今日の物語は信仰のチャレンジを受ける主の教えが記されている。今日の物語は、変貌の山での出来事に続いている。高い山にイエスさまとペテロとヤコブとヨハネの三人が登った。残された九人の弟子は留守番である。イエスさま不在の間、山の麓で留守番していた弟子たちは難事件に直面し、苦悩することになる。イエスさまがいてくれればいいなぁ、と彼らは思ったであろう。でも彼らが直面した事件は、本来、彼らの手で解決できる種類のものであった。いや、解決しなければならなかった。なぜならば、彼らは訓練を受けた「使徒」なのだから。彼らはイエスさまから権威と賜物をいただき、信仰の訓練を受けていた。にもかかわらず、彼らは「できない」と音を上げてしまった。この事件は、マルコの福音書、ルカの福音書も取り上げている。

イエスさまが山から降りてくると、群衆の中からひとりの人が来て、息子を助けてくださるように願った。ルカ9章38節から、この息子はひとり息子であることがわかる。この息子はマルコ9章21節から、幼い時より苦しんでいたことがわかる。父親は「主よ。わたしの息子をあわれんでください」と願った(15節前半)。彼は息子は「てんかん」であると告げている(15節前半)。原語は「月で打たれた」という意味であるが、古代においては、月がいろいろな病を引き起こすと信じられていた。詩編121篇6節には、「夜も、月が、あなたを打つことはない」とあり、古代の病に対する考えが反映されている。現代でも月の引力が生物に影響を与えるという学説があるが、この学説は科学的に解明されているわけではない。いずれ、この場合、月が悪いのではない。原因は18節にあるように悪霊である。マルコ9章17節を見ると、父親は息子のことを「口をきけなくする霊につかれた私の息子」と呼んでいる。しかし音声を全く発することができないのではなくて、ルカ9章39節を見ると、突然叫びだし、口からあわを吹くことがあったようである。またこの息子はマルコ9章25節を見れば、耳も聞こえなかったことがわかる。

息子はかなり危険な目に遭ってきている(15節後半)。何度も火の中に落ちた。だから、火傷の傷跡も痛々しく体中に見られたであろう。また何度も水の中に落ちた。おぼれそうになったこともあっただろう。悪霊は彼を自傷行為に何度も追いやったようである。父親、そして家族の者たちは、いつどうなるかわからないので、交替で監視というか看護を続けてきたであろう。父親は息子の状態が余りに特異なので、単に精神的問題ではなく、霊的次元のものであるということに気づいていたようである。

父親は言う。「そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした」(16節)。12章1節には「イエスが十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった」とあり、事実、弟子たちはそれを実践してきた。村々町々を巡り、こうした霊的問題に対処し、悪霊に打ち勝ってきたはずである。しかし、今、なすすべもない。

イエスさまはみわざをなされる前に、印象的な嘆きのことばを発せられる(17節)。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ」。ここで「世」と訳されていることばは「世代」を意味することばである。イエスさまが念頭に置いた「世代」とはどういう人々なのだろうか。それは、イエスさまが山から降りてきたとき、帰りを待っていた弟子たちも入るだろうし、そして取り巻きの群衆、それに、今いっしょに山から降りてきたペテロ、ヤコブ、ヨハネも含めて、イエスさまの前にいた人たち全部が意識されていると思われる。似たような表現では、申命記32章5節に「よこしまで曲がった世代」とある。エジプトから救われたイスラエルの民が言われている。エジプトから救い出されたイスラエルの民は、荒野で神さまに逆らい、神さまの約束も力も信じられなくなり、エジプトに帰ろうとまで言いだした。しかし、イエスさまは今、自分たちの弟子たちを含めて、目の前にいる人々に対して、「不信仰な、曲がった世代」と嘆きを表わしている。実は、マルコ9章14節から、群衆の中には律法学者がいたこともわかる。当時のユダヤ人たちは、一応にして「不信仰な、曲がった世代」であった。だが、この場合、特に意識されていたのは、これまでいっしょに行動を共にし、悪霊を追い出す力と権威を授けられて、村々町々を巡回し、成果を上げて帰ってきたはずの弟子たちであると思われる。イエスさまは、もう半年後には、十字架刑を経て、天に帰る定めだった。イエスさまは彼らの学習能力の低さを嘆いておられる。弟子たちは、かつて舟が波をかぶった時、「なぜこわがるのか。信仰の薄い者たち」と言われてしまった(8章26節)。ペテロは風を見ておぼれそうになった時、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」と言われてしまった(14章31節)。パンがないと論じ合っていた時、「まだわからないのですか。覚えていないのですか」と諭されてしまった(16章8節)。

