主イエスのエルサレムへの旅も終盤に差しかかってきた。19章半ばには都入りの情景が記されている。今日の出来事は、エルサレムの手前のエリコという町の近くでの出来事である。「イエスがエリコに近づいたとき」(35節)とある。エリコに関する言及は、これが初めではない。ルカ10章には「良きサマリア人のたとえ」があり、たとえは、「ある人がエルサレムからエリコへ下って行ったが」という描写で始まる(10章30節)。主イエスの旅はその反対で、エリコからエルサレムに上る旅である。エリコからエルサレムまでの距離は約29~30キロ。エリコはエルサレムより1040メートル低い。まさしくエルサレムには上るという感覚である。エリコは良質な泉が湧くオアシスで、たくさんの樹木が植えられ、なつめやしの町として知られていた。
主イエスの一行がエリコに近づいた時、道端には目の見えない一人の物乞いがいた(35節)。当時は多くの盲人がいた。戦争や事故でも失明するわけだが、主な原因は病気である。母親が淋病のバクテリアを保有していて、母親自身が発症しなくとも、生まれてくる子どもたちが罹患して盲目になってしまうことが多かった。また他の幼児は、現代ではあまり見られなくなったクラジア感染症であるトラコーマによって失明した。そして盲目となった家族を養える家庭は少なかったので、物乞いをするというのが自然な姿であった。
エリコには特に盲人が多かった。それは、エリコではバルサム樹から造られる目の治療薬を生産していて、目の治療にはエリコが良いと認知されていたからである。気候的にも温暖で過ごしやすく、エルサレムに雪があっても、エリコは暖かく快適だった。そして地理的にも人々が多く集まるところであった。巡礼者などの多くの旅行者がそこを通った。盲人が道端に座っていたとのことだが、ここは町の門の外。町の中より、多くの旅行者を相手にできる。旅行者のほうが一般の庶民よりもお金を多く持って歩いたので、恵んでもらうには絶好の場所であった。だから、この道端に彼しかいなかったのではなくて、もっと多くの盲人たちがいたはずである。
この盲人は、いつもと違う雰囲気を感じる。「彼は群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事かと尋ねた」(36節)。盲人の方は耳が敏感である。いつもと違うざわめきの音声が耳に飛び込んできた。それで気になって、道行く人々に尋ねてみた。返事は「ナザレのイエスがお通りになるのだ」という吉報。「ナザレのイエス」、それはエリコの付近でもうわさになっていたナザレ村出身のヒーローのことであった。このエリコの盲人は、人々から、主イエスのおことばや主イエスのみわざを聞いて、できることならお会いしたいと待ち望んでいただろう。この盲人がもうすぐ会うことになるのは、良きサマリア人を超えた、まことの人となられたまことの神、神の救い主であった。待ち望まれていたメシアであった。
彼は叫ぶ。「彼は大声で、『ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください』と言った。」(38節)。彼の呼びかけは「ナザレのイエスよ」ではなく、「ダビデの子のイエス様」であった。「ダビデの子」は、救い主の呼称として一般的であった。彼は主イエスを救い主として認めている。もう、この機会を逃したら、救い主とは一生会えないかもしれない。そして何も変わらないまま、一生を過ごすことになってしまうかもしれない。今や絶好の機会が訪れた。彼は全身全霊、この機会にすべてをかけて願い出る。「私をあわれんでください」と大声で叫ぶ。
「あわれんでください」という日本語訳自体、ルカの福音書では、これが初めてではない。直近では取税人のことばとして使われている。18章13節である。「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様、罪人の私をあわれんでください」。その折に説明したが、この13節で「あわれんでください」と訳されている原語は<ヒラスコマイ>。意味は「宥める」「償う」「贖う」。罪に関することばである。取税人は自分は罪のかたまりにすぎないと認識していて、罪に対する神の御怒りが宥められるよう、罪から贖われるよう、願っていた。それで、「神様、罪人の私をあわれんでください」とことばを発した。
