主イエスはエルサレムに上って来られた時、エルサレム陥落を思い見て、涙したことがあった(ルカ19章41~44節)。約40年後の紀元70年に神殿は崩壊し、エルサレムは陥落することになるのだが、この滅亡がどのようにして起きるのか、主イエスは今日の箇所で預言というかたちで具体的に描写される。きっかけは、幾人かが壮麗な神殿を見て感嘆していた時に、主イエスが跡形もなく崩れ去る日が来ると断言されたので、弟子たちが、いつどのようにと質問したことがきっかけである(5~7節)。ご存じのように、同じような記述はマタイ24章とマルコ13章にあるので、参考に読まれることをお勧めする。
エルサレムの神殿だが、過去に一度崩壊した。ソロモン王が建てた神殿が紀元前586年にバビロン帝国によって破壊され、国は壊滅し、大勢の人が捕囚として連れ去られた。その70年後、バビロンを征服したメディヤとペルシヤの王キュロスがユダヤ人たちに対してエルサレム帰還と神殿再建の許可を与える。そして新しい神殿が紀元前516年に完成した。第二神殿と呼ばれることもある。その後も増築が行われ、紀元前20年頃であるが、ヘロデ王が大掛かりな増築工事を始めた。5節に「美しい石や奉納物で飾られている」とあるが、三種類の大理石を使い、金の装飾で飾り付けられた壮麗な神殿で、その余りの美しさと壮大さに、ヘロデ王の敵でさえも感嘆したという建造物である。巨大な石のブロックを積み上げる建築技術の高さと相まって、世界の歴史に名を残す建造物として知られている。この神殿は80年余り工事が続けられて、紀元後63年に、ようやく工事は完成することになる。ところが完成してたった7,8年で、紀元70年にローマ軍によって破壊されてしまうことになる。主イエスが話されているこの時は、紀元30年頃。また工事は途中であったが、途中と言っても、十二分に壮麗な神殿であった。
エルサレム神殿の崩壊は不信仰に対する神のさばきである。神殿を司る祭司長たちはサドカイ人であったが、彼らは神殿崩壊とエルサレム陥落とともに歴史から姿を消すことになる。主イエスに死罪の判決を最初に申し渡したのがサドカイ人の大祭司であった。彼らはエルサレム陥落とともに姿を消す。
エルサレム陥落のきっかけとなったのが、神殿が完成しておよそ3年後の紀元66年に始まったユダヤ人の反乱、俗に言う「ユダヤ戦争」と言われるものである。武闘派の熱心党の人々がこの戦いを扇動した。ローマの総督がユダヤ人を虐殺したり、略奪行為を働いたのがきっかけとも言われている。ユダヤ人とローマ人の全面戦争である。紀元70年には俗に言う「エルサレム攻囲戦(エルサレム包囲戦)」が起きる(20節)。これで決定的な敗北をみることになる。
主イエスのエルサレム陥落の預言だが、区分としては36節までで、今日はその前半の24節までを学ぶ。実は、この預言の解釈を巡っては様々な立場がある。36節までのすべてが紀元70年のエルサレム陥落に限定されるという立場もある。すると、21世紀を生きる私たちには、ほぼ関係なくなる。参考として読むということになる。いや、前半の24節までがエルサレム陥落の預言で、後半の25節からは全世界規模の終わりの日の預言であるという立場もある。いやいや、主イエスのこの預言は、初めから終わりまで二重預言になっていて、エルサレム陥落の預言と世の終わりの預言が二重写し的に重なり合っているという立場もある。確かに、そのように読める。さらには、前半の24節までは確かにエルサレム陥落の預言だが、主イエスは世の終わりに起こることも意識しつつ、世の終わりに起こることの雛形として語っておられるという立場もある。二重預言に近いが、雛形ということでニュアンスが違う。いずれの立場を取るにしても、前半の24節までは紀元70年のエルサレム陥落に焦点が当てられていることは疑いを得ない。そのことを念頭において、記述を追っていこう。
主イエスは神殿崩壊の前兆について語っていかれる。神殿崩壊の前兆について整理しよう。第一の前兆は、偽メシア、偽預言者の出現である(8節)。紀元70年に偽預言者が出現した実例をユダヤ人歴史家ヨセフスは述べている。エルサレム攻囲戦の時に、神殿の柱廊の上にユダヤ人男女、子ども六千人が避難してきた。柱廊というのは、柱と屋根だけの壁のない吹き放しの廊下。柱廊の上なので、屋根部分に避難してきたということである。神殿の上に逃げたということである。ローマ軍は屋根を支えている柱に火を放つ。そのために神殿の上に逃げていたユダヤ人六千人がみな滅んでしまった。なぜ神殿の上に逃げたのかということだが、ある預言者のことばを信じたということであるらしい。事件の目撃者のヨセフスは言う。「ところで、彼らが滅びた原因であるが、それは一人の偽預言者によってたぶらかされたためであった。その日、預言者は市中の者に向かって、神の命令に従って<神殿に上り>、救いのしるしを受けるように宣伝していたのである。実際その頃は、暴君たちのお抱えの預言者が<多数出現し>、やがて神の救いがあるからそれを待つようにと言って、一般市民をたぶらかしていた。その目的は投降者を一人でも少なくし、恐怖や不安に虜になっている者に希望を吹き込むことであった。とかく災いにあっている人間というものはこのようなペテン師にすぐ引っかかり、ペテン師どもが差し迫った危険からの救いを実際に約束してやると、わらをもつかむ思いでそれにすがりついてしまうのである」。主イエスは21節を見ていただくと、「山へ逃げなさい、都から出て行きなさい、都に入ってはいけません」と忠告しているのに、都のシンボルの神殿の上に逃げるなんて、自殺行為でしかなかった。どうぞ殺してください、と言っているようなものである。だが、クリスチャンたちは、主イエスの預言を信じて都から脱出したと言われている。
