今日の箇所は、キリストが公けの場で宣教を開始された記事と、弟子を召す場面である。「わたしについて来なさい」。この招きは私たちへの招きでもある。皆様はこのキリストの招きにどのように応えられるだろうか。

12節をご覧ください。前回までキリストがユダヤの荒野で悪魔の誘惑を受けられたことを学んだ。その後、キリストはガリラヤに立ちのかれた。ガリラヤに立ちのかれた理由は、「ヨハネが捕えられてと聞いて」とある。ヨハネとは3章に記されているバプテスマのことで、彼は旧約時代最後の預言者として、旧約時代と新約時代の架け橋の役目を担っている。悔い改めを説き、主イエス・キリストを救い主として迎え入れさせる備えをさせた。彼を捕えようとしたのは、ヘロデ大王の息子で、ガリラヤとペレヤの国主であったヘロデ・アンティパス。彼は異母兄弟の妻ヘロデヤを奪って娶ってしまったために、その罪をヨハネに糾弾されていた。それでヨハネを捕えてしまった(14:3~4)。キリストはヨハネが捕えられたタイミングでガリラヤに立ちのくが、その目的は宣教を開始することにあった。ヨハネが捕えられて、ヨハネの働きは終わり、旧約の時代は幕を閉じ、キリストが公けに宣教を開始する新約の時代が到来した。ヨハネは人前から姿を消し、代わって、キリストが4章17節にあるように、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と宣べ伝えることによって、新約時代がはっきりと幕開けを告げる。新しい時代への突入である。

ガリラヤの位置だが、ヨルダン川の西側の南から、ユダヤ、サマリヤ、ガリラヤとなる。キリストはユダヤからサマリヤを通ってガリラヤに移動した。キリストはガリラヤに行く途中、サマリヤの井戸で一人の罪深い女を救いに導く(ヨハネ4章)。

ガリラヤは長さ約96キロ、幅48キロの地域。人口15000人以上いたと思われ、ガリラヤ湖周辺には2000人以上の人が住んでいたと言われる。この地の土壌は肥沃で農業に適していて生産力は高く、多種類の木々も育ち、湖では多種類の食用の魚が豊富に捕れたらしい。湖の周囲では30の漁村があったと言われている。

13節をご覧ください。キリストはガリラヤにある、ご自分が育ち、暮らしていた「ナザレ」という村に滞在するも、そこから「カペナウム」という町に移られる。「ナザレ」から移ったというのは「預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されない」ということで、これからの宣教の拠点としてはふさわしくないと判断されたのであろう。移った「カペナウム」はナザレから北30キロ付近にある町である。ガリラヤ湖の北西に位置する町で、当時、漁村では一番大きい町であったと思われる。おそらく現在の「テル・フーム」という町であると思われる。著者のマタイはこのカペナウムの収税所で働いていた(9:9)。マタイはこの町がキリストにとって「自分の町」であると告げている(9:1)。つまりカペナウムはキリストの新しいホームタウンとなる。というよりも、宣教のセンターとなったという言い方がふさわしいかもしれない。

マタイは、キリストがガリラヤで宣教を開始された理由を旧約聖書の預言の成就として教えている(14~16節)。預言はイザヤ書9章1節の預言である。しかし、なぜガリラヤが選ばれたのか、少し考えてみたい。ポイントは「異邦人の地ガリラヤ」(15節)という表現である。紀元前732年、アッシリヤ王がガリラヤ地方を征服し、住民は捕囚となる。現地に残された人々もいたが、そこに移住政策により、アッシリヤ人を始め、様々な民族が移り住んできた。その後、この地はバビロン、ペルシャ、マケドニヤ、エジプト、シリヤなどの支配下に置かれたものだから、人種にしても、文化にしても、かつての純粋性は失われてしまった。この時代はユダヤ人の手に戻っていた。紀元前104年には、ユダヤ人たちはガリラヤの非ユダヤ人をむりやりにユダヤ人化しようとして、割礼を受けさせ、改宗させようとしたこともあったらしい。いずれ、ガリラヤは不純、粗雑という印象を拭えない。対して、ユダヤ地方はユダヤ教の総本山であるエルサレムを中心に、祭司、パリサイ人、サドカイ人、律法学者たちでがっしり固め、ユダヤ教の伝統を固く守ってきた。

