前回、3章1~12節までから、キリストの公生涯の先駆けとしてバプテスマのヨハネが現れ、悔い改めのバプテスマを授けたことについて学んだ。ヨハネはユダヤの荒野で悔い改めを語り、ヨルダン川で水のバプテスマを授けていた。悔い改めることが、来るべき救い主、王であるメシヤの救いを受ける絶対条件であったからである。御国に入る絶対条件であったからである。前回は「悔い改め」をポイントとして学んだが、今日は「バプテスマ」である。

バプテスマのヨハネがバプテスマを授けていた頃、彼のもとにバプテスマを授けてもらうために、ある人物がやってきた。主イエス・キリストであった(13節)。キリストは人としてはヨハネより6か月下である(ルカ1章30節)。年齢はこの時、およそ30歳である(ルカ3章23節)。

「ガリラヤからヨルダンにお着きになり」ということばをご覧ください。キリストはガリラヤ地方のナザレという寒村で生活をしておられた。そこからヨルダンは南に下るわけだが、実際、ヨハネがヨルダン川のどの辺りでバプテスマを授けていたかは特定できない。死海の近く辺りではなかったと想像はされている。「お着きになり」ということばは、3章1節で、バプテスマのヨハネが出現したことを伝えることば「現れ」と原語は同じである。<パラギノマイ>という原語は、偉いお方が公けに到着したり出現する時に用いられることばである。バプテスマのヨハネは王の来訪の前ぶれをする布告官・伝令官として出現した。そして悔い改めを叫び、人々に王なるキリストを受け入れる備えをさせようとした。前回お話したように、古代では王を迎え入れる地の人々は、王の到着に備えて、道を改修したりすることがあった。ヨハネは「主の道を備えよ」と、それをたましいと生活行動の領域でさせようとした。そしてキリストは、ヨハネのあとに、御国の王のお役目をもって公けに出現した。なのに、ここでは、「ヨハネからバプテスマを受けるために」という理由付けがされている。ヨハネのバプテスマは悔い改めのバプテスマである。イエスさまは罪をもたない。告白すべき罪、赦しにあずからなければならない罪をもたない。ヨハネは荒野でイエスさまを見た時に、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と宣言したことがヨハネの福音書には記されている(ヨハネ1章29節)。この声明から、イエスさまは罪の赦しを必要とする罪人ではなく、反対に罪の赦しの権威をもち、人々の罪の赦しを与える神の救い主であることがわかる。そのお方がなぜか、バプテスマを受けるためにヨハネのもとに来た。

初代教会時代、異端として退けられた教えにグノーシス主義がある。彼らは、イエスは普通の人(すなわち、私たちと同じ罪人の一人)であったにすぎないとする。しかし、バプテスマの時にキリストの霊を受けて神的性質を宿した説明する。しかし、それは違う。主イエスは生まれた時から全き人にして全き神である。

この時のヨハネの反応はどうであっただろうか?(14節)ヨハネはイエスに「そうさせまいとして」という表現が印象的である。原語<ディアコールオー>の意味は「妨げる」「阻止する」。しかも接頭語の<ディア>は語意を強める働きがあることばで「根気よく」とか「しつこく」を意味する。さらに動詞の時制は未完了時制であり、繰り返し繰り返しその行動をしたというニュアンスを伝える。「イエスさま、それは困ります、勘弁してください、できません」と繰り返し、しつこく断った。ヨハネの当惑を良く伝えることばとなっている。ヨハネがイエスさまにバプテスマを授けるのを拒んだ理由は、7節で観たパリサイ人やサドカイ人にバプテスマを授けるのを拒んだ理由とは正反対である。彼らは悔い改める必要があったにもかかわらず、その意志はなかった。だから悔い改める意志のない彼らにバプテスマを授けることを拒んだ。イエスさまの場合、悔い改める罪をもっておられない。それどころか罪の赦しの権威をもつ神自身である。

ヨハネは「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに」と言っている。ヨハネは、バプテスマを受ける人々と同様、自分は罪人であると自覚していた。バプテスマのヨハネは「母の胎内にあるときから聖霊に満たされ」(ルカ1章14節)と御使いによって預言されていた人物である。だからと言って彼は罪がないというのではない。彼は自分が罪人であることを自覚している。だから、むしろ、私があなたからバプテスマを受けなければならない存在だと表明している。

