本日の箇所から主イエスの裁判の記録が記されている。主イエスの裁判は非公式なものを含めると、全部で五回である。前回の54節にあるように、主イエスは大祭司の家に連行された。前回の物語の中心は、夜明け前のペテロの三度の否認であった。ユダが裏切り、ペテロが主イエスとの関係を強く否認したことによって、主イエスは孤独な戦いを余儀なくされる。

63~65節は、大祭司の庭で、主イエスが監視人たちから受けた侮辱が記されている。実は、この時、非公式な予備的審問が行われたことが、マタイ及びマルコの福音書では記されている。非公式な予備的審問の様子はマタイ26章57節以降で詳しく記されている。大祭司カヤパの屋敷で、祭司長、律法学者たちが集まり、偽証する者まで現れ、審問が行われた。この時は夜中であったわけだが、ユダヤの掟では夜中の正式な審議は禁じられていた。とりわけ死刑に関するような審議はそうである。けれども、時間を節約し、少しでも早くイエスを死刑にしたいというねらいがあったので、この夜中の時間帯を有効に使い、審問し、聞きだしたいことは聞きだして、そして、夜が明けてから、形式上、そそくさと正式な審問を済まそうと思ったようである。やり方としては異例である。66~71節の記述が夜が明けてからの正式な審問の様子である。内容的には非公式の予備的審問とほぼ一緒である。ルカは予備的な審問の様子は割愛し、正式な審問の様子を描いていることになる。マタイとマルコは反対に、予備的な審問の様子を描いて、正式な審問のほうは、最高法院で協議しましたという事実だけをわずか一節に記すのにとどめている。正式な審問は予備的な審問と同じことの繰り返しだからである。ルカは予備的な審問は記述せず、侮辱行為のほうをクローズアップしている。以上のような記述の違いがあることを念頭に、今日の記事から、主イエスがユダヤ議会からどのような扱いを受けたのかを見ていこう。

では最初に、63~65節から、侮辱行為の様子を見ていこう。最初に記されている侮辱行為は「からかい、むちでたたいた」であるが、「からかい」は、まさしく「侮辱する」という意味のことばである。体面を傷つける行為である。「むちでたたいた」は、もともと「皮をむく」「皮を傷つける」ということばに由来している。皮削ぎである。肉体を傷つける行為である。これ自体、かなりつらい。続いての描写は、「目隠しをして、『当てて見ろ、おまえを打ったのはだれだ』と聞いた」。そして、「また、ほかにも多くの冒瀆のことばをイエスに浴びせた」という表現でまとめている。先の「聞いた」という表現もそうだが、「浴びせた」も継続の動詞となっていて、「浴びせ続けた」という表現である。冒瀆のシャワーを浴びせ続けたのである。彼らがやっていることはヤクザ的な暴力である。彼らは誰に対してこのようなことをしているのか理解していない。だが主イエスは黙して辛抱している。痛い思いをし、冒瀆のことばのシャワーを浴び続けても口を開く様子はない。イザヤ53章のメシア預言のことばを思い起こす。「彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」(イザヤ53章7節)。このような姿勢が五回に及ぶ審問の間、続くのである。

このように夜中、口汚くののしられ、暴行を受けた主イエスは、66節にあるように、「夜が明けると」、すなわち金曜日の早朝、正式な裁判を受けることになる。では、66~71節から正式な裁判を見ていこう。66節に裁判の場が「最高法院」とあるが、欄外注に「サンヘドリン」とある。これは大祭司が議長となって、祭司長たち、律法学者たち、長老たちの中から選ばれた70人の議員たち、大祭司を含めれば71人で構成されるユダヤ教の議会のことを指す。この時、71人全員で審問に当たったと判断する必要はない。サンヘドリンには大小の組織があり、大のメンバーは70人であったが小のメンバーは23人である。小のメンバーで大事な事件を裁くことがしばしばであった。この時の裁判は小のメンバーの可能性がある。さらには重大な犯罪の裁判権をもつ12人で構成される立法府があった。大祭司がその議長である。主イエスを審問した法廷がこれであったと主張する方もいる。いずれにしろ、こんなに朝早く正式な議会を開いて裁判をするのは異例である。彼らはスピード裁判を画策した。翌日は土曜の安息日である。その日には裁判も処刑もできない。彼らは主イエスを一刻も早く始末してしまいたかった。

