斎藤がどのようにして信仰をもったか
 わたしの出身は福島県の会津地方、喜多方市の山都町。家は磐越西線の鉄橋の近くで、蒸気機関車を見る絶景のポイントとして知られているところである。私はそこで農家の長男として生まれた。私は小さい頃から体が弱く、虚弱体質であった。母親が亡くなる数年前に言っていたのだが、「お前は小さい時から、長生きしたくない、長生きしたくないと言っていた。変な子どもだと思っていた」。確かに、そう言っていたかな~と思う。それには訳があって、体が弱いというのとは別の理由があって、小さい時から子ども心に、「どうせ人間は死ぬんだ、だったらすべてが空しい」と思うところがあった。今でもはっきり思い出すのだけれども、小1の時、ランドセルを背負っての下校時…「はるこお~ろ~お~の~、はなのえん~…」荒城の月を歌いながら、人生は空しい~、と心の中でつぶやいて、校庭の空を見上げていた。冷めていたというか、余りかわいくない子どもだった。聖書物語は小学生の時、図書館から借りてきて読んだ。聖書そのものは、高校の時、家にあったギデオンの新約聖書を読んだのが最初であった。また東京の書店で「世界のベストセラー」という紹介に目が留まって、リビングバイブルと言われる平易な訳の聖書を買って読んだ。「なるほど~、聖書は死んだら終わりとは言っていないんだ~。それから先の世界のことも言っているぞ。何かわからないけれども、権威のある書物みたいだ。それにキリストという存在に献身することを勧めている。そんなに権威があるのか、このお方は~」。けれども信じるまでには至らなかった。
 大学は東京の経堂にある農大(短大)に入学した。そこでクリスチャンの学生たちと出会い、川崎市にある生田丘の上キリスト教会(旧、東生田キリスト教会)に通うようになった(この時すでに、妻の恵実子姉、そのお母さんの菜子姉はクリスチャンで在籍)。わたしは神の存在も一応信じていたし、俗にいう天国の存在も信じていた。しかし、聖書が信じ切れなかった。聖書が言っていることはすべて本当か?聖書に一箇所でも誤りがあるならば信じないぞ!そうした関心だけが占めていたように思う。ところがある時、礼拝後のこと、礼拝堂の中で、ひとりの婦人がすれ違いざまに、「斎藤君も救われなければなりませんね」とそれだけ言って、通過していった。変なおばさん!そのことばは、わたしに衝撃的だった。救われようと思って教会に足を運んでいたわけではないから。「えっ、ぼくって、救われなければならないんだ」と、その時、衝撃が来た。それまで、もちろん、人間はだれしもが罪人で、罪は裁きをもたらす、ということを聖書で学んでいた。罪からの救い、ということばを聞いてきた。自分が罪人であることは頭ではわかっていた。うそ、盗み、欲情だって抱くし、罪人であることは否定しない。それに天から下ったキリストは、私たち人間の「罪という泥」をかぶり、十字架の上で身代わりのさばきを受けてくださったことは聞いてきた。十字架という血の犠牲まで作って、神は人間を救おうとしたことは聞いてきた。でも、救われるために教会に足を運んでいるという自覚はなかった。「ぼくは、救われなくてはならないのか?知らなかった、どうしよう・・・」。婦人が去ったあと、すぐそう思った。牧師先生の理路整然としたお話よりもご婦人の一言が効く。
 でもその後、「地獄だって住めば都だから・・・、それに聖書は全部信じられない、この聖書から離れてしまおう、聖書を土台に人生を築くなんていうのはやめよう」と思ったことがあった。そう思った瞬間、言い知れない不安感が来た。「では、聖書に代わるものとして何を信じて生きていけばいいのだろう」。「この聖書を信じないのだったら何を?」その時、自分が糸の切れた凧のようになって、無明の空間に飛んで行ってしまうような感覚に襲われた。「聖書から離れたら、自分はだめになってしまう。たましいがどこかに吹き飛ばされてしまう」。素直になっていったのはそれからである。そして、私に救いを切望させることとなったみことばと出会った。
 ヨハネ8章31~36節 このみことばには、メッセージテープと本を通して出会った。テープは羽鳥明先生の伝道メッセージで「本当の自由」というテーマであった。求道者会の担当の方が貸してくださった。同日、同郷の方が三浦綾子さんの本を貸してくださった。そこにも本当に自由についてのお話しがあった。「真理はあなたがたを自由にします」(31節)。わたしはこのみことばから、自分のたましいが、いわば暗い地下牢に閉じ込められているような感覚になった。それをうまく口で説明はできないが。本来たましいが、あるべきところにいない感覚と言ったらいいのか。「自分のたましいは、霊は、闇に閉じ込められている。出してあげたい。自分のたましいは捕らわれている。自由ではないんだ。神から離れている。新しい旅立ちを経験したい。本当の自由がほしい」。それは大学一年のある日曜日の午後だった。
