今日の箇所は、「キリストの変貌」として知られる印象的な記事である。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書に共通して取り上げられている。場所は1節で「高い山」と言われている。どこの山なのか?鳥海山や富士山でないことは確か。この前の記事は、ピリポ・カイザリヤ地方での弟子たちとの問答である(16章13節)。よって、想像では、ピリポ・カイザリヤの近くにあるヘルモン山ではないかと言われている。ヘルモンは三つの頂をもち、長さ32キロにも及ぶ。最高峰は海抜2800メートルにも及ぶ(鳥海山2236m)。山頂は年間を通じて雪を頂いているという。

イエスさまは三人の弟子を連れて高い山に登った。その三人とは、ペテロとヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネである(1節)。彼らは十二弟子の中でも三羽烏と言っていい存在。この記事は、モーセが神の啓示を受けてシナイ山に登ったときのことを想起させる(出エジプト24章)。民たちの誰もが登ることを許されなかった。ただ、アロン、ナダブ、アビブと七十人の長老たちだけが途中まで登ることを許された。イエスさまが三人の弟子たちと山に登った具体的な理由は、ルカ9章28節によると、「祈るために」とある。祈りの登山、登攀である。

ペテロとヤコブとヨハネはルカ9章32節によると、高い山の上で眠くなってしまったことが記されている。登山自体、疲れるし、空気の薄さも関係してくる。しかし、肉体的な理由以外にも眠気を引き起こす要因はある。イエスさまのゲッセマネの園の祈りの場面では、弟子たちは「悲しみの果て」に寝てしまったことが記されている(ルカ22章45節)。眠りは、忘れてしまいたい問題や悩みから一時的に逃避する手段として引き起こされることがある。また、抑うつ、意気消沈といった状態が疲れを早めるとも言われている。確かに彼らは精神的に良い状態とは言えなかっただろう。彼らは6日ほど前、イエスさまの口から不穏なことばが発せられるのを聞いた。メシヤであられるイエスさまは苦しめられ、殺される(16章21節)。その後、イエスさまに叱責され、自分の十字架を負い、苦難と死を覚悟してついてくるように言われた(16章24節)。これを聞いて、喜んだ弟子たちはいないだろう。彼らは、みことばをきちんと受け止めきれず、先は暗いのかとしか感じなかっただろう。ペテロとヤコブとヨハネは山に登って体が疲れていたこともあっただろうが、失望と憂鬱の感情からも眠りに向かったと言っていいかもしれない。

キリストの変貌は、そうした沈んだ感情のうちにある彼らを喜ばせるものになったはずである(2節)。このイエスさまの光輝く姿は、本来の姿とはほど遠く、あくまでも一時的な姿というのではない。この光輝く姿が本来の姿。イザヤ書で「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」(53章2節)と言われている地上での姿こそ、普通ではない。むしろ、この2節の姿こそが本来の姿。ヘブル1章3節では、「御子は神の栄光の輝き」と言われている。それをこの時、垣間見ることができる。

「御顔は太陽のように輝き」と、まばゆく輝いた。太陽のようになので、ぎらぎら輝く輝きと言っていいかもしれない。それは直視できないような目がくらむ輝きであっただろう。ちょうど太陽を直視できないように、常人には目が持ちこたえられないようなまばゆさであったであろう。モーセがシナイ山から降りて来たとき、モーセの顔のはだが光を放つので、民たちは恐れてモーセに近づけなかったことが記されているが(出エジプト34章29~30節)、それ以上の輝きをイエスさまの御顔は放っていただろう。また、「御衣は光のように白くなった」とあるが、これもイエスさまの霊的輝きを証するものである。この時、衣が白くなったというよりも、イエスさまがご本人から放たれる光が衣を突き抜けたと思われる。

後にペテロは、ペテロの手紙第二で、この時の高い山での出来事を引用している。第二ペテロ1章16~18節を見よ。ペテロは自分のことを「キリストの威光の目撃者」と呼んでいる。キリストが放った光は、キリストの威光であった。威光とは神の栄光のことである。キリストの変貌はキリストが神であることの確証となっている。ペテロの文章で注意を払いたいことは、ペテロは「キリストの変貌」を「キリストの再臨」と結びつけているということである(16節の「来臨」とはキリストの再臨のことを指す)。「キリストに従う者には苦難がある。試練がある。迫害がある。だがくじけるな。栄光の主とやがてお会いできるのだから」。キリストの再臨と栄光については、後半にまた取り上げたいと思う。

