今日の記事は四福音書すべてに登場する有名な物語である。ペテロの否認の物語である。彼は主イエスを三回も否認してしまう。前回は主イエスがオリーブ山で捕らえられる場面であった。その後、主イエスは大祭司の家に連行されることになる(54節前半)。マタイは、この家は大祭司カヤパの家であると告げている(マタイ26章57節)。ペテロはどうしたのか。「ペテロは遠く離れてついて行った」(54節後半)とある。
その後、ペテロはどうなっていくのか。前回は、53節の主イエスのことば、「しかし、今はあなたがたの時、暗闇の力です」までであった。その暗闇の力はペテロにも向けられる。それは31節の主イエスのおことば、「シモン、シモン、見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました」ということが、一つのかたちとなって現れる試みでもあった。ペテロは揺さぶられ、へなへなとなり、サタンに敗北してしまう。では、ペテロの三回の否認を順番で見ていこう。
第一の否認の場面は55~57節である。エルサレムの春の夜は冷える。中庭で焚火をしていた。皆が座り込んで暖まっていたが、ペテロも焚火の前に座り暖まっていた。ペテロは焚火で暖まるために来たはずではなかったのだが、彼は焚火のそば近くに座っていた。一人の女が、火明かりに照らされて映し出されているペテロの顔を怪訝そうに見つめていた(56節前半)。この女は「召使い」と言われているが、ヨハネの福音書では「門番をしていた召使い」とあり、通常これは若い女奴隷の勤めであった。彼女は言った。「この人も、イエスと一緒にいました」(56節後半)。
ペテロの反応はどうであっただろうか。「しかし、ペテロはそれを否定して、『いや、私はその人を知らない』と言った」(57節)。「知らない」という表現に注目してみたい。原語においては、経験的に知るということばではなく、情報として知るということばが使われている。そのレベルでも知らない、と言っている。三年間寝食を共にしたはずなのに、見ず知らずの赤の他人のような扱いをしている。しかも「それを否定して」の「否定して」という動詞の態を見ると、決然たる態度、きっぱりとした態度を表す形になっている。つまり、「全く知らない」「知らん」「知るか」という態度である。原文の意を汲んだ直訳は、こうである。「俺はあいつなんぞ知るか。女よ」。新改訳には記されていないが、原文には「女よ」ということばが「知らない」と否定した表現の後にあり、これは女への非難を込めた文体となっている。だから、「いいえ、私はその人を存じ上げません。女の方」といった慇懃な口ぶりではないのである。「何言ってんだおめえ」という感じなのである。先の否定の表現をもう少し優しくしても、「俺はあの人ことなど全く知らない。女よ」となる。ペテロの応答は、断固とした否定と非難である。これは、「いや~、僕は知らないなぁ、記憶にないなぁ、ごめんね、お嬢さん」といった、白を切った態度ではなく、ちゃんとした否定の態度であり、主イエスとの関係性をきっぱりと否定した態度だったことだけは、覚えておきたい。側近の弟子からぬ態度であった。本来なら許される態度ではない。
第二の否認が58節である。「しばらくして」で始まるが、この間、マタイとマルコの福音書を見ると、ペテロは焚火を離れ、出口のほうに後ずさりした動きを見せている。ここで「ほかの男」が問いかけている。「あなたも彼らの仲間だ」。実は、マタイとマルコの福音書では二番目に問いかけたのは「召使いの女」とされている。男ではなく女とされている。二番目に問いかけたのは男なのか女なのか、どちらが正しいのだろうか。この違いをどう受け止めるかであるが、マルコ14章69節では、「召使いの女はペテロを見て、そばに立っていた人たちに再び言い始めた。『この人はあの人たちの仲間です』」とあるので、おそらくその女の召使いのことばを受けて、そばに立っていた人たちの中から一人の男性が、「そうだ。あなたも彼らの仲間だ」と言ったのだろう。ペテロは「いや、違う」と否定する。直訳は、「男よ。俺は違う」。何人もの視線がペテロに注がれ、ざわざわした空気感がそこにあっただろう。
三回目の否認が59,60節である。「それから一時間ほど立つと」で始まる。映画などを見ると、ペテロは短時間のうちに三回否認したような印象を受けるが、実際はそうではなかった。ペテロは主イエスのお姿が見える範囲にいたわけだが、この一時間、彼は何を考えていただろうか。この一時間、彼の心は不安定になり、混乱し、さらに委縮していったような印象を受ける。そして、「また別の男が強く主張した」とある。最後の一押しである。強くドンと一押しである。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから」。マタイの福音書では「ことばのなまりでわかる」ということばが付け加えられており、ペテロのガリラヤなまりが問題にされたことがわかる。ペテロは、表情だけではなく、ことばのなまりで感づかれた。
ペテロの反応は「あなたの言っていることはわからない」(60節前半)。直訳は、「男よ、俺はお前の言っていることなぞ知らない」。ペテロは三人の証言を全く否定した。申命記19章15節では、それが真実かどうかは二人ないし三人の証言によって立証されなければならないとあるが、まさしく、そういう証言がされた。ペテロが主イエスと一緒にいたことはまがいもない真実であったのである。にもかかわらず、ペテロは三人の証言をすべて否定してしまう。
すると、ペテロが話し終わらないうちに鶏が鳴いた(60節後半)。何という恐るべきタイミングだろうか。これは主イエスの預言の成就である。「主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した」(61節)(34節参照)。