先ほど述べたように、夜中に予備的な審問をしていたので、こちらは短時間で済ませようという意図がある。夜中の審問と内容はほぼ一緒の形式的なインスタント裁判である。ユダヤ議会が裁判でこだわったのは、イエスが自分をメシアだと認めるかどうかである。ユダヤの掟では、自分を神と等しいとした者、自分をメシアだとした者は、神を冒瀆する者として死刑に定めることができた。「神聖冒瀆罪」として死刑に定めることができた。だから67節において、「おまえがキリストならそうだと言え」と告白を迫っている。「キリスト」の脚注を見れば、「すなわち『メシア』」とある。彼らはイエス本人の口から証言を求めた。メシアであると自白させたかった。

主イエスの証言を観察しよう。「わたしが言っても、あなたがたは決して信じないでしょう。わたしが尋ねても、あなたがたは決して答えないでしょう」(67節後半,68節)。主イエスは公生涯が始まってから、ご自分がだれでどういう者であるのかをことばとわざで示して来られた。ご自分が神の救い主でなければ決して言えない宣言をし、メシアのしるしである奇跡も行ってきた。イエスが何者であるのかは、イエスのことばと行い、働きを見ればわかるはずである。けれども、彼らはわかりたくないというか、わかろうとしない。それどころか敵意はエスカレートするばかりで、主イエスを悪霊のかしら呼ばわりする始末である。主イエスは、このような者たちと真理についてのやりとりをまともにされるおつもりはない。

しかし、主イエスは、これから後のご自分のお姿を示される。「だが今から後、人の子は力ある神の右の座に着きます」(69節)。これが決定的な発言となった。これは旧約聖書の二つのメシア預言を結び合わせた発言である。「見よ。人の子のような方が天の雲とともに来られた」(ダニエル7章13節)。「主はわたしの主に言われた。『あなたはわたしの右の座に着いていなさい。』」(詩篇110編1節)。ユダヤ教の指導者たちであれば、「人の子は力ある神の右の座に着きます」を聞けば、自分をメシアとする宣言であるとわかる。「神の右の座」とは、神と権威を分かち合う座であり、神の右の座に着く存在とは、メシアであり、すなわち神の子である。神の子もメシアの別称である。だから彼らは70節において、「では、おまえは、神の子なのか」と問うている。この問いに対する主イエスの答えは変わっている。「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」(70節後半)。欄外注別訳は、「わたしがそうだと、あなたがたが言っています」。この別訳が直訳に近い。直訳は、「あなたがたが言っている。わたしはわたしであると」。この答えというのは、ご自分が神の子メシアであることを否定はしていない。あなたがたが言っていることを認めますよ、という発言になっている。認めていることは認めている。だから、71節で彼らは、「どうして、これ以上の証言が必要だろうか。私たち自身が彼の口から聞いたのだと」言っている。彼は自分をメシアだと認めたのだと。けれども、認めていることは認めているけれども、微妙なニュアンスで認めている。どうしてこのような複雑なニュアンスで認めているのだろうか。おそらくは、確かにわたしは神の子メシアなのだけれども、あなたがたの考えているような神の子メシアではないということである。大祭司たちが信じていたメシア観と、聖書のそれとは大きなズレがある。大祭司たちが信じていたメシア観は、ローマの支配から救い出してくれる政治的メシアである。ローマの支配から救い、君主制をもってユダヤの支配者になる民族的メシアである。彼らは、政治的メシア、民族的メシアという理解ばかりが先行している。真のメシアは宇宙的権威を持ち、全人類の審判者であるとともに、全人類の救い主である。やがて、罪も、死も、悲しみも、叫びも、苦しみもない、永遠の御国をもたらしてくださるメシアである。だが、彼らはまことに、粗野でレベルの低い、この世的なメシア観しか持っていない。主イエスは彼らのメシア観と混同されるのは望まない。それで、実にデリケートな表現にとどめたようである。主イエスはピラトの裁判では、「私の国はこの世のものではありません」(ヨハネ18章36節)とまで発言され、ご自身が剣と権力でユダヤに解放をもたらす救い主になるつもりは全くないことを証言される。

サンヘドリンのメンバーは主イエスの発言を聞いて、嬉々として喜ぶ。このお方は私たちが待ち望んでいたメシアだったのだ、ということではなく、自白したな、これで死刑判決を下せるという意味で。よっしゃー!と彼らは喜んだだろう。だが、この後、すぐに十字架刑に処することはできない。まだ踏まなければならない手続きがあった。ローマ側の裁判にかけることである。

