この詩編の作者は表題にあるように、ダビデ王である。人生の修羅場をかいくぐって来た人物で、一国の王であり権力者である。それにしては、自分を「乳離れした子」になぞらえるのは、意外な感じもする。しかし、逆に言うと、人生の修羅場をかいくぐって来たからこその告白であると思う。若い頃は自分の力に任せてやってきたことが色々とあったはずである。勇み足もあった。いらぬ失敗もあった。人の裏