となる。古代世界において、奴隷以上に低い地位はなかった。奴隷は功績も手柄も褒美も報酬も主張できない。すべてのことがやって当たり前だった。勤務時間は朝8時から5時まで、というのではない。全生活が仕える生活であり、しかも、仕事に対して報酬を主張できないという、低さ、卑しさの極みの身分である。イエスさまはここで弟子たちに対して、奴隷になりなさいということではなく、奴隷の身分を受け入れた心で人に仕えるということであろう。

イエスさまは仕える模範として、ご自分を挙げられる。「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人の贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」(28節)。イエスさまは民衆に仕えてきた。病人、障害者、悪霊につかれた人の必要に応え、民衆にいのちのみことばを与え、時にはパンも与えた。弟子たちにも仕えてきた。イエスさまはご自身を羊飼いにたとえておられるわけだが、それはまさに仕える働きに他ならない。羊の生活のために心を砕いて仕える。そして羊を救うために命まで捨てる。イエスさまは仕えるしもべとしてのリーダーシップ(サーバントリーダーシップ)を発揮した。

「贖いの代価としていのちを与える」というのが、仕える究極の姿である。「贖いの代価」とは、古代において、戦争の捕虜を囚われ状態から釈放してもらうための代価であった。また奴隷を買い戻すための代価であった。この場合、特に、奴隷を解放してもらうための代価を思い浮かべるのがよい。なぜなら、イエスさまは私たちを「罪の奴隷」として描写しているからである(ヨハネ8章34節)。イエスさまは私たちを罪の支配から、罪の力から、罪がもたらす滅びの刑罰から解放するために、ご自身のいのちを犠牲にして献呈してくださった。仕える究極の姿勢である。ゼベダイの子たちは世の権力者たちと同じく、仕えることではなく仕えられることを望んだ。しかしイエスさまは仕えることを選び取り、仕える対象のために、自分のいのちまで差し出すという、自己愛と対極のみわざをなされた。

最後に、仕える事例として、アッシジのフランチェスコを取り上げたいと思う。彼は中世の金持ちの商人の息子で、大金を湯水のごとく使って遊びまわっていた。けれども回心し、グループを形成する。彼らは最初、乞食のような有様に人々からばかにされる。だがそれは賞賛に変わっていった。祈りを大事にする生活に加え、仕事があれば病院に行ったり、他で働く様が見られた。自分たちが貧しいのに、困る人たちに施した。やるものがなければ、自分たちが身に着けているものまであげた。彼らの仕える姿に人々は本物を見た。彼らのキリスト教は修道院の庭に籠るようなものではなく、実践的キリスト教として革命的だった。フランチェスコは言った。「兄弟たちのところに来る者は、友でも敵でも、泥棒でも追いはぎでも、すべて善意をもって迎え入れられるべし」。こんなことがあった。弟子が追いはぎについて言った。「森にたむろして旅人を襲っていた追いはぎがパンをもらいに来ました。彼らにパンをやるのは正しくないのでは」。フランチェスコは言った。「よいパンと飲み物を用意して、彼らのいる森へ持って行って、『兄弟の追いはぎたちよ、来てください。兄弟たちがよいパンと飲み物を持って来ましたよ』と大声で言いなさい。彼らが来たら、すぐ地面に食事を用意し、食事の間、へりくだって朗らかに奉仕すべきです。食事が済んだら神のことばを語って聞かせ、おしまいに、一つ願いを聞いてほしい、と願いなさい。つまり、誰も傷つけず、殺さないことを約束してもらうのです。そうしたら次の日に約束してくれたご褒美に、パンと飲み物、卵とチーズをもって行き、食事の世話をしなさい。食事が済んだらこう言って聞かせなさい。『どうしてあなたがたは思いや行いで多くの罪を犯し、自分のたましいを危ない目に合せるのですか?主にお仕えしたほうがずっとましでしょう。そうすれば主は、この世であなたがたが必要とするものをあなたがたに与え、同時にあなたがたのたましいは救われるのですよ』」。兄弟たちは言われたことを実践した。謙遜かつ、ほがらかに追いはぎのしもべとなって食卓の世話をした。そして食事が終わったら、低姿勢で愛をもって語りかけた。こうした謙遜と忍耐によって追いはぎたちは変えられ、薪運びを手伝う者たちも出てきた。そして罪の告白をし、これからは自活し、もう悪事は働かないと厳かに誓った。その中からフランチェスコのグループに入会する者たちもいたという。

フランチェスコは指導者でありながら、グループのどんな若いメンバーにも喜んで服従したと言われている。彼は自分が悪いことばを口にしたと思ったときは、自分の口を弟子に踏ませた。また口にしなくても悪い考えを人に抱いたときも踏ませたことがあったという。彼は、自分は<深い地獄に行く値打ちのある罪人>という自覚をいつももっていたという。彼は、このようなことをある弟子に語っている。「神さまはどんな場所でも、善人と悪人とにじっと目を注いでおられる。神さまのいときよらかな目は、罪人どもの中で、このわたしが誰よりも一番卑しい、取るに足らぬ罪深い者であることをお認めになったのだ。ご自分のくすしいみわざを果たそうとなされるにあたって、地上に、私ほどに卑しい被造物はないことをお知りになった。だからこそ、このわたしをお選びになって、この世の高貴さ、偉大さ、強さ、美しさを混乱させようとなさったのだ。人がみな、ただ神からだけ、すべての力、すべての幸いが来るのであって、被造物から来るのではないことを知るようになるためだ。そして、神の御前ではだれも自分を誇ることのないため、『主を誇る』ようになるためなのだ。すべての誉れと栄えとは、とこしえに主のものなのだよ」。彼は自分の罪とこの世の罪を思い泣いて、涙で目を悪くしたという。けれども、彼は人前では暗い顔をすることを、自分にも弟子たちにも許さなかった。彼がいつも言っていたことは「いつも喜んでいなさい」であった。人から悪口雑言を言われ、獣のように扱われたりしたときこそ、ほがらかに喜ぶように教えた。「悪魔に従う者は、うなだれて歩き回らせなさい。私たちにふさわしいのは、主にあって喜び踊ることだ」。彼は「清い心と普段の祈りからこそ、あの霊的な喜びは湧き出るのです」と語った。そして光の陽気な子どもとして生きることを教えた。

彼は、最初にも少し触れたが、相手が誰であれ、敵であれ、盗賊であれ、心がひねくれている病人であれ、誰に対しても心を低くして仕え、従順を貫こうとした。彼は語録の中で「聖なる従順」ということに触れている。「・・・現世のあらゆる人に服従させ、しかもあらゆる人ばかりではなく、あらゆる家畜や野獣にも従わせ、その結果、獣たちは主に与えられた力に応じて、人を自由にすることができる」とまで言った。このことばの神秘は、小鳥たちや狼までもが、フランチェスコの前で友のようにふるまったという逸話につながっているかもしれない。彼はあらゆる被造物に仕えることを目標にした。

私たちもすべての被造物を愛し、それを当然のこととして被造物に仕える道があると言えるかもしれないが、まして対象が神のかたちに造られた人間であるならば、なおさらのことである。イエスさまご自身がそのことを実践され、物分りの悪い弟子たち、病んでいる人、悪霊につかれた人、取税人、遊女たち、サマリヤ人、敵国の異邦人、あらゆる人に柔和の霊をもって仕えられた。そして全時代のあらゆる人のために、十字架の上でいのちを献呈された。私たちはこのキリストの精神に倣っていきたい。