主イエスの都上りの旅も今日の箇所で終わりを迎える。前回は28節から40節までの記事を学んだ。エルサレム近郊でのメシアの行進、王の行進の物語である。主イエスは預言どおり、ろばの子に乗ってエルサレムに上って行かれた。「エルサレムに近づいて、都をご覧になったイエスは、この都のために泣いて言われた」(41節)。「エルサレムに近づいて」とあるが、エルサレム近郊の29節に記されているベタニアは、エルサレムから2.8キロの距離。ベタニアよりぐっとエルサレムに近づいての記事が今日の箇所である。もしかすると、エルサレムの城門が大きく見えるという間近の場所かもしれない。

今日の記事はルカだけが記しているという貴重な記事であり、主イエスが泣かれたという記録も珍しい。主イエスが泣かれという記録が記されているのは、この箇所と、ラザロの墓を前にしての記録だけである(ヨハネ11章35節)。しかし、記録されていない涙もあったかもしれない。ゲッセマネの園ではどうだったのだろうか。今回は、エルサレムを前にしての主の涙はどういう涙だったのかをご一緒に考えよう。涙の成分の90パーセントが水で、あとタンパク質やリン酸塩を含んでいると言うが、流す涙の意味は様々にある。涙という場合、経験上、怒られての涙、感動しての涙、人の死を前にしての涙、笑いすぎての涙、精神のバランスをくずしてしまっての涙、自分の罪を悔いての涙、ぶつけて痛くて流す涙、その他色々ある。主イエスのこの場合の涙の意味を探るために、「この都のために」とあるように、泣く対象となったエルサレムのことをまず考察してみたい。

「もし平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら、__。しかし、今、それはおまえの目から隠されているのだ」(42節)。平和に向かう道を知らないエルサレム。何か平和とは反対のことが起きる予感。「エルサレム」という名称は、言語学的には「平和の町」を意味すると言われている。だが、現実は名称どおりではない。それは「平和に向かう道」を知らないからである。そして、壊滅的な出来事が待っていた。

「やがて次のような時代がおまえに来る。敵はおまえに対して塁を築き、包囲し、四方から攻め寄せ、そしておまえと中にいるおまえの子どもたちを地にたたきつける。彼らはおまえの中で、一つの石も、ほかの石の上に積まれたまま残してはおかない。それは、神の訪れの時を、おまえは知らなかったからだ」(43,44節)。これは紀元70年に起きるエルサレム陥落を意味している。43節に「包囲し」とあるが、紀元70年の出来事は、「エルサレム攻囲戦」とも「エルサレム包囲戦」とも言われている。エルサレムはローマ軍によって包囲され、戦いの約5カ月後、エルサレム神殿は炎上し破壊され、エルサレムは陥落する。この時、約60万人のユダヤ人が殺され、それ以上の者が捕虜として連れ去られたという。殺害されたのは110万人という主張もある。しかし主イエスの預言を信じたクリスチャンたちは、その前にヨルダン川を渡り脱出したという記録もある。この壊滅的打撃は、ユダヤ戦争(AD66~73年)の中に位置づけられる。これはローマ帝国とローマの属州となっていたユダヤに住むユダヤ人との間で繰り広げられた戦争である。ローマの支配に対して堪忍袋の緒を切らしたユダヤ人たちの反乱によって始まった。一時は盛り返したかに見えた時期はあったが劣勢を強いられ、兵糧攻め等に遭い、神殿は破壊され、エルサレムは陥落する。エルサレム陥落後、残ったユダヤ人たちの一部は死海のほとりにあるマサダという要塞にたてこもったが、紀元73年に集団自決を図り、戦いはほぼ幕を閉じることになる。このユダヤ戦争を克明に記したのが、ユダヤ人の歴史家ヨセフスであるが、彼によると、ユダヤ教徒の武闘派である熱心党(ゼロテ党)が中核となってこの戦争を引き起こし、結果、敗北をみたことを記している。だが聖書の視点というか、主イエスの視点は違う。この戦争は政治的駆け引きの問題ではなく、神のさばきとして位置づける。そう、神のさばきはイスラエルに繰り返されて来た。

