前回は系図から、キリストは恵み深い王であることをご一緒に観た。本日はキリスト誕生の経緯の中で、ヨセフに焦点を当てて観ていきたい。次週は今日と同じ箇所からマリヤに焦点を当てる。さて、ヨセフだが、彼に関する記述は実にわずかで、そのほとんどがクリスマスの記事に限られている。そして彼のことばは一つも残されていない。けれども、彼は誠実で、思いやりに満ち、思慮深く、神に対して従順であったことが見えてくる。

彼の名前は創世記に登場するイスラエルの先祖ヤコブの子どもの「ヨセフ」と同じである。彼の父親の名前は、やはりヤコブ(1章16節)。彼の本籍はベツレヘムであったが、しかし現住所はガリラヤ地方の田舎村ナザレであった。当時、脚光をあびることはない寒村にすぎなかった。「ナザレから何の良いものがでるだろう」(ヨハネ1章46節)と言われてしまうような、卑しめられていた村。ガリラヤ地方自体、中央の人たちからは田舎と卑しめられていたが、その中でもナザレは低く見られていた村であった。彼はそこで大工をしていた。生活は豊かではなく、どちらかと言えば貧しかった。性格的には、おそらくはぼくとつな男性。彼が長生きした形跡は全くない。

マリヤとの婚約のいきさつはわからない。昔の結婚は親同士の間で取り決められることが多かった。しかしすべてのケースにおいて、本人たちの意思が全く無視されてしまうわけでもなかった。二人の場合、親から話を持ち出したのか、ヨセフが両親にマリヤの話を出したのか、どちらのケースかわからないが、いずれ当時の結婚は本人同志の契約というのではなく両家の契約とされていたので、両家の間でいろいろあったであろう。もちろん、二人の結婚を支配し導いておられたのは神である。

二人の結婚年齢はよくわからないが、当時のガリラヤ男子は25歳ぐらいから結婚した。女性の場合は思春期に達すると結婚するのがならわしだったので、14~15歳で結婚したのでないかと言われているが、マリヤの場合、もうちょっと年が進んでという説もあり、これもわからない。マリヤも名前としてはありふれた平凡な名前である。

二人はまず、ぶどう酒の杯を口にし、神と両家の前で婚約した。この婚約は現代の婚約と違って拘束力はものすごく強い。現代で言えば、役所に提出する婚姻届に匹敵する。だから婚約解消というのは離縁するという表現がとられていた。婚約から結婚までは約一年の期間がある。この婚約期間にどちらかが貞節を破るようなことがあれば重罪に処せられる。

さて、この婚約期間にマリヤはみごもってしまった(18節)。ヨセフは、マリヤの胎にいる子の父親は自分ではないと知っていた。通常、考えられるケースは次の二つである。一つは、マリヤが他の男性と合意の上で関係をもってしまった。この場合、律法のさばきによれば、マリヤとその男性は死罪(申命記22章23,24節 石打ちの刑)。もう一つのケースは、マリヤが他の男性に強姦された。この場合、男性だけが死罪(申命記22章25節)。マリヤは死刑にはならないが恥をさらすことになる。そして当時、処女でなくなった女性と結婚してはならないという規定もあった。ヨセフは選択を迫られた。彼は幾つかの方法を選択できた。次の三択から。一つ目は姦通罪と知ってマリヤと離縁するというもの。しかしこの場合、マリヤは死刑になる可能性があった。そうならなくても彼女は恥をさらすことになる。二つ目は、婚約はひそかに破棄し、マリヤにどこか遠くへ行ってもらい、そこで赤ん坊を産んでもらうというもの。ヨセフはこれが妥当と考えた。しかし、三つ目の選択があった。それは単純で、マリヤとただちに結婚するというもの。でもヨセフはこれを選ばないでいた。その理由は19節にある。「夫のヨセフは正しい人であって」。彼は正しい人なので、表現を変えると、彼は誠実な人なので、姦通罪の女性と神の前に結婚できないと考えていた。ガリラヤの男性は田舎者扱いにされたというが、律法に関しては保守的で、しっかり守ろうとするところがあったという。ヨセフはそれを象徴するような人物であったと思われる。

