本日の箇所は「エリコの盲人のいやし」として有名な物語である。物語に登場する盲人は物乞いをしていた。聖書は、この物乞いをする盲人と自分を重ね合せるように私たちを招いている。重ね合せるには無理があると思ってしまう私たちだが、聖書は、「いや、彼の立場に身を置きなさい」と私たちを招いている。

場所のエリコという町はヨルダン河口付近にある町だが、死海の真上付近にある。たいへん暖かくて過ごしやすい町である。エリコには多くの盲人が集まっていた。ここにはバルサムの樹木があり、そこから作る薬は目に効くとされ、治療を期待する盲人たちがエリコに集まった。付近に100人以上はいたはずである。盲目は事故が原因でもなるが、多くの人は誕生して間もなくなった。母親から淋病が感染してしまうケースが多かった。多くの女性はバクテリアを保有していて、彼女たち自身は発病しなくても、生まれてくる子どもが罹患して、盲目となってしまう。また他の幼児は、現代では余り見られないクラジア感染症であるトラコーマによって盲目となった。さらに、伝染力の強い結膜炎によって失明する者もいた。この時代は細菌感染などという知識はない時代。因果応報的な見方をされ、社会的には蔑視されることが多かった。生活手段は物乞いくらいしかない。

今日、登場するエリコの盲人と私たちをどう結び付けたら良いのだろうか?エリコの盲人は、イエスさまが目の前をお通りになると聞くと、38節にあるように、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫んでいる。39節でも、人々にたしなめられようが、ますます「あわれんでください」と叫び立てている。「あわれんでください」ということばは、どういう意味だろうか?訳されている元のことばの意味は「慈悲を施してください」といった意味である。施しを求める概念がある。このことばは、物乞いの姿勢で恵みを乞うことを意味している。つまり、物乞いのような姿勢が私たちにも求められているということである。

先月、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5章3節)というキリストのことばを学んだ。「貧しい」と訳されていることばは、物乞いをする乞食のような貧しさを表わすことばであるということを学んだ。別訳すると、「心の乞食は幸いです」ということだった。「わたしは罪人です。善いところは何もなく、心は破産状態です。霊的無一文です。神さまに救いを恵んでもらうよりほかはありません」と、そのような姿勢を取ることができる人のことであった。

エリコの盲人は、物乞いするしかない貧しさに置かれていただけではなく、実際のところ、心の貧しい者であった。その貧しい心から、「あわれんでください」と叫び続けた。私たち人間はお腹がはらぺこになって、何かを恵んでほしという気持ちになることがある。また無一文だと生活できないから100円でもいいから恵んでほしいという気持ちになることがある。では、このエリコの盲人は何を求めていたのだろうか?41節でイエスさまが、「わたしに何をしてほしいのか」と聞かれた時、「パンをください」と言っただろうか?言っていない。また「100円でもいいから恵んでください」と言っただろうか?言っていない。物乞いだから、そう言ってよかったはずであるが。

ある池に鯉が飼われていたそうである。その池のそばに立札があった。『鯉の餌十円』と書かれてあった。するとある人がそれを見て、ポケットから十円を取り出して鯉に投げてやったそうである。この人は鯉の餌は十円玉だと勘違いしてしまった。これは笑うに笑えない話である。すべてがお金で、いのちをつなぐのもお金だと思ってしまっている人は多い。でも、この時、盲人もイエスさまも、そう考えてはおられない。

盲人が答えて求めたことは「主よ。目が見えるようになることです」と41節にある。彼は、ただいやされることを求めたのだろうか?目だけの問題が解決すればそれで良いと思ったのだろうか?そうではないことは、43節の中頃、「神をあがめながらイエスについていった」ということばからもわかる。実は「神をあがめながらイエスについていった」というこの姿こそが、聖書が私たちに求めている姿なのである。目が見えるようになるというのは、彼にとって求めのすべてではない。一部分、一つのステップ。彼はキリストに最大の価値を見いだしている。キリストは、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも決して渇くことがありません」(ヨハネ6:35)「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです」(ヨハネ6:47~48)と言われた。キリストは永遠のいのちパンである。またキリストは、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら何の得がありましょう」(マタイ16:24)と言われた。キリストはパンや金銀にまさるお方である。

