キリストは愛をもって私たちを招いておられる。前回は9章1~8節より、キリストの罪を赦す権威について学んだが、今日の箇所では、罪を赦す権威を持っておられるキリストが罪人を招いておられるということを見ることができる。その実例としてマタイという人物がクローズアップされている。

マタイは、この「マタイの福音書」の著者である。マタイの召しの物語は、マルコ、ルカの福音書でも伝えているが、そこでは名前は「レビ」となっている。こちらでは「マタイ」。ユダヤ人は二つの名前を持つことは珍しくなかった。キリストの弟子となってからは「マタイ」で通っていたと思われる。名前の意味は、第一歴代誌9章15節にある「マタヌヤ」に由来していると考えれば、「神の贈り物」といった意味になる。また「忠実」ということばから派生しているとも考えられている。

彼の職業は取税人。彼らは、豚に等しいとされていた。取税人はローマ帝国に納める税金を徴収していた人たち。住民や旅人から税金を徴収した。住民は重税を強いられていたようである。ある村では、労働者たちが国税を納めきえず、逃げ出し、人口が激減した事態も発生したという。取税人たちはずるい方法で私腹を肥やしていた。帝国に治める責任額以上の税金を住民に請求して、差額をふところに入れていた。人々は納入する税金の正しい額を知ることができない。現代のように、税率、税額がどうなっているのか正しく把握できない。この額だと言われれば、言われるままに納めるしかない。額を多く請求されているのではと疑っても、取税人を訴える権利を住民は持っていなかった。そして取税人のバックにはローマの軍隊がいた。容易にたてつくことはできない。人々は泣き寝入りするしかなかった。帝国側は、取税人がいくら騙し取って巻き上げようと、自分たちのところに決まった額が入ってくればそれで良いので、取税人たちが手数料をいくらふんだくろうとも、そんなことには関心はなかった。また取税人たちは上流階級の人々から賄賂をもらい、上流階級の人たちが余り税金を納めなくてよいように取り計らい、その分、下層階級の人々から厳しく取り立てた。ここまで整理すると、彼らは敵国である異邦人に雇われて税金の取り立てを請け負っていいて同国民を苦しめていた。まさに売国奴。そして自分たちのふところを肥やしていた。しかも、その取り立ての手口は今説明したように汚く、暴力団を想起させるものであった。実は、収税人たちが嫌われていた理由はそれだけではない。職業柄、彼らは異邦人に仕え、共同で仕事をするということで、異邦人と接触する機会が多いわけだが、ユダヤ人にとって異邦人は儀式的に汚れた民族。異邦人と付き合ったり、彼らの家に入ることさえ嫌った。異邦人の傘下で仕事をする取税人は異邦人同様、汚れているとみなされた。異邦人たちはユダヤ人たちの儀式律法には関心はないが、取税人たちもまた無頓着。律法を守らないという意味でも、彼らは汚れた罪人扱いされた。

ユダヤ人たちとは、こうした取税人を特別に嫌い、会堂から彼らを締め出し、彼らのコミュニケーションから締め出した。そして取税人を、ユダヤ人が汚れたものとして触れない動物と同じランクに置いた。豚と同列に置いたわけである。また生まれつきのうそつきとみなし、強盗や殺人者と同じランクに置いた。イエスさまはこのような人たちに対してフレンドリーであられた。私たちもイエスさまに倣わなければ失格ということになる。

9節を見ると、イエスさまは道を歩いているときに、収税所に座っているマタイを見たと言われているが、ここから、取税人としての彼の役割についてうかがい知ることができる。取税人は二種類に大別された。一般税を徴収する「ガバイ」と呼ばれる人たちがいた。彼らは、土地の税金、所得税、市民税、そういった法定の税金を取り立てる人たち。もうひとつは「モケス」と呼ばれる人たち。通行税や港に入る時の入港税や関税を取り立てる人たち。税は、魚、旅行者のろば、その人の奴隷、持ち物、車輌、その他、色々な商品にかけられた。マタイの場合、通行税、関税を取り立てる「モケス」に所属していたことがわかる。「モケス」には二つのグループがあり、人を雇って彼らに仕事を委託する「大モケス」と、自らが出向いて仕事をする「小モケス」である。人前に顔を出して仕事をする「小モケス」のほうが「大モケス」より嫌われた。マタイは道端でブースとなる取税所に座っていたところから「小モケス」であることは明らか。取税所はシリヤからエジプトに通じる道の重要地点に置かれていた。また湖の近くに置かれていた。ガリラヤの国主ヘロデ・アンティパスはローマ皇帝の権威のもとに、ガリラヤ湖東部の地方から運ばれてくる商品に課税していた。マタイはガリラヤ湖に面する港町、カペナウムでこの業務に携わっていたと思われる。小モケスのマタイは、道脇で、同胞の憎しみを肌で感じながら仕事をしていた。彼はお金はあってふところは豊かでも、心は苦しく空しかったに違いない。