紀元70年に破壊された神殿を、一般に第二神殿という。その残骸が、今もエルサレムにある嘆きの壁である。第二神殿があるのだから第一神殿がある。第一神殿は、一般にソロモンの神殿と言われる、紀元前10世紀にソロモン王が建てた神殿である。しかし、ご存じのように民たちの堕落によって神のさばきは執行され、紀元前586年にバビロン軍によって神殿は破壊され、エルサレムは陥落し、民たちの大半が捕囚とされた。このような、それは苦い苦い過去があった。バビロン捕囚後、神のあわれみによって、バビロンを打ち破ったメディヤとペルシアの王キュロスの寛容政策によって、エルサレムへの帰還が許される。そして紀元前536年に第二神殿工事が着工となる。神殿はその20年後に完成する。その後、補修工事は繰り返され、そしてヘロデ大王の時代に、大規模な増改築工事が行われることになる。だから、第二神殿はヘロデの神殿とも言われている。それはりっぱな壮麗な神殿であったが、不信仰は止まない。第二神殿を建てたヘロデは悪王であった。主イエスが生まれた時、二歳以下の男の子を殺すように命じたエピソードは有名である。彼が王位に着いた時、彼に反対するユダヤ議会(サンヘドリン)の議員を次々と殺していった。エルサレム市中や路上にはヘロデのスパイが配置され、市民の行動は監視され、恐怖政治を敷いた。王宮内でも自分に反対する者と判断すれば殺していった。身内であっても容赦しない。ヨセフスの書には次のようにある。「なるほどヘローデースは名前の上では王と呼ばれた。しかし実際には彼は、世の暴君のもつもっとも残虐な悪徳をすべてその身に備え、さらに、それに自分の性質にふさわしい新しい残忍な手段・方法まで加えて、ユダヤ民族を破滅に導こうとした」。当然彼は、律法を足蹴にした。彼の在任中に大祭司の首を七回もすげかえている。彼は建築マニアで「大建築家」とも呼ばれるが、ある町には異教の神々の神殿も造った。このように、彼は信仰からほど遠い人物であった。彼はローマ皇帝を喜ばすために、神殿の入口の大門の上に、ローマ帝国の象徴である鷲を、黄金で作って据え付けることまでして、大きな反感を食らったこともある。彼は紀元前4年に亡くなるが、それで平和が訪れたということにはならなかった。彼の息子たちは、父親のように王の称号をローマ帝国からもらうことができず、後にユダヤは、ローマ帝国の直轄地となり、ローマ総督が治める時代を迎えた。祭司長たちは保身に走って、自分たちの地位安泰のためにローマといざこざを起こすことは控えた。彼らは自分たちの地位と富に固執していた。彼らが管理していた神殿は45節以降で見るように、主イエスによって「強盗の巣」と言われる有様であった。神殿が強盗の館になっていた。強盗の首領は大祭司と言っても過言ではない。彼が主イエスに死刑の判決を最初に言い渡す。そして民衆に対して大きな影響力を持っていたのがユダヤ教の正統派であるパリサイ人たちであった。ご存じのように彼らは主イエスをメシアとは認めず、殺す計画を練っていた。彼らは主イエスによって、あなたがたの父は悪魔であるとまで言われる始末である。祭司長たちとパリサイ人たちが結託して、主イエスを殺害する計画を練る。このような指導者たちがユダヤを支配していたため、相変わらず時代は闇であった。そして主イエスは十字架につけられ殺されることになる。

蒔いた種は刈り取らなければならない。神は忍耐深いお方であっても、神の義は曲げられない。神の救い主イエス・キリストを拒絶したさばきが紀元70年に下されることになる。政治学的分析では、熱心党の過激な行動が招いた災いだと判断できるかもしれない。また、ローマ帝国の横暴な支配が招いた惨劇だと言えるかもしれない。だが、歴史の表面上はそうであっても、それはメシアを拒絶した神のさばきであることを知らなければならない。大国が小国を侵略したで済まされる話ではない。

かつてユダ王国はバビロンによって滅びる前に、アッシリアの脅威にさらされる時代があった。その時のことについてイザヤは神のことばとして次のように預言している。「わたしは、あなたの周りに陣を敷き、前哨部隊で囲み、あなたに対して塁を築く」(イザヤ29章3節)。実際、包囲し、塁を築くのはアッシリア軍である。けれども、「主権をもってそうするのは、神であるわたしなのだ」と神は言われる。主イエスが預言したエルサレム包囲戦も同じである。それは、神の手によって起こることなのである。不信仰のさばきとして。ローマ軍は日数で言うと、143日間の包囲の後、エルサレムを陥落させたようである。それは神の手から出たことであった。紀元前から繰り返されて来たイスラエルの災いについて、大国の侵略があってとか、周囲の国々の攻撃を受けてとか、イスラエルを正当化し、単にイスラエルを被害者扱いにする方々がいるが、それは聖書的な見方ではないだろう。