キリストはユダヤを選んでも良かったのではないか。なぜガリラヤなのか。宣教はガリラヤで始まった。ユダヤは周りが閉ざされていて、他にどこにも行けないという地域だが、ガリラヤは周囲に道路が延びていて、どこにでも行けるという地域だった。通商ルートは開かれていて、新しい発想に対しても開かれていた。外国人に征服され、それらの人々が移住したという歴史も作用してか、新しい教えに耳を貸しやすく、それらを歓迎するムードがあった。歴史家ヨセフスもガリラヤ人について言っている。「改革を好み、変化を好む性質がある。」ガリラヤ人は、伝統に縛られず、福音という新しさに、よりオープンであった。キリストも弟子たちをガリラヤ人たちから召していった。伝統に縛られているユダヤ教の教師からは一人も召していない。ユダヤはガチガチのゴチゴチで岩のように固い。昔からの伝統を善として、新しいものを排除する。祭司、パリサイ人たちは石頭。昔のものは良い、と譲らない。彼らがユダヤを牛耳っていた。しかし、ガリラヤの気風、その精神的土壌は、そうではない。ユダヤより柔らかい。福音はこの地で宣べ伝えられていく。

16節では、キリストの性質と特性が光であることが言われている。キリストは真理の光を啓示する。暗闇を照らし、罪をあばく。だが、その光は同時に、いのちの光、愛の光として、人々に救いと希望を与える。キリストは言われた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12)。まさに、キリストの出現は、闇が深まりを見せた後に昇る朝日に匹敵する。それがガリラヤで昇った。新しい時代の到来である。

キリストの宣教のことばは、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われている(17節)。「悔い改める」<メタノエオー>とは、文字通りには、「向きを変えること」「方向を転換すること」を意味するが、「心の転換」を意味するとして良いだろう。私たちの心はどこに向きやすいだろうか?自分の欲望、自分の願いと、いつも自分に向きやすく、自分中心で、私たちを愛し、生かしていてくださる神さまのことは忘れやすいのではないだろうか。自分中心で、自分の欲望、自分の願い、考えばかりに目がいっていたのだけれども、それはまちがいだと気づき、罪を捨て去り、向き直り、人生の方向転換を為し、神を見上げ、神なるキリストに従う決意をする。この心の転換という悔い改めが、「天の御国」に入る条件となる。

次に、18~23節の弟子たちの召しについて見てみよう。キリストがガリラヤ湖畔で4人の漁師を弟子としたことが記してある。ガリラヤ湖は幅12キロ、長さ21キロの湖である。歴史家ヨセフスによると、この頃240隻の舟で漁をしていたとのことである。当時、漁には三つの方法があり、一つは釣り糸を使う方法。二つ目は岸部から網を投げ込む方法。三つ目は、湖に漕ぎ出して、2漕あるいはそれ以上の舟の間に大きな底引き網を張って捕まえる方法。18節のシモンとその兄弟アンデレは、二番目の方法で漁をしていた時に、キリストの召しがあった。「わたしについて来なさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」(19節)。この場面は2度目の召しと言えよう。シモンとアンデレはこれ以前からキリストと接触している。一度目の召しはヨハネ1章35~42節に記されている。そこを見れば、アンデレがシモンにキリストを紹介したことになっている。マタイ4章の二度目の召しの時に、漁師という職業に区切りをつけたことがわかる。「彼らは<すぐに>網を捨てて従った」(20節)。実に決断が早い。潔い。捕れた魚は誰かにゆだねたのだろう。

続いて召されたのは21節を見れば、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ。彼らにとってもこの時が最初の召しではない。この時、彼らは、次の漁に備えて舟の中で網を繕っている時であった。彼らも決断が早かった。「彼らは<すぐに>舟も父も残してイエスに従った」。お父さんは二人が急にいなくなって困ったのではと思うかもしれないが、並行箇所のマルコ1章20節を見れば、「父ゼベダイを雇人たちといっしょに舟に残して」とあるので、漁の仕事そのものは続けることができたはずである。

