皆さんは、新しいものを、無理に古いものに併せようとして違和感を覚えたことがないだろうか。また、古いものは良いという価値観に縛られ、新しいものを受け入れられないということはないだろうか。電化製品、パソコン、携帯電話などが登場したとき、人は難癖つけて批判したものであるが、今は生活に調和し、生活に溶け込んだ。

さて、私たちは、古いものと新しいものがぶつかりの問題について、聖書の文脈から注意深く見ていきたい。イエスさまはご自分のことを「わたしはいのちです」と宣言された方であるが、イエスさまはフレッシュないのちに満ちたお方である。そのことばと働きもいのちに満ちておられる。フレッシュで新しい。このいのちに硬くなった古いものは合わない。イエスさまが地上に来られたとき、イエスさまが来られる以前の宗教的伝統、行動様式は古いものとされてしまった。

今日のイエスさまの講話を引出したのは、ユダヤ教徒たちの質問にあった。「あのイエスの行動は腑に落ちない」、そのように大半の熱心なユダヤ教徒は見ていた。この講話の前には、パリサイ人たちの質問が記されている(11節)。「罪人」の範疇に入れられていたのは、盗っ人、遊女、ならず者、ユダヤ律法を守らない不敬虔な人たち。それに取税人も入る。取税人は前回お話したように、罪人同様、汚れた俗物とみなされ、豚に等しいとみなされていた。また生まれつきのうそつきとみなされ、強盗や殺人犯と同等とみなされていた。そしてパリサイ人の「パリサイ」には「分離」という意味があることを前回お伝えした。汚れとの分離ということで、パリサイ人にとって聖さとは、このような不敬虔、不敬神な汚れた人たちと距離を置き、つきあいをしないことであった。ましてや彼らと一緒に食事なんてとんでもないことであった。また、彼らにとって聖さとは、断食のように自己鍛錬の生活を送ることであった。「あのイエスは食いしん坊だ。弟子たちも同じだ。汚れた連中と食事はよくするが、断食はしない」。ユダヤ教徒は週に二回、月曜と木曜に断食をする習慣があった。そうした彼らにとって、イエスさまのグループの行為はこの世的で汚れていると映っただろうし、自己修練が足りずに自分を甘やかしているように映っただろう。

イエスさまのもとに質問に来たのは「ヨハネの弟子たち」と言われている(14節前半)。それはバプテスマのヨハネの弟子を指すが、実はルカ5章33節を見れば、パリサイ人たちも質問に来ている。マタイは代表として、バプテスマのヨハネの弟子を取り上げたのであろう。バプテスマのヨハネは旧約聖書最後の預言者であり、人々に悔い改めを宣べ伝え、救い主キリストを心に迎え入れさせる備えをしていた。この時、バプテスマのヨハネは牢獄に入れられていた(4章12節)。師を失ったヨハネの弟子たちは、伝統的なユダヤ教の儀式、習慣にとどまり生きていた。彼らはパリサイ人たちのように、イエスさまに対して反感をもっているわけではない。師匠のバプテスマのヨハネはイエスは救い主であると教え、イエスさまを尊敬するように弟子たちを指導していたわけだから。けれども、ヨハネの弟子たちにとってイエスさまの行動は理解できない。型破りもいいところで、余りにも不可解である。飛んでいる人物に見えたであろう。

「なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」(14節後半)。旧約聖書における断食の命令は、年一回秋に開催される「贖罪の日」の断食である(レビ16章29,31節)。けれども、先ほども述べたように、週二回断食する習慣があった。その他に自発的断食があった。イエスさまの時代にあっては、施しと祈りと断食の三つが、オーソドックスなユダヤ教の不可欠な三大行為であった。イエスさまはすでに、ユダヤ教徒たちがこれらを自分を義とみせるために行っていると、その偽善を諌めている(6章)。誤解してならないのは、イエスさまは断食の価値を認めていないというのではないということ。イエスさま自身、公生涯に入る前に、荒野で四十日四十夜の断食をされた(4章1~11節)。それはパリサイ人たちでさえしない、長期に及ぶ断食だった。またどんなに忙しくても祈りを怠ることもなかった。初代教会時代に良く読まれた文書で、1世紀後半から2世紀前半の作と言われている書に「十二使徒の教え」(ディダケー)というものがある。そこでは週二度の断食が勧められていて、日に三度、主の祈りを祈るように勧められている。初代教会では断食と祈りは常識的なことであった。

