主イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも変わらないお方であることを覚えて、御名をあがめたい。今日はペテロのしゅうとめのいやしの記事から教えられたい。8章に入り、いやしの記録が続く。最初はツァラアトに冒された人(重度の皮膚病に冒された者)のいやしだった(1~4節)。ツァラアトに冒された人は、汚れた者として社会の片隅に追いやられた存在。町の中に入ることが禁じられ、人との接触が禁じられていた。神に呪われた者とまでみなされていた。いわゆる差別の対象で、アウトカースト。人々はふれることさえしなかった。身内でさえも。そんな彼に対して、イエスさまはふれられ、いやされた。次は異邦人のいやしであった(5~13節)。登場する百人隊長は異邦人で、いやされたしもべも、当然のことながら異邦人である。異邦人も差別の対象であり、ユダヤ人は異邦人の家に入ることを避けた。イエスさまはそんなことは関係なく、彼の家に向かおうとされた。イエスさまはこのいやしを通して、神の祝福を受けるのに、民族とか国籍は関係ないことを示された。今日は女性のいやしである。実は、女性もまた差別の対象であった。ユダヤ人の多くの男性は毎朝、最初にこのような祈りを捧げていたという。「主よ。感謝します。私が奴隷や異邦人に生まれなかったことを。また女に生まれなかったことを」。これが当時の社会の現実だった。イエスさまはアウトカーストの病人、異邦人にあわれみを示され、そして今度はやはり差別されていた女性にあわれみを示された。おそらく聖書記者であるマタイは、意図的に、この三種類の人々のいやしを配列していると思われる。からだの汚れ、民族の違い、性別、そうしたことで差別するのは主のみこころではない。そして今日の箇所で、完全ないやしが行われたということで、今日の記事も、キリストの権威が証されている。

場面は「ペテロの家」となっている(14節)。ペテロは兄弟のアンデレとともに十二弟子のひとりである。彼の家は「カペナウム」にあった(5節)。最初、彼は「ベツサイダ」に住んでいた(ヨハネ1章44節)。ペテロたちは、最初、ここで漁師として生活していたが、この頃、ベツサイダの隣町であるカペナウムに引っ越してきていたようである。おそらくイエスさまがナザレを去って、このカペナウムに住まわれたことと関係していると思われる(4章13節)。この町はガリラヤ湖の北西に位置する町で、当時、漁村では一番大きな町であったと思われる。イエスさまはこのカペナウムを新しいホームタウンとしていた。ここを拠点に伝道を繰り広げていた。

ペテロはこの時、すでに結婚していた。ここでクローズアップされているのが「ペテロのしゅうとめ」である(14節)。このしゅうとめ、すなわちペテロの妻のお母さんは、娘の嫁ぎ先に前から身を寄せていたのか、それとも、たまたま訪ねてきていたときに病気になってしまったのか、どちらであるかわからない。いずれたいへんな事態になっていた。「熱病で床に着いて」とある(14節)。並行箇所のルカ4章38節では「ひどい熱」となっている。高熱である。マラリア熱と推測する方もいるが、詳しいことはわからない。「ひどい熱」なので、もしかすると、生死にかかわる病気に冒されていたかもしれない。ペテロ家の一大事である。人々の目は家を訪れたイエスさまに向かったことはまちがいない。

「イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起き上がってイエスをもてなした」(15節)。まず、イエスさまの行為に注目しよう。「イエスが手にさわられると」という行為は、ツァラアトの冒された者のいやしのときのように、さわることが強調されている(3節)。女性はさわっても問題なかったはずではないか。確かにそうである。しかし当時の律法の規定ハラカーによると、熱病に冒された者にさわることは禁止されていた。けれども、イエスさまは恐れずさわってしまった。やはり、ここにも、イエスさまの愛、あわれみを見ることができる。そして、このしゅうとめは瞬時にいやされた感がある。すぐにイエスさまに仕えだした。普通のいやされ方とは違う。熱が瞬時に下がっただけではなく、体力も一気に回復した感がある。病人がすぐに床を引き払って動き出した姿に、このいやしは奇跡以外の何ものでもなく、神の御力によるものであることが証されている。キリストの神として権威が証されている。マタイの意図は、キリストの神としての権威を証することにもある。

もう一つ付け加えるとするならば、このいやしは安息日に行われたということ。並行箇所のマルコ1章21~31節を見ると、ペテロのしゅうとめのいやしは、イエスさまが安息日に、会堂で汚れた霊につかれた男から汚れた霊を追い出して、会堂を出てすぐの出来事であることがわかる。安息日(土曜日)は偏屈なユダヤ教の学者によって、病気を直してはいけない日とされてしまっていた。それは病気の治癒は、安息日に禁じられている仕事の領域に入るというわけである。この日が安息日であるということは、マタイ8章16節でも暗示されている。「夕方になると」と、夕方になるのを待って、人々は悪霊につかれた人や病人を、イエスさまのところに連れてきた。なぜ、わざわざ日が沈む時間帯になるのを待ってから、イエスさまのもとに連れてくるのか。安息日が終わるのは日没である。つまり、夕方、日が沈むと安息日から解かれて曜日が変わり、ウィークデーとなる。安息日が終わったら、行動できる。長い距離を歩くのも許されるし、病人を直すことも許される。ということで、人々は日が暮れたら朝を待つことなく、夕闇の中、イエスさまのところに押し寄せた。話をもとに戻すと、安息日は病人を直してはいけないというのが当時の常識。だが、イエスさまはこうしたくだらない常識に縛られないで、人目を気にしないで、とにかく、目の前の重病人のいやしに集中した。この事実にも、イエスさまの愛とあわれみを見る。