彼の採ろうとした選択は二番目(19節後半)。実はこの選択も、彼の正しさから出ていると言える。詩編37篇21節には「正しい人は情け深い」とある。この正しさはあわれみとか優しさに裏づけられている。ヨセフはあわれみ深く、優しく、彼女の恥を公けにさらすことなどできなかった。ましてや彼女に死刑を要求するなど考えにも及ばなかった。ヨセフはマリヤの妊娠を知って、怒りを表わしたとか、詰め寄ったとか、憎しみで行動したとか書き記されていない。ただ、「彼女をさらし者にしたくなかったので、内密に去らせようと決めた」とあるだけ。「内密」の別訳は離縁。これは離縁状を与えて内密に去らせようという苦肉の策。ヨセフは思いやりに満ちており、マリヤと生まれてくる子どものセキュリティーというものを考えていた。結果的に、ヨセフの取り越し苦労であったわけだが、ヨセフの正しさは、この悩みの期間に証明されることになる。もしヨセフが短気な行動に出ていたら、人間的に考えれば、マリヤは、姦淫の女としてさらし者にされ、生まれ出た神の子は、姦淫の女の子どもとして一生汚名を着せられることになったかもしれない。神がマリヤの夫としてヨセフを選んだというのはベストの選択であった。短気で冷淡な男だったら、だめであった。

ヨセフは夢によって、マリヤの胎に宿っている子どもは聖霊によるという啓示を受ける。そしてそれを信じ、第三の選択、すなわち、ただちにマリヤと結婚するという選択を採る(20~25節)彼は正しいばかりか、思慮深い人物であったと思われる。あわてんぼうの早とちりではなかった。彼は神の啓示があった時、思慮深く受け止め、行動に出た。もし彼が自分の考えに固執したり、勝手な判断を下していたらどうであっただろうか。ヨセフがペテロのような個性の持ち主であったらどうだっただろうか。マリヤの夫はペテロのようなあわてんぼうではだめだったのである。彼はペテロのようなリーダータイプの人物ではなかったかもしれない。ペテロのように多弁でもなかった。しかしペテロのようである必要はなかった。彼はどんなことがあってもあわてず、神に聞く耳をもって腰を落ち着けて思慮深く物事を考え、それを実行に移す堅実さがあったように思う。ヨセフは物静かな男、しかしマリヤにとっては頼もしい夫。選ばれるべくして選ばれた男であった。

ヨセフはずば抜けた信仰の持ち主であったことも忘れず付け加えておきたい。彼が、生まれてくる子どもは聖霊によるということを、マリヤとともに信じたということは、マリヤとともに並外れた信仰の持ち主であったことは言うまでもない。普通は信じられない。しかし信じ、従った。確かに彼は選びの器だった。

さて、彼はマリヤと結婚し、めでたし、めでたしとは、人間的に言えない事情が残されていた。彼女をさらし者にしないで済んだ。離縁することもなく無事、結婚できた。しかしもう一つの問題があった。月の勘定が合わず生まれてくる子は、ナザレの人々の噂になるということである。ヨセフは、生まれてくる子どもは聖霊によると信じていても、村人たちはこのまったくありえないような話を、信仰をもってアーメンと受け止めることはできないだろう。結婚して6か月が経った頃、出産が近づいていた。もしナザレで生んだら、スキャンダルになることまちがいなし。この大ピンチをどう切り抜けるか。