44節後半の「神の訪れの時」にも触れておこう。欄外注にあるように、直訳は「おまえへの訪れの時」である。ただし、訪れる主体は神なので、「神の訪れの時」と訳してある。神の訪れには二面性があるだろう。一つは「神の救いの訪れ」。それは主イエスによる福音宣教である。しかし主イエスを拒む者たちにはさばきが下る。だから、「神のさばきの訪れ」でもある。主はこの時、エルサレム陥落を意識して話しておられる。

次に、42節で触れた「平和に向かう道」の「平和」とは何かということを考えよう。それは、ただ争いがないとか、災害がないとか、物価が安定しているとか、そうした現象面のことだけを指すのではない。42節からわかるように、主イエスは平和を願っていたことがわかるが、「平和」とは「和解」という意味を持っている。そう、私たちに一番必要なのは、神との和解である。神と和解した状態が平和ということである。この平和なくして本当の平和はない。エルサレムは真の意味で神と和解しようとしない。和解の使者、イエス・キリストを拒んでしまう。21世紀を迎えたエルサレムは、未だに名前のとおりの「平和の町」とはなっていない。それは紛争が止まないということだけでなく、キリストを救い主として認めず、キリストを王としてお迎えしてないということにおいて。キリストを救い主として信じ受け入れる信仰はエルサレムのみならず、世界のどの地域でも、日本でも必要なことである。そのために信仰者はキリスト同様、和解の使者としての命を受けている。パウロのことばに聞こう。「これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。こういうわけで、神が私たちを通して進めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。神は罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」(第二コリント5章18~21節)。私たちも和解の福音を携えて行こう。

最後に、主イエスの涙ということを考えて終わろう。私たちも主イエスの涙を自分の涙にできたらと思う。主イエスは紀元70年に下るエルサレムへのさばきを見通し、涙されたわけだが、主イエスや使徒たちが告げているように、今や全世界規模のさばきの日がやってくる。主イエスは終わりの日の預言を21章でされることになる。終わりの日は必ず来る。私たちはこの終末時代に生きている人々のために涙する心を持たなければならないのではないだろうか。周囲の人々をイエスさまの心で見るということ。

考えて見れば、主はご自分を十字架につけ、それをよしとする人々のために涙された。ご自分を十字架につけるエルサレムのために泣いた。主イエスは受肉される前から神としてイスラエルを見守って来た。だが彼らは主なる神に逆らい続けた。主は使いとして預言者を送り続けたが、彼らを迫害し、殺した。今度はご自分が天から下り、そしてエルサレムに足を向けた。エルサレムではご自分が惨殺されるような出来事が待っていることを知っていた。通常の人間であれば、自己憐憫となるか、憎しみが湧いてくるかのどちらかであろう。主イエスがエルサレムを前にして流した涙は、自己憐憫の涙でもなく、怒りと憎しみから来る涙でもなく、心からのあわれみの涙であったのである。主イエスは多くの人がそうであるように、罪深いおまえたちは早く滅んでしまえと、そのような感情に支配されてはいない。断腸の思いで、イスラエルのために泣いた。私たちは冷淡な心で人々を見下すなら、それはパリサイ人の心で主イエスの心ではない。パリサイ人たちは、取税人や罪人たちと言われる人たちのみならず、一般大衆を軽蔑していた。ましてや、他国民のことは問題外で、ゲヘナに落ちろ、の対象だった。私たちはそのような信仰者に絶対になってはならない。私たちは主イエスの心を心とすることを学んでいこう。周囲を冷淡な目で見たり、疎ましく思うことは誰でもできる。ゲーム感覚で世界の動向や惨劇を見てしまうことは誰でもできる。ああだのこうだの頭で分析して悦に浸ることは誰にでもできる。でも、主イエスと同じ涙を流すことは誰にでもできることではない。私たちは主イエスにならって悲しみ痛む心を持ち、そして和解の福音を携えて行こう。