イエスさまは、それは自分にはできませんと拒み続けるヨハネを説得する(15節)。「すべての正しいことを実行するのは」ということばから、人類の罪からの贖いの計画のために、キリストがバプテスマを受けることは必要不可欠なことなのだと悟らなければならない。

ヨハネはこの時、イエスさまがバプテスマを受けなければならない意味をどれだけ理解したのかはわからないが、「ヨハネは承知した」と、神のご計画の行動に入っていった。これは、イエスさまがマタイ16章で、これからエルサレムに行って自分は長老、祭司長、律法学者たちから苦しめられ、殺されると弟子たちに告げられた時に、ペテロが「そんなことがあってはなりません」とイエスさまを引き寄せいさめた姿と対比できるかもしれない。そのペテロの行動は神の計画を邪魔することでしかなかった。

では、イエスさまがバプテスマを受けられた意味を読み解いていこう。第一に、このバプテスマは、罪人と一体になることを表わしていた。イエスさまが罪人と一体になろうとしたことは、単に罪人の中に住んだということだけではない。イエスさまは汗を流し、罪人と生活をともにされ、社会生活を営んだ。マタイ17章の終わりには、税金を納める義務がないイエスさまが税金を納めようとする記述がある。万物を造られ、万物を保持しておられる支配者、主権者にその義務はないのだが、社会を構成する共同体の一員という立場で税金を負い、税金を支払った。人が経験することはたいてい経験した。「罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように試みに会われたのです」(ヘブル4章15節)とも言われている。そして最大なことは人類の罪を負うことによって、人類と一体となられたということである。「彼は多くの人たちの罪を負い」(イザヤ53章12節)。「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました」(Ⅱコリント5章21節)。キリストは十字架の上で文字通り罪人と一体となり、その罪を負った。それは私たちを罪から救うために。この職務の最初の行動、最初のステップとしてのバプテスマである。罪のないお方が罪人の立場を取られ、バプテスマを受けられた。

私たちは、この驚くべきキリストの謙遜の姿を見る時に、罪を認めないこと、悔い改めないこととはどういうことなのだろうかと思ってしまう。私たちはここまでの行動に出てくださったキリストを思い、自分の罪を恥じ、悔い改めなければならないと思う。サドカイ人やパリサイ人のように、自分たちのプライドにしがみつき、悔い改めないでいることは悲しい。自分を義とし、そのままで神の国に入れると思い違いしているなら悲しい。私たち人間は、このキリストの後ろ姿から教えられ、罪を悔い、バプテスマに与らなければならない。

第二に、このバプテスマは教会の信者と一体になることを表わしていた。このバプテスマは悔い改めのバプテスマであるけれども、キリストの死と復活のシンボルでもある。キリストはバプテスマによって私たち罪人との一体性を表わしたけれども、私たちはバプテスマによってキリストの死と復活と一体となったことを表わす。クリスチャンにとってバプテスマは、キリストとの一体性を表わし、教会に加えられたことを表わすものである。だからキリストがここで受けたバプテスマは、罪人と一体となることを表わすばかりではなく、クリスチャンのバプテスマの先がけと言ってよいだろう。質問があるが、キリストは信者である神の子たちとの関係で、聖書では何と呼ばれているだろうか?答えは「長子」である。「御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです(ローマ8章29節,ヘブル1章6節参照)。キリストは神の家族の長子である。長子は後に続く者たちの先がけとなる。ではキリストは教会との関係では何と呼ばれているだろうか?答えは「かしら」である。キリストは教会との関係では「かしら」「第一のもの」と呼ばれている。「また、御子はそのかしらである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自分がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです」(コロサイ1章18)。キリストはバプテスマにおいても第一のものとなられた。キリストは神の家族の長子として、教会のかしらとして、第一のものとしてバプテスマを受けてくださった。

ある人たちは、信じていればそうでいいのであって、バプテスマを受ける必要はないでしょうと言う。そのような隠れ何とかの人たちは、キリストご自身が私たちの先がけとして公けにバプテスマを受けられたことを知らなければならない(16節)。

