今日の箇所は、キリストの救い主としての働きと、キリストの救い主としての特性を美しく描き出している。著者マタイは、イザヤ書42章1~4節のメシヤ預言を引用している。そこには父なる神に仕え、人類に仕える神的しもべとしての美しい姿が描き出されている。そして、その姿は、私たちの模範となる。

今日の短い箇所は、11,12章を荒野に例えれば、荒野の中のオアシスのようなものである。なぜ11,12章は荒野かと言うと、そこにはキリストに対する敵対が描写されているからである。律法学者、パリサイ人たちの敵対の物語である。今日の箇所の後では、キリストを悪魔と同一視する攻撃が描かれている。今日の箇所の直前では、キリストに対する暗殺計画が立てられたことが記されている(14節)。

15節前半をご覧ください。「イエスはそれを知って立ち去られた」。イエスさまは彼らの謀略をどうして知ったのだろうか。それについては何も知らされていない。誰かがイエスさまにそっと知らせたのかもしれないし、イエスさまは人の心を読み取る全知の能力をもって、人に聞かずとも知ることができたとも想像できる。

そしてイエスさまは身を引く。それはイエスさまがおじけづいてメシヤとしての働きを止めてしまったということではない。そうではなく、ご自身の時を認識しての行動である。イエスさまは、「わたしの時はまだ来ていません」と言われたことがある(ヨハネ7章6節)。「わたしの時」とは、逮捕され十字架の苦難を味わう時であるが、その時が来れば、イエスさまは逃げも隠れもしない。抵抗もしない。けれども、まだ十字架の時ではない。地上での任務はまだ残っている。まだ死ぬ時ではない。

イエスさまが立ち去った後、15節後半を見ると多くの人がイエスさまについて来て、イエスさまは彼らの病をいやしたことがわかる。イエスさまのいやしは以前学んだように、それは救い主としてのしるしであった。同時にそれは、苦しむ人へのイエスさまの愛とあわれみの発露であった。この点は、律法学者やパリサイ人たちと全く違う点である。彼ら宗教界のリーダーたちは、金持ちや有力者に関心を注ぎ、病人、貧しい者、アウトカーストの人たちには関心を示さなかった。しかしイエスさまは篤い関心を示した。それは直前の、片手のなえた人のいやしの記事からも明白である(9~13節)。パリサイ人たちにとっては、片手のなえた人は、穴に落ちた羊よりも価値のない存在に過ぎない。けれどもイエスさまにとってはそうではない。こうした人こそが、イエスさまにとって救い出したい羊であり、腸がちぎれる想いにかられるあわれみの対象である。

イエスさまは、いやしを行われた後、ご自分のことを人々に知らせないようにと、人々を戒められた(16節)。イエスさまは必要以上の評判を望まなかった。この文脈の中で考えられることは、敵対者たちに不必要な刺激を与えないためということもあるだろう。実際、彼らはイエスさまの殺害計画を練っていたわけだから。しかしそれ以上に、イエスさまの特性として、奇跡的力を行使したことによって大喝采を浴びること、世的評判を勝ち取ることを望んでおられないことを意味するだろう。このことが、続いての、マタイが引用する預言者イザヤのことばにつながる(17節)。18~21節は、イザヤ書42章1~4節のメシヤ預言の引用である。この引用は唐突にも感じるが、そうではない。病人、貧しい者、アウトカーストの人たちへの主のあわれみ、そしていやしのみわざを行われた後の「ご自分のことを人々に知らせないように」と言われた主の態度が、イザヤのことばに、みごとに表わされているからである。なお、マタイのイザヤ書の引用は、旧約のヘブル語そのままではない。ギリシャ語70人訳からの引用を中心としている。では、18~21節を丁寧に見ていこう。

「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ」(18節a)。「しもべ」と訳されることばは、通常は奴隷を意味する<ドゥーロス>が用いられるが、ここは<ドゥーロス>ではなく、<パイス>が使用されている。このことばは、特に親しいしもべを意味することばで、自分の子どものように愛する存在を指すことばである。したがって「子」とも訳せる。ギリシャ語70人訳では、アブラハムの家の最年長のしもべに当てられている(創世記24章2節)。主キリストは、神の特別なしもべ、最愛の子であるということである。御父にとって、「わたしの心の喜ぶわたしの愛する者」(18節b)なのである。