 その時、東京の狛江のアパートにいたが、ベランダに出て、祈った。祈ろうと思ったのは、その日の礼拝メッセージのみことばが、「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます」(マタイ21:22)だったからである。この者は、神さまは信じて祈るなら、きっと救ってくださる、と思ったのである。「神さま、わたしを救ってください。みことばの乳を慕い求めることができるようにしてください。イエスの御名によって、アーメン」。単純な短い祈りであった。それがこの者の救いの日であったと思う。自分が神のもとへ帰ることができた日。
 しかし、数週間後、心が揺らぐことになる。聖書の中心であり救い主であるイエス・キリストが、まことの神さまであるという確信が揺らぎ出した。けれども、それもほどなく聖書によって解決した。三浦綾子さんの「新約聖書入門」を読んで、ヨハネ1章1節に出会ったときのことである。
 ヨハネ1章1節「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」。 欄外注を見よ。「初めに」、永遠の初めに、永遠の昔から「ことば」があった。「ことば」とは人格をもつ者だけが使う。人格は知性、感情、意志をもつ。この宇宙が造られる前から、永遠の昔から存在していたのはある人格、そのお方が神、それはキリスト。永遠の昔から、初めの初めからキリストがおられた。この者は感情を表に出すタイプではないが、このヨハネ1章1節と出会ったとき、やはり狛江のアパートであったが、飛び上がって喜んだ。そばにいた従兄に、救急車呼ぶか、と言われたほど、喜んだ。「やったー、すごい!」。キリストがただの人間だったら、罪人の身代わりに十字架についたなんていっても、何の意味もない。がんばって一人の身代わりになれるくらいだし、せいぜい愛を表したで終わりである。何よりも、ただの人だったら、罪の赦しや永遠のいのちを与える権威などない。「僕は、ずーっとこのお方を信じていっていいんだ、このお方はまことの神さまだから」と安心感を得た。
皆さんの中には、罪の問題や永遠のいのちのことや、誰が本当の神さまかなどということにはさほど関心はなく、自己嫌悪や自分が好きでないという問題のほうが大きいという方もおられるかもしれない。そういう問題にも聖書は解決を与えてくれる。
斎藤がどのようにして神の愛を悟ったか
 実は、この者は大学を卒業し、成城学園の会社で働いているとき、体を壊し、胃の手術をした。会社を退職して、実家の会津に引っ込んだ。布団から寝起きしての療養生活。なかなか体調は戻らない。調子のいい時は田んぼに行って母の手伝いを少々。わたしはその生活の中で、自分が何のために存在しているのか、生きる意味も目的もわからなくなってしまった。普通、生きる意味、目的がわからなかったけれども、神さまを信じて、わかった、となる。けれども自分の場合、クリスチャンになって、生きる意味と目的がわからなくなってしまった。確かに、人間は神のために造られた、ということを学んでいた(スーパーコンピューターを見て、風が吹いているうちに偶然できたのよ、と思う人はいない。コンピューターは人間が人間のために造った。人間の頭脳はそのコンピューターの10億倍の性能をもつそう。では人間はどうしてできたのか?偶然の重なり合いでできたのか?進化の産物か?やはり、それを設計し、自分のために造った方がおられると考えるのが自然)。だけれども自分が思ったことは、「自分は体が弱くて、心も弱くて、何のとりえもなく、何もできない。神さまのためにも役になど立たない。無力、無能な自分だ。とりあえず斎藤家を相続する以外の役目は見当たらない。自分ひとりくらいこの世界から消えても、世界は何にも変わらない。地球は普通に回る。何で神さまは自分を造ったのだろう。何で自分は生きていなければならないんだろう」。自分の良い点を数え上げようとしたが何も思い浮かばなかった。「何で神さまは僕に生を与え、この世に僕を送り出したんだろう。僕はただの役立たず。生きていたくない。生きる気力はわかない。明日という日は来ないでくれ・・・」。朝、起きると、今日も新しい朝が来てしまった・・・・。布団の上でぼんやりして機械的にからだを持ち上げる。家の裏山に登ってため息をつく。田んぼの泥土の上を下向いて歩く。夜は闇の中で、明日は来ないでくれと思う。そういう毎日が続いた。