さて、ペテロとヤコブとヨハネは、キリストの変貌の姿だけではなく、その他にも信じられないものを見てしまう。モーセとエリヤである(3節)。旧約を代表する二人の人物であるが、旧約を代表するというのなら、この時現れるのは、アブラハムでも良かったではないか?イザヤでも良かったではないか?エレミヤでも良かったではないか?と思ってしまうかもしれない。でもモーセとエリヤがふさわしい。モーセはモーセ五書を書いた人物。エリヤは預言者の代表格。実はこの時代、旧約聖書を「モーセと預言者」と呼んでいた(ルカ16章29節)。ということは、イエスさまはここで旧約聖書と向き合っているとも言える。旧約聖書はメシヤの到来を告げるための書で、メシヤの受難と栄光を語っていた。そしてメシヤの中心的みわざは十字架の贖いである。

以上のことから、モーセとエリヤがイエスさまと何を語っていたのかが、だいたい見えてくる。参照として、ルカ9章31節を見よ。「イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期について」話し合っていた。当然、この「最期」とは十字架の死である。「最期」は原語で<エクソドス>。この単語は旧約聖書の第二巻の書物と同じ名前である。出エジプト記である。出エジプト記は<エクソドス>と言う。その意味は「出口の道」。だからエクソドスは、「ああっ、もうこれで一貫の終わりだ~」という絶望の意味で「最期」と捕えることはない。出口がある。以前、映画「エクソドス」が、日本語訳では「栄光への脱出」となっていたと思う。意訳としては良い訳であると思う。キリストの死も栄光への脱出なのである。キリストは死で終わらず、三日目に父なる神によって立ち上がらされ、文字通り栄光を受ける、栄光への脱出なのである。メシヤは受難を通してこの栄光に達する。高い山で一時的に光り輝くイエスさまのこのお姿は、その栄光の先取りである。私たちにもキリストにあって栄光への脱出がある。地上の死で終わるのではない。

ペテロはこの時、キリストの受難を経ての栄光のことなど理解しようもない。ただ目の前の栄光に驚くばかりであった。そして、とんちんかんなことを口にした(4節)。ペテロはこの時、ユダヤ教の三大祭のひとつである仮庵の祭のことが心にあったのかもしれない。仮庵の祭は、出エジプトを記念して、七日間、仮小屋に住むというものであった。仮庵の祭は過越しの祭の半年前に開催される。具体的には10月に開催されるが、実は、もうすぐ仮庵の祭であった。ペテロは仮庵の祭を意識しながら、王であるイエスさまを含めた三人の特別な住まいを、と思ったのかもしれない。いずれペテロには、モーセにも、エリヤにも、ずっと留まって欲しい、という願いがあったのであろう。

ペテロには、三人の住まいを造って、この栄光をいつまでも享受していたいというという願いがあったが、ペテロの提案は受け入れられるはずもない。ペテロはつい最近では、ご自身の受難と死を語るイエスさまに対して、「とんでもない、そんなことがあなたに起こるはずはありません」と口を挟んでいさめてしまった(16章21節)。ここでも大事な話合いをしている時に、「あなたがたのためにこうしましょう」と口を挟んだ。4節の冒頭に、「すると、ペテロは口出しして」とある。大事な話合いに口出しした。話をさえぎり、話しの邪魔をし、口出しした。口出し多くて、聞く耳のないペテロ。口八丁で耳はふさがれているペテロ。イエスさまを自分のいいように動かしたがっているペテロ。イエスさまのことばには耳がふさがれている。

この時、口八丁で口出ししたペテロを諭す意味で天から声があった(5節)。ペテロが口出しした後というタイミングでの天の声。「光り輝く雲」は、旧約時代から神の臨在と栄光を現すものであった。そこから声がした。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」。「彼の言うことを聞きなさい」。「ペテロよ。口出し多くて、聞く耳がなくては困る。聞く耳もたずで、口八丁手八丁で、勝手に動いてもらっては困る。先ずは我が愛する子の言うことを、耳を開いて、よ~く聞きなさい」。口八丁手八丁で熱心なだけな信者は災いする。聞くことを忘れているからである。