第二の前兆は、戦争や暴動のうわさである(9,10節)。歴史上、戦争や暴動がない時はなかった。この時代も繰り返されていた。9節後半の「まず、それらのことが起こりますが、終わりはすぐには来ないからです」の「終わり」とは、エルサレムの終わりと受け取ることができるが、マタイ24章では「世が終わる時のしるし」(3節)として戦争や暴動のうわさが挙げられていることを申し述べておきたいと思う。「世が終わる時」というのは、ふつうに考えれば「世界の終わりの時」である。
第三の前兆は自然災害(11節)。「大きな地震」と始めにあるが、初代教会時代、パレスチナでもヨーロッパでも地震は多かった。「飢饉や疫病」もしかり。紀元50年前後に大飢饉が起こったことが使徒の働き11章28節に記されている。そして「恐ろしい光景や天からの大きなしるし」と聞くと、この時代とは無関係で、これから後のことではと思いたくなるが、実はユダヤ戦争を克明にしるしたヨセフスによると、神殿崩壊前には実に様々なしるしが現れたと伝えている。剣型をした星が天から現れたとか、彗星が一年中飛び交うのが見えたとか、祭壇の周りから光が出て来たとか。
第四の前兆は迫害である(12~19節)。考えてみると、紀元70年前の記録が「使徒の働き」である。使徒の働きを見ると、実に迫害が多かったことがわかる。12節の「会堂や牢に引き渡し」の「会堂」とはユダヤ教の会堂であるから、ユダヤ教側から迫害を受けるということ。続く、「王たちや総督のたちの前に引き渡します」というのは、ローマ帝国の政治的迫害と受け取れる。16節後半では「中には殺される人もいます」とあり、殉教を遂げる者たちが起こされるということである。使徒の働きには、ステパノやヤコブの殉教の記録がある。
迫害という試練において、主は二つの嬉しい事を述べておられる。一つは、証しする機会となるということ(14,15節)。証しすることばと知恵は主が授けてくださる。もう一つは、「あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません」(18節)ということ。お風呂場や洗面所で、「髪の毛さんさようなら」と、悲しい気持ちで髪の毛とお別れすることがあるわけだが、主はいったい、何を言われたいのだろうか。迫害されても、寸でのところで殺されずに済むという解釈がある。しかし16節がこれを否定する。だから、「あなたがたの髪の毛一本も失われることはありません」というのは、「殺されることがあるかもしれない。だが、しかし・・・」ということである。参考になるのは12章4~7節の主の講話である。改めて読んでみよう。ここからわかるように、肉体的には殉教の死を遂げても、最終的には何の害も受けたことにならない。永遠のいのちを受け、霊、たましいは救われて、やがて復活のからだが与えられるわけだから。
そして、主の励ましは、「あなたがたは、忍耐によって自分のいのちを勝ち取りなさい」(19節)。ここを読むと、やはり人生はレースだという印象を受ける。山あり谷ありのコースを走破する。天の御国までの道は決して平坦ではない。長い上り坂、落胆の沼、歩くのが大変な雑木林、単調な風景が続く乾いた道など。欠かせないのは忍耐である。お互いに忍耐の末に行き着くところを求めて、一歩一歩、前進していこう。
第五の前兆は、エルサレムが軍隊に包囲される、である(20節)。エルサレム攻囲戦が明確に預言されている。主イエスは21節で都の中にいる人たちはそこから出て行くようにと警告したが、偽預言者たちは都にとどまるように市民をたぶらかした。さらに、過激派の熱心党員が都から出ることを市民に禁じたと言われる。この戦いで、胎児や赤ん坊をもつ親の苦悩はたいへんなものであった。都内に飢饉が広まり、飢えのために二千人以上が死んだ。歴史家ヨセフスによると、母親たちは赤ん坊が食べているものまでひったくり、いや赤ん坊まで食べて飢えをしのごうとしたと言う。23節で主イエスは警告している。「それらの日、身重な女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。この地に大きな苦難があり、この民に御怒りが臨むからです」。主イエスは死刑が確定し、ゴルゴタの丘に向かう途上も、紀元70年の悲劇を念頭に、ついて来る女性たちに語った。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい」(23章28節)。悲劇が自分たちに迫っていることを、主イエスは処刑場に向かう時も気づかせようとしている。