この後、ペテロのしゅうとめはイエスさまをもてなすわけだが、そのことを見る前に、病気のいやしについて概観しておきたい。聖書ではいやしの記事がなぜか多い。現代は科学信仰の影響で、合理的思考に傾きすぎて、神によるいやしを期待しない向きがある。また、もう一方の極端で、信仰があればすべての病はいやされるのだ、いやされないのは信仰が足りないからだと主張する人たちもいる。その中には、神がこの世の医学手段を用いていやされることを無視する極端もある。まず大切なことは、いやす主体、いやす主権者は神であるという信念を持つということ。神はいやす手段については様々用いられる。しかし拠り頼むのべきはその手段ではなく主なる神。ジョージミューラーは、薬を処方された時、この薬を神が用いてくださるようにと、祈ってから飲んだと証している。

いやされる時期、またいやされるかいやされないかについてだが、ペテロのしゅうとめのように、熱病にかかったと思ったら、割に早くいやされる場合がある。またヨブ記に登場するヨブのように、いやされるまで、ある一定の期間、長い忍耐を強いられるという場合がある。また、神はあえていやされないという場合もある。パウロは他人について使徒としての権威をもっていやしのわざを行っておきながら、自分の病については、何度も神に願ってはみても、いやされなかった(第二コリント12章7~10節)。パウロの発言で何度も「弱さ」ということばが登場するが、「「弱さ」と訳されているのは「病気」を意味することばである。パウロがいやされなかったのは、その弱さの中で神の力が働くためであったろう。また預言者エリシャは死の病を患い、そのまま亡くなったことが記されている(第二列王13章14,20~21)。エリシャの場合、摂理的に神が定めた寿命ということがあっただろう。私たちは病のいやしを願うことは許されているが、先ず何よりも、私たちの人生とからだに対して神の主権を認めるという謙遜な信仰が必要であろう。

そして覚えておいていただきたいことは、今話したことと矛盾するように聞こえるかもしれないが、最終的には、すべての信者がいやされるということ。8章17節をご覧ください。カペナウムでのいやしのわざを受けての言及である。病のいやしというのはメシヤ時代到来のしるしであった。神の国が始まったしるしであった。神の国が完成した時、そこに病というものはない。

マタイは預言の成就としてイザヤ53章4,5節を引用している。イザヤ53章といえば、キリストの死という苦しみは、罪から私たちをいやすためであったことが暗示されている。罪からの贖いがテーマである。けれどもマタイは、その贖いの理解に強調を置かないで、イザヤ53章が暗示しているもう一つことに私たちの目を向けさせている。それは何かというと、からだのいやしである。

聖書は、病というものはアダムの罪によりこの世界に入ってきたと説いている。だから聖書が救いというときに、たましいの救いにとどまらず、からだの救いも含まれる。聖書において、世の終わりの信者のからだの復活が説かれているが、それが救いの完成の時である。だがギリシャ哲学の影響によって、聖書はたましいの救いしか言っていないかのような誤解が生まれた。たましいは善で肉体は悪、この肉体からたましいが解放されるのが救いだという理解は、以前お話したギリシャ哲学(霊肉二元論)の影響であって、聖書は、からだを含めたトータルの救いを言っている。キリストは十字架にかかり、私たちの罪をその身に負い、そしてよみがえり、贖いのみわざを成し遂げてくださったが、その贖いにおいて、からだの復活が約束された。そのからだとは、老いることのないからだ、疲れを知らないからだ、病を知らないからだ、永遠に朽ちないからだ、死なないからだである(第一コリント15章参照)。人間とはたましいとからだの統合体。神はそれを丸ごと救おうとされている。たましいだけ救って、はい、それで終わりではない。罪人のたましいは汚れており、傷ついており、霊的に死んでいる。滅びに向かっている。しかしからだも問題で、死に向かっており、やがて腐り果てる。そうした朽ちていく壊れた人間存在を全体として救うために、キリストは救い主として来られた。聖書はからだも無視していない。完全ないやしはキリストが再び来られる時に起きる。神の国が完成した時は病というものはない。この地上において、神の国は「すでに、いまだ」の世界なので、キリスト者にも病は残る。死を経験する。しかし、やがて完全ないやしととこしえの救いがある。

