八つの幸いの教えの最後となった。この幸いは他の幸いと比較すると、実に特徴的である。まず三節もかけて説明してあるということ。とびっきりの幸いであることを説明するために、多くの言葉が使われている。次にこの幸いは、人間の思考、経験と真っ向から対立するということ。虐げられて幸いであるなどということは聞いたことがない。ほんとうに幸いであることを強調するために、「幸い」ということばが二回繰り返して使われている(10~11節)。虐げられている者は二倍の祝福があると言わんばかりである。そして、これが本当に祝福であるということを、喜べ、ということばを用いて、その幸福感を増大させていく(12節)。私たちは今日の教えにアーメンと言えるだろうか。

実は1番目から7番目の幸いに与る者が8番目の幸いにも与るのである。今日の教えでは「義のために」ということがポイントになる。以前、4番目の幸いの「義に飢え渇く者」(6節)の説明のとき、「義」とは「神」と言い換えることもできると述べた。また義とは「主イエス」と言い換えることもできる。それは11節の主イエスのことば、「わたしのために」ということばが証明している。私たちがここで気づかなければならないことは、この幸いは、あくまでも、義のために、主イエスのゆえに迫害されている者の幸いであるということである。主イエスの教えに反する心ない態度、軽率な態度、罪のゆえに、非難されたり、虐げられたりすることは幸いではない。主イエスのために迫害されることが幸いなのである。私たちは単純に自分の落ち度のゆえに非難されることが多いし、また自分の評判を気にしすぎて、主イエスのための非難に踏み切れないことが多い。ペテロが主イエスの最初の裁判の場所で、「あんな者は知らない」と言ってしまったように、世の側に就こうとする誘惑がある。私たちは主に従おうとするときに、しばし世との対立を生み出す。私たちはパウロの次のことばを受け取ろう。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけではなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです」(ピリピ1:29)。主イエスのための迫害は、神の子どもとされたことの明白なしるしであり、神からの賞賛を確信させるものである。主イエスは世の賞賛を望む私たちの弱さをご存じの上でこう言われる。「もしだれでも、わたしとわたしのことばを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします」(ルカ9:26)。「みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです」(ルカ6:26)。人にほめられたことのないキリスト者というのも異常な話だが、それはよほど証にならないふるまいをしている証拠だが、キリスト者がこの世の人たちみなにほめられるというのもおかしな話で、大衆受けをねらい、この世に妥協していることの証拠である。ヤコブは、「世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです」(ヤコブ4:4)と述べている。

私たちが主イエスのために生きようとするときの反応について、今日の教えでは三つ挙げられている。第一の反応は、「ののしり」である(11節a)。「ののしり」ということばは、悪意から出た非難、あざけり、罵詈雑言のたぐいである。主イエスは捕縛されてから、とりわけ十字架につけられてからひどいののしりを受けた→一例:マタイ27章39~44節

主イエスのために生きるときに起こる第二の反応は、「迫害」である(11節b)。このことばは10節、11節、12節と三回使われ、強く意識された表現である。日本の歴史において迫害が表立ったのは、豊臣秀吉による「伴天連追放令」(1587年)である。その第一条には、キリシタン排除の根拠として、日本が「神の国」であることを挙げている。日本は神々の国であり、神々の筆頭には天皇の祖先神である天照大神が位置する、キリシタンの教えは「日本の神々の敵」であるというわけである。それだけではない。秀吉は天照大御神に匹敵する神に自分を位置づけようとした。キリシタンは当然、秀吉の姿勢を受け入れられるわけではない。そして歴史的に有名な、長崎での「日本二十六人の殉教が起きる。26人の十字架刑である(1597年)。パウロ三木というキリシタンは、自分の十字架の前に掲げられている秀吉の宣言文に応えてこう言った。「わたしが死ぬのはキリストの教えを信じ、それを説いたからです。この教えに従って、太閤様も役人様も心から赦します」。殉教者のことを「マルチル」と呼んでいたが、それは、キリストの「証人」ということばから造られた。殉教していったキリシタンたちは殉教を栄誉、誉として、その喜びを表わしたと伝えられている。