マタイの前をイエスさまが通られた。その時、彼をご覧になり、声をかけられた。「わたしについてきなさい」。彼は、即、従うわけだが、マタイは、それまでの経緯を記してはいない。人は全くの見知らぬ人物に声をかけられて、即、従うようなことはしない。カペナウムは、以前お話したように、イエスさまがホームタウンとして選ばれた町(1節)。この町を拠点にイエスさまは活動しておられた。マタイはカペナウムの収税所で、道行く人からイエスさまのうわさは聞いていただろう。仕事仲間からも聞いていただろう。イエスさまの話されたことや、すばらしいみわざを。9章に入っての中風の人のいやしのみわざも知っていただろう。いや、彼はすでに、直接、イエスさまと接触があったかもしれない。そんなに大きな町でもないので。また、彼はイエスさまの説教を他の群衆に混じって、すでに聞いていたとも考えられるし、メシヤのしるしとしてのみわざも、すでに目撃していたかもしれない。彼もカペナウムに住んでいたわけだから、うわさでしか知らないというほうが不自然。そして彼はすでに悔い改めの心が与えられていたようである。イエスさまをキリスト、すなわち救い主と認める信仰も芽生えていたようである。あとは、従う決断をするだけである。それは取税人であることを完全にやめることをも意味する。だが、取税人にとって、この決断は勇気がいた。金持ちが信仰をもつのは難しいと言われる。富を放棄しなければならないという決断を迫られる。それは苦渋の選択となる。それだけではない。取税人をやめたら、また元の職業に戻るということはできない。漁師の場合、やめても、また漁師に戻ることはできる。けれども、当時、政府機関の職員という地位を一旦放棄したら、また同じポストに戻れることはありえなかった。聖書には「すると彼は立ち上がって、イエスに従った」と簡単に書いてあるが、これは今説明させていただいたことを念頭におけば、一大決心、大決断であったことがわかる。マタイの行動はカペナウムの町でうわさになったことまちがいなし。彼は支払う犠牲の大きさを知っていたが、迷わずキリストに従った。彼は、お金よりも、物質よりも、地位よりも、何よりも、すばらしいものを得た。それはキリストご自身と言ってよい。彼は同時に、罪の赦しと永遠のいのちも手に入れた。それまでの疎外感、空しさは消え、キリストと出会えた喜びで心は満たされた。「わたしについて来なさい」ということばは、今、私たちにもかけられている。

この後、マタイはイエスさまを自分の家に招待して、宴会を開く(10節)。他の福音書では、この家はマタイの家であることがわかるが、マタイはここで自分の家であることを明かしてはいない。ゲストとして「取税人や罪人が大ぜい」同席していた。それはそれは評判の悪い人たちばかりである。彼らはともに、汚れた俗物とみなされていた人たち。マタイはこの事実に注目させるために、「見よ」ということばを使っている。「罪人」について説明しておくと、ここで「罪人」とはパリサイ人たちが定めていた細かな規則を守れていないとみなされていた人たちで、儀式的に汚れているとみなされていた人たち。ならず者、売春婦、その他、ユダヤ律法を守れない人たち。取税人もこの罪人の領域に入る。同類ということ。マタイは救われた喜びから、自分と同じような人たちを、キリスト中心の祝宴に招待した。すばらしい!彼らの中からキリストに立ち返る者たちが起こされていっただろう。

ところが、この宴会を非難する者たちがいた。パリサイ人たちである(11節)。「パリサイ人」はユダヤ教の一派で、「パリサイ」のことばの意味は「分離」である。汚れた者たちから自分を分離する、罪人たちから自分を分離する、そういうことになる。彼らは自分たちはきよい者たちで、自分を正しいと思い込んでいる分離派である。

当時の家は開放的だったので、誰でも簡単に入ることができた。けれどもパリサイ人は少なくとも宴会の会場には入らずに、のぞいていたと思われる。なぜなら、取税人の家は汚れているし、集まっている人たちは汚れの集団。しかも、そこでしていることは一緒に食事。彼らにとってイエスさまの態度は信じられない。ユダヤ人にとって一緒に食事をするというのは親密な関係のシンボルだった。パリサイ人たちは、弟子たちに向かって「あなたがたの先生(ラビ)」と言っているが、ラビと呼ばれる教師は、汚れているとされていた罪人たちに向かって知恵のことばを発することはあっても、一緒に食事をすることはしなかった。だから、イエスさまの行動は理解できない。憤って見ていただろう。「なんで、汚らわしい豚どもと楽しく食事しているんだ?ふつうじゃない」。彼ら分離派にとって、取税人や罪人らと空間を共有して親しく食事をすることなど言語道断であった。