では、今日のメインテーマである、主に仕えることについてお話させていただく。ペテロのしゅうとめは、いやさると、熱心にキリストに仕えだした。しゅうとめは、いのちを救ってもらったのに等しい。キリストに喜んで仕えただろう。私たちはキリストが私たちの救いのために、さきほど見た救いのために、どれだけ大きな犠牲を払ってくださったのかを考えよう。キリストはその霊にもからだにも、全人類のための恐ろしい罪のさばきを受けられた。ことばでは表現できない痛みと衝撃を全身全霊で受け止められた。その結果、私たちの罪の赦しと永遠のいのちが与えられた。とこしえの救いが約束された。からだの復活が約束された。決して揺り動かされない御国を受け継ぐ者となった(ヘブル12章28節)。私たちはこのキリストの救いのみわざに対して、どのようにお応えしていったらよいだろうか。

「彼女は起き上がってイエスをもてなした」(15節)。欄外注には「イエスに仕えた」という別訳がある。原文から直訳すると、「彼に仕え始めた」である。動作を開始する動詞のかたちになっている。「彼に仕えだした」でもいいだろう。「もてなす」<ディアコネオー>そのものの意味は、「仕える、世話する、助ける、給仕する」である。「もてなす」という訳はおそらく、給仕するという意味を汲み取ってのものであろう。このことばの名詞形は「奉仕」と一般に訳される。新約時代において奉仕とは、「キリストとキリストのからだに仕えること」と定義できるだろう。ペテロのしゅうとめは、いやされた後に、食事の準備を中心に、キリストに仕えだしたと思われる。彼女はキリストの恵みを覚えてそうせずにはおれなかった。奉仕のかたちは様々であっても、奉仕は誰のためにするのかということにおいては同じ。主のために、キリストのためにする。奉仕の動機がキリストの恵みであるならば、奉仕そのものも恵みである。

最後に、一人の婦人の証をして終わりたい。数年前、私が最初に仕えた茨城の教会の年配の姉妹から電話がかかってきたことがあった。その方は教会の初期に信仰をもたれた姉妹である。彼女は重度の病を患い、しばらくの間うつで何もできなかったが、そこから立ち直り、電話をくださった。彼女は熱心な奉仕者で、主のためにといって賜物を生かして縫い物の奉仕をしたり、未信者の高齢者の婦人を対象にした集会ではリーダーとなって料理を作ったり、祈りのグループをもって励ましを与えてきたり、教会学校でも長年奉仕されてきた。私が秋田に転任後のことだが、重い病にかかり、廃人になってしまうのではないかと周囲も心配するほどだった。肉体も精神もボロボロになった。入院を含め長い闘病生活が続いていたが、奇跡的にいやされて元気になった。私もその回復ぶりにびっくりした。彼女は聖書通読にも舌を巻く姿勢で励んでおられた。彼女は通読するとき、みことばを全部書き取ります、と言っておられた。ええ?どうしてそこまで?と尋ねると、病院に入院中、このままでは自分はこれで廃人になって一生終わってしまうという恐怖のどん底に突き落とされたとき、これではだめだと、みことばにすがることに決め、ノートにみことばを書き写す習慣が病院で生まれたそうである。彼女はもともとみことばと祈りの人であったが、病の体験が彼女をさらに変えた。

彼女が電話でしきりに言っていたことは、昔のようにできないけれども、これから自分のできることをして主に仕えていきたい、ということだった。若干は障害が残っていて週一回ディサービスに行っているとのことだった。彼女はその施設で認知症になって幼稚園児同様に扱われている高齢者たちを見て、最初は、なんで自分はこんな人たちと一緒にされているのかと思ったそうだが、ここに自分が送られているのは何か意味がある、主が自分をここに遣わしておられる、そのように認識されるようになったとのこと。この人たちのために何か手助けしたいと言っておられた。また、昔のように家庭集会をしたり、婦人集会で奉仕できないけれども、教会で寂しくしている婦人が一人いるので、その人と祈りと交わりを定期的に持つようにしました、と言っておられた。ご主人は未信者で教会には全く出入りしない人であったが、その姉妹曰く、主人は神さまが自分の家族に生きて働いておられるということを見て、変化が生じてきました、救いを確信して祈っています、ということだった。完璧に無神論者のご主人であったが、ご主人は教会にも出入りするようになった。

彼女は今も節目節目に電話をくださるが、杖をつきながらの生活でご苦労もあるようである。しかし、主に仕えたいというスピリットは健在である。彼女の仕える動機は十字架の救いという恵みの体験と、クリスチャン生活の中で体験してきた恵みである。そして奉仕のベースにあるのは主のみことばである。常に、みことばにすがり、みことばを伝えることを信念としておられる。三人おられる娘さんのうち二人はクリスチャンホームを築いているが、三女が結婚した時、その娘に、プリスキラとアクラのように教会に仕える家庭を築きなさい、と勧めたとのことであった。その三女から今年年賀状を頂いたが、今通っている教会の婦人たちは宣教にも奉仕にも熱心で、見倣って行きたいと書かれていた。

さて、私たちは主の恵みに対してどのようにお返しできるだろうか。それぞれのかたちがあると思う。賜物も様々である。けれども、主の恵みに応答するということにおいては一緒のはずである。主への熱情をもって、それぞれが主に仕えていきたい。