今週はキリストの受難を覚える受難週である。私たちは、受難週のみならず、いつもキリストの御苦しみに思いを潜めていたい。特に、自分の心が神さまから遠ざかってしまいそうで、自分の好き勝手に生きたくなってしまったときや、自分が今の苦しみに耐えられないと足取りがおぼつかなくなってしまったときなどは、なおさらである。十字架のキリストを仰ごう。キリストは必ず従う力を与えてくださるお方である。

さて、どの時代でも、人々はヒーローを求め、その人物に群がるのは早いが、退くのも早いものである。一時の感情でついていこうとするが、冷めるのも早い。キリスト時代の人々も同じだった。キリストは人々の心は熱しやすく冷めやすいことを知っておられた。移り気で気まぐれで、自己中心的であることを知っておられた。群衆心理がまさしくそうである。奇跡を目の当たりにしたり、食べものを与えられたり、フレッシュなことばを耳にすると、気分が高揚して一時群がるが、それもしばらくの間だけである。引き潮のように引いて行く。それで終わればまだいい方で、今度は敵対勢力になって押し返してきたりもする。

キリストは群衆に向かって、権威に満ちた説教をしていた。先に見た山上の説教がその一つである(7章28,29節)。キリストが人々を驚かせたのは説教だけではなく、いやしのみわざであった。8章に入ると、いやしのみわざの連続である。人々はキリストのもとに殺到している(16節)。キリストの人気は急上昇したことはまちがいない。キリストの評判は高まりに高まった。この後に予想されることは、悪い言い方をすれば、追っかけの出現である。

キリストは群衆に対する一連のミニストリーを終えた後、ガリラヤ湖を横断されて、群衆から身を引こうとされる(18節)。群衆からの分離は、必然的に真の弟子とは誰なのか明らかになる時である。今日の箇所がその物語である。興味本位の人、ついて行く意志の弱い人はふるわれ、だれが本当の弟子なのかある程度明らかにされ、その人数はしぼられる。

群衆から分離する際、ついていきたいことを申し出たのは律法学者である(19節)。律法学者は、当時のユダヤ社会では高等教育を受けた学者クラスの人物であり、ユダヤ教の教師である。聖書では律法学者というと、通常はキリストに敵対する存在として描かれている。けれども、すべての律法学者を、そのように悪人視する必要はない。この「ひとりの律法学者」は、聖書を学究する途上で、最高の先生に出会えたという感激があったのだろう。彼は群衆に混じってキリストのことばに耳を傾け、キリストのみわざを見ていただろう。その先生が行ってしまわれる。「先生、私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります」。この宣言は、向こう岸にも一緒に行って、一緒に旅をしますと、そういった場所的なことだけを意味していないことは確かである。キリストという存在の魅力にとりつかれていた。けれども、キリストは彼の心を見抜いておられたがゆえに、彼の申し出に対して返事をすることを控え、彼の心をテストすることばを発せられた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」。キリストは多くの動物よりも肉体的には慰めの少ない生活だった。狐にも鳥にも帰る家がある。しかしキリストにはない。18節以前はカペナウムでのミニストリーが記されているが、カペナウムに実家があったわけでも、そこにご自分が建てた家があったわけでもなんでもない。ペテロの家をねぐらにすることもあっただろう。ベタニヤという村では、マリヤ、マルタ、ラザロの三兄弟の家で過ごした。キリストはいわばホームレス同然の生活を送られた。明日のねぐらはどこになるかわからないという不安定な生活を送られた。この後の記事を見ると、寝床は舟の中である。よって、快適な生活や人間的に先々まで保障された生活を期待する者は弟子になれない。犠牲を覚悟できない者は弟子になれない。この律法学者は、学問好きで、学究的な、興味本位と言われても仕方がないレベルの人物だったのであろう。キリストはそのことを見抜いておられ、このことばを発せられた。この後の律法学者の反応はない。彼は口も足も止まってしまったのだろう。キリストはこの男に向かって、次の人物に対するように、「わたしについて来なさい」とは命じておられない。