ではエリコの盲人の「あわれんでください」であるが、こちらの原語は先のとは別のことばで<エレーオー>。意味は「慈悲を施す」といった意味である。盲人は実際、施しを求めて座っていたわけだが、<エレーオー>は貧しい物乞いのような姿勢で恵みを乞うことである。主イエスは山上の説教で、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(マタイ5章3節)と教えられたことがあったが、そこで使われていた「貧しい者」ということばは、極貧の貧しさ、物乞いするしかないような貧しさを表すことばである。このエリコの盲人こそが、奨励されていた心の貧しさを持ち合わせていて、主イエスに恵みを乞うている。慈悲を乞うている。
さて、このエリコの盲人の立場に立って、もう少し「私をあわれんでください」を観察してみよう。「あわれんでください」の旧約聖書の用法が一つの参考になる。二箇所開いて見よう。「主よ 私をあわれんでください。私は衰えています。主よ 私を癒してください。私の骨は恐れおののいています」(詩篇6編2節)。「私は申し上げます。『主よ あわれんでください。私のたましいを癒してください。私はあなたの前に罪ある者ですから』」(詩篇41編4節)。以上を観察すると、「あわれんでください」という願いに「癒やしてください」という願いが平行している。エリコの盲人の場合も、「私をあわれんでください」と言った時に、「ワンコインでもいいから恵んでください」といった意味で、「あわれんでください」と言ったのでないだろう。そこには「癒やしてください」という願いが込められている。それは単に肉体のいやしにとどまらない、全存在のいやしと言えるだろう。それは全き御救いである。
彼の「あわれんでください」という叫びは繰り返された。「先を行く人たちが黙らせようとしてたしなめたが、その人はますます激しく『ダビデの子よ、私をあわれんでください』と叫んだ」(39節)。病人、障がい者は神の国から遠い存在として下に見られていたわけなので、彼を黙らせようとしてたしなめるというのはわかる気がする。大名行列ではないけれど、「イエスさまがお通りになるのだ、邪魔するな。お前のような雑魚は黙ってろ」。考えて見ると、同じような光景が先にあった。人々が幼子たちを主イエスのもとに連れて来た時、弟子たちはそれを見て叱った(18章15節)。「イエスさまは、こわっぱの相手をしている暇はない」と。このエリコの盲人の場合、たしなめられてもめげることなく黙らなかった。それどころか、ますます激しく叫んだ。絶叫した。「あわれんでください」と。恥も外聞もない。周囲の妨害にもめげない。彼の求めがいかに真剣だったかがわかる。感動的な見習うべき姿である。
一口メモ的な話になるが、キリスト教の曲で演奏会でも歌われる機会が多いものに「ミサ曲」がある。第一曲目が「憐みの讃歌」である。「キリエ」(あわれみたまえ)で始まる。歌詞は「主よ、あわれみたまえ。キリストよ、あわれみたまえ。主よ、あわれみたまえ」。この歌詞は、エリコの盲人の叫びに由来していると言われる。私たちもエリコの盲人の精神で「主よ、あわれみたまえ。キリストよ、あわれみたまえ」とたましいの叫びを発していきたいと思う。主は聞いてくださるお方である。
主イエスは、進めていた足を止め、彼を連れてくるように命じられた(40節)。彼は人の手に引かれ、主イエスのそば近くに来ることになる。主イエスは彼の信仰が明確なかたちを取らせるべく、質問をされる。「わたしに何をしてほしいのですか」(41節前半)。彼は「千円恵んでください」とは言わなかった。彼の願いは信仰がなければ言えないことばであった。「主よ、目が見えるようにしてください」(41節後半)。目が見えるようになるというのは奇跡なので、彼のことばは信仰がなければ言えない。
そして主イエスは言われる。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました」(42節)。主は「見えるようになれ」と、一言のことばでいやす。みことばでいやす。「『光、あれ。』すると光があった」(創世記1章2節)という創造のみわざも思い起す。主イエスのことばには神としての権威がある。そのことばはその通りになる。だが主は、「わたしの力があなたを救った」とは言われない。「あなたの信仰があなたを救いました」と言われる。別に盲人の力でいやされたわけではない。いやしたのは主イエスである。盲人は無力である。でも「あなたの信仰が」と言ってくださる。信仰というチャンネルが主の力を呼び込む。彼に信仰がなければ、人々にたしなめられても叫び続けることはしなかっただろう。彼は逆風にさらされても、「ますます激しく」と、主イエスへの信頼から、主イエスに何としてでもつながろうとした。信仰というチャンネル、主を信頼する私たちの側の確固たる意志がなければ、主はみわざをなさらないというのも真実である。ただ信仰というのは私たちの側の誇りでもなく手柄でもなく、ただ神さまの恵みの施しを求めておすがりする姿勢でしかない。
