聖書には「苦しみ」ということばと、それに類することばがなぜか多い。「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ」(イザヤ63章9節)とあるように、神も苦しまれる、しかも私たち人間のために。その神の苦しみがはっきりと啓示されたのが、キリストの十字架であった。

今日の箇所を見ると、キリストはご自身の弟子たちを集めて、ご自身の御苦しみ、十字架、復活を預言されている。これで三度目である(16章21節、17章22~23節)。キリストの預言の内容は単純明快で、たとえや比喩を用いていない。ストレートかつ具体的に語っている。キリストの十字架と復活は、旧約聖書を含めて、聖書が啓示する中心的出来事である。それは歴史上の事実である。空想の物語ではない。また十字架にかかられたというのは、計画が狂い、予想外のことになってしまったというアクシデントではない。またヒーローになろうとしていたのに、風見鶏のように変わる群衆の心に翻弄され、敗北してしまったという姿ではない。キリストの苦しみと十字架は、聖なる神のご計画によった。キリストは十字架上で「もうだめだ!」と叫ばれなかった。「完了した!」と叫ばれた(ヨハネ19章30節)。それは救いのみわざという仕事の完了、達成である。十字架につかなければ、人類を救う神のご計画はならない。十字架の時は迫っていた。キリストは、もうそろそろ、ご自分の弟子たちに、神の救いのご計画とは何かを理解してもらいたかった。

「さて、イエスはエルサレムに上ろうとしていたが」(17節前半)。この時、キリスト一行がいた場所はエリコの町の付近である(29節)。エリコの町はユダヤのはずれに位置し、死海の北、死海に注ぐヨルダン河口の近くにあるが、今、イエスさま一行はこの辺りに滞在している。有名な「良きサマリヤ人のたとえ」の舞台になったのは、エルサレムからエリコへ下る、険しく狭い街道であった。今、キリストはその反対で、エリコの付近からエルサレムに上ろうとしている。距離にして約22キロメートルだが、エルサレムはエリコより50メートル高い。まさしく上る。

キリストは「十二弟子だけ呼んで、道々彼らに話された」(17節後半)。「十二弟子だけ呼んで」ということは、十二弟子たち以外にもキリストを取り巻く者たちがいたということ。29節には「大ぜいの群衆」という表現が見られる。もうすぐエルサレムで過ぎ越しの祭が始まろうとしていたので、大ぜいの人がキリストについていこうとしていた。ガリラヤからも男女問わずついてきていただろう。

キリストは、「さあ」という呼びかけをもって、十二弟子たちに話される(18節冒頭)。原語<イドゥー>は様々に訳されている。「いいですか」(マタイ10章16節)、「見よ」(マタイ28章20節)。このことばは、今から重要なことを話すから注意を払いなさいと、注意を引きつけさせることば、特別な関心を呼び起こさせることばである。またこの文脈では、決意を示すことばにもなっている。「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます」(18節前半)。

さて、弟子たちはこのキリストの姿をどう感じていたのだろうか。並行箇所のマルコ10章32節を開いてみよう。「さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いていかれた。弟子たちは驚き、あとをついて行く者たちは恐れを覚えた」。弟子たちの困惑、おじまどう様が伝わってくる。行け行け!ではなかった。「イエスさまはエルサレムで王となり神の国は確立するのだ。イエスさまを信じてついていこう!」と意気揚々な様でエルサレムに向かったのではない。当初はそうであったかもしれないが。だが、雲行きが怪しくなっていきた。イエスさまも不安にさせる発言を繰り返される。今、エルサレムに上ることは危険であるという認識が彼らにはあった。もしかすると、これまでのこともすべてが無意味になってしまうかもしれない。彼らはこれから自分たちがどうなるのか全くわからず、思考は混乱していただろう。しかし他にどうしたらいいかもわからない。他にとるべき道もない。イエスさまが都に上ろうとする決意は固い。その態度から読み取れる決意の固さは、逆に彼らを戸惑わせた。「不安はある。だが、ついていくしかない。いや、ついていかねば。ついていきたい。そう、イエスさまにはどこまでもついていきたい。けれども緊張する」。色々な思いが交錯していた。

デドモと呼ばれるトマスはある時、こう言った。「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」(ヨハネ11章16節)。エルサレムには支持してくれる政治家がいるわけではない。イエスさまを守る軍隊があるわけではない。イエスさまは敵対するユダヤの体制に対して全く無力であった。ローマ帝国を見方につけていたわけではない。弟子たちはユダヤの指導者階級が、イエスさまを殺す機会を狙っていたことを知っていた。弟子たちは、「今、エルサレムに上るのは危ない。だが守られて、イエスさまはエルサレムでヒーローになれる可能性は残っている。もし、その夢が破れたら、一緒に討死ししよう」、そんなことを考えていたのかもしれない。