こうして、主イエスの預言どおり、神殿崩壊とともに、実質、エルサレムは滅亡する。「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」(24節)。「人々は剣の刃に倒れ」とあるが、紀元70年にローマ軍がエルサレムを滅ぼしたとき、その死者は60万人と言われるが、ヨセフスはその死者が110万人に上ったとも記述している。「捕虜となって、あらゆる国の人のところへ連れて行かれ」とあるが、60万人以上がローマ帝国の帝国領の各地に捕虜とし散らされたと言われている。ローマだけでも連れて来られたユダヤ人が9万7千人と言われている。
「異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」の解釈は難解である。ダニエル書9章の終末預言も関係している。ここでは簡明に述べるが、「異邦人の時」とは言い換えると、「異邦人を通して神がイスラエルをさばかれる期間」と言えよう。この「異邦人の時」とは紀元70年頃のエルサレム陥落の時までという過去一時限定の解釈があるわけだが、「異邦人の時」は世の終わりまで続くのだという今も現在進行形の解釈もある。異邦人の時が満ちるのはキリストの再臨までということになる。こうした解釈の亜流もある。いずれにしろ、異邦人の時が満ちれば、エルサレムの復興は許されるということになる。
実は、エルサレムが紀元70年に陥落した後も、残った人々で抵抗運動は続けられた。エルサレム包囲を逃れた熱心党を中心とする約千人のユダヤ人が、ヘロデ王が別邸として死海のほとりに建設したマサダの要塞にたてこもった。ローマ兵1万5千人が動員されるも、難攻不落の要塞のため簡単に攻略できず、二年の月日が流れることになる。ローマ側はユダヤ人の捕虜や奴隷を大勢使って、土運びをさせて、突入の進路造りをする。そして紀元73年のこと、敗北を認めたユダヤ人たちは、降伏して奴隷になるよりも集団自決することを選択した。その中には女性、子どもも含まれていた。このマサダの要塞での集団自決は、イスラエル人であるならば知らない人はいない事件となる。この事件をもってユダヤ戦争終結と判断されている。
そしてなんと、紀元132年の事、第二次ユダヤ戦争が勃発してしまう。ユダヤ戦争を経て、神殿があった場所にはローマの主神ユピテルの神殿が建てられていた。都市の名称もエルサレムは廃止となり、「アマリア・カピトリナ」に改名されていた。この名称は、ローマの主神ユピテルが座していた丘に関係している。そして神の民の契約の印である割礼も禁止された。当地にいたユダヤ人たちの反感は相当なものであった。自分こそはユダヤ民族を救うメシアだと宣言した人物が登場した。シメオンという人物である。残された人々は偽メシアに勇気づけられ、反乱を起こす。シメオンはメシアの名称として星の子を意味する「バル・コクバ」を使った。だから、この反乱は一般的には「バル・コクバの乱」と言われている。彼は旧約聖書のメシア預言を自分に適用してしまう(民数記24章17~19節(17節「ヤコブから一つの星が進み出る」)。当時の高名なユダヤ人教師ラビ・アキバは、シモンこそメシアであり、長い間待ち望んでいたイスラエルの王であると宣告した。シモンは武力をもってローマに立ち向かう。この反乱は三年ほどしてローマ軍に制圧され、エルサレムは135~136年に完全に壊滅したと言われる。バル・コクバの反乱は偽メシアによる反乱として、マサダの要塞での集団自決と並んで、有名な事件である。生き残っていた大勢のユダヤ人は奴隷として売られたと言われる。以上のような歴史において、エルサレム滅亡を決定づけた大きな出来事はやはり、紀元70年のエルサレム攻囲戦、そして神殿の破壊である。それは神の御手によったことなのである。だがその後、今見てきたように、なぜこのような悲劇が起きたのか悔い改めることなく、ただ武力に頼り、神が奇跡さえ起こして勝利を与えてくれるだろうと、政治的反乱、抵抗運動を続けたユダヤ人たちは悲劇を繰り返した。
今日は、エルサレム陥落の5つの前兆を中心に見てきたが、これらの預言が、世の終わりのさばきの雛形として語られたのか、二重映写し的に二重預言として語られたのか、どちらなのかは断定はできないが、いずれにしろ、私たちにも向けて語られた預言であることはまちがいない。多くのユダヤ人たちは主イエスをメシアと信ぜず、主イエスの預言に耳を傾けることなく、紀元70年に滅んでいった。その後も空しい政治的反乱、抵抗運動を続けて墓穴を掘った。しかし、主イエスのことばに耳を傾けたユダヤ人たちは幸いだったのである。主イエスは現代に生きる私たちのためにも語ってくださったのである。今は世の終わりの時代であることはまちがいなく、艱難を控えているのである。夕暮れ時の時代である。闇はもっと深まるだろう。私たちも素直な心とへりくだった心で主イエスのことばに聞いていこう。