キリストに従うときに起こる犠牲、それを覚悟で従うことができるのか。本当の弟子は、たとい全世界を儲けてもキリストを失ったら空しいと知っている。キリストは永遠のいのちそのものであり、神ご自身だからである。キリストの価値を知っている者は犠牲を払う覚悟がある。このお方と犠牲を共にしようという気概がある。この律法学者は自分の忠誠心をアピールしており、一見すると、犠牲を覚悟しているようにも思える。でも狼の中に送り出される羊になることを理解していない。家族に反対されても従わなければならないことを知らない。アラブ人のクリスチャンのある方が、この箇所で次のようにコメントしている。「この律法学者は、ゲッセマネ、ゴルゴダ、そして墓にまで従わなければならないことを理解していない」。この時、側近のペテロやヨハネさえもそこまでは理解していなかったかもしれず、彼にその理解まで求めるのは酷かもしれない。しかし最低、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」を理解しなければならなかった。彼は、湖を越えての、その先にある、ワクワクするような刺激のある生活を求めていた感がある。勝手に妄想を抱いて、顔の筋肉を緩ませて、フィクションの世界に入っていたかもしれない。これから先のことを考えるとワクワクする!ゾクゾクする!それでキリストは彼を冷やす必要を覚えた。文字通りクールなことばを投げかけられた。彼は、結局、ここでキリストから離れたと思われる。

牧師になりたての頃、ある時、かつて教会に通っていたという一人の婦人と出会った。彼女は私にこう言った。「信じれば何かいいことが起こると思っていたのに、何も起らなかったのよ」。結局、彼女は、勝手にバラ色のストーリーを描いていただけであった。ある子持ちの女性は、放蕩生活の中からクリスチャンになって一年以内に次々と試練が襲った。母親の死、周囲の非難、アパートに暴漢が不法侵入して来て襲われる。冬、引っ越したアパートの屋根に氷が貫通し穴が空き、部屋の中がびしゃびしゃに濡れる。おまけにボイラーが壊れ、娘二人と寒さでふるえるはめに。さらにまた娘の一人が水ぼうそうになる。こうした試練を振り返って、彼女はこう語ったという。「確かに一年目はつらいことばかりでした。しかし、そのような中で、主イエス・キリストはいつも私とともにいてくださり、私を助けてくださいました。このお方に私はただ感謝するばかりです。もしも、このお方がともにいてくださらなかったら、私はどうなっていたことでしょう。余りの苦痛に押しつぶされていたかもしれません。悪魔はなんとかして私にこう言わせようとしていたのです。『キリストを信じたのに、嫌なことばかり起こる。こんなことになるなら、信じない方がよかったかもしれない』と。でも、その手には乗りません。私は主にすがりついていくことを学びました。問題が起これば起こるほど、主の御手に固くすがりつくようになったのです。」彼女はこの試練を乗り越え、幸せをつかんだのである。

次の人物を見ていこう。次の人物は先の人物と違って「弟子」と呼ばれている(21節)。ということは、キリストに対して興味本位の人物ではなく、キリストとは誰でどういうお方なのかある程度しっかり理解しており、キリストに従うことを望んでいた人物ということになる。先の人はキリストを「先生」と呼んでいる(19節)。しかしこの人物は「主よ」と呼んでいる(21節)。「主」<キュリオス>は敬語や敬称としてだけではなく神的な存在に用いられていた。特に重要なことは<キュリオス>は旧約聖書で神を指して用いる神聖四文字の訳語として用いられていたという事実である。彼は十二弟子のうちの一人ではないが、キリストから弟子の一人として認められていた人物であったようである。先の人は自称弟子のような人物だったが、彼は違ったようである。だからこそ、「わたしについて来なさい」(22節)と、はっきり声をかけられている。

それにしても、父親の葬りをめぐってのここでの会話は、どう理解したら良いのかと、戸惑う人も多いのではないだろうか。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください」(21節)に対して、キリストはそれを許さず、すぐについて来ることを命じている。十戒には「あなたの父と母を敬え」がある。両親を敬うことはユダヤ人にとって至上命令だった。そして、その命令を実践した証拠として最も重んじられていたことが、親を葬るということであった。これは社会的義務として最も重視されていたという。キリストも講話の中で親を敬うことを語っておられる。そのキリストが父親の葬式に携わることを禁止することがあり得るだろうか。親の葬式に出ようと思えば出られるのに、もし出なかったら、どう思われてしまうだろうか。ユダヤ社会では人が亡くなったら24時間以内に葬ることが義務づけられていたので、先延ばしもできない。

この問題をクリアーするために、父親を葬ることの禁止命令について、無難に解釈することが試みられてきた。キリストの時代についてこういう記録が残っている。父親の死後、一年後に息子が戻ってきて、二度目の葬りを行った。壁の穴に父親の骨を入れて、手際よく納めるという式である。だからある人は、キリストのここでの言及は最初の本式の葬りのことではなく、それから一年後の二度目の葬りのことだと言う。けれども、今一つ腑に落ちない。