マルコは「イエスは先頭に立って歩いていかれた」と、印象的な描写をしている。イエスさまはあたかも、軍隊の先頭に立って戦いに向かう軍司令官のようである。勇ましく先頭に立つ。自分自身を最も攻撃されやすいポジションに置く。その姿は全くの無防備。武器は一切持たない。後方に続くのは役に立たない無力な弟子たち。腰が引けておじまどう人々。イエスさまのこの無防備な姿が、日々の私たちの模範ともなる。自己防御的な姿勢で人々は生きる。人を恐れて生きる。仮面をかぶって本当の自分の姿を隠す。お金や地位や肩書といったもので自分を守る人もいる。失う恐れ、攻撃される恐れ、そうした恐れに囚われて生きている。まさしく、イエスさまの後ろに従って生きて行く弟子たちがそうである。イエスさまは父なる神に信頼しているし、みこころに従って生きているという確信があるので、無防備に生きることができる。敵意に満ちた人々が近づいてきても、顔色を変えることがない。誰も恐れない。退かない。イエスさまは肉の武器を一つももたないし、その必要も感じておられない。変装したり、迷彩服を着たりして、自分を偽りごまかす必要もない。逃げ隠れもしない。素手で、鎧を身にまとわず、自分をさらし、無防備な姿で、顔をまっすぐ目的に向けて進んで行く。私たちは本来、おくびょうであることを知っている。恐れに固まりやすい。だからこそ、このようなキリストの姿を私たちの模範としたい。肉のものに頼らないことに決める。自分を何十にも取り囲んでいる防壁を取り壊す。仮面をはずし、身に着けている鎧や装飾を脱ぎ去り、取り去り、自然体で歩んでいく。この無防備な姿こそ、目を凝らせば、信仰の武具を身に着けている姿であるとわかる。

では、マタイ20章18節に戻ろう。「人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます」(18節後半)。「人の子」という表現は、旧約聖書において、終末時代に出現するメシヤに適用されているが、これはまた、キリストの受肉、謙卑に焦点を当てたことばである。「祭司長」は世襲性だった。キリストの時代、祭司長は権力があった。なぜなら、王不在の時代なので、祭儀だけではなく社会秩序の主導権を握ることになったのである。この祭司長は複数いたようである。「律法学者たち」は、バビロン捕囚後、祖国を離れたユダヤ人たちに律法にかなった生活指導をする必要が生まれ、律法を教える専門階級が形成されていった。ユダヤでは政教分離ではなく政教一致であったので、祭司長、律法学者たちは、宗教指導者であるとともに政治家であった。彼らがキリストを死刑に定めた。しかし奇異なことがある(19節)。それは「異邦人に引き渡します」という表現である。それには理由があった。当時、イスラエルは被支配国なので、自国の法律で死刑にできなかった。イスラエルを支配していたのはローマ帝国。ローマ帝国の法によらなければ死刑にできない。ユダヤ人の死刑の項目には「自分を神と等しい者とした」というものがある。でもローマ帝国の法には「自分を神と等しい者とした者を処刑にする」という項目はない。そこでユダヤ人たちは、国家反逆罪の汚名を着せて、処刑を談判した。イエスは自分を王にしてローマ帝国に逆らうつもりであると。そうしてローマ人の手によってキリストを十字架にかけて殺してしまった。イエスさまはここで、「あざけり、むち打ち、十字架」と、はっきりとご自分の御苦しみの姿を預言している。あざけり、むち打ちは、十字架刑の前座のようなもので、十字架刑とセットになっている。

次に、十字架刑の苦しみの内容を、六つに分けて考えよう。それは、第一に、恥の苦しみである。十字架刑は恥であった。ローマ市民権のある者にこの刑を適用することは、よほどのことがなければなかった。十字架刑はローマの敵に対しての処刑法であった。敵に対しての処刑法であるから、一番いやらしい、恥を負わせる処刑法であった。あざけりのことばをたっぷりかけられる。むち打ちという畜生扱いを受ける。処刑場まで十字架の横木をかつがされ、見世物にされ、あざけられ、ののしられ、歩かされる。十字架の上で、また罵声を浴びせかけられる。キリストの場合、頭には人をばかにした茨の冠が突き刺さっている。本当なら王冠こそがふさわしいお方なのに。キリストは公開処刑となり、群衆に取り囲まれ、恥の苦しみを受けた。

第二に、拒絶の苦しみである。「この方は、ご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」(ヨハネ1章11節)。キリストは拒絶された。これが最大の形で表わされたのが十字架刑であった。宗教指導者たちも民衆たちも「十字架につけろ」と狂い叫んだ。そして、当の弟子たちも裏切り、見捨てた。背信行為である。人々はこぞってキリストを見捨てた。無私の愛に対する見返りが、何とゴミ扱いであった。キリストが十字架についたゴルゴダの丘は、ゴミ人間の処刑場であった。