イエスさまは、ヨハネの弟子たちの答えに、当時の結婚の習慣を引き合いに出して、婚礼のたとえを語っている(15節)。当時、結婚した夫婦は新婚旅行に行かず、家にいてその楽しさを味わった。新婚夫婦は結婚後一週間の間、自分の家を開放した。この間、花婿と花嫁は王様と王妃のような扱いを受けた。この一週間の間、「花婿に付き添う友だち」と言われる親しい友人たちは、花婿、花嫁とともに喜び、ともに祝った。平素、貧しく質素な生活をしていた人たちも、この時ばかりは、一生に一度の楽しさを味わった。この時、喪に服したように、どうして悲しくしめっぽい様子をしておられるだろうか。今は、祝賀の時であるというわけである。新約時代においては、礼拝が祝賀の時、祭典の時である。イエスさまを喜び、心からの賛美と礼拝をささげることが礼拝である。礼拝の形式、儀式のあり方に心を奪われ、本質を忘れてはならない。

このたとえはわかりやすかっただろう。旧約聖書では神は花婿にたとえられ、神の民が花嫁にたとえられている。またユダヤ教徒は、結婚を救い主の到来や救い主の祝宴に関連づけて語っていた。バプテスマのヨハネ自身、ヨハネ3章29節を見れば、イエスさまを花婿にたとえ、自分を花婿の友人にたとえていることがわかる。

イエスさまは断食の「時」について語る。「花婿が取り去られる時」の「取り去る」ということばは、「乱暴に急いで取る、ひったくる」、そういう意味合いをもつことばである。これは明らかに十字架刑のことが意識されていると思われる。断食という行為は、この十字架刑を起点として始まる。断食は心を破って悲しむ行為の一つだが、しかし今はイエスさまといることを喜ぶ時であり、断食の時ではないということである。

ヨハネの弟子たち、またパリサイ人たちは、ただ断食の問題のみが疑問としてあったのではない。イエスさまの教えとふるまいは、余りにも伝統的ユダヤ教からかけ離れていた。当時の宗教リーダーたちは断食その他の外面的行為に強調を置いた。たくさんの規則を作って、それを守ろうとした。しかしイエスさまは、「心の貧しい者は幸いです」をはじめ、赦しについてなど、内面の事柄に強調を置いた。イエスさまは内面の本質的事柄を大事にされ、形から入るパリサイ人たちとは違っていた。イエスさまは、それまでの形を重視し、形から入る、伝統的な習慣、伝統的様式には余り関心がない。パリサイ人たちが作りあげてきた伝統的な宗教体系を古いものとされている。キリストは、古いものにこだわり、古いものは良いとするユダヤ主義に立ち向かった。古いものは良いとする人たちは、それはご先祖様がしてきたことだからとか、伝統として守られてきたものだからとか、自分が慣れ親しんできた習慣だからだとか、お偉い人がずっと言ってずっとやってきたことだからとか、検証をすることもせず、それを廃棄したり、変えていこうとしない。反対に、新しいものが出て来ると、疑惑をぶつけ、反感を浴びせる。「新しいものは悪い」と非難する。そして古いものにしがみつく。

この世の話でも、新しいことをする先がけとなる人は、必ずといっていいほど、出る杭は打たれるで、非難を浴びてきた。ある人は傘を紹介するために、イギリスで一番最初に傘をさして町を歩いた時、暴言を浴びせかけられたという。コペルニクスは地球が太陽の周りを回るのだと主張した時、非難の嵐で、教会当局からも非難され、その説は撤回するように強要された。キリストの福音と、キリストの生活様式は、まさしくコペルニクス的なものであった。外面の聖さを尊び、儀式的形式的で、罪人を愛さず、いのちを失っていた古い伝統とは全く異なっていた。それらを一緒にすることはできない。イエスさまは、それを二つのたとえで表わす。

