日曜日が休みの日となる太陽暦のカレンダーは明治6年に導入された。これは、もともと聖書が啓示する安息日の規定から来ている。安息日は主を礼拝する日である。それゆえ、この日は休みの日と定められた。休みの日と定められたので礼拝の日としたのではなく、礼拝の日なので休みの日となったのである。けれども、人々は聖書由来のこのカレンダーを知らない。なぜクリスチャンは休みの日にわざわざ教会へ出かけるのか不思議がっている人は多い。さて、私たちは、この安息日の過ごし方をどれだけ知っているかというと、まだ不十分ではないかと思わされることがある。礼拝の日であるということはわかる。しかし、礼拝を軸にしてどうすごせばいいのか、わかっているようでわからないでいるところがあるのではないだろうか。

この時代、ユダヤ教の教師パリサイ人たちとキリストの間で安息日論争があったようである。この時代、教会が誕生する前の時代は土曜日が安息日であった。パリサイ人たちがこだわったのは、安息日は仕事をしてならないということであった。確かにモーセの十戒でも、安息日には「どんな仕事もしてはならない」と書いてある(出エジプト20章10節)。仕事をしてならない理由は主を礼拝するため。そしてもう一つ目的があり、人間も動物も休息するためである。しかし、安息日の真意はないがしろにされていく。彼らは「どんな仕事もしてはならない」と禁じられている「仕事」とは何かを具体的に規定した。彼らの目線からすると、キリストが安息日にしていることは、禁じられている仕事と映った。

キリストと弟子たちは、ある安息日に、ある畑を通られたときに、弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた(1節)。この行為のどこに問題があるのだろうか。旅行者が十分な食糧がないとき、道脇にある畑に手を伸ばし、穂を積んで食べることは、モーセの律法で認められていた(申命記23章24~25節)。よって、弟子たちの行為に問題はない。けれども、パリサイ人たちの目にはそう見えない。

おそらく彼らは、安息日にキリスト一行が歩いていたこと自体、嫌疑の目で見ただろう。彼らは安息日に関して、してはならない39の基本的行動を規定していた。それを民衆に教え込んでいた。例を挙げると、安息日には1500メートル以上歩いてはならない。水を汲んではいけない。乾し無花果以上の重さの荷物を運んではいけない。オリーブよりも大きいものを食べてはならない。火を灯してはならない。動物・鳥・魚のいずれかを捕まえてはならない。一方の手で空中に物を放り投げ、もう一方の手でそれをキャッチしてはならない。そして、次が重大なのだが・・・「穂を摘むことは刈り入れることである」と規定していた。また、「手で穂をもみ、もみがらを取り除くことは脱穀である」とみなしていた。キリスト一行は、穂を摘み、脱穀するという禁じられた仕事をやらかしてしまった、というわけである。さらに、乾かすこと、こねることも同じく仕事として規定していた。こうして彼らは、安息日とは神が人間を苦しめ、ひもじくするために定められたかのようにしてしまっていた。彼らは律法を字義通り解釈しようとして、安息日の意義そのものを見失っていた。律法のすべては、神を愛し、人を愛するために定められた規定である。安息日の戒めは、神に栄光を与えるためと人のしあわせのためにある。その本質を見失い、生み出されたたくさんの細かな規定は、人々にとっては負いきれないくたびれる重荷でしかなかった。キリストは、そのことも念頭に、11章28節で、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は」と語りだされた可能性ははなはだ高い。

キリストは彼らの誤りを指摘するために、聖書から二つの例を挙げる。一つはダビデの例である(3~4節)。ダビデと連れの者たちが飢えていたときのエピソードは第一サムエル21章1~6節にある。ダビデとその部下の者たちが祭司アヒメレクのところを訪れた。その日はちょうど安息日。安息日に神に供えたパンを取り換える。アヒメレクの手元には、下げたばかりの「供えのパン」があった。下げたパンは本来、祭司だけが聖所で食べるパンと決められていた。でも、アヒメレクはそれを与えた。他にあげるパンがなかったから。ダビデと部下たちは安息日に合法的でないことを許された。それは緊急の必要性のゆえにである。緊急事態、非常事態、突発な事態、そのようなときには、人の命、人の必要ということが優先されるであろう。キリストのしたことは、ダビデのように安息日に合法的でないことをした、ということではない。ならば、なお許されることで、非難される筋合いはない。キリストは3節で「あなたは読まなかったのですか」と言っておられるが、これは、「自分たちは伝統的な正統派だと自負し、わたしをリベラル扱いするあなたたち。あなたたちこそ聖書を知らない」という意味が込められているだろう。

ユダヤ人たちは過去の歴史の中で、安息日の戒めをまちがって厳守して、悲惨な事態を被ったことが何度かあった。それは外国が攻め寄せてきた時である。外国人たちは、ユダヤ人はすべての都市の中でもっとも堅固な都市に住んでいることを知っていた。エルサレム攻略は容易なことではない。そこでユダヤ人たちの弱点を突いた。安息日に攻めるということである。それは、ユダヤ人たちはこの日、反抗も反撃もしないことを知っていたからである。シリヤのセレウコス王朝のアンティオコス・エピファネス(BC175~163)が攻めてきた時、ユダヤ人たちは応戦を全くせず、隠れ所も防ごうとしなかった。妻や子どもたちを保護することもなく、この戦いで一千人が死んだと言われている。家畜も多数死んだ。最愛の家族を保護することもなく、なぜこんな悲惨な結末を選んだかというなら、安息日の戒めを破って、罪を犯したくないということであった。安息日はもともと、人の心と体を休ませ、家畜をも休ませる日ではなかったのか。死を選ぶ日ではなかったはず。私たちも字義通り解釈する正統派を気取りながら、愚かな聖書解釈に陥る危険がある。