ペテロの発言の中心点は、「私たちがここにいることはすばらしいことです。行かないでください。ここにとどまりましょう」ということであった。住まいを造るとはそういう意図である。それに対して天の声は、「確かにここはすばらしいから、このまんま栄光に浴すことができるホームを造るのもいいな」などという安直な考えには立たない。それを否定して、「御子はこれから多くの苦しみを受けて後、栄光を受けることが定めである。彼に聞き従いなさい」ということである。ペテロの想いの中にある栄光は、ある意味安っぽくて、「こんなに素晴らしくて、楽しくて、せっかくいい所なのだから、ずーっと居ましょうよ」程度の栄光である。イエスさまの心中にある、神のご計画である「苦しみを通しての栄光」という考えはペテロの中にない。イエスさまの十字架は半年後に迫っていた。ペテロをはじめ弟子たちは、イエスさまは苦難を通して栄光に入ることを知らなければならなかった。それだけではない。弟子たちは、自分たちの未来にも、安易な栄光を期待してはならなかった。イエスさまは、安易に栄光を求めようとか、安易に栄光を抱きしめたいという弟子たちに対して、わたしとともに、わたしに従って苦しみを経てこそ栄光に浴することができるのだと言われたい。ペテロは高い山にとどまり、感激の瞬間が少しでも長く続くようにと願ったわけだが、山を降って、日常の平凡な生活に戻るよりは、殺風景な日々に帰るよりは、不安が大きい毎日を迎えるよりは、ここにいつまでもとどまって栄光に浸っていたかったのである。子どもの頃、日曜日の夜になると、「明日からまた学校か。日曜日がずーっと続いてくれればいいのに」と思ったのといっしょである。クリスチャンの場合、聖会や修養会で感激を覚え、神を近く感じたときなど、この時が少しでも長く続くようにと願うものである。マクナイルという方はこう語る。「変貌の山は、日ごとの宣教のわざと十字架の道よりは、はるかに望ましい」。人は天国に近い雰囲気、奇跡と神秘にとどまることを願う。だが、そこを後にして、喧噪の世界、忙しい世界、戦いの日々に舞い戻らなければならない。

ペテロは山に登る前に、イエスさまがご自身の受難について語った時、ペテロがそれを阻止しようとしてイエスさまをいさめてしまったわけだが、イエスさまは「下がれ。サタン」とペテロを叱責した(16章23節)。続いてイエスさまは、あなたがたも自分の十字架を負う覚悟が必要だと訓戒した(同24節)。しかし、ペテロたちの耳はまだ閉じていた。イエスさまも父なる神も、それをご存じであられた。ペテロたちは、御父の愛する子、すなわちイエスさまのことばに本当に耳を傾けることが必要であった。それができた人物がひとりいた。マルタの妹マリヤである。「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」(ルカ10章39節)。イエスさまの足元で妹のマリヤはみことばを聞き入っていた。イエスさまはマリヤのみことばに対する姿勢を高く評価された。マリヤはイエスさまのみことばを注意深く聞いていたので、イエスさまが受難を味わわれることを理解したのではないかと言われている。彼女のような姿勢を模範としたい。

では、変貌の山の経験そのものは何のためであったのか?なぜイエスさまは三人の弟子たちにご自身の変貌を見せたのか?目的があったはずである。その目的とは16章24節に関係があると思われる。高い山での変貌は、自分を捨て、自分の十字架を負って、日々ご自身について来る弟子たちを励ます意図があった。高い山での栄光の御姿は、弟子たちの希望となる再臨のキリストの御姿である。ペテロは、「キリストはやがて御父の栄光を帯びた姿で再臨され、私たちを完全に救い、御国を完成してくださる。私たちをご自身の栄光に引き入れてくださる。自分たちが高い山で見たキリストの栄光は、希望となる再臨を確信させるための先取りだったのだ」と後に悟る。そして、ペテロの手紙を執筆し、苦難の中にあるクリスチャンたちを励まそうとした。キリストは栄光の御姿で再臨され、あなたがたもその栄光に与るのだと。そのことを希望にして苦難に耐えなさいと。「希望があれば百里の道も楽しい」という格言があるが、まさしくキリストの再臨は希望を与えるものである。

今日ごいっしょに見た「キリストの変貌」という出来事は、「うぁ~、イエスさま、すごいなぁ~」で終わることなく、キリストの再臨時の御姿の先取りとして味わい、再臨待望の励ましとすべきである。この地上はパラダイスではない。苦い経験は避けられない。この地上に今しばらくとどまらなければならない。けれども、私たちにはキリストにあって、栄光への脱出が待っている。その事実は、私たちに希望を与え、「主イエスよ。来てください」という祈りを与える。そしてもう一つ、私たちは再臨待望の信仰とともに、この地上での人生においては、キリストの御声に聞き従うことに徹すべきことが肝要であることを覚えよう。ペテロはイエスさまをいさめたり、口出ししたりと、口が忙しい。耳は閉じていた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」。勝手な願いを抱き、安直な栄光を求めやすい私たち。16章24節で主が言われた「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」等のことばには耳を貸したくなくなる私たち。だが主に耳を開こう。そして私たちが歩むべき道を確かなものとしていただこう。主に聞いていこう。そのようにして主の道を歩もう。それはただの忍従の道ではない。キリストに従うという特権の道であり、ほんとうの幸せの道であり、真の栄光に通じる道なのである。