本日より、マタイによる福音書の講解メッセージに入る(1章~2章18節までの誕生の記録はクリスマスシーズンに解き明かしをさせていただくことをお許し願いたい)。今日の箇所を見ると、キリストが成人し「ナザレ人イエス」と呼ばれたことが記されている。今日の箇所で注目したいことは、キリストがナザレ人と呼ばれることをよしとされたということの意味である。

ご存知のようにキリストはユダヤのベツレヘムで降誕された(2:1)。実はこの頃、イスラエルを越えて、メシヤがユダヤから出るという噂が広まっていた。古代の歴史家たちの証言を幾つか紹介しよう。歴史家のタキトゥスは書いている。「多くの人々の間に、このような噂が立っている。古代の祭司たちの書に、ちょうど今頃、東が強大になり、ユダヤから出る者たちが世界を支配すると書かれていると」。歴史家のスエトニウスは書いている。「世界に君臨するものが今の時代にユダヤから現れるという、古来からの根強い意見が、東洋で広がりを見せている」。こうした期待感が古代世界にあったことは、東方の博士たちの関心からもわかる。またこうした期待感は少なからずも政治的動揺を招いていた。歴史家ヨセフスは、キリストが降誕された頃、キレニウスが人口調査のために派遣されたとき、ガリラヤのガマラ出身のユダが立ち上がり、ローマ総督に抵抗し、大反乱を起こしたことを伝えている。ユダヤは、今や、いくつかの扇動集団が、何者かを指導者に祭り上げさえすれば、その者は即座に王座にのしあがり、庶民を率いて騒動を巻き起こす危険があった。ヘロデ王はこのような時代のユダヤの王であったので、来るべき王に政権を乗っ取られるのではないかとピリピリしていた。だから、ベツレヘムにメシヤが生まれたことを東方の博士たちから聞いた時、黙ってはおれなくなり殺意を抱いた。ヨセフとマリヤは幼子イエスを連れて、エジプトへ逃げた(2:14)。この頃、エジプトにはユダヤ人居住地があったので、エジプトはかっこうの逃れ場所となった。

「ヘロデ王」について触れておこう。「ヘロデが死ぬと」(19節)で、今日の箇所が始まるが、彼は紀元前4年4月1日に亡くなった。彼は外国のイドマヤ出身であったため、ユダヤ人の目には外国人として映り人気がなかった。「イドマヤ」とは、エサウの子孫の居住地。よってユダヤ人はヘロデのことを「反ユダヤ人」と呼んでさげすんでいた。ヘロデはユダヤ人の支持を得るためハスモン王家のマリアンメと結婚する。また神殿修復事業に乗り出す(4章5節参照)。しかし実際の彼は権力維持のためにローマに媚入ったり、異教的なものも国内に持ち込んだりと、評判は良くなかった。彼は嫉妬深く疑心暗鬼で残忍な性格で、時の皇帝からも「ヘロデの子であるよりは豚であるほうがよい」と言われてしまった。彼は10人の妻により15人の子どもをもうけたが、最愛の妻であった2番目の妻であるマリアンメを処刑し、彼女との間にもうけた二人の息子を処刑し、自分が亡くなる5日前は長男をも処刑してしまう。非常に残忍な男である。自分の地位を危うくする存在とみなせば、血を分けた家族であろうが容赦しない。彼の残忍性は2章16節の幼児殺しの事件からもわかる。人を殺し続けた彼は、口で表現することをはばかるような状態で病苦にさいなまれつつ死んでしまう。

ヘロデ王が死んだ時、主の使いの啓示によって、ヨセフたちはイスラエルの地に上る(20,21節)。しかし具体的にどこの地に居住したらいいのか?22節を見ると、ヘロデの息子の一人アケラオがユダヤを治めると聞いて、また夢の啓示により、ガリラヤ地方に立ち退いたことが記されてある(22節)。「アケラオ」は父に代わって紀元前4~紀元6年の間、ユダヤを治めた。彼は父に劣らず残忍な性格だった。実はヘロデは亡くなる前、ユダヤ教の高名なラビであるユダとマッティヤを殺してしまっていた。また神殿の門には征服者のローマの旗が翻っていた。ヘロデが持ち込んでいた。ユダヤ人たちの間では不満が募っていて、ピークに達していた。そしてそれはアケラオの時代に爆発した。過ぎ越しの祭りにユダヤ人の間で暴動が起きた。その時、アケラオはユダヤ人3千人を処刑してしまった。しかも処刑された多くの人は革命分子とは何ら関係のない、過ぎ越しの祭りのために都上りをした巡礼者たちであったと言う。この3千人処刑事件は有名である。十字架刑に処せられたとも伝えられている。アケラオはほどなくしてユダヤ人とサマリヤ人に訴えられ、追放され、流刑の身となる。それが紀元6年で、その後、ユダヤはローマ直轄の地となる。キリストが公生涯を送られる時期は、ポンティオ・ピラトがローマから遣わされ、ユダヤ総督として在任し、ユダヤを治めていた。キリストはユダヤ総督ポンティオ・ピラトのもとで十字架刑となる。