「あなたの信仰があなたを救いました」という宣言だが、新改訳第三版では「あなたの信仰があなたを直したのです」と訳していた。確かに直ったのだが、「直したのです」と訳していたことばは、実は「救い」を意味する<ソーゾー>ということばが使われている。通常は「救う」と訳すことばである。だからこの盲人は、ただ目が見えるようになったというのではなく、聖書が告げるところのキリストによる救いに与ったのである。それは43節で「イエスについていった」と言われていることからもわかる。
では43節から、彼の救われた姿を見てみよう。「その人はただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った」(43節前半)。これぞ信仰の姿である。彼はただちに見えるようになったわけだが、この時彼はイエスさまが見えた。これが何よりも嬉しかったのではないだろうか。「目が見える」という表現が繰り返されているが、これはただの視力回復を言っているというのではなくて、霊的にも目が開かれた事実を表していると言って良いだろう。ルカ2章では老人のシメオンが、幼子イエスを抱きながら、「私の目があなたの御救いを見たからです」(2章30節)と言っているが、この時も、同じことが言えるだろう。
この盲人は、この後、喜びが爆発した。「神をあがめながらイエスについて行った」。この神をあがめながらついて行く姿勢は、先の登場人物である、金持ちの指導者と全く対照的である。18章23節を見ると、ユダヤ人の金持ちの指導者は富と主イエスとの板挟みの中で、「わたしに従って来なさい」との招きに応えることができず、「非常に悲しんだ」ということが記されている。目が開かれた盲人の場合は、金持ちのように悲しんでいない。悲しんで、主イエスのもとから立ち去ってはしまわない。「神をあがめながらイエスについて行った」。彼のほうが金持ちの指導者より、はるかに幸せである。私たちも、神をあがめながら主イエスについて行く生涯を送りたい。
この物語は、「これを見て、民はみな神を賛美した」(43節後半)で終わる。ルカの福音書を読んで気づくのは、賛美の記述がまことに多いということである。以前、ルカの福音書は祈りの記述が多いことから「祈りの福音書」とも呼べることをお話した。同様に、賛美の記述も多い。たった今見た、「神をあがめる」という表現などはマタイの福音書ではまれで、ルカの福音書では8回登場している。ルカの福音書でどのような人々が賛美しているのかを見ていくと、1章のマリアの賛美で始まり、2章で御使いと羊飼いとシメオンが賛美し、5章でいやされた中風の人が賛美し、また5章、7章で民衆が賛美し、13章で病の霊につかれていた人が賛美し、17章でツァラアトに冒されていた人が賛美し、18章では今見たように、いやされた盲人と民衆が賛美し、19章ではエルサレム入城の際、群衆が賛美し、23章では十字架刑の光景を見ていた百人隊長が賛美し、最終章である24章では、弟子たちが賛美している。「彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた」(24章52,53節)。この賛美の記述でルカの福音書は閉じている。ルカの福音書は「賛美の福音書」と言ってもいいのではないだろうか。
神をあがめながら主イエスについていったこの人物は、平行箇所のマルコ10章46節では「バルティマイ」と呼ばれていることから、この人物は初代教会では名の知られた人物であったと思われる。ルカは「使徒の働き」という文書で、初代教会の記録も執筆することになるが、初代教会では神を賛美していたことを記録している。「そして、毎日、心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民に好意を持たれていた」(使徒2章46,47節)。何を言いたいかというと、エリコの盲人は初代教会の成員となってからも、神を賛美する、神をあがめる、神をほめたたえる、そのような信仰人生を送っていったのだろうということである。彼は賛美の人生を歩んだことはまちがいない。神をあがめる生涯、キリストをほめたたえる生涯を送ったことはまちがいない。私たちも主イエスの愛とそのみわざを覚えて、彼に倣おう。神をあがめながら主イエスについて行こう。私たちの唇をそのためにおささげしよう。