秋田のキリシタン史の特徴は、徳川家康がキリシタン「禁教令」(1612年)を発布してから、宣教が拡大していったということにある。家康は1614年、九州全域のキリシタンを絶滅させるために、兵士1万人を出兵させている。そのような中、反対側の東北の秋田で宣教が進んだ。県南でも多くのキリシタンの群れが起こされた。しかし禁教令が敷かれていたので、迫害の手はやがて秋田にも伸び、殉教者が百十数名、起きることになる(横手市安田の八王子公園に殉教碑がある)。

私たちはキリストご自身が迫害されたことを知っている。この山上の説教を語る前ですらそうであった。「そこでパリサイ人は出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた」(マルコ3:6)。キリストはこの時までに様々な攻撃を受けており、殺害計画まで話し合われていた。キリストは今日の12節後半では、「あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです」と述べているが、キリストご自身預言者のひとりでもある。キリストはまた迫害があっても驚くことのないようにと、この後、警告を与えている。→ヨハネ15章18~20節

主イエスのために生きるとき起こる第三の反応は、ありもしないことでの「悪口」である(11節c)。何も悪いことをしていないのに悪口を言われてしまう。主イエス自身、ひどい悪口を受けた。→一例:マタイ11章19節 「大飯し食らいの大酒飲み、くず共の仲間だ」という悪口。また「悪霊に憑かれている」とさえ何度も言われていたことがヨハネ8章48節からわかる。

今、見てきた、「ののしり」「迫害」「悪口」という反応は、この後の5章13~16節で言われている「地の塩、世の光」の教えとも関係があるだろう。塩は罪によって開いた傷に擦り込まれる時、ピリピリ痛い。キリスト者の倫理観はなじめない。また暗闇に慣れきった目に光が射すとまぶしくてヒリヒリするように、福音の真理の光は迷惑に感じる。それで悪い反応が返ってくることがある。でもそれはある意味で、地の塩、世の光をちゃんとやっている証拠である。(事例:内村鑑三の不敬事件1891、非戦論・・・同僚、この世の人たち、兄弟、キリスト教会より非難)

主イエスは、私たちが周囲からの悪いプレッシャーを受けて、沈んだり、落ち込んだり、おびえたりすることを十分に予測しておられて、通常の感情的表現ではないことを命じておられる。「喜びなさい。喜びおどりなさい」(12節)。「喜びなさい」に留まらず、「喜びおどりなさい」。この喜び踊りなさいということばは、幸せいっぱいの興奮した思いから、スキップしてジャンプすることを意味する。一言で言うと、「ヤッター!」と言って飛び上がることである。金メダルを取った時のように喜びなさい、ということである。そのように喜べる理由は、金メダル以上の栄誉と報いが天の神さまからあるからである。「天ではあなたがたの報いは大きいから」。やがては滅んで土に返ってしまう人間からの栄誉ではなくて、永遠の神さまからの栄誉がある。そしてその報いは、地球まるごとと、そこにあるすべての財宝を合わせたものよりも、はるかに尊く大きな報いである。私たちはその実感は薄いかもしれない。しかし御国の王なるイエスは確かな実感をもって語られる。主イエスは明らかにここで、私たちの目を天の御国に向けさせようとしている。

主イエスは、義のために迫害されている者への約束を「天の御国はその人たちのものだから」(10節)と語り、私たちを励まそうとしておられる。報いの大きさは、「天の御国」の性質を考えてみればよくわかる。天の御国は永遠であるだけではなく、そこには朽ち果てることのない神の祝福で満ちている。私たちはそこに、私たちが真に必要としているすべてを見出し、私たちを焦燥させるもの、呪われたものは何もない。天の御国と比較したら、この過ぎ行く地上世界は、かすみや雲、霧のようなものでしかない。そして、この地上世界は一時的な楽しみはあっても、不完全な世界で、苦しみや悩みがつきまとい、最後には死と滅びしか提供してくれない。主イエスが言われた「人はたとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」(マタイ16:26)も思い出す。まことのいのち、すなわち永遠のいのちは、義のために迫害されている者に与えられる。

