今日のタイトルは「向こう岸へ」。「向こう岸」とは、私たちにとって、主が私たちのために定められた目当てということができるかもしれない。主の命令で前進しているのならば、目的に到達すると確信していいのだが、だからと言って途中、順風満帆とは限らない。途中、思うようにいかなくなると、私たちは、不安になり、恐れ、あわてふためくという醜態をさらすこともある。

これまでのことを簡単に復習すると、イエスさまと弟子たちの一行は、食事をする暇もないほど忙しく民衆とかかわっていたので、休み場所を求めていた。またイエスさまにとっては、地上での働きは残すところ、あと1年という節目を迎えていたので、十字架へと向かう前に、精神的にも霊的にもエネルギーを充電する必要があり、孤独になる環境を求めていた。そこで弟子たちとカペナウムから出航し、ガリラヤ湖を横断し、13節にあるように「寂しい所」に行かれたわけである。おそらくはガリラヤ湖北のベツサイダ辺りであると思われる。しかし、ここで休むことができなかった。群衆がうわさを聞いてかけつけ、先回りをし、イエスさまたちを待ち受けていた。その数は21節で「男五千人」とあるが、女、子どもを合せると1万人から2万5千人の間であったと思われる。イエスさまは彼らをあわれみ仕えられる。五つのパンと二匹の魚で群衆を養うというみわざもされる。そして解散すべき時が来た。22節で「イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて」とあるが、並行箇所のヨハネ6章15節を見ると、群衆は奇跡を目の当たりにして、イエスさまをむりやり神の国の王としようとしたことがわかる。群衆の神の国の理解はまちがっていて、神の国とは地上のイスラエル王国であり、地上の政治的王国。この王国の民となるのはユダヤ民族のみと信じていた。彼らはイスラエルを再建してくれる政治的メシヤを待望していて、イエスさまを、その王として迎え入れようとした。弟子たちの神の国の理解も群衆とどっこいどっこいだった。弟子たちは他の箇所からわかるが、イエスさまが再建される王国で高い地位に就くことを期待していた。イエスさまは、神の国について無理解であった弟子たちを、この騒動に巻き込みたくないと判断され、弟子たちを強いて舟に乗り込ませようとしたのであろう。弟子たちが群衆にかつがれたり、群衆と意気投合したりしたら、大変な事態になってしまう。

22節を見ると、イエスさまはお一人で大群衆を解散されたことがわかる。すでに夜の時間帯に差しかかっていいて、帰宅の時間帯であったとしても、これは驚きである。ファンファーレなしで、お一人で万の群衆を解散させた。そして23節を見ると、イエスさまは山に登り、当初の目的を果たそうとされたことがわかる。すなわち、父なる神との交わりである。お一人になり、静かな祈りの時間をもった。

さて、ガリラヤ湖上ではどうなっていたであろうか?24節を見ると、弟子たちは向かい風で舟を漕ぎあぐねていたことがわかる。「舟は、陸から、もう何キロメートルも離れていた」とあるが、ヨハネ6章19節によれば、その距離は4~5キロメートルであったことがわかる。34節から向かう先はゲネサレの地であることがわかるが、おそらく彼らは湖の真ん中辺りの地点にいて、ゲネサレまではあと半分の距離辺りであっただろう。弟子たちは奮闘していた。向かい風、逆巻く波、思うように進まない。パンと魚を食べてから、この時まで5~6時間は経過していたであろう。彼らは夕食としてパンと魚にありつけたといっても、もうすでに十分に疲れていたはずである。時刻はもう夜で、普通ならば寝ている時間帯。休むためにカペナウムから出航し、寂しい所に向かったはずなのに、少しも休めず、大群衆に仕えることになり、そして今、寝ているはずの時間帯に筋肉労働。同情してしまう。彼らは、この時間帯、筋肉を激しく動かして運動せざるをえない状況下にあった。前に進もうと、彼らなりにせいいっぱい努力していた。ベストを尽くしていた。でも思うように進んでいかない。のんびり休んでなんかいられない状況。睡眠をけずって「向こう岸に行きなさい」と言われたイエスさまの命令に必死で従っていた。けれども、亀のようにしか前に進めない。風速はだいだい15メートル以上であったと思われる。

イエスさまは、風の音を聞きながら、彼らの状況を把握していただろう。暗闇と嵐の中で疲れ果てた弟子たちが格闘している。もがき苦しんでいる。けれども、祈りを急いでやめて、あわてて助けにいくようなことはされない。イエスさまはご自分の時を静かに待たれた。イエスさまの助けは、しばし遅いと思える時がある。ラザロのよみがえりの物語にしても、死んで三日も経ってからの到着であった。