 そんなある日、山形のある教会を数人で訪ねる機会があった。そこの教会の牧師は、わたしと一緒に出かけた、まだ信仰をもっていない年配の女性に、あるみことばを語った。有名なみことばである。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43:4)。僕は、その時、いい有名なみことばをこの人のために語ってくれたね、ぐらいの思いしかなかった。ひとごとに聞いていた。しかし、家に帰って、夜、このみことばが不思議に自分の心に広がっていって、いつの間にか、この者の心はいやされていた。「神さまの目には僕はこのままで高価なんだ。神さまは、何かができるできないに関係なく、自分のありのままを愛してくれている。自分はこのままで愛されている。何もできなくても僕は神さまに愛されている。体が弱くても、無能でもいい。そうしたことで神の愛は変わらない。僕は生きていていいんだ。僕は愛されている」。その日から生きる意欲がわいてきた。生きるのが楽になっていった。「自分を愛してくれている神さまといっしょに生きよう。先々のことも、神さまにおまかせしよう」。この者はこの時、神の愛というものが本当にわかった。神の愛に気づかせてくれたのは、ただ一つのみことばだった。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」。
 さて、最初に読んだ箇所は、神の愛、すなわち主キリストの愛を知った男、ペテロの物語である。ペテロはキリストが十字架につく前に、キリストに対する忠誠を誓った男である。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らない、などとは決して申しません」。ペテロはこれを「力を込めて言い張った」とマルコの福音書には書いてある(マルコ14:31)。けれども、実際は口が渇かないうちにキリストを裏切ってしまう。三回もキリストを否む。「あんな人知らないよ」。しかも、「彼はのろいをかけて誓いはじめ、『私は、あなたがたの話しているその人は知りません』と言った」とマルコの福音書には書いてある(マルコ14:71)。キリストはこのペテロの裏切りの様子を見ていた。弟子たちにも見捨てられたキリストは、その後十字架刑に処せられ、人々の罵声を浴びながら死んでいく。
 その裏切ったペテロたちの前に、よみがえられたキリストが現れた。そして、今、岸辺で、三回ご自分を否んだペテロに対して、三回同じ質問をされる。15節~17
節。「あなたはわたしを愛しますか」。それに対するペテロの答えに注目していただきたい。「わたしがあなたを愛することはあなたがご存知です」(15節)。わたしは、ここを読むたびに、「自分だったら、『わたしがあなたを愛することはあなたがご存知です』などとは絶対に言えない。それにまた、どうしてペテロはこんな風に言えたのかもわからない」と思っていた。これは僕のなぞだったのである。かつて、「わたしはあなたを愛しています」と言わんばかりに、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」と、力を込めて言い張ったペテロ。しかし、すぐに「知らない」とキリストを否定してしまったペテロ。だから、もう大それたことは言えないはずだと思っていた。なのに、なぜ、「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存知です」などと言えたのか、わたしにはわからなかった。この時、ペテロからは力みも何も消えている。そして、素直な気持ちで答えている。だからなおわからない。わたしは思った。「なぜ自分の心を開いて、開け放って、無防備にして、透明にして、こんなにも素直な心で愛を表明できたのだろうか?『あなたがご存知です』なんて言えたのだろうか?僕にはわからない」。
 わたしはそれまで、「あなたはわたしを愛しますか」というキリストの三度の呼びかけを、何か、試験官の呼びかけのように受け取っていた(17節前半)。テストだ、尋問だ。三度裏切ったペテロを、三度試している。「今回はどうなんだい?」と。けれども、イザヤ43章4節のみことばをいただいた後、ある日の夜、この箇所を読んでいて、突然わかった。キリストの「あなたはわたしを愛しますか」という問いは、実は「わたしはあなたを愛している」ということばの裏返しなんだと、突然、気がついた。
 ペテロはキリストを裏切って心がズタズタになっていた。けれども、キリストは、そんな彼を赦し、愛しておられた。キリストは、一晩、漁をして何も捕れずに疲れきったペテロたちのために、朝の食事を用意してくださっていた。もうそれが愛の証である。ペテロは、自分の罪を赦し、自分をありのままに受けとめ愛していてくださっているキリストの愛を、ひしひしと感じていた。「わたしは赦され、愛されている。」キリストはみなさんのことも心から愛しておられる。その実感をもっていただきたい。