なぜ、ペテロは主イエスを見捨てるような発言をしてしまったのだろうか。彼がサタンのふるにかけられていたことには違いないが、主イエスを否認してしまったこと自体はペテロの過失であり責任である。ペテロが否認に至った理由は、人を恐れた彼の弱さにあるわけだが、ペテロは自分を過信していた。しかし彼はこの時、素の自分の弱さを知ることになる。彼は主イエスの弟子であることを世間に知られることが恥ずかしかった。また、世間に知られてどのような視線を浴びるのか、どのような扱いを受けるのか恐かった。恥や恐れの感情というものは誰にでもあるわけだが、だからこそ、私たちは祈り、聖霊の助けをいただくことが必要である。使徒パウロは聖霊に言及した上で、弟子のテモテを励ましている。「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。ですからあなたは私たちの主を証することや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために苦しみをともにしてください。」(第二テモテ1章7,8節)。パウロは「囚人」を口にしているが、この時、キリストを宣べ伝えたかどで捕縛され、囚人の身であった。そのパウロのメッセージである。彼は、ただむやみに叱咤激励をしているのではなく、聖霊に言及した上で、8節で「ですから」と文章をつないでいる。また「神の力によって」と勧めている。私たちは自分の弱さを認めつつ、祈りによって聖霊の力に拠り頼む、そうした姿勢が必要である。自分は大丈夫だという過信はいけないし、かといって、どうせ自分はだめだという決め付けも主にあっていけない。
ルカの福音書に戻るが、61節前半のみことばは、実はルカにしかない。「主は振り向いてペテロを見つめられた」。この主のまなざしをどう受けとめたら良いだろうか。ある人は「叱責するようなまなざしで」とコメントしているようだが、この事件前後の主イエスの言動から判断すれば、そうではなかったと思う。主イエスが振り向かれた時は、タイミング的に鶏が鳴いた時であったので、「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」というご自身の預言のみことばが念頭にあり、「ペテロ、わたしの預言のことば通りになった。ペテロ、自分を過信していたな」という思いが目に現れていたと言えるが、そのまなざしは叱責というよりも、深いあわれみが視線の底に感じられるまなざしであったように思う。32節で言われていた「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました」というお心が目で表されていたのではないかと思う。ヨハネの福音書21章を見れば、復活された主イエスはペテロたちをりつけることをせずに、回復へと導いておられることがわかる。
62節を見れば、「そして、外に出て行って、激しく泣いた」とある。おそらく、ペテロはこれまでの人生で、こんなに激しく泣いたことはなかったのではないだろうか。これは悔い改めの涙である。先ほどのまなざしの話をすると、主イエスのまなざしは、悔い改めに導くあわれみのまなざしであったと言えるだろう。「もうお前を金輪際弟子とは思わん。勘当だ!」、そういうまなざしではなかった。ペテロは「俺はあの人のことなど全く知らない」と、主を赤の他人扱いしたが、主イエスはそのような恩情のないふるまいをしたペテロを赤の他人扱いしようとは思わない。それはペテロに注がれたまなざしにも表されていたはずである。ペテロにとっては、一生忘れられないまなざしになったことはまちがいない。ペテロはこの悔い改めの涙を機に、変えられていく。
ペテロはこの体験を通して徹底的に砕かれることになるわけだが、同じ使徒ではパウロのことも思い起こす。律法を守ることにおいて非の打ち所がなかったようなパウロだが、キリスト者を迫害していた時、「なぜわたしを迫害するのか」というキリストの声を聞き、自分はとんでもない罪人であると悟り、「わたしは罪人のかしらです」(第一テモテ1章15節)と告白するに至る。ペテロの場合、パウロより先に、自分の罪深さに気づくことになる。自分の罪深さを知る者でなければ、教会のリーダーとしてはふさわしくない。彼は自分の罪深さを知り、それゆえに主のあわれみ深さ、主の恵み深さということがわかり、真の弟子としての資格を得たわけである。
私たちはペテロの三回の否認を他人事として上から目線で見るのではなく、自分と重ね合わせて見たいものである。ふがいない痛い失敗をし、自分に嫌気がさす沈没した感覚の時を過ごす。自己信頼という愚かさに気づき、ぼろきれ同然の自分の姿を知ることになり、悔い改めが起こり、主のあわれみ深さを実感することになる。そうして自分ではなく主に頼ることを学んでいく。多かれ少なかれ、信仰者はペテロが辿った道を辿って行くものである。ほんとうに私たちは愚かで不安定で当てにならない存在である。しかし、主は巌のように揺るぐことなく、約束も誓いも確かで、恵みとあわれみに満ちた大きな心で私たちを抱きとめてくださる。愚かさと過ちを赦し、そしてみこころに服従する力をくださる。主イエスはペテロに悔い改めに導くまなざしを注ぎ、再生へと導いてくださった。彼はほんとうの弟子として生まれ変わることになる。
弟子らしからぬ三回の否認の後、半日も経たずして主イエスは十字架刑を宣言されることになるわけだが、ペテロの心は張り裂ける悲しみに襲われたはずである。そして後に、主の十字架の恵みを誰よりも深く覚えることができたはずである。主イエスの十字架はペテロの罪のためでもあった。ペテロは二通の手紙を書いているが、彼はペテロの手紙第二の最後でこのように書いている。彼の遺言のようである。「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。」(第二ペテロ3章18節)。ペテロはキリストに魅力を見い出しつつ、自分への執着が強い男だった。だが大泣きに泣き、我執から解き放たれる経験をする。彼はイエス・キリストがすべてのすべてとなり、「イエス・キリストの恵み」を口にする者へと変えられる。そして、「イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように」とイエス・キリストに栄光を帰している。第二、第三のペテロにすぎない私たちも、ペテロのこの最後のことばにアーメンと言いたいと思う。