一節前の42節にも目を留めたい。「見えるようになれ」とイエスさまはことばだけで直してしまわれた。「『光があれ』。すると光があった」という創世記1章2節のことばも思い出す。続いてイエスさまはいやしの理由として、「あなたの信仰があなたを直したのです」と言われた。別に盲人の力で直ったわけではない。直したのはイエスさまである。でも、「あなたの信仰が」と言ってくださる。信仰というのは、人間の側の誇りでも手柄でもなくて、ただ神さまのお恵みに拠りすがる姿である。「私をあわれんでください」というのが、その姿である。そして、「直したのです」ということばは、実は「救い」を意味することばである。通常は「救い」と訳すことばである。聖書で言う救いとは、罪からの救いである。永遠のいのちをもつことである。神の子とされることである。神を見失っていた人生だったけれども、神に立ち返ることができたということである。この盲人は、ただ目が見えるようになったというのではなく、聖書が言う意味での救いに与ったということである。その救いを求めたということである。「わたしに何をしてほしいのか」という問いに対して、皆さんのたましいの本質的な求めは何であるのか、必要は何であるのか、各自考えていただきたいと思う。

43節に「彼はたちどころに目が見えるようになり」と「目が見える」という表現が繰り返されているが、これは著者のルカ独特の用法とも言え、それは霊的に目が開かれること、心の目が開かれることを意味しえる表現である。「目からうろこが落ちた」という表現があるが、この表現は聖書から来ていて、やはりルカが書いている(使徒9章18節)。視力が落ちてきたとか、視野が狭くなってきたとかで悩む私たちだが、私たちの目が神に対して、救い主キリストに対して開かれているのかということが問われている。盲人の目は開かれ、イエス・キリストが見えた。彼はその方を救い主として信じ、神をあがめながらついていった。これは彼が救われた証拠である。

イエス・キリストは、心の貧しい者である彼の叫びを聞いてくださった。今日は次のみことばも覚えていただきたい。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう」。このみことばをエリコの盲人は実践したと言えるだろう。私は、単純に、今日の物語とともに、「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう」(詩編50編15節)のみことばを心に留めていただきたいと思っている。

皆さんは冒険小説「ロビンソン・クルーソー」をお読みになっただろうか?18世紀に出版されたイギリスの小説で、詩編50編15節は、このロビンソン・クルーソーに出てくる。この本は爆発的に売れ、日本でも幕末に翻訳されたという人気本である。NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公、山本八重の夫となる新島襄の人生を変えたと言われる本である。「無人島に本を一冊だけ持っていくことができるとしたら何を持っていきますか」というアンケートに対して「聖書」と答える人が圧倒的に多いのは、この小説の影響も多分にあるのではないかと思っている。

小説の舞台は、南米チリに浮かぶ孤島。イギリス生まれのロビンソンクルーソーが、アフリカの奴隷の買付けに行く途中、嵐に遭い、漂流し、孤島にたどり着き、そこで28年間暮らすという物語。これは実話をもとに作った小説であると言われている。主人公のクルーソーは孤島にたどり着くまで、神さまのことをまともに考えたことがない人物だった。彼はこの孤島で暮らさなければならないのかと思った時、神さまに対する文句が出てきた。「どうしてこんなことになったのか。あの嵐のせいか。いや旅に出たわたしが悪い。しかしわたしが悪いとしても、これが神がわたしにすることなのか。なぜ神はわたしをこんなひどい目にあわせ、今のような絶望の気持ちをもたせるのか」。その一方で、「生き残ることができたのはおまえだけなのだぞ、そのことをよく考えよ」という声も響いてきた。実は、船が座礁した時、彼を含めて11人がボートに乗り移ったのだが、助かったのは彼一人だった。