ヨセフたちが立ち退いた「ガリラヤ地方」は、キリストが活躍された地として今や有名になり、ガリラヤ湖なども観光地として知られるようになったが、この頃は誇り高く見られていた地方ではなかった。メシヤ預言のイザヤ書9章では「異邦人の地ガリラヤ」(1節)と呼ばれている。紀元前732年にガリラヤ地方はアッシリヤに征服されてしまい、民は捕囚となる。以後この地方に多くの外国人が移住することになった。その結果、人種は混じり合い、混合文化が生まれたという。ガリラヤの人たちは、ユダヤの人たちから見れば、不純で、卑しい、田舎者と見られてしまうところがあった。

ヨセフたちはガリラヤ地方の一つの町、「ナザレ」に住みつくこととなった(23節前半)。「ナザレ」はエルサレムから約88キロ北にある盆地のような所にあり、幅2.5キロ程度の村。当時、人口は500人ぐらいではなかったかと推定されている。軒数にして50~60軒ではなかったかと思われる。ナザレの人々は無骨で粗野な人々として知られていた。「ナザレ人」という表現は、長い間、教養がなくて野蛮な人物を意味する嘲笑の用語であった。その証拠はヨハネ1章46節にある。1章45~47節を読んでみよう。ナタナエルはピリポに言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう」。ナタナエルはガリラヤのカナ出身で、ナザレとは10キロ程度しか離れていない。そのナタナエルの発言である。低く見られていたガリラヤ地方の中でもナザレは低く見られていた村であったということである。ナザレ人がいかに卑しめられていたかがわかる。私たちが今日、心に留めたいことは、キリストが人々に蔑まれていた「ナザレ人」と呼ばれることをよしとしてくださったという事実である。キリストは捕縛されて大祭司の庭にいた場面でも、「ナザレ人イエス」と呼ばれている(26:71)。キリストは公生涯の間、そのように言われ続けたのだろう。

ナザレ人と預言との関係について触れておこう(23節後半)。「これは預言者たちを通して『この方はナザレ人と呼ばれる』と言われたことが成就するためであった」とあるが、旧約のどこに、この預言が記されているのか?これが難問であり、実は、世界中の学者みんなが納得のいくという解答はなく、どれも推測の域を出ない。というのは、「この方はナザレ人と呼ばれる」という一文の預言は聖書のどこにもないからである。モーセ五書にも詩編にも預言書にも、その他のどこにもない。これに近いかたちの文章もない。しかも「預言者たち」と複数形になっているので、複数の預言者が預言したと読みとれるのだが、複数どころか一つも見いだせない。そのため、「この方はナザレ人と呼ばれる」という預言は旧約聖書に書いていないだけで、当時のユダヤ人たちは、この預言を先祖から聞いて知っていたのだとする学者もいるが、その証拠もあるわけではない。

一つ有力な説は、「ナザレ」という地名はメシヤを意味する「若枝」から派生しているというもの。「ナザレ」と「若枝」の発音の近さに着目する。参考としてイザヤ11章1節を開こう。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」。「若枝」はメシヤのシンボルであることが知られていた(その他として~イザヤ4:2;53:2;エレミヤ23:5;33:15;ゼカリヤ3:8;6:12)。「若枝」のヘブル語の原語は<ネツェル>。「ナザレ」のギリシャ語の原語は<ナザレス>なのだが、この村はその他に<ナザレット><ナザラー><ナザラット>と様々な発音がある。日本でもそうだが、地名は呼び方が微妙に変化することがある。整理すると、若枝を意味する<ネツェル>が、<ナザレス><ナザレット>のことばに込められているという説である。しかし、これを確実に裏付ける言語学的証拠があるわけではない。けれども、マタイはヘブル語とか預言に詳しいユダヤ人を意識して記したので、この節の可能性は否定できない。有力な説である。

もう一つは、「ナザレ人」という呼び名に内包される意味は良い意味ではなく、この名は蔑称であるということと、イエスさまは実際、蔑まれたり、卑しめられたり、嘲られたりしたということに着目して、メシヤが侮辱されることが記述されている種々の預言の箇所を「この方はナザレ人と呼ばれる」という一まとめの表現で描写しようとしたというもの。参考にイザヤ章53章2~3節を開こう。「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、・・・人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」(その他~詩編22:6~8「さげすみ」「あざけり」;69:20~21「そしり」)。どの福音書を見てもわかるが、イエスさまは蔑まれ、嘲られ、そしられ、憎まれ、ひどく卑しめられたことは事実である。旧約聖書の預言の箇所で蔑まれているメシヤをシンボル化して「ナザレ人」と表現することは可能であろう。