キリストは無教養で田舎者と思われていたガリラヤの漁師たちを召していった。召された弟子たちの中には、パリサイ人、サドカイ人、祭司、律法学者などは一人もいない。この世の取るに足らない者、無に等しい者を選ばれるというのが神の知恵、キリストの知恵である。シモン(ペテロ)、ヤコブ、ヨハネは12使徒の中でも三羽烏となる。福音書を読めば、彼らは、知識が乏しい者たちであっても、ナザレ人イエスをキリスト、すなわち救い主として受け入れていたことは事実。このことが大事。知識人であっても、教養人であっても、聖書の知識に精通しているような人であっても、イエスを神の救い主と受け入れることができない人はざらにいる。だが、彼らは受け入れた。その証拠が、「漁をやめてすぐに従った」という事実である。漁を止めることによる経済的損失が考えられる。キリストについていく上で、様々な犠牲も覚悟しなければならない。なのに、なぜ、これができたのか?それはキリストに最大の価値を見いだしたからである。マタイ13章45~46節をご覧ください。ここは「天の御国のたとえ」の一つで、「良い真珠を探している商人のたとえ」である。当時、最も高価とみなされていた宝石は真珠であった。すばらしい値打ちのある真珠は、全財産を投げ打っても買うだけの価値がある。彼らはいわば、すばらしい値打ちの真珠を見い出した。

キリストは「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と宣言した。「天の御国」という表現はマタイ独特の表現で、「天の御国」という表現はマタイの福音書のみ。ここから「天国」という呼び名が生まれたが、他の福音書ではすべて「神の国」と表現されている。ではなぜマタイは「神の国」という表現を使うことを遠慮しているのか。ユダヤ人は「神」というヘブル語は神聖なものだとし、発音することをせず、代わりに「主」また「天」という用語を当てはめ、神を婉曲的に表現した。「天に赦しを求むべし」等々。マタイの福音書はユダヤ人を意識して記された書なので、「神の国」ではなく「天の御国」という呼び名を多用している(32回)。異邦人が意識されているルカの福音書ではすべて「神の国」(32回)。「天の御国」は一つもない。こうした背景を汲み取ると、「天の御国」を空の上にある天上の世界と簡単に受け取るべきではない。では当時のユダヤ人たちの神の国の理解はどうであったのか。実はユダヤ人たちは神の国を、地上の政治的王国として受け取っていた。当時はローマ帝国に支配されていたので、預言されているメシヤが来られ、ローマからの独立を勝ち取ってイスラエル王国を築いてくださる、それが神の国だと信じていた。それも理解が正しくない。聖書が告げる神の国は天上、地上を越えている。キリストはある時、言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』と言えるようなものではありません。いいですか。神の国はあなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17章20,21節)。キリストを信じた時に、神の支配はその人に始まる。神の国は現代の三次元の目に見える物質世界を言うのではない。この物質界にすでにある、霊的な神の国というものがある。キリストを信じ宿した心が神の国と言っていいかもしれない。そして、天上にある天国も神の国である。聖書はそれを天の故郷とか聖なる都と呼んでいる。けれども、この天国も神の国の最終形ではない。神の国の最終形はやがて訪れる新天新地である。それは、キリストの再臨の後に、完成する世界のことである。その姿は黙示録21,22章に詳しい。新天新地が完成した神の国である。もはやそこに呪われるべきものは何もない。罪も、死も、病も、悲しみもない。あるのは永遠のいのちと義と平和と喜びである。この神の国こそが私たちのホームタウンと言えるだろう。この神の国こそがすぐれた値打ちがある真珠であり、そして当然のことながら、神の国の王そのものも、すぐれた値打ちのある真珠である。王あっての国であるから。王と国は切り離しては考えられない。王と国は一体である。そして、キリストがその王である。

ユダヤ人たちは、神の国は、旧約聖書に預言されている王なるメシヤが出現して始まると信じていた。この理解自体は正しい。だから、「天の御国が近づいたから」のメッセージには、あなたがたが待ち望んでいた王が来られるというメッセージが含まれている。王あっての神の国である。そしてここでは、あなたがたは誰を王なるメシヤと認めるのか?という問いが当然のことながら含まれている。シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネは、イエスさまが聖書で預言されていた王なるキリストであること、神の救い主であること、神の国の王なるメシヤであることを信じ認めた。彼らは、すべてを投げ打ってもかまわない、すばらしい値打ちのある真珠を確かに見い出した。やった!見出したぞ!だから、網を捨て置いて、すぐにキリストに従うことができた。ためらいはなかった。この彼らの決断はまちがっていなかった。

さて4章23~25節からキリストの働きについて見よう。23節をご覧ください。キリストの働きの範囲は「ガリラヤ全土」と広範囲だった。ある限定された領域にとどまらなかった。当時のユダヤ教の教師たちはスモールグループで弟子たちを教えるにとどまった。だがキリストは違う。ガリラヤ全土という働きに私たちは感動を覚える。