折しも、ローマ皇帝から先祖の土地に上って登録せよとのおふれが出た。二人はナザレを出て約120キロ先のベツレヘムに向かうことになる(ルカ2章)。このおふれのタイミングは完璧だった。身重の女性にとってはこの旅は大変なものであっただろう。4~5日かかったかもしれない。しかし、おかげでナザレではなく、ベツレヘムで出産することに。出産したからだですぐにナザレに戻ることはできない。出産8日目には、二人は慣習にならって、ユダヤ地方のどこかで赤子に対して割礼を授けた。さらに出産後40日目には、エルサレムの神殿に上って、献児式を行う定め。その後、二人はナザレに帰っただろうか。どうやら、帰らずにエジプトに行くはめになったようである(マタイ2章13~15節)。当時のユダヤの王ヘロデは、残忍な王として良く知られており、ユダヤで王が生まれるという噂に腹を立て、心当たりのある幼児を虐殺する計画を企てていた。この危険を御使いが夢でヨセフに知らせた。ヨセフは御使いのことばに従って、母子を連れてエジプトに逃げる。彼は、婚約中は妻の姦通罪の疑いで悩み、妻の出産間近になると、お腹の大きい妻との旅となり、出産は家畜小屋となり、出産して一息ついたら逃亡生活と、けっこう犠牲を強いられている。

エジプトについてだが、ベツレヘムからであると、約10日間の距離である。その旅も大変だっただろう。何せ砂漠の旅である。しかし、エジプトは身を隠すには絶好の地域であった。この頃、エジプトの人口の8分の1が離散のユダヤ人であった。首都のアレキサンドリヤなどは、人口の40%から50%がユダヤ人で占められていた。アレキサンドリヤはかなり西なので、ここまで来たかどうかはわからないが、その手前のカイロ旧市街やカイロ郊外では、聖家族伝説が残っている。カイロ郊外にはあの有名なスィンクスと大ピラミットがある。ヨセフ家族はヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在していたようであるが(2章19~23節)、数カ月エジプトに滞在したことはまちがいない。その後、ナザレへの帰還である。こうして二人はナザレの噂好きな人たちから守られることになる。それだけでなく、結果的に預言が成就することになる。ベツレヘム誕生の預言や、2章15節のホセア11章1節のエジプト滞在預言といったことが成就することになる。神のタイミングは完璧である。ヨセフは神の時に行動した。そして家族の長として家族を守った。旅の期間、神の啓示は家長のヨセフに与えられた(2章13節 2章19~20節)。ヨセフはそれに従った。神の時を見誤って苦い経験をした人や家族の話には枚挙にいとまがない。けれどもヨセフはそうではなかったよう。結婚のタイミングから始まって、すべて神の時を刻んで歩んだ。

ヨセフの行動を追っていくと、一番目に、ヨセフの正しさ、誠実さを観る。彼は神の律法を守ろうとした人である。1章25節の「そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく」という記述からも、彼の誠実さをうかがい知ることができる。二番目に、あわれみ、優しさといった思いやりを観る。旅の期間、犠牲を払って家族を守ったということにおいても。三番目に、思慮深さを観る。彼は判断するということにおいて、落ち着いていて、まことに思慮深かった。その都度、その都度、思慮深く判断した。四番目に、彼のすぐれた信仰を観る。彼は、神の啓示、神のことばを、真っ直ぐに受け止めて行動した。疑いや、不従順は見えない。

ヨセフが最後に登場するのは、キリストが12歳の時である(ルカ2章41節~)。親子でエルサレムの神殿に上った。その後、ヨセフがどうなったのか、知る由もない。その後、ヨセフの名前は挙げられておらず、十字架の場面にも彼はいない。壮年期の初期に亡くなった可能性はあるが、その記述は聖書にない。ヨセフは寡黙であるというばかりか、存在そのものが地味で目立っていない。一見すると、苦労の多い、短い一生であったのかとも思ってしまう。しかし、神によって割り当てられた自分の役目というものを、しっかり果たした。

ヨセフはガリラヤ地方に住んでいた一田舎者。手に職を身につけ、普通の生活を送っていた一平民にすぎない。私たちも地方に住んでいる。ガリラヤ弁ならず秋田弁を使って生活をしている。そして特別なことをして生きているわけではなく、一平民として生きている。ヨセフが当時の人たちにとっては埋もれた存在で目立たない存在であったのと同様、私たちも人の目には取り立ててどうという存在ではない。しかし信仰の人として、神の目に留まる生き方をしたい。神に聞く耳をもち、みこころに忠実でありたい。そして神の織りなす歴史の中で、自分の役目をしっかりと果たし、神の栄光を表わす生涯となりたい。