最初は継ぎあてのたとえである(16節)。継ぎあてのズボンなど思いだし、ノスタルジックな思いにかられるたとえである。この時代の布はウールか亜麻布だった。両方とも洗うと縮む。真新しい布切れで、古い着物に継ぎあてをして洗濯したらどうなるか。古い着物は、洗うと、新しい布切れが縮むために、引っ張られて破れてしまう。継ぎあてをした意味がなくなってしまう。

次は皮袋のたとえである(17節)。プラスチックやビンやビニールの時代の私たちには、皮袋はなじみがない。昔は皮袋を貯蔵に用いた。動物の皮の、首と足以外のところを切らないようにしてはがし、足の部分は縫って閉じられ、首の部分は注ぎ口として使われ、皮ひもで縛られていた。古い皮袋は乾いていて、もろい。伸びきっている。弾力性は失われている。そこに発酵力の強い新しいぶどう酒を注いだらどうなるか。古い皮袋は弾力がないので圧力に耐え切れず破れてしまう。こうして皮袋もぶどう酒も両方だめになってしまう。うっかりして、こんなことをしたら大変である。

律法主義、パリサイ主義といった、外面の規則を守る動作、儀式を守る動作で自己を義とする伝統的ユダヤ教の様式は、キリストのメッセージとミニストリーという真新しい布切れと関係をもてないし、キリストのメッセージとミニストリーという、いのちに満ちた新しいぶどう酒を入れることもできない。人間が作った規則への拘泥、お決まりの儀式、いのちを失った伝統、こうした古いものは役立たない。

ここで誤解を生じないように、一つお話しておかなければならないことがある。それは、「古い着物」「古い皮袋」とは、旧約聖書の教えを意味しているのではないということ。イエスさまは何と言われただろうか。マタイ5章17,18節を見よ。旧約の教えと新約の教えは連動し、両立するものである。よって、ここで言われている古さとは、神の啓示にそぐわない教えを生み出してきたユダヤ教の伝統である。彼らが勝手に、自分たちのやってきたことは聖書的と思い込んでいただけのことである。これら古い枠の中に、キリストがもたらすいのちを入れることはできない。

さあ、私たちは、キリストのいのち、キリストの新しい福音を、新しい様式で受け止めるように招かれていることを覚えよう。それを古い皮袋で受け止めてはならない。私たちにとっての古い皮袋とは、これまでそれぞれが歩んできたところの神の国の価値観に反する古い生き方、古い習慣と言えるかもしれない。古いものを止めて、刷新するということが必要なことはないだろうか。古い皮袋は、多神教的な、日本教的な生活様式に関係するものかもしれない。また、時代の思想に染まったグレーゾーンの習慣であるかもしれない。みんなもやっていると。また、トラウマをもって生きてきたために、それが生み出す行動様式かもしれない。また、真理によって罪から自由にされているという立場を忘れ、あたかもキリストの救いをいただいていないかのように、過去の何かに未だに縛られている行動様式かもしれない。さらには、それ自体は悪でも何でもなくとも、キリストが変化を望んでいるのに固執してしまっている古い習慣かもしれない。また「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のように」「現代人には現代人のように」という証の原則を疎んじ、これまでのライフスタイルにしがみつき、それ以外のものは肌に合わないということで、縛られてしまっている、ある様式かもしれない。

これに関しては教会レベルでも考えていかなければならないだろう。あたりさわりのない一例を挙げると、オルガンがある。今では礼拝の楽器として音楽の世界でも認知されているが、もともとはそうではなかった。キリスト教の初期は、楽器そのものが世俗的であるとされ、礼拝で楽器は使用されなかった。9世紀頃になり、ようやくオルガンが導入される。それまでオルガンは世俗で使用されていた楽器として疎んじられ、贅沢な楽器ということでも受け入れられていなかった。プロテスタント教会では16~17世紀頃、オルガンを使用しない教会も多かった。カトリックのシンボルとみなされていたのも一つの理由であるが、オルガンに対する偏見は根強かった。今、当たり前とされて歌われている讃美歌にしても、聖歌にしても、最初は俗っぽいとして抵抗されていた。歌謡曲と同列にみなされた。聖書の翻訳にしてもそうで、ラテン語以外の言語で翻訳することを禁止する時代が長かった。聖なる書物に俗語はにつかわしくないと。民衆が使用している言語で翻訳しようとすれば死刑ということもあった。時代の変わり目に同じような過ちは繰り返される。それは俗っぽい、神は喜ばれないと。しかも、聖書のみことばを持ち出して、こうした的外れな批判をしようとする。パリサイ人の精神はいつの時代も顔を出す。