「わたしは彼の上にわたしの霊を置き」(18節c)。ペテロはこのことについて、人々にこう語っている。「神はこの方に聖霊と力を注がれました」(使徒10章38節)。ヨハネはキリストについて「神が御霊を無限に与えられる」と語っている(ヨハネ3章34節)。

そして、キリストの福音宣教の性質が続いて語られる。「彼は異邦人に公議を宣べる」(18節c)。「異邦人」はユダヤ人から見た表現で、別訳は「諸国の民」となる。ユダヤ人は諸国の民を救いの外に追いやっていた。けれども、キリストの目には諸国の民もユダヤ人同様、神の民とされるべき価値がある存在として映っている。これはパリサイ人たちにはない視点である。キリストの救いは、人種、民族の差別はない。キリストの救いは全世界の民のものである。

さて、マタイがイザヤ書を引用した中心的意図は、19,20節にある。この二節に注目しよう。「争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞くこともない」(19節)。「争うこともなく」は、「口げんかしない」「口論しない」「言い争わない」と訳せることばである。「口げんか、口論、言い争い」こうした態度はクリスチャンとしての証を台無しにしてしまう。当時のローマ人やパリサイ人たちは、盛んに口論し、言い争いをした。苦い思いを抱き、口で言い負かそうとした。キリストに対するパリサイ人たちの態度がまさしくそうであった。けれども、キリストはそうではなかった。口論、言い争いのジャブに乗らなかった。キリストは敵対者たちに反論ははしたけれども、静かなアプローチに徹した。争って怒鳴り声をあげて、相手を言い負かそうとしなかった。常に冷静であられた。感情的になりやすい私たちは見倣いたいものである。ちなみに、「争うこともなく」の反対の「争う」という姿勢は、ガラテヤ5章20節において、罪のリストに挙げられている。「偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り・・・」。

「叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もいない」。キリストはこの世の権力者のように物々しい動きはされない。目立たず、謙遜である。この世の権力者のように騒がしく自己宣伝して、名声を勝ち取ろうとされない。

「彼はいたんだ葦を折ることもなく」(20節a)。「葦」<英語:リード>は沼地や川辺にたくさん生えていて、笛やものさしやペンとして用いられた。それは、ありふれた植物で、取るに足らないもの、つまらないものの典型である。それでも、いたんでいない葦であったら、有用で価値がある。しかし、いたんでしまっていると、もはや役に立たないので捨てられるのが自然である。キリストはいたんだ葦のような人間、すなわち、こわれたような人間をどうされるだろうか。ごみのようにみなすだろうか。パリサイ人たちはそうであったが、キリストはそうではない。パリサイ人たちは取税人や罪人と言われる人たちを豚同然、人間のくずとみなしたが、キリストはそうではない。

「くすぶる燈心を消すこともない」(20節b)。ちゃんと機能を果たさない燈心は、迷惑で、じゃまでしかない。光をきちんと発せず、煙を出してしまうから。それは、消されて、捨てられて当然である。燈心などなんぼでもないので、くすぶる燈心など、早く処分してしまったほうが良い。では、キリストは、迷惑にすぎないような、役に立たないような、弱々しい人間をどうされるだろうか。「弱々しく燃えている、消えかかっている、えい、役立たず、ポイッ」とはされない。

キリストはいたんだ葦、そしてくすぶる燈心を乱暴に扱わない。柔和に親切に扱う。それらを大切に扱い、何とか保とう、用いようとされる。すなわち、いたんだ葦、くすぶる灯心のような人々のために骨を折る。救いに導こうとされる。それを屈せずやり続ける。「公議を勝利に導くまでは」(20節c)。これは悪が完全に敗北し、主の勝利が表わされる終末時代、御国の完成の時のことであろう。キリストはこの時まで、希望を捨てず、あきらめず、その日までやり遂げる。

キリストの美しい特性について見てきたが、それを三つにまとめて確認しよう。第一は、謙遜(19節)。キリストはやかましく騒々しい自己宣伝はされなかった。悪魔はキリストに対して、かっこうの自己宣伝の場を用意したことがある。荒野の誘惑の時である(マタイ4章5,6節)。悪魔はキリストを神殿から飛び降りてみるように誘った。神殿から飛び降りて怪我一つせず降り立ったら、最大限の注目を浴び、最高の自己宣伝となる。神殿という場所設定自体が大きな意味をもつ。しかし、キリストはそのようなことはしなかった。また群衆がご自身を祭り上げようとしたときは、身を引いてしまわれた。それは、家族や弟子たちから見ても、じれったいほどであった。キリストは、自己宣伝、自己顕示欲、そうしたものから解き放たれ、みことばの陰にご自身を隠し、従うしもべとして歩みを徹底された。そして、低さのきわみの十字架に向かっていかれた。私たちはともすると、「わたしは、わたしが、わたしの、わたしを」と自己顕示欲を顕わにしてしまうが、十字架の影に身を隠して歩んで行きたいものである。