イエスさまはこの質問を聞いて答えられる。12節の原文冒頭では「しかし」と、反意語が置かれている。イエスさまの反論が始まる。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」(12節)。イエスさまは、パリサイ人を意識して語っている。「丈夫な者」とは、自分をきよく正しく良い人間とみなすパリサイ人たちのこと。そして「病人」とは、取税人、罪人たちのこと。もちろん、パリサイ人たちも病人であるが、彼らにはその自覚がない。彼らは、取税人、罪人たちは地獄行きだが、自分たちはこのままで御国に入ることができると思い違いをしていたほどだった。

「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か行って学んで来なさい」(13節前半)。「行って学んできなさい」はユダヤ教のラビの慣用句である。キリストはそのことばを使って、彼らのまちがいを諭そうとしている。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』は、旧約聖書ホセア6章6節の引用である。新改訳では、その箇所が「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない」と訳されている。新改訳で「誠実」と訳されていることばは<ヘセド>である。<ヘセド>の基本的意味は「愛、恵み、いつくしみ、あわれみ」である。新改訳で「恵み」と訳されていることばが<ヘセド>である。「いつくしみ」と訳されているのも<ヘセド>である。<ヘセド>は「あわれみ」と訳しても良い。パリサイ人は儀式を守ること、細かい規則を守ることに拘泥していたが、「愛、恵み、いつくしみ、あわれみ」をなおざりにしていたということ。彼らは罪人たちを地獄行きの人々として断罪し、つきあいを避けていた。こうして、救いに導かなければならない人との接触を避け、お上品ぶって、自分たちだけで固まっていた。けれども、キリストは出て行って、愛とあわれみとをもって、こうした人たちを招いていた。

最後にイエスさまの宣言を聞こう。「わたしは正しい人を招くために来たのではなく、罪人を招くために来たのです」(13節後半)。正しい人が招かれ天の御国へ、ではない。罪人が招かれ天の御国へ、である。今も、自分は正しいから天の御国へ入れると主張する人は限りなく多い。イエスさまはそんな勘違いを諌めたいし、何よりも、自分は罪人であると自覚する者を招いて天の御国に救い入れたい。イエスさまは山上の説教で「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人の者だから」(5章3節)と、自分を謙虚に見つめるように言われた。今日の比喩では「病人」であると自覚するということだろう。自分が病人であると自覚しない者は医者のもとへ行かないように、自分が罪人であると謙虚に自覚しない者はキリストのもとに救いを求めて行きはしない。

実は、この箇所はルカの福音書では、こう言われている。「わたしは正しい人を招くためにではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです」(ルカ5章32節)。心の貧しい者は当然、悔い改める。マタイもそうだったろう。マタイは悔い改めで、キリストに従う決断をした。それは、どこそこが悪いと言う医者の診断を認めて、健康になる決心をし、治療をお願いするということにたとえられるだろう。

私は大学一年生の時に、川崎市にある教会に通いだしたが、動機は罪から救われたくてということではなかった。ところがある時、教会のある婦人が、礼拝後、唐突に、「斎藤君も救われなければなりませんね」と一言だけ口にされ、私の前を立ち去った。「えっ、自分も救われなければならないのか」と以外な気がした。つまり、救われなければならない罪人という自覚が全くなかった。けれども、教会に通う中で、心の中はきよくはなく、してはならないとわかっていることをしてしまう、罪に捕らわれた罪人であることを認めざるをえなくなった。そして自分には救いが必要だと、たましいの医者に向かう気持ちになった。その時、キリストが自分の罪のために死んでくださったことを、素直に信じることができた。そして、9章2節にあるように、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と信じることができた。永遠のいのちをいただいたことも信じることができた。その後、大学2年の時に、キリストに従うということの表明を、バプテスマを通して表わせていただいた。皆さんも、キリストの招きに応えていただきたい。

すでに信仰を持っておられる方は、パリサイ人のように自分を俗世間から引き離し、お高く止まることなく、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と言われたイエスさまと心を一つにして、フレンドリーな精神で、罪に思い悩む人たち、心くずおれた人たちを、イエスさまのもとにお連れしていただきたいと思う。