迫害等の試練に耐え抜いた者は、他の信仰者以上に、賞賛と光栄と栄誉に至るだろう。それは過酷なマラソンレースに耐え抜いた者に用意された栄冠のようなものである。ゴールのテープを切った瞬間、それまでの厳しい練習やレース途上の忍耐は、賞賛と栄誉に代わる。だが、それとは比較にならないほどの報いが義のために迫害された者たちに対してある。

1600年頃、日本には75万人のキリシタンがいたと言われている。子どもを含めれば、もっと多い数になり、100万人という見方もある。当時の日本の人口は1000万人であった。驚異を感じた徳川幕府は弾圧に出る。二代将軍、秀忠の時は、次のような殉教物語があった(1622年)。長崎で10人の水夫と2人の船客に斬首が申し渡され、二人の司祭と平山という船長には、十字架に縛り付けて執行される、とろ火の形が申し渡された。斬首の刑を言い渡された水夫たちは、悲しむどころか、神の祝福を感謝したという。処刑者が処刑地に向かうとき、数万の群衆がこの処刑に立ち会おうと後を続いた。群衆の中の男女、子どもたちは数々の讃美歌を歌い、その光景はまるで、キリストのエルサレム入城に似ていたと言われている。最初に水夫たちの処刑が行われた。この時、「幸いな者たちよ」ということばが何度も飛び交った。次に平山たちのとろ火刑の番である。彼は恐れることなく堂々としていた。そして告別のことばを述べた。「医者は健康な人には必要でなく、病人に必要である。世界は罪の結果として、虚弱者に満ちている。キリストが天から下って、無限の苦しみと十字架の死を受けられたのは、人類を救い、人類の病気を癒さんがためであった。おお、日本人の人々よ。諸君が見られた宣教師たちは、我々の救済のために、諸君が石や木の偶像から離れ、真の神を礼拝させるために、キリストから遣わされて、世界の果てからやって来られたのである」。彼は黙れと、刑の執行人たちに殴られても、話を続けた。「私は人間に従うよりも神に従わなければなりません。それを罪と定めて、私を焼き殺そうとされますが、私を弱らせるためにもっと別の方法を考え出すこともできるでしょうが。おお、だれも弱らない。我が兄弟のキリシタンたちよ。神に祈りなさい。そしてご自分の希望を神のあわれみにゆだねなさい。転んだ者(信仰を捨てた者)は立ち上がり、立ち上がった者は弱ることを警戒しなさい。特に聖なる救い主イエスさまの無限のあわれみが、あらゆる人々に平等であることを決して忘れることのないように」。そして薪に火が着けられた。この告別のことばで、信仰を捨てた多くの者たちが立ち戻ったと言われている。

キリシタン迫害は、三代将軍家光の時に最高潮に達する。秋田での迫害史も家光の時代である。彼は一般に名君として知られ、温厚で庶民に対して情がある将軍として知られている。だが、実はキリシタンに対しては、これまでの将軍の中で一番残虐だったことは余り知られていない。家光による迫害は史上まれに見る残虐なもので、ナチスのそれを思わせる。家光のキリシタンに対する口癖は「奴らをみな火あぶりにせよ」。この時、江戸の大殉教と言われる事件が発生し、1623年、天領だけでも500人が殉教している。この時、家光と同じ高貴な特権階級出の、主水という武士も火あぶりになっている。彼は地位と名誉と裕福な暮らしを約束されていたが、キリストの苦しみにあずかる方を選択した。実は、彼は家康の時代にすでに拷問にあっていて、手足の指を切り取られ、腱まで切られていた。彼はマタイ5章29節の「からだの一部を失っても、からだ全体をゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです」を文字通りに実践した人である。最後に、彼の刑場でのことばを紹介して終わろう。「予がむごい拷問に耐えてこられたのは、唯一人類を救済してくれるキリシタン宗の真理を擁護せんがためであった。予は、予の贖い主となってくださり、救い主であられるイエス・キリスト様の御ために、苦しみを受けて、今いのちを捨てるのでござる。イエス・キリスト様は永遠のいのちをくださるであろう」。

私たちはこの地上に心を縛り付けてしまい、自分を見失いそうになるが、そうではなく、天を仰ぎ、そこにおられる唯一の救い主イエス・キリストに心を固定し、この地上生涯を全うしたいと思う。