ヨセフとマリヤは、預言の成就を意識してナザレに住んだわけではないだろう。神の摂理でそうなった。ベツレヘムでの誕生はミカ5章2節の預言の成就だが、それとてヨセフたちが意識してベツレヘムでの出産を試みたことではなく、住民登録の命令が下ったため、泣く泣く、身重のからだの妻を連れてベツレヘムに上るしかなかった。そこで産気づいてお産した。すべてに神の摂理が働いていた。

「ナザレ」と聞くと、今の私たちは比較的、良いイメージを抱く。しかし、もともとそうでなかったことを今朝、心に据え置きたい。ナザレの町は全くの無名の町で、旧約聖書のどこにも言及されていない。ユダヤ教の教典であるタルムードやミドラシュにも。当時のことを記述したユダヤ人歴史家ヨセフスの書物にもない。ナザレは無名で、注目されていない町だった。福音書が書き上げられ、読まれるまで、文章で知られることはなかったような寒村だった。そしてこの町に住む人々は「ナザレ人」として卑しめられていた。そしてこの「ナザレ人」という呼び名は、クリスチャンに対する悪い意味でのあだ名として使われることになる。教会初期の記録に次のような文章が残っている。「ユダヤ教会堂(シナゴグ)の祈りにおいて、クリスチャンはしばし、ナザレ人として呪われ、いのちの書から消し去られるようにと嘆願された」。使徒の働き24章5節では、パウロが「ナザレ人という一派の首領」と呼ばれている。「ナザレ人」という呼び名は初代教会のクリスチャンを侮蔑するために、彼らに当てはめられて使われていた。「ナザレ人」は完全に人を馬鹿にする呼び名であった。

私たちはイエスさまがあえて田舎のガリラヤ地方の、しかもガリラヤの中でも冴えない寒村、ナザレの住人となることをよしとされ、イメージの良くない「ナザレ人」と呼ばれることをよしとされたということの意味を考えてみなければならない。イエスさまの誕生は家畜小屋での誕生という人として最低の生まれ方をしてくださった。そして逃亡生活の後は、これまた人々の評判ということから言えば最低の地といってよいナザレ。「ナザレから何の良いものが出るだろう」と言われる地。3章に入ると、イエスさまがバプテスマのヨハネからバプテスマを受けたことが記されている。そのバプテスマの意味は幾つかあり、3章に入ってから学ぶこととするが、大切なことは罪人との一体性を表わすということ。罪のないお方が悔い改めのバプテスマを受けられた。その後は、辱しめられ、蔑まれ、卑しめられ、嘲られる公生涯を過ごされ、そしてご存知のように、当時、人としての最低最悪の死に方であった十字架刑に服され、全人類の罪を負い、人々の罵声を浴びる中、死んでいかれた。イエスさまが「ナザレ人」と呼ばれることをよしとされたというのは、一つは、低く見られている境遇の人々であっても、完全に蔑視されている犯罪人であっても、どんな人々であっても、その人々と一体となり、その人々の救い主になるのだという愛のご覚悟の表れとみなすことができよう。

もう一つは、クリスチャンたちの謙遜の模範になるためである。人は育ちを気にし、評判を気にし、名声を気にかける。そしてそれを誇ろうとする。どこどこの出身だ、どこどこの大学の出だ、名士の出だ、職業はこれこれだ、身内はエリートだ。周囲もそういう人たちをちやほやし、田舎育ちの人や凡人を蔑む。クリスチャンもこの世の価値基準に倣い、ステータスにこだわることはないだろうか?しかし、イエスさまは「ナザレ人」と呼ばれることに甘んじられた。と言うよりも、あえて評判の芳しくない「ナザレ」を居住地として選ばれ、「ナザレ人」となることを選ばれた。また、ナザレでは裕福な生活をしたのでもない。両親は貧しかった。イエスさまは、育ち、学歴、名声などとは縁遠い生活をされた。みごとなまでに!実はそのナザレでも迫害されて、一時、命も危なかった。私たちは、このキリストの謙遜を思い、キリストの前に頭を下げなければならない。プライドにしがみつこうとする私たち、そのプライドは捨てなければならない。つまらないプライドは捨てよう。そして、この世の価値基準で人を見ることもやめよう。そしてキリストの辱しめを身に負わなければならない。キリストは私たちの救いのために、ナザレ人と呼ばれることをよしとされ、十字架の道を歩まれたのである。ヘブル人への手紙にはこうある。「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか」(ヘブル13:13)。「キリストのはずかしめを身に負って」とは、辱しめられたキリストの一派とみなされることを恥じとせず、キリストに従っていくということであろう。キリストご自身が私たちのために辱しめを身に負われた。「ナザレ人イエス」となられたことが、すでにその事を表わしている。私たちはこのキリストの犠牲とご愛に対して、生活を通して応えていきたい。先ず、キリストの受肉の精神をもってへりくだって周囲の人々に接しこう。そして、決してキリストとキリストのことばを恥じとせずに、キリストのことば、十字架のことばを伝えていこう。