第二は、柔和(20節前半)。キリストは人々に冷淡に扱われてきた男女に対して、実に寛容であり、理解を示された。過ちに陥りやすく、失敗しやすい、そうした人間の脆弱性を受けとめておられた。正しく生きようと思っても後戻りしてしまう、バックスライドが容易の人間性、それを受けとめて優しく取り扱われた。堕落してしまった人たち、人生の敗残者となってしまった人たちの気持ちを良く受け止めておられた。生きる気力さえうせかかっている人たちもいたであろう。キリストはそうした人たちを再生するために、慈愛のことばと御手をもって導いた。キリストの弟子といえども、「いたんだ葦、くすぶる燈心」であった。キリストを三度も否認したペテロがその良い例である。キリストはご自身を裏切ったペテロに対してどなり声を上げて、絶縁されることはなかった。ゆっくり回復のプロセスをもった。三度目に弟子たちの前に現れたときは、浜辺で食事を用意し、ペテロたちを出迎え、なお愛していることをわからせ、再度、召命を与えた。皆さんは、ご自分が「いたんだ葦、くすぶる燈心」であることをお認めになるだろう。そんな自分に対するこれまでの主のお取扱いを思い出してみることである。そして主の心を心として人々に接することを心がけたい。

「いたんだ葦、くすぶる燈心」の中には、社会的弱者も入るだろう。虚弱者、病人、老人、子ども、女性といった人たち。こうした人たちは、当時、価値のないものとみなされていた。その価値観を変革していったのは主キリストである。キリストの精神を受けて、最初に盲人の施設を作ったのは、クリスチャンの修道士と言われている。最初に無料診療所を開設したのはアポロニウスというクリスチャン商人であった。さらに、記録に残っている最初の病院の設立者は、フォビオラというクリスチャンの婦人であった。

虚弱者、障害者と同じく、当時、不必要な存在と思われていたのが老人であった。ローマ帝国の農業に関する取引の本の中に、使い古した牛、傷のある牛や羊とともに、古道具、老人の奴隷、病弱な奴隷は売り払って処分するようにと、書いてある。働けなくなった老人はくずものとして処分された。しかしキリスト教は、人を仕事をする道具としてではなく、人格として認めた最初の宗教であった。

当時の子どもの生活もみじめだった。特にギリシャ人たちの間ではそうであった。結婚は堕落し、離婚が絶えなく、女性が毎年新しい夫をもっても、特にめずらしいとも、悪いとも思われなかった。そのような状態で生まれた子どもは悲劇で、子どもが放置されたまま死ぬこともめずらしくはなかった。次のような夫から妻への手紙が残っている。「もし幸い子どもができて、それが男の子であったら、生かしておきなさい。女の子であったなら外に捨ててしまいなさい」。まるでごみといっしょである。キリスト教は孤児院設立に力を入れることになるが、日本で最初に孤児院を始めたのも信者たちであった。

第三は、忍耐(20節後半)。キリストは地上に神の義が満ち溢れ、神の国が完成するまでは、くじけたりされない。神のしもべは、落胆し、仕事を投げ出さない。困難が多いからといって投げ出さない。成果がすぐに見えないからといってあきらめてしまわない。屈せずにやり続ける。反対にもひるまない。暗闇の力と戦い続ける。目的達成のためには十字架の死もいとわず、前進し続ける。神さまから使命を与えられているという方は、それが何であっても投げ出してほしくはない。簡単にあきらめてほしくはない。それは誰かの救いのためにかかわることかもしれない。たとい状況に変化が見られないという日々が続いたとしても、目の出ない年月が続いたとしても、忍耐を働かせいきたい。神の約束にすがって、地に足をつけて、一歩一歩前進していきたいと思う。

今日は、キリストの美しい特性について見てきたが、カッカしてきたとき、自我が頭をもたげてきたとき、忍耐が切れそうになったとき、心を落ち着かせ、キリストの姿を仰ごう。「・・・争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは」。このキリストの特性を常に目標としよう。