これらの事件は彼らの信仰の薄さ、小ささを物語っている。私たちは物事が順調に進んでいるとき、自分にはそれなりに信仰があるように思ってしまう。確かにあるはある。しかし、それが小さすぎることに気づいていない。薄すぎることに気づいていない。戸棚、冷蔵庫に食糧がなくなったらどうだろうか。健康を害したらどうだろうか。仕事がなくなったらどうだろうか。評判を落とされたらどうだろうか。家族の者が世を去ったらどうだろうか。目の前の希望が一瞬にして閉ざされたように見えたらどうだろうか。岩盤のような困難が目の前に立ちはだかったらどうだろうか。無理と思えることを神さまにしなさいと言われたらどうだろうか。おそらく、嘆かれている弟子たちの信仰というものは、現代のクリスチャンたちの平均的な信仰であると思う。神さまはそれを見越して、聖書という啓示の書に、この事件を残されたのだと思う。だから、私たちも学習していかなければならない。ついでに述べると、不信仰なのは、この父親もいっしょである。彼はマルコ9章24節を見ると、「不信仰な私をお助けください」と叫んでいる。この父親も「不信仰な世代」の一人である。

イエスさまは、17節で「いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう」とも嘆いておられる。おそらく、イエスさまは、ご自分が高い山に登っている間、下界で留守番をしている弟子たちが困惑することになるのを、予め知っておられたと思う。つまり、これは、イエスさまが天に帰られたあとのことを考えての予行練習である。イエスさまが天に帰られたら、もはや弟子たちはイエスさまを見ることはできない。肉体をもったイエスさまとともに歩くことはできない。やがて彼らはひとり立ちしなければならない時が来る。イエスさまは天に近い高い山に登っている間、彼らが困難にどう対処するか見守っておられた。イエスさまは、ご自分が近くにおられなくとも、ご自分の御名を信じ、信仰を発揮することを彼らに期待されたであろうし、また、だめだったからといって、すぐにあきらめてほしくなかったであろう。ねばり強く祈って対処してほしかった。でも、だめだった。もう半年後には天に帰らなければいけないのに。いつになったら弟子たちは期待通りに信仰を発揮できるようになるのか。

イエスさまは「その子をわたしのところに連れて来なさい」(17節後半)と言われ、即、直してしまわれた(18節)。今までの苦労は何だったのかと思わせるような、あっという間の出来事だった。群衆は主の御力と威光に驚嘆したであろう。けれども、弟子たちには別の思いもよぎった。「なぜ自分たちにはできなかったのだろう」。それで、イエスさまに、そっと尋ねている(19節)。イエスさまのお答えは、いつも簡明だが、このときも実に簡明である。「あなたがたの信仰が薄いからです」(20節前半)。信仰が無いとは言っておられない。みわざが起きるまでは至らない薄さであるということ。今回の学習レベルは、彼らにとってはちょっと高かった。同じ霊的な問題にしても、困難さのレベルが上であったと思われる。算数問題のレベルが徐々に上がっていくように、神さまはレベルを上げて体験させる。いつまでも1+1=1ばかりの問題は出さない。それがクリアーできたら次のレベルへとステップアップさせる。神さまは実践の場で信仰の学習を積ませる。よく、信じたばかりの時のほうが楽しかったという話を聞くが、ある意味、幼い信仰で対処できる、レベルの低い、ストレスが小さい環境に置かれていたからかもしれない。後になってくると、四方を山で囲まれている思えることも体験させられるわけである。皆さんも似たような経験がおありだろう。

イエスさまは彼らに「からし種ほどの信仰」を求めている(20節後半)。「からし種」については以前お話した。からし種はアブラナ科に属し、大きさが1ミリ代の小さな種である。4月中旬頃から咲き出し、人の背丈よりも大きくなる。小さな黄色い花をたくさんつける。どのくらい生長するかというと、中には4メートル以上になるものがあると言う。そして、その枝に鳥が宿るまでになる。イエスさまは、ほんとうに小さな信仰でも大きなことができると言われたい。せめて、そのくらいの信仰はもってほしいと期待している。