働きの内容は三つである。第一に、会堂で教えた。会堂とはユダヤ教の礼拝所だが、ここは礼拝するだけでなく、いわば、ユダヤ人のコミュニティーセンター。ここで教えを受けたり、話し合ったりした。生活相談やもめごとの調停などもした。原語の<シナゴグ>は、「集まる場所」を意味する。シナゴグは町々の丘といった高い所に建てられた。キリストはここで教えた。「教える」ということばは、組織的に、論理的に説明することを意味する。キリストは旧約聖書をひも解いて、このみことばは、こういう意味がある、この預言の意味はこうである、そういう風に説明したであろう。第二に、御国の福音を宣べ伝えた。「宣べ伝える」ということばは、説明ではなく、単純に宣言を意味する。何を宣言したか。福音というグッド・ニュースである。何が福音であるかは、近い文脈では17節で語られていた。グッド・ニュースとはこの場合、天の御国には、悔い改めて御国の王であるイエス・キリストを信じ受け入れるなら入ることができるということ。キリストが天の御国をもたらす王なるメシヤ。どんな罪人でも、誰でも、悔い改めとキリストに対する信仰によって救われ、御国の民とされる。これがグッド・ニュースである。

キリストの働きは第三に、いやしである。「民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」。24節にも、キリストのいやしについて記されている。「イエスのうわさはシリヤ全体に広まり」とあるが、地域としては、シリヤはガリラヤの北の地域だが、おそらくここは、ローマ帝国でシリヤ州と当時呼ばれていた地域を指しており、そこはパレスチナをほとんどカバーする。そこにはガリラヤもユダヤも入る。すなわち、キリストのうわさはパレスチナ全土に広まり、25節を見ると「ヨルダンの向こう岸から」ともあるので、パレスチナの外側の人々も、キリストに関心を寄せ集まってきたことがわかる。すごいとしか言いようがない。

キリストのいやしはいくつかのことを物語っている。第一に、キリストの奇跡的いやしは、キリストが神であることを物語っている。第二に、キリストは預言されていたメシヤであることを物語っている。いやしはイエスがメシヤであることのしるしである。(イザヤ35:5~6;61:1)。第三に、キリストのいやしのみわざは、神の国到来のしるしであり、神の国が現実のものであることを物語っている。第四に、キリストの愛を物語っている。キリストの愛、あわれみは、このいやしに表わされている。キリストは人間のたましいの問題にだけ関心があるのではない。たましいと肉体を含めた人間の全体性に関心があられ、全人的な救いを願っておられる。

キリストのもとに民衆が殺到したのは、キリストの神的力とともにその愛に引き寄せられたことは疑いをえない。キリストはどんな人に対してもオープンで近づきやすかった。キリストのもとには、人々に罪深い者として嫌われている者も、汚れているとして人に遠ざけられていた病人も、誰であっても安心して近づくことができた。キリストはえこひいきをされなかった。無用に人を裁かなかった。サマリヤ人でも、ガリラヤ人でも、異邦人でも、姦淫の女でも、病人でも、精神的におかしくなってしまっている人でも、わけへだてない。キリストはみなに優しく親切であった。そして、ご存知のように十字架について私たちの罪のためのさばきを全て受けとめてくださり、悔い改め信じる者の罪を赦し、永遠のいのちを与え、御国に救い入れてくださろうとした。このキリストは私たちの神となってくださり、真理となってくださり、愛となり、いのちとなり、喜びとなり、生きがいとなり、すべてのすべてとなってくださる。

今日、受け止めていただきたいことばは、このキリストが19節で言われているように「わたしについてきなさい」と招いておられるということである。キリストがまことの神であり、救い主であり、御国の王であり、愛とあわれみに満ちたお方であり、私たちに罪の赦しと永遠のいのちを与え、御国に救い入れてくださることを覚えるときに、この方についていかない理由はどこにあるだろうか。「わたしについてきなさい」。この招きのことばを真剣に受け止めていただきたい。

クリスチャンの方には、このことばを、もう一歩踏み込んで受け止めていただきたい。このことばは、ガリラヤ湖畔を僕といっしょに散歩しましょうという招きのことばではない。「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」と、人を救いに導く弟子として招いておられるということにも着目していただきたい。現在、日本のクリスチャン人口は0.88%という統計が出ている。まだ、大勢の人がまことの神を知らないでいる。御国の福音を知らずに、滅びに向かって歩んでいる。キリストを知らずに歩んでいる。前世紀のある統計では、95%のクリスチャンが人々の救いのために何もできないでいる、導いたことがないということになっている。私たちは生活領域の中で、キリストに従い、福音を広める働きに与っていきたいと思う。