25節を見れば、イエスさまが助けに行かれた時間帯は「夜中の三時ごろ」であったことがわかる。直訳は「第四の夜周り」。これはローマ時間帯に従っている。ローマ時間は夜を四つに区切った。第一は午後6時から9時。第二は午後9時から12時。第三は12時から午前3時、第四は午前3時から午前6時。午前6時をもって夜は終わりで、6時は起床の時間とされた。イエスさまが来られたのが「第四の夜周り」なので、午前3時から午前6時の間ということになる。それは人間の力が尽きる時間帯であり、夜明け前の時間帯であると言って良いのではないだろうか。暗示的な時間帯である。

イエスさまの時が来た。イエスさまは嵐の中を水の上を歩いて近づいて来られた。26節の弟子たちの驚きの反応は当然のように思う。彼らが、幽霊だと勘違いしておびえる様子を見て、たしなめることは簡単である。けれども、この時まで、イエスさまは湖上を歩いて助けに来ることができるお方であると、誰が想像できたであろうか。弟子たちの湖上での嵐の体験はこれが初めてではない(マタイ8章23~27節)。そこでは、同船しておられたイエスさまが嵐を静める物語である。しかし、今は違う。イエスさまは同船していない。嵐ということで前回と似ているが、別の状況を体験させられている。似ているが違う。この辺りが心にくい神の配剤である。彼らは新たなことを学ぶことになる。イエスさまは、時間、空間、距離、障害となるものなどに左右されないお方であることを知ることになる。前が見えない夜であろうとも、道がなくとも、舟に乗らずとも、嵐が吹こうとも、イエスさまが来られるのを妨げることができるものは何もない。イエスさまは神である。

27節のイエスさまのことばに注目しよう。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」。特に「わたしだ」<エゴー エイミ>に注目してほしい。これは旧約聖書においては、神がご自身を啓示されるときに使う表現である。「神はモーセに仰せられた。『わたしは<わたしはある>という者である。』」(出エジプト3章14節)。「わたしはある」のギリシャ語訳が<エゴー エイミ>。神は自立自存のお方。すべてのものが消え去っても、何にも頼らずに、永遠にあり続ける不滅の存在。それが「わたしはある」という存在。そのお方がまことの神。イエス・キリストはまことの神。

28節を見ると、ペテロはイエスさまの声、顔をまだはっきり判別できないでいる。ペテロは湖上におられるのはイエスさまであると確信するために、「もし、あなたでしたら」と提案する。しかし、その提案内容が大胆である。「私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」。大胆な提案である。向こうみずで、衝動的で、冒険的なペテロらしい。皆様であったら、どんな提案をされるだろうか。

イエスさまはペテロの提案を承認される。29節でイエスさまは「来なさい」と命じられる。このことばがすべてである。神はことばによって世界を創造された。神のことばは一度発せられれば、必ず事を成し遂げる。だから、人間の分としてすべきことば、神のことばに信頼して、言われたとおりにするということである。「来なさい」の命令をもう少し詳しく述べると、原文でこの命令形は、起動を命じる動詞の形になっている。だから、「舟から降りて、歩き出せ」という命令である。信仰とは信条を唱えて終わりではない。また、単なる神への想い、感情ではない。それは行動に踏み出すということである。起動である。ペテロは歩き出した。この行動は、ペテロの向こう見ずで、せっかちで、衝動的な性格だけでは片づけられない。信仰による行動、ステップなのである。途中、沈みかけるのだが、その沈む地点というのは、イエスさまのそばまで来ていたときである。それは31節の「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで」が暗示している。彼は、イエスさまにかなり接近していた。このことでもほめてやりたい。彼はガリラヤ湖の漁師である。この湖の恐ろしさは知り尽くしていた。荒れ狂う波にもまれ、湖に投げ出されたことがあったかもしれない。それなのに、「来なさい」というイエスさまの命令に従って、湖面を進んだ。進み続け、いいところまでいった。