「こうでなければならない」という理由付けは、単に硬直したかたくなな心から来ていることが多い。「教会にふさわしくない」という意見の大方は、律法主義、パリサイ主義が混じっていることが多い。余り良く考えず、古いものは良い、で言ってしまっていることが多い。キリストの時代は特に、古いものにしがみつく硬直的な時代であったかもしれない。格式、形式、外面の聖さを重んじる風潮にあって、キリストの生き方に呼応した弟子たちは、異端児に見られたことであろう。けれども、彼らは良い意味で改革者たちとなっていく。

最後に、生活の新しい皮袋、新しい様式とは、具体的にどのように生活することなのかを考えてみよう。実は、形から入ることではない。そうすると、パリサイ人たちの二の舞となる。新しい皮袋、新しい様式は、新しいいのちそのものであるキリストとの関係を築き上げていく中で、生み出されていくものであることを覚えよう。

第一に、キリストを信じる決断をまだされていない方は、キリストを信じる決断をしよう。13節にある「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」の招きを受けて、自分の罪を認め、キリストを救い主として信じる決断をしよう。キリストを罪からの救い主として信じ、キリストに自分と自分の生涯を明け渡そう。キリストのいのちを受けて新しい人生を始めよう。古い過去と決別し、新しくなろう。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(第二コリント5章17節)。

第二に、キリストとの交わりを尊ぼう。生きることはキリストという告白のうちにキリストとの交わりを尊ぼう。私たちは宗教的人間になることは誰にでもできる。私たちはいくらでも敬虔さをよそおうことができる。けれども、それでは意味がない。本当の生活はキリストとの人格的交わりから生まれる。キリストのもたらすいのちは、私たちを内側から変えてくださる。もし私たちがキリストとの交わりをなおざりにしていくなら、退化していく。私たちは、キリストとの人格的交わりを疎かにする時、枯れ木のようになってしまい、それは生活全体に影響を及ぼし、化石のように硬直化した遺物になってしまうかもしれない。つまらないマニュアル通りの人生で終わってしまうかもしれない。キリストのいのちはフレッシュで、私たちを変えて行く。

第三に、キリストに倣い、隣人を愛そう。実は、このことが新しい皮袋の必須の要素となる。13節の「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」がそれを示している。パリサイ人たちは先祖から引き継がれてきた伝統の儀式、規則に最新の注意を払うも、俗人から自分を分離し、つきあいをせず、彼らに注意を払わなかった。ところが、キリストは、ユダヤ社会のコミュニティーから締め出されていた汚れた俗物、人間の屑とされていた取税人に対してさえフレンドリーだった。これは当時の常識から考えれば、ぶっ飛ぶ態度であった。また、意味のない迷信的でさえある伝統や行動様式、所作は無視して、人に仕えられた。キリストは愛の自由人であった。キリストのいのちは私たちの生活様式に影響を与え、そして周囲に影響を及ぼす。もし、皆さんが、家族の中で、職場の中で、知り合いの間で祝福となっているのならば、新しい皮袋をもっていると言えるだろう。キリストのいのちは、私たちのことばとふるまいを変えるはずである。私たちは、この時代、この民族、この文化、この環境の中で、キリストを証する者としてどうしたらよいのか、どうあらなければならないのか、どうふるまわなければいけないのか、各自がみことばに聞きつつ、祈り、答えをいただこう。キリストであったら、どうされるだろうかと考えてみよう。キリストによる新しい生活様式を生きていこう。硬直した古さにとどまっていてはならない。キリストの新しいいのち、キリストいのちに満ちた教えとその働きは、新しい生活様式を生み出すのである。