第三に、肉体の極限の苦しみである。ローマの敵に対する処刑法なので、肉体の苦しみは最高級。むちの皮には鉛や動物の骨が埋め込んであって、背中はゼリー状になり、神経の痛みが尋常でないようになっている。その後、簡単に殺さず、苦しみの時間を長く味わわせることに意味にある十字架刑。両手首と足に太い釘を打ち、十字架は垂直に立てられている。痛みと血を失うところから来る渇きの苦しみと、内臓圧迫の苦しみは生き地獄だと言う。

第四に、たましいの極限の苦しみである。この苦しみは、肉体のそれを凌駕していると言ってよいだろう。それは全人類の罪を負う苦しみであったから。罪という破壊力がキリストを襲った。罪という猛毒がキリストを襲った。それは呪いの力である。滅びの力である。キリストのたましいはグチャグチャにされ、粉砕され、その苦しみは肉体にも連動し、他の死刑囚よりも早く果ててしまった。十字架につけられてから6時間という早さであった。通常は2日ぐらいもつ。

第五に、霊の暗黒の苦しみである。キリストに全人類の罪がのしかかり、罪に対する怒りの刑罰がふりかかっていた。こうして父なる神にも見捨てられるという経験を味わった。十字架につけられている間、12時から午後3時まで、天空は闇に覆われたが、それは罪に対する神の御怒りの象徴であり、裁きと断絶を表わしていた。キリストの霊の暗黒の象徴であった。キリストは死なれた後、よみに下る。そこも暗黒の世界。暗黒は何の慰めもないことや、全くの孤独も表わしているだろう。

第六に、罪の身代わりの苦しみである。私たちは、これまで述べた苦しみが、誰のための苦しみであったのかを、よく考えなければならない(第二コリント5章21節)。本当に私たちを愛していてくださるのでなかったなら、ここまでのことはしない。

1939年にモンゴル草原のノモンハンで「ノモンハン事件」があった。日本軍がソ連軍との戦いで、壊滅的な打撃を受けた戦いである。5万人の兵が死傷した。戦いは夏であったが、近年、同じ時期にノモンハン村を訪れた人物がいる。戦いの残骸がまだ残っていたようである。その方が気付いたのは、夏の時期の、約200キロにわたる荒野の行軍は、戦闘に入る前に、すでに兵士たちを披露困憊させてしまったということ。そして慢性的水不足で、渇きの苦しみはひどかったであろうということ。もう一つが虫との戦いである。いったん草原の風が止むと、ありとあらゆる虫が人間をめがけて、どっと押し寄せて来るそう。ハエや蚊やアブや羽アリやら、その他、名前も知らぬ羽のはえた虫たちが、全身真っ黒になるくらいブァ~ンとたかってくるそうである。夏になると草原にはよく雨が降り、その結果、水たまりには大量の虫が発生する。ノモンハンの兵士たちは虫と戦っていた。ノモンハンの戦闘を経験した日本兵が次のような回顧録を綴っている。「ふつうの銀バエですと、卵からウジになるには三日かかるのですが、ここのノモンハンのウジは、十分もたたぬうちにウジになります。奇術としか思えぬ早さです。ウジは見る間に死体の上を這いまわって、柔らかな部分も蝕みはじめます。これは、死者のみならず、負傷者に対しても同じです」。私はこのゾッとするような記事を呼んで、私たちの罪を一身に引き受けてもだえ苦しんだキリストを思った。虫というと、ソ連の森で実際行われた処刑法も思い出した。囚人を裸にして木に縛る。それだけである。ほどなくして、無数の虫がその体目がけて真っ黒に群がる。ハエや蚊や、見たこともないような大きなハチや。刺され、噛まれ、血を吸われ、全身血だらけになって、腐敗して死んでいく。恐ろしいと思ったが、キリストを襲った罪の力はそれ以上のものであっただろう。これをキリストは私たちのために耐えに耐えてくださった。そして、キリストの霊、たましい、肉体は、苦しみのうちに死に服した。身代わりの死である。どうして、ここまでのことをしてくださったのか。キリストの愛に、どう応えていいかわからないくらいである。

さて、キリストはこれで終わらなかった。「しかし、人の子は三日目によみがえります」(19節後半)。この預言通り、キリストはよみの世界から戻られた。キリストの墓のふたは転がされ、キリストは弟子たちの前に現れた。弟子たちは師であり主であるキリストが十字架刑に遭われたということだけでなく、それは自分たちが見捨てた結果であるとも思い、自責と絶望の念にかられ、立ち上がれない思いになっていただろう。キリストの復活は、彼らにとって人生のやり直しの希望となったはずである。私たちもまた、キリストによって罪の赦しにあずかり、新しい人生をいただき、永遠のいのちの希望をいただいた。私たちは、キリストにある救いをいつも喜んでいよう。同時に、キリストが私たちのために味わわれた十字架の苦しみをいつも思い返し、キリストの恩に報いる生き方を実践していこう。