だが、ペテロの信仰もそこまでだった。30節を見ると、彼が風を見てこわくなり、沈みかけたことが記されている。ペテロの視界にはもちろんイエスさまも入っていたが、風も入っていた。「風を見て」とあるが、肉眼で風は見えない。それは空気の動きだから。けれども、風の音は聞こえ、体では風圧を感じ、目には風で飛ばされる波しぶきが入っていた。体には冷たいものがかかっていた。つまり、五感で風を感じていた。最初は風を五感で感じつつも、注意と関心はしっかりイエスさまに置かれていた。しかし、途中、風が強まったのか、彼の目は風で揺らぐ自然界に支配されてしまった。「何て自分は危険な場所にいるんだ!」確かに、彼は舟の外側の危険なポジションにいた。彼は恐怖におののいた。イエスさまへの信頼が、その瞬間、途切れてしまった。結果、沈み出した。彼は泳げないはずはない。けれども着物をまとっているし、荒れ狂う波で泳げる状況にない。彼はそれを最初から知っていて、舟から一歩踏み出したわけだが、風に気を取られてしまった。ペテロがいた湖上とは、死と隣り合わせの危険な場所であったが、しかし、イエスさまをしっかり視野に入れれば、そこは安心な場所であったのである。

ペテロは不覚にも風に気を取られて沈み出した。「主よ。助けてください」と叫び、助けを求めた。31節を見ると、イエスさまがすぐに手を伸ばして、ペテロをつかんで言われたことばが記されている。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」。ここで、ペテロには信仰がない、とは言われてはいない。信仰はあるが薄いということ。イエスさまはその薄さを「疑い」ということばでも説明している。「来なさい」と言われたイエスさまと、イエスさまへのことばへの信頼度が問われている。「信仰」ということばは、事実、「信頼」と訳すことができることばである。信仰とは「信頼」であり、「疑い」と反対の姿勢である。私たちも信頼と疑いの狭間で揺れる。不安な状況、思うようにいかない状況にあってこそ、信頼をくずしてはならないわけである。

32節を見ると、二人が舟に乗り移った時に、風がやんだことが記されている。8章に記されている前回のガリラヤ湖上の嵐の時は、イエスさまは風と湖をしかりつけ、風を止ませた(8章26節)。けれども、この場面ではことばは使われない。自然界はイエスさまの無言の権威の前に服従した。いずれ、嵐を静めるということ自体が、キリストが神であることのしるしなのである。

33節を見ると、弟子たちは、イエスさまの水上歩行、ペテロの救出劇、嵐の静まりを通し、イエスさまを「拝んで」、「確かにあなたは神の子です」と言った。「確かに」<アレーソース>ということばは、確信をもって断言することばで、疑う余地は全くなくなったことを表わすことばである。この後、キリストを乗せた舟は向こう岸に到達する。彼らは今回の体験を通して、キリスト観が進歩した。イエスさまのすばらしさをさらに知る者となった。私たちもまた、イエスさまを知る歩みの中に置かれている。

並行箇所のヨハネ6章を見れば、弟子たちの船旅について、すでに暗くなっていたことと、そして、途中から風が強くなっていった印象で記されている。暗闇、だんだん強くなる風、湖の真ん中で立ち往生、前に進めない、状況は厳しい、がんばってもがんばっても、二進も三進も行かない。イエスさまはそのような状況を用いられ、ご自身を知るチャンスへと変えられるといってよいだろう。私たちは困難の中で自分の限界を知る。弱さを知る。「向こう岸へ行きなさい」と主の命令通りに歩んでいるはずなのに、壁にぶつかってしまう。暗雲立ち込める。晴れない霧の中に突入している感覚になる。もがいても先に進めなくなる。風は強くなり、状況は悪くなる一方。こうして自分の信仰の薄さに直面することになる。いただいたみことばを疑い出す。キリストから目を離してしまい、困難ばかりが目につき出し、否定的な事柄を数えだす。沈むイメージを抱いてしまう。ペテロの失敗は反面教師となっているわけである。

キリストはいつも、私たちに順風満帆な環境ばかりを約束されない。しかし主と主のみことばは真実である。だから、私たちは人に頼るのでも環境に頼るのでも、それらに振り回されるのでもなく、ただ、主と主のみことばを絶対化し、信頼は主と主のみことばに置いて歩むということである。途中、何があっても疑わずに、前に進むということである。今も、私たちは、その訓練の中に置かれていると言えるだろう。

私たちはキリストの喜ばれる信仰を発揮していこう。信仰とは、主義、信条を表明するという知性の同意ということだけではなく、神に対する感情を表わすことだけでもなく、ただ、「主よ。主よ。」と言うことでもなく、歌を口ずさむことでもなく、それは、キリストとみことばへの信頼に結びついた意志であり、勇気と忍耐のある行動である。