聖書にはキリストに信仰を働かせた人たちの物語が記されている。ところが今日の記事は、それとは反対である。郷里のナザレの住人たちである。彼らはキリストに神の権威を認めるどころか、キリストを見下している。それゆえに、キリストは多くのことができない。少ししかみわざをされなかったようである。

聖書はキリストを、まことの人となられたまことの神として啓示している。「キリストとは誰か」という問いに答えることに失敗し、キリストをただの人の範疇にとどめてしまうなら、その人の人生に、その人の周囲に神のわざは起きない。また、もしキリストをまことの人となられたまことの神として信じていた場合でも、キリストに従うことを拒んだり、キリストは不可能を可能にしてくださる、という信仰を発揮しないなら、その人の人生に、その人の周囲に驚きは生まれていかないだろう。人生に平凡な景色が連なっていくだけである。

実は、郷里のナザレだけではなく、これまでキリストが滞在していた地の人も、不信仰の人が多かった。53節をご覧ください。「イエスはそこを去られた」とあるが、キリストは郷里に向かう前に、カペナウムというガリラヤ湖畔の町に約1年間住んでおられた(4章13節)。キリストはこのカペナウムをホームベースとして、宣教活動を始められた。キリストはどの町よりもカペナウムの町に時間を費やした。カペナウムの人々のキリストへの関心は表面的で、キリストに敵対する人は少なかったが、事実上、彼らはキリストの教えを拒み、キリストの教えを受け取るという人はわずかであったようである。キリストはこの町から祝福が奪われることを宣言している(11章23節)。そしてキリストは、13章で見たように、一連のたとえを通して、終わりの日には神の審判があることを告げ、そしてこのカペナウムを後にする。「イエスはそこを去られた」(53節)。キリストはこの後、他所(よそ)の地に用事があって通過する以外は、このカペナウムを訪れることはなかった。カペナウムはこの後、没落していく。家も人も消えて行くことになる。考古学の発見で、この地に最後に建てられた会堂が発掘されたが、異教の模様が施されており、この地の人々が堕落していったことを物語っている。

キリストはカペナウムを後にして、郷里ナザレに向われた。そこはキリストの活動の舞台ガリラヤ地方の中でも、影の薄い町であった。聖書以外の文献には表れてこないような田舎町であった。ナザレが有名になったのは、キリストの郷里であるという故である。今日の箇所で、キリストはご自分の郷里で見下されていることがわかるが、こうしたことは、実は初めてではない。聖書を見るかぎり、これでニ回目である。その箇所を開いてみよう。ルカ4章16~30節。当時の礼拝の習慣として、会堂管理者が認めた人が、会衆の前に立ち、聖書を朗読することができた。会堂の正面の一番奥の部屋が、聖書の巻物が安置されている所で、係の者がそこから預言書を取り、キリストに、その巻物を渡した。キリストが朗読した箇所は預言書イザヤ61章のメシヤ預言の箇所であった。そしてキリストはご自分がそのメシヤであると説き明かされた。人々はそれを信じようとしない。キリストは22節後半を見ると、軽く見られていることがわかるが、それを通過し、28節を見ると、「会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り」となる。それにとどまらず、29節を見てわかるように、人々はキリストを崖から投げ落とそうとした。崖から投げ落とすというのは、ユダヤ人が死刑執行の時に取った手段である。崖から投げ落とし、その上で石打ちの刑にしたのである。けれども、この日は安息日で、死刑執行は禁じられていた日。にもかかわらず、崖から投げ落とそうとしたということは、相当頭に来ていたということ。彼らは死刑執行という意識ではなく、とにかく、カッとなって殺そうとしたのであろう。リンチにしようとした。ナザレの人々は、キリストに対して不信仰な態度を取ってしまった。お前なんか要らないと殺そうとした。カペナウムの人々よりさらに悪い。

では、今日の箇所に戻ろう。54節を見ると、郷里の人々はキリストの知恵と不思議な力に驚いていることがわかる。この時まで、キリストの知恵と力はガリラヤ全土で賞賛されていた。キリストのうわさはガリラヤ全土に広まっていた。そのうわさは、もちろん郷里のナザレにも伝わっていた。そのガリラヤのスーパースターの帰郷である。キリストの人気は拭えなかったので、前のように崖から投げ落とすなどという行為には出ない。ナザレの人々は会堂でキリストの教えを直接耳にする。確かにその教えはすごいと驚く。けれども、見下す、見下げるという基本的姿勢は変わらない。