イスラエルはローマ帝国の支配下に入っていた。ローマ初代皇帝は、2章1節に記されていた「皇帝アウグストゥス」であるが、アウグストゥスに降伏したときに、行政力を失ってしまった。どのような条約が交わされたのかというと、ユダヤ人がローマに税金を納める代わりに、ローマはユダヤ人の宗教に干渉はしない。けれども、行政はローマ側が握るということである。エルサレムのあるユダヤ地方はこの頃、ローマの直轄地であった。ローマからは総督が行政長官として派遣されていた。主イエスを裁くことになるユダヤ総督ポンティオ・ピラトは、行政長官であるが、同時に裁判権も有していた。ユダヤ人側で死刑の判決を下しても、ローマ側の裁判で死刑判決が下らなければ、処刑できない。ローマ側ではユダヤ人側の言い分、「神聖冒瀆罪」などという宗教的罪で死刑判決を下すことはできない。ローマ側はあくまで政治犯として危険人物とみなさなければ死刑判決は下せない。だから、この後サンヘドリンは、主イエスを政治犯としてローマ側に訴えることになる。すなわち、イエスは自分をイスラエルの王と名乗って、ローマに反旗を翻そうとしていると訴えることによってである。「メシア」とは、すなわち「王」であることも意味するわけだが、彼らはこの事実を利用しようとした。主イエスの十字架の上に掲げられる罪状書きは「ユダヤ人の王」ということになる。メシアでも、キリストでも、神の子でもない。預言者でもない。こうして表向きは政治犯として処刑されることになる。ローマ側の裁判については次週、見よう。

今日、最後に振り返りたいのは、69節の主イエスのことばである。「だが今から後、人の子は力ある神の右の座に着きます」。主イエスは十字架の死後、三日目によみがえり、四十日後に天に昇り、神の右の座に着座されることになる。主イエスがこの裁判の席で「神の右の座」に着くと宣言された意味は大きい。なぜならば、神の右の座は、裁きの座でもあるからである。それは単なる裁きの座ではない。すべての人類を裁く裁きの座であり、裁きの座としては頂点に位する裁きの座である。あらゆる被造物を裁く神の御座である。やがてすべての者がこの裁きの座の前に立ち、審判を受ける。この裁きの座に着くお方こそが、主イエス・キリストである。主イエスはやがて、全人類を裁くことになる神的権威者である。主イエスはある時、「父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました」(ヨハネ5章22節)と語っておられる。またパウロは言った。「私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです」(第二コリント5章10節)。祭司長たちも、律法学者たちも、長老たちも、やがて、主イエスの裁きに服することになる。だが、彼らは誰を裁いているのか全く自覚がない。彼らはとんでもない間違いを犯そうとしている。王様を乞食扱いするよりまだひどい。本来ならば、ひれ伏して栄光を帰さなければならない三位一体の第二位格の神に対して、悪魔的存在だ、神を冒瀆する不遜な者だ、死刑に値すると決めつけた。果たして、神を冒瀆する者はどちらだろうか。先に見たように、主イエスに対する冒瀆の仕方はひどかった。虫けらのように扱った。主イエスを侮辱し、暴行を加え、重罪人として裁判にかける彼らこそが、神を冒瀆する者たちである。そして彼らは死刑判決を言い渡した。ユダヤ人にとってこの死刑とは、ただ肉体のいのちを断つことではない。ユダヤ人にとって死刑とは、神の御怒りを受けること、たましいの永遠の刑罰の象徴なのである。彼らは誰にこの死刑判決を言い渡したのだろうか。彼らはやがて、キリストの裁きの座の前に立たされ、イエスをキリストと認めず冒瀆した者たち、殺害した者たちとして、権能に満ちたキリストの裁きに震えおののきつつ服さなければならないのである。

では、最後の最後に、キリストの権威と、キリストの裁きの場面について言及されているヨハネの黙示録のみことばを二箇所読んで終わろう。ヨハネの黙示録1章17~18節(キリストの権威)、同20章11~15節(キリストによる最後の審判)。やがてすべての人類がキリストの裁きの座の前に立つ。この時、キリストのいのちの書に名前が記されている者は幸いである。