彼はその後、岸部近くまで流れてきていた座礁した舟に向かい、生活に必要な道具と、インクと紙、そして聖書も取ってきた。彼はこの後、住まいを造り、農作物を作り、家畜を管理しと、生活の基盤を整えていった。

神はクルーソーを次なる手段で取り扱う。それは大地震と病気だった。轟音とともに岩山が崩れる。余震が続く。地震が落ち着くと病気になった。寒気と熱が交互に来る病に襲われた時、これまでの神のことなどひとつも考えず、神への感謝もなく、善悪もわきまえず、自分勝手で、無鉄砲に生きてきた自分のことを振り返った。彼は死の恐怖に追い立てられ、元気を失い、高熱で体力を奪われていたこの時、神に叫んだ。「神よ、助けてください。苦しみを受けているわたしを助けてください」。これが彼が今までの生活で、はじめて神にささげた祈りであった。翌日、高熱は下がったが体は衰弱したまま。夕食の時、彼は生まれて初めて、食事の感謝の祈りをした。その後、ふらつく体で外に出て、そこにしゃがみこみ、目の前に広がる海を見た。いろいろな思いがわいてきた。「この大地と海は何か。どういうふうに造られたのか。自分とは何か。いや自分だけでなく、動物、人間たち、これらはいったい何だろう。これらはある力が造ったものだ。その力とは何だろう。それが神の力だということは考えられる。きっとそうだろう。すると神は、海も大地も生き物もすべてを導いて支配しているはずだ。ならば、神はこの世界の出来事をすべて知っていることになる。わたしがこの島で苦しんでいることも当然知っているはずだ。そうであるなら、わたしの今の苦しみは神が与えたことになる」。こう考えているうちに、彼の心は神を冒涜する方向に向かう。「なぜ神はわたしを悲惨な目に会わせたのか。こんな目にあわせた訳は何だ。どうしてわたしだけがひどい目にあうのか。わたしが何をしたというんだ」。その時、彼の良心がつぶやいた。「自分の過去を振り返って何をしなかったか自分に問いかけてみなさい。人の道を踏み外してきたではないか。それにおまえはいろいろな危険から守られてきた。猛獣の危険から、海賊の危険から。そしてあの嵐でほかの乗組員は死んだのに、おまえだけが生きている訣を考えてみなさい。それでも神に向かって『わたしが何をしたというんだ』と、まだ言うつもりか」。彼はこの語りかけに戸惑い、その夜、孤島についてはじめて聖書を開く。たましいの薬として。パラパラとめくっていて目に留まったのが詩編50編15節であった。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう」。彼はこれを読んだ時、生涯ではじめて、床にひざをついて、この詩編のことばそのものを唱え、祈った。それから5日ほど経って病は治り、神に感謝の祈りをささげた。それから毎日、聖書を読んで、黙想するという習慣をもつようになった。彼は読めば読むほど、自分がいかに罪深い人間であるかということを、ひしひしと感じるようになった。

彼は島に閉じ込められているということが一番の問題ではなくなった。罪から救われることこそが問題となった。島は牢獄だ、島から救われたいと考えなくなった。たましいが救われることこそが関心事となった。これは大きな変化である。島から救われることよりも罪からの救いを求めた。キリストはこの罪から救いのために、罪のない生涯を送られた方であるにもかかわらず、神ご自身であるにもかかわらず、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださった。やがて彼は神を見出し、神とともに生きる喜びを知ることになる。孤島にいてもひとりぼっちではない、神がともにおられる。「たとい全世界がわたしを見捨てても、神がわたしを見捨てなければ不幸ではない。反対に全世界を自分のものにしても、神の恵みと祝福がなければ不幸というしかない。今、自分はたった一人でも幸せなのだ」、こういう確信に導かれた。こうして彼は、一日のはじめに神をあがめ、聖書を読み、そして一日三回、作業が終わるたびに礼拝の時間をもつようになる。この後も、いろいろな出来事があるが、クルーソーは28年の孤島での生活を終え、本国に帰ることになる。