郷里の人々はキリストの少年時代から知っていた。55~56節の郷里の人々の言葉に注目してみよう。「この人は大工の息子ではありませんか」。キリストの人としての父の名前は「ヨセフ」であるが、ここで、その名前は登場しないので、この時、すでにヨセフは亡くなっていたと思われる。ヨセフは大工であった。「大工」<テクトン>という言葉は、堅い物を加工する職人一般を指した。堅い物とは木材も含むが、石やレンガも含む。そしてこの言葉は、家を建てる職人を意味するだけでなく、いわゆる木工職人のことも指す、意味の広いことばであった。家財道具、農機具を加工するのも大工の仕事であった。木や石の加工は今では分業制になっているが、昔はそうではなく、大工が何でもやるようなところがあった。そして今は大工の数は減っているが、昔は一般的な職業であったようである。並行箇所のマルコ6章3節では、「この人は大工ではありませんか」と言われており、キリストはヨセフの跡を継いで大工をしていたことがわかる。大工にすぎない人がなぜ、こんな知恵があるのか。キリストはユダヤ教の学者になるラビの学校を出たわけではなかった。ユダヤ人の平均的な教育しか受けていなかった。ヨハネ7章15節では、このような言及がある。「ユダヤ人たちは驚いて言った。『この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか』」。キリストの知恵は天から直接来たものであった。父なる神から来たものであった。キリストが行われていたみわざというものも、天からメシヤとして遣わされた証拠であり、キリストの本性を現すものであった。それが答えである。けれども彼らは、その答えには至らない。

郷里の人々は、キリストの家族のことは昔からよく知っているというニュアンスで、家族にも言及している。どの人もこの人も、知り合いで、普通の人たちにすぎにと。

キリストはご存じのように家畜小屋に生まれた。ナザレではなく、ベツレヘムでの誕生であったが、ナザレの人々はそのことも知っていたのかもしれない。他の箇所からヨセフとマリヤは貧しい夫婦であったこともわかる。それは周知の事実であっただろう。キリストは当時のごく一般的な貧しい家庭で育ち、ごく一般的な大工という職業に就いていたわけである。キリストの兄弟たちも普通の一般庶民の暮らしをしていただけである。「妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか」という言葉からは、妹たちは当時の早婚の時代を考えれば、そしてこの言葉から、ナザレのどこかの家に嫁いで嫁として生活していたとも採れる。「太郎の嫁に行ったあれだべ」。みな凡人であるということ。親や兄弟たちから特別な影響を受けたなどということも考えられない。ナザレの人々はキリストの知恵と力がどこから来たのか全く見当がつかない。人間的な考えしか及ばず、結局、見下す態度は変わらない。それはキリストご自身が、「尊敬されない」という言葉を使っていることからもわかる(57節)。ナザレの人々はキリストを神的メシヤと信じるどころか、偉大な教師として受け取ることさえできないようである。

クリスマスの時に全世界で語られるのが、東方の博士たちが赤ちゃんのキリストにひれ伏して礼拝する物語である(2章1,11節)。東方の博士たちは学者というだけでなく政府最高官クラスの人たち。けれども赤ちゃんに対してひれ伏して拝んだ。プライド、おごり、高ぶり、ねたみ、敵意、そんなもの、みじんも感じられない。けれども、ナザレの人々は不信で固まっていた。イエスをちんこい頃から知っている、洟垂れ小僧の頃から知っている、大工の息子だ、家族も良く知っている、そしてつまずいた。「こうして、彼らはイエスにつまずいた」(57節)。では、どうすればつまずかなかったのだろうか。キリストは最初からへりくだり、貧しい一般庶民の生活を送ることを決めておられた。学歴はない。この時は片親の可能性大。長男として弟、妹たちの面倒を働きながら見るという生活。ナザレという村自体、イスラエルでは卑しめられた寒村にすぎない。そこで半生を生きることをよしとされた。こうした謙遜な生活を送られた事実に、逆に頭が下がり、ありがたいという気持ちになるが、ナザレの人々にとってそんな感じはない。そして、ナザレの恥と思われるような出来事が、やがてキリストの身に起こる。十字架刑である。十字架刑はユダヤ人にとって神に呪われた者の証であり、この十字架刑が最大のつまずきとなっていく。パウロは言う。「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが」(第一コリント1章23節)。キリストが十字架についた当初、わたしの罪の身代わりとなってくださり申し訳ない、などと考える者は誰もいなかった。十字架につくのがメシヤの任務だと悟る者はいなかった。十字架はつまずきでしかなかった。ナザレの人々は、キリストが神々しい光輝く姿で、大勢の御使いを伴い、直接天から下って来れば、つまずかなかっただろうが、そのような姿は望まれなかった。「つまずく」<スキャンダライゾー>は、スキャンダルの語源になっていることばであるが、もともと、動物のわなを仕掛けるという意味があったことばである。でも、キリストにわなを仕掛けるなんて悪意はない。人間側が自分の無知と愚かさのゆえにつまずいてしまう。「だれでもわたしにつまずかない者は幸いです」(ルカ7章23節)。