 今お話したように、わたしは、「あなたはわたしを愛しますか」という問いかけを改めて読んだときに、「わたしはあなたを愛している」というメッセージがわたしの心に響いてきた。「わたしはあなたを愛している」。ああ、主キリストは、こんなに無価値で、弱くて、何もできなくて、罪深い者をも愛していてくださっている。その時、わたしは素直に、「私があなたを愛することは、あなたがご存知です」と、ペテロと一緒に応答していた。心の中で。
 キリストの愛、キリストの十字架の愛、それは大きい愛。現代の私たちは「十字架」に関して、いいイメージを持ちすぎている。病院のマークも、薬箱のマークも、消防車のマークも、工事現場でも、とにかく十字架が街にあふれるようになった。人はネックレスにつける。十字架を嫌っていない。ところが当時はどうだったか?ユダヤ人にとっては十字架は呪いだった。そしてローマ人にとっても十字架は最も嫌悪すべきものだった。十字架をクルスと発音するのだが、上品なローマ人にとって十字架を意味するクルスは、口にしてはならないものであった。目にも耳にも口にもしたくないものであった。だからローマ人はどうしても十字架の死を口にしなければならない場合、遠まわしの表現を用いた。それは日本語にすると、「不吉な木に架ける」というものであった。また、十字架と言わず、「あの木、あの木」と呼んだりした。十字架は忌まわしいもの。この十字架につくというのは、人としての最悪の死に方であった。人間のクズとみなされるものの死に方であった。キリストの50年前の時代を生きたある人物は、十字架刑を「最も残酷で忌まわしい刑罰」と言っている。この十字架にキリストはついてくださった。私たちは、人生は不条理だ、矛盾だらけだ、なんで自分はこんな目に会わなければならないのかと自己憐憫にも陥る。けれどもキリスト以上に矛盾を強いられた方はいない。何一つ罪を犯さなかったのに、十字架にかけられ地獄の刑罰を受けたわけだから。私たちは自分のことは不満タラタラでいろいろ言ってしまうけれども、キリスト以上に不公平な人生を人として生きられた方はいない。また、私たち罪人である人間は責任転嫁をしやすいようにできているが、キリストはその反対であったことを覚えたい。私たちの罪の総量は東日本大震災の瓦礫どころでなく、計り知れず、そしてその汚れも比較にならない。それは想像を絶するおぞましい汚泥であるが、これらの私たちの忌まわしい罪を一身に負ってくださった。こちらから頼んだわけでもないのに。愛からそうしてくださった。そしてキリストは私たちが受けるべき刑罰を引き受けられた。キリストはポンコツ車が押しつぶされるようにして、裁きによってクラッシュされた。私たちの身代わりとなって絶命した。それは十字架にかけられてから、およそ6時間後のことであった。普通は1~2日もつ。この短さは私たち人間の罪を負うということの苛酷さを物語っている。十字架にかかって死に至るのは「窒息」によるとか「血液量減少性ショック」によるとか言われるが、聖書が強調したいことはそこにはない。私たちの罪がキリストを死に至らしめたということ、キリストは愛ゆえに私たちの罪を負い、十字架についてくださったということ。死んでくださったということ。この十字架の愛はまさしく、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」という愛の表れだったのである。
キリストは死後三日目によみがえった。そして信じる者とともに歩んでくださるお方となった。このお方が人生、寄り添って、ともに歩んでくださる。天の御国まで。
 聖書では罪の結果として起こることを「滅びる」という表現を用いるが、「滅びる」の原語の意味は「姿を見失うこと、なくすこと」。神さまのもとからいなくなってしまっている、ということが滅びの根本的な意味である。世界最初に罪を犯したアダムに、神さまが「あなたは、どこにいるのか」と呼びかけられた場面がある(創世記3章)。この問いかけは私たちに対する問いかけでもある。「あなたは、どこにいるのか」と神さまはいわれる。私たちを造られた神さまのもとにいない、神さまの中にいないということが人間最大の不幸なのである。それが空しさや心のうずきの原因でもある。皆さん、ひとりひとりは、今、どこにいるのだろうか?私たちを造り、愛しておられる神さまのもとに帰ろう。心に神を、主キリストを信じ受け入れていただきたいと思う。新しい人生のスタートはそこからである。