からし種ほどの信仰で何ができるのかと言うと、山が移ると言われている(20節後半)。ある人は、「信仰で山が移ったためしがないじゃないか。イエスさまはうそつきだ」と非難する。けれども、こういう風に非難するのは、詩なら詩として、たとえならたとえとしてという様に、どういう文型で言われているのかを考慮して解釈することや、当時の歴史、文化における用法に準じて解釈するといった、当たり前の解釈の原則を知らないからである。実は「山を移す」というのは、ユダヤ人が良く使うことばである。難問題を解決するすぐれた聖書教師を、「山を移す人、山を砕く人」と呼んでいた。「山を壊し、移し、砕く」といった表現は、困難な問題を解決するという意味で、ユダヤ人が良く使っていた諺風の表現である。イエスさまは、「もしあなたがたに、からし種ほどの小さな信仰があれば、困難な問題でも解決する」と言われたのである。信仰こそ、行く手に立ちはだかる困難という山を動かす力である。

21節は括弧内のことばとなっている。ということは、有力な聖書写本には、この節のことばは無いということである。だが、福音書の中で最も早く執筆されたと言われるマルコの福音書の本文には、「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません」(9章29節)と記されている。よって、「断食」が言われていたかどうかは別として、「祈り」が必要であることは確かである。祈りは信仰を増し加え、成長させる手段なのである。

信仰の成長について考えるために、戻って、20節の「あなたがたの信仰が薄いからです」をご覧ください。直訳は「あなたがたの薄い信仰のゆえに」である。「薄い信仰」は原語で一つの単語<オリゴピスティア>である。接頭の<オリゴ>は、「オリゴ糖」の<オリゴ>である。よって<オリゴピスティア>は、「オリゴ糖」の表現にならって「オリゴ信仰」と表記できる。「オリゴ糖」の意味は「少ない糖」である。<オリゴ>はギリシャ語の<オリゴス>に由来し、その意味は「わずかしかない、乏しい、少ない」である。よって<オリゴピスティア>は「乏しい信仰」「少ない信仰」とも訳せる。「ちょっとしかない」というニュアンスである。充電しないともうすぐ切れるみたいな。出発はこうした信仰かもしれない。しかし、祈りに浸ることによって、期待が膨らみ、神さまへの信頼が増してくる。心の奥から確信が湧きあがってくる。山を移す信仰になってくる。信仰と祈りはそのような関係があるわけである。祈りは信仰を増幅させる。希望を揺るがないものにする。

私たちはこの信仰を、たましいの救いのためにも発揮しなければならないだろう。たましいの救いのための祈りということにおいては、ジュージ・ミューラーの事例がよく取り上げられる。彼は19世紀の祈りの人で、五人の友の救いのために祈り始めた。祈り始めて5年後に、ひとりがキリストのもとに導かれた。さらに5年後、二人の人がクリスチャンになった。それから25年後、四人目が救われた。五人目の救いは、ジョージ・ミュラーの死後、間もなくしてだった。ジュージ・ミューラーは五人の友の救いのために、足掛け50年以上祈った計算になる。彼は信仰と忍耐の人であった。

私たち日本人は山を見ると、登るものと思うが、今日の箇所から、信仰によって山を移す、ということを真剣に考えよう。目の前にたちはだかる困難という山の大きさが、昔は小さくて、それなりにちっぽけな信仰で対処できたかもしれないが、今、目の前の山は二千メートル級に感じるという状況かもしれない。実際、今日の箇所で人々の目に映っていたと思われるヘルモン山は二千メートル級の山であった。鳥海山も二千メートル級。いずれ、私たちは、大きすぎる、高すぎると、そこで簡単に引き下がる選択はしないで、山を移すことに祈りを通してトライしてみたい。やってみよう。最初は「不信仰な私をお助け下さい、あわれんでください」でもいいではないだろうか。

また、私たちは、今日の箇所から、世の人々に、クリスチャンと称する人たちは何の助けにもならない、と思わせてはならないことを教えられる。「お弟子さんたちにはできませんでした」と。私たちはキリストを信じる者たちとして、キリストの御名によって祈り、信仰を働かせ、山を動かし、神の栄光を現す務めというものがある。

信仰が薄い、小さすぎる、乏しい、わずかだ、という現実がある。それは使徒たちもいっしょだった。けれども、からし種ほどの信仰をいただき、山を移すということにチャレンジしていこう。それを実践し、実際に山が移るのを見、神の御名をあがめよう。