「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです」(57節)。メシヤの職務は、王、祭司、預言者の三つがあると言われている。なぜならメシヤと同義語の「キリスト」という言葉の意味は「油注がれた者」であり、油注ぎを受けるのは、王、祭司、預言者と決まっていたからである。キリストはここで、ご自分も預言者であることを意識されている。旧約聖書を見ると、多くの預言者が同郷の人々から受け入れられなかった事実が書いてある。エリヤ、エリシャしかり。一番ひどいと思われるのはエレミヤで、生まれ育ったアナトテの村の人々に命をねらわれたりした(エレミヤ11章21節)。預言者たちが命を狙われた主な理由は、罪を指摘したからである。人々は罪人扱いされるのにがまんがならなかった。それが人間の性(さが)である。

皆様には、キリストはまことの人となれたまことの神であること、神の救い主であること、私たちの罪のために十字架にかかり、そしてよみがえり、今も生きておられる永遠のいのちであることを信じていただきたいと願う。

そして、すでにクリスチャンの方々にも、次のことを知っていただきたい。神のみわざは、私たちの信仰に比例するということである。別の表現を取れば、神の栄光が現されるか否かは、私たちの信仰に比例するということである。「そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡(力あるわざ)を行われなかった(58節)。神の力あるわざを拝したいと思わないだろうか。神々ではなく、まことの神が、キリストが、あがめられて欲しいと思わないだろうか。もし私たちが不信仰の二つの要素にすがっていたら、神は何もなさらないのではないだろうか。不信仰の二つの要素とは、第一は不従順である。従う姿勢のないところではみわざは起きない。福音書におけるキリストの力あるみわざの数々を検証すると、人々は「水をくみなさい」「どこどこに行きなさい」「手を伸ばしなさい」「深みに漕ぎ出しなさい」、そうした命令に従っていることがわかる。もし私たちがみことばで示された時、従わないなら、驚きは生まれないし、神の栄光を仰ぐことはできない。この不従順は人間が生まれもっている自己中心の性質とも関係があるが、不信仰の二番目の要素とも関係している。不信仰の第二の要素は、「人にはできないことも神(キリスト)にはできる」と信じないことである。現実しか見ることができない、自分の頭しか信じることができない、過去のデータしか信じることができない。神さま(キリスト)の力を過小評価する。よって、ワクワクすることを何も思い描けない。だから、行動に移せないし、結果も寂しいものとなる。

最後に、ご一緒にヘブル11章1節を開こう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」。「保証し」の欄外註の別訳をご覧ください。「・・・実体であり」とある。よって、次のように言うことができる。「信仰とは望んでいる事がらを心の中で実体化すること」。もちろん、自分勝手な欲望を心の中で実体化することではない。神から来るもの、みことばから来るものを心の中で実体化する。私たちが信仰を働かせるというのは、神の約束を実体的なリアリティとして心で受け止めるということ。全能の神にはできるんだ、そうしてくださるんだ、と心の中で実体化する。実体としてもったものは現実となる。信仰をもって受け止めるものの中には、すべての人が共通の天の故郷があるだろう(ヘブル11章16節)。また個々に違うオリジナルの約束というものがある。仕事のこと、健康のこと、たましいの救いのこと、それぞれある。それをしっかりと心で思い描き、そうなると信じ続けているならば、そうなる。神がそれを現実としてくださる。しかし、疑いがあるとき、すべては霧の中に。

もし私たちがキリストを信じていると言っても、不従順であり、神の力を疑って、心に何も思い描けないでいるなら、それもりっぱな不信仰である。そのような状態にあるとき、起こったとしても少しのみわざしか起きないだろう。改めて私たちは自分の信仰を問い直そう。私たちそれぞれが、神の栄光が現されるみわざを切に願い、信仰をもって神の約束をつかみ、それを心の中で実体化し、行動に移し、みわざの実現を待ち望んでいこう。