苦難の日に神を呼び求めた有名な実話には、同じく18世紀にアフリカの奴隷船の船員をしていたジョン・ニュートンの救いの物語がある。彼は、クルーソー同様、神など関係ないという生活をしていた。彼は罪深い生活をしたくなってアフリカ行きを決め、やがて奴隷船の船員となる。彼が船員として乗船していたイギリス行きの船が嵐に遭遇し、もはや沈没かという状況となった。ニュートンは死の恐怖を感じた。彼はそれまで神を冒涜していた男であったが、この危機に際し、初めて、心から神に叫んだ。「主よ。私たちをあわれみたまえ!」エリコの盲人の叫びと、ほぼ同じことばである。彼はいのちが助かっただけでなく、たましいの救いを体験することになる。船内で真剣に聖書を読み、本国のイギリスに帰ったときは、新しい人となっていた。救いの体験をもとに書いた彼の歌詞による「アメイジング・グレイス」は世界で愛される歌となった。

「苦難の日には、わたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう」。昔の訳では「なやみの日にわれをよべ。われなんじを援けん」。神さまを呼び求めることは場所を問わない。電波の届かない山奥でも大丈夫。電話料金も発生しない。一文無しの時でもできる。私は、神さまを呼び求める行為は、たましいのスイッチを入れる行為だと思っている。それで神につながる。神はみわざをなしてくださる。

あるご婦人だが、町内の婦人会の奉仕が終わり、また二人の息子さんの、大学と高校の合格発表も終わってホッとした時、心の支え、目的がまったくなくなってしまった。心の空白が彼女を襲い、自律神経失調症となり、心身の調子が崩れ、不安と恐れで支配されてしまった。そのうち自分は死ぬのではないかという恐怖が襲い、気が狂うほど胸が苦しくなった。その時、妹から聞かされていたけれども無視し続けてきた神さまのことが心に昇った。この解決のためには、まことの神さまを無視し続けてきた自己中心の罪を悔い改める以外にないと思い、「神さま、私を赦してください。私は死んでしまうのです」と叫んだ。その時、恐怖の縄目から解放された安らぎが与えられた。その後、彼女は信仰をもち、健康も取り戻した。

今日は父の日なので、男性の事例も紹介しよう。雪の降りしきるある冬の日のこと、一人の男性が飲酒運転をしていた。酒を飲んでの運転は今回が初めてではないのに、その日はどういうわけか体が思うように動かない。そればかりか、意識がだんだん遠のいていった。「ああ、もうだめだ。事故に遭うにちがいない。死ぬぞ!」と思った瞬間、奥さんのことを思い出した。奥さんは最近、聖書を学び始め、お祈りもしていた。彼がお酒を飲んで帰る度に、「あなたのためにずっと祈って待っていました」と言っていた。「ああ、こんな時のために、僕も祈ることを習っておけば良かった」。彼はついに、「ああ、妻の神さま!」と叫びながら、ハンドルの上で意識を失ってしまった。どのくらい経っただろうか。気がつくと、見知らぬ人が自分を助けている。その人はタクシーの運転手だった。運転席で倒れている彼を発見してくれた。命拾いして家に帰り、着いた瞬間、彼は妻にこう叫んだそうである。「おまえ、僕のために今日も祈ってくれていただろ。できるだけ早く、聖書を教えてくれる牧師さんを招いてくれ。おれもイエスを信じるから」。

神さまは短い祈りでも、幼い祈りでも、へりくだって、心から呼び求める祈りを聞いて下さるお方である。皆さんも、神さまを心から呼び求めて下さい。