キリストはもう一つの例を挙げている(5~8節)。5節の「また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日の神聖を冒しても罪にならないということを、律法で読んだことがないのですか」は何を言っているのだろうか。祭司たちは安息日に、神殿で働くという「仕事」をしていた。けれども、その仕事は許された。神殿での仕事というものは、それほど特別なものなのだが、キリストは6節において、ご自分は宮よりも、すなわち神殿よりも大きな者であることを宣言されている。すなわち、「わたしは神殿より大きい神そのものである」という宣言である。だから安息日のキリストの行動にケチをつける理由はない。

キリストは7節で彼らの痛い点を突いている。「わたしはあわれみを好むがいけにえを好まない」(ホセア6章6節引用)、この引用で何を言われたかったのか。彼らは律法を守ることが大切だと言っておきながら、他者の必要に応答する親切さ、善意、あわれみ、そうしたことを台無しにしている。人を緊急に助けて運ばなければならないとき、乾し無花果よりも重いものを持つことになると言って傍観していてどうなるのか?人がひもじくしているとき、小麦粉をこねたり焼いたりすることは仕事になると言って議論していて何になるのか。向こう側で人が苦しんでいるのを見て、自分はもう1500メートル近く歩いてしまっているから助けに行くことはできないと言って固まっていて何になるのか。

私たちにとっての安息日は、聖書で言われているとおり、主イエス・キリストがよみがえられた日曜日だが、この日はまず、聖別して礼拝の日として過ごす(使徒20章7節)。それは神を第一としていることを表わすだけでなく、私たちのたましいの安息のためにも必要なことである。また、安息日に祭司たちが神殿で奉仕をささげたように、万人祭司の時代の私たちは、教会に仕える奉仕をするわけである。日曜日は礼拝、奉仕というのは自然なことである。また、この日は隣人の益となることを心がけるわけである。隣人愛の日である。さらに、自分に関しては心身の回復につながる過ごし方をするわけである。翌日からの仕事の支障になるような過ごし方は避けなければならない。こうした原則を心に留めることが大事であって、あれはすべきか、これはすべきか、これはだめかと、枝葉的なところから入ると、パリサイ人的な解釈の罠に落ち込む。キリストは8節において、「人の子は安息日の主です」と宣言されている。キリストは、「わたしが安息日を定めたのであり、わたしが安息日について正しい解釈を持ち、正しい過ごし方を知っている」と権威をもって宣言している。キリストの行動を見ると、安息日に会堂に入って礼拝し、そして隣人に対しては愛を実践されたことがわかる。また心と体を大切にすることを奨励していることがわかる。

では、安息日の次の場面に進もう(9~13節)。キリストは礼拝のために会堂に行かれるが、そこで、安息日にいやすことは許されるかどうか、敵対者たちから質問を受ける(10節)。彼らは、いやすのは仕事の範疇に入ると考えていた。そこでキリストは彼らの矛盾を突かれる(11,12節)。多くのユダヤ人たちは、安息日に家畜を助ける必要性を認めていた。そこでキリストは、ユダヤ教の教師たちの間で良く使われていた、「それなら、なおさらのこと」の論法を用いている(12節)。キリストはここでも、「わたしはあわれみを好む」という神の心をわからせようとしている。そして実際、いやしのわざを行い、神の心を証明してみせた(13節)。

続く14節でパリサイ人たちの正体を見ることができる。「パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した」。パリサイ人たちは自分たちの伝統的考えを否定されておもしろくない。キリストに恨みを抱いている。彼らが恨みを抱いていた相手とは、神のみことばそのものであるお方であり、宮よりもまさっているお方、神ご自身であり、そして、愛とあわれみに満ち、親切で善を行う、安息日の主であった。彼らは律法の専門家を装いながら、彼らの心の中には本当の意味で律法は書かれていなかった。良く聞いていただきたい。彼らは安息日に殺意を抱いていた。しかも礼拝されるべき主キリストに対して。文法を見ると、彼らはキリストを殺すことをすでに決めていたようである。あとは方策だけの問題。彼らは安息日に殺人の計画を練った。これは衝撃的。実は彼らは、安息日に仕事をしてはいけないというだけではなく、仕事の計画を立てた者や旅行の計画を立てた者も罪に定めた。どうやって働こうかと計画を立てることさえ禁じた。だが彼らは<明日の計画>を立てることを禁じておきながら、自分たちは<殺人の計画>を練った。客観的に考えて、ふるえてしまうほど恐ろしい現実。安息日は殺人計画を立てるためにあるのか。でも、彼らは、いかに恐ろしく罪深いことを考えていたのかという、その自覚がない。あいつは間違っている、正しくない、と周囲に目をやり責めるだけで、自分たちがいかに醜くて恐ろしいことを考えているのかという自覚はない。彼らの心は深い闇の中にあった。また隣人を助けることを妨げるという愚かな行動に出ていた。

今日の箇所は、主が定められた安息日は何のためにあり、どういう態度で過ごすべきか教えられる。キリストに対して不信の思いを抱いたまま御前に出ることや、他人に対して、ねたみ、そねみ、いじわるな思い、陰険な思い、苦々しい思い、恨みなどを抱いたままで、御前に出ることが、いかに愚かなことであるかを思わされる。私たちは自分の心を見張っていよう。そして主の日、すなわち安息日に、よりよい過ごし方ができるよう心がけよう。主の日は、心からの礼拝と感謝と賛美をささげることに努め、また、神と教会と人とに奉仕する日とし、そして、たましいと肉体の安息の日として過ごしたい。とりわけ、パリサイ人のようにかたちだけ礼拝をして、あわれみを疎かにする愚か者にならないようにしよう。最終的には安息日の主である主イエス・キリストがあがめられることを心から願っていきたい。