最も自然な解釈は次の解釈である。当時のユダヤ社会において、息子は父親が死ぬまで家を離れるということは通常はなかった。それは、父親を葬るという子たる義務を全うするためである。よって、親を置いて家を離れるということは通常しなかった。親が亡くなってから家を離れた。この弟子は「親を葬ることを許してください」と言っているが、この地域では、親が元気で生きていても、親元を去ることを迫られたとき、こういう表現形態をとった。だから、この表現は親が亡くなったことを意味しているのではない。「親を葬るまで、親元にいさせてください」ということ。中東では、親が死に、親の遺産を相続するまで、家の仕事を手伝って父親を助けることが息子の義務とされていた。この弟子にはこのことが頭にあったのである。この弟子が若ければ、彼の父親の死は、30年後というのもあり得る。

近代になって、ある宣教師が中東で次のような体験をしている。この宣教師は、親しくしていたトルコ人の青年に対して、学校を卒業したら教育の見識を広めるためにヨーロッパに留学することを勧めた。すると、この青年は、「わたしはまず父親を葬らなければなりません」と答えたという。この宣教師は、この青年の父親が死んだのだと思って同情と悲しみを表わすと、父親はまだ元気でいるとのこと、そしてそのことばの意味は、国外に出る前に、両親と親戚に対する義務を果たさなければならないこと、すなわち、父親が死んで遺産を相続するまで家を留守にできないことであると説明した。父親の死と葬りは、実際、いつになるかわからないのである。

この例からわかることは、「親を葬ることを許してください」という表現は、「親が亡くなってからついて行きます」と言い換えることもできる。つまりこの弟子は、事実上、キリストに従うことを無期限に延ばしたのである。いつか、後で従いますということで、人は永久に従わなくなってしまう。キリストが神の救い主であることを受入れ、従いたいと願っている人は、日を延ばさず、「今日」という決断をしていただきたいと思う。

親を意識して従うことを延期する過ちは、日本人にとって教訓となる。良く聞く話だからである。家の宗教と違う教えを信じると親を悲しませると考え、信仰を持つのをためらうという話は良くある。親はどう思うだろうか。親戚はどう思うだろうか。お墓の問題はどうすればいいだろうか。そして家族に、心の中で信じていればそれでいいのではないのなどと言われ、結果、キリストに従う決心をしてバプテスマを受けることをためらってしまう。そして相変わらず、偶像を拝む生き方を続け、自分も家族も何の変化もなく終わってしまう(出エジプトの時のパロの手法)。

この者は大学一年のとき、イエスさまを信じたけれども、親にそのことを告白することを恐れた。農家の本家の長男である。クリスチャンは斎藤家にも村にも誰もいない。信仰を持てば私が第一号になる。葛藤が続いていたとき、マルコ10章29,30節のみことばに目が釘付けになった。「イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます』。」このみことばによって、親に話す勇気が与えられ、親にクリスチャンになることを願い出た。もちろん、すんなり承認されなかったけれども、なんとか認めてもらい、大学二年の時にバプテスマを受け、教会生活を今日まで続けてくることができた。これまで何度かよろけたことはあったと思うが、信仰の道を踏み外さなかった最大の理由は、キリストが自分の罪のために十字架で払ってくださった犠牲の大きさと、その愛を覚えてである。このキリストの愛を裏切ることはできない。

キリストはこの弟子に従うことを促す際に、不思議な表現を取られた。「死人たちに彼らの死人を葬らせなさい」(22節)。この「死人」を「霊的な意味での死人」と解釈することもできよう。また「文字通りの死人」という解釈が本当なのかもしれない。でも、先に墓に葬られた死人たちに、亡くなった死人を葬ることができるのだろうか。不可能である。しかし、ここで、不可能な表現、ショッキングな表現によって、キリストに従うことの優先性、神の国の福音を宣べ伝えることの緊急性を説いていると受け取ることができる。いずれにしろ、「わたしについて来なさい」という命令は、状況がどうであれ、すべてに優先する絶対命令として受け止めなければならないということ。家族の中で自分の立場、職場での立場がどうであれ、国の法律がどうであれ、最優先すべきことはキリストに従うことである。ベストの人生はキリストに従うことによって体験できる。ベストの自分はキリストに従うことによってかたちづくられる。そしてこの服従は、本人のためだけでなく、家族のためにとって、周りの人のためにとって祝福と変えられていく。エジプトに奴隷として売られたヨセフとともに主がおられ、主の祝福が彼を通して家に畑にも監獄にも及ぼされたように、そしてまたイスラエル民族全体に及ぼされたように、祝福が周囲にもたらされていく。また福音を信じて救われる人々が増えていく。迷いは振り切らなければならない。今朝はひとりひとりが、「わたしについて来なさい」という主の命令をストレートに受け止めていただきたいと思う。