バプテスマのスタイルということについても少し触れておこう。「バプテスマを受ける」<バプティゾー>ということばは「水に浸す」「沈める」である。だからバプテスト派は、滴礼や灌水礼ではなく「浸礼」(浸す+儀礼)のスタイルを取る。バプテスマはキリストの葬りと復活との一体性を表わすということを思っても、このスタイルが最善であると信じる。16節では「水から上がられた」とあり、浸礼と採るのが自然である。ヨハネ3章23節ではヨハネがバプテスマを授けていた場所に関して、「そこには水が多かったからである」と記述されている。ザブンの印象がある。また使徒8章38~39節の、ピリポが宦官にバプテスマを授ける場面では、「水の中へ降りて行き」「水から上がって来たとき」とある。バプテスマの最善のスタイルは浸礼であることはまちがいない。

第三に、このバプテスマはキリストの王としての即位を表わしている。「キリスト」という称号は「救い主」を表わすわけであるが、「キリスト」の元々の意味は「油注がれた者」である。王、祭司、預言者の即位に際して頭に油が注がれた(Ⅰサムエル16章13節参照~ダビデへの油注ぎ)。キリストには、王、祭司、預言者の三つの職務があると良く言われるが、この場面で御霊の油注ぎがあった。この意味を読み解くのにはイザヤ書が参考になる。イザヤ42章1節、61章1節を見よ。これらはメシヤ預言の箇所であるが、メシヤなる王に油注ぎがあるという箇所である。キリストはこのユダヤの荒野で油注ぎを受け、王としての資格を得た、王に即位した、と言ってよいだろう。そして、公生涯に入って行かれ、御国の福音を伝えて行かれる。16節で聖霊が注がれた記述は「神の御霊が鳩のように下って」とある。御霊が下られたことは確かであることを示すために、視覚的なかたちで示してくださった。そして、この王なるメシヤとしての即位を御父が承認されたという証拠が17節にある御父のことばにある。17節で御父はキリストを「わたしの愛する子」と呼んでおられる。「子」という表現はメシヤ預言の詩編2編7節にも見られ、そこでは「あなたは、わたしの子」というメシヤに対する呼びかけがある。良く16,17節の場面で、御子、御霊、御父の三位一体の麗しい関係が見られると言われるが、確かにそうだろう。付け加えておくと、ここでイエスさまが受けた御霊とは、王なるメシヤ、キリストとして認められたしるしであるということだけではない。御霊はキリストの公生涯にとって実際的な力となったことも覚えておきたい。ある人たちは、キリストは神なのだから、御霊の力など受けなくても、その職務は全うできたではないかと言われるかもしれないが、キリストは人間性を身にまとわれ、人間と一体となられたゆえに、御霊の力によって神のみわざを行うことがみこころであった(ヨハネ3章34節,使徒10章38節参照)。

最後に17節の御父のことばから、励ましを受けて終わりたい。私たちは自分をどう見ているだろうか?まずバプテスマのヨハネのメッセージを受けとめ、悔い改めが必要な罪人として、自分見なければならない。バプテスマのヨハネの声に耳を傾け、砕かれ、罪人のかしらになければならない。ともに、神に立ち返った方々は、自分を神に愛されている者と見ていただきたい。「わたしの愛する子」とはキリストにかけられたことばであるが、それは信者である私たちへのことばでもある。キリストは長子として、私たちの先がけとして、続く神の子どもたちのためにバプテスマを受けられた。あるクリスチャンの方が、ある時、心の中に、「あなたはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という御声が響いてきて、神の愛で心が満たされたという。私はこの証を聞いて感動を覚えた。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1章12節)。神の子どもとされた一人一人は、17節のみことばを自分へのみことばとして受け取る特権がある。「神に愛されている者」の「愛されている」という形容詞<アガペートス>は、聖書で信者にも用いられている。「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」(ローマ1章7節)。<アガペートス>は深い、強い愛を表わすことばだが、私たちは罪人であるにもかかわらず、心から神に愛されている。愛されている神の子どもである。今朝は、キリストが罪人である私たちと一体になるためにバプテスマを受けてくださったこと、また信者の先がけとしてバプテスマを受けられたこと、そして王なるメシヤとして即位されたということ、これらを覚えるとともに、神の愛は神の子どもたちの上に確かにあるのだということも覚えていただきたい。神の愛を信じ、愛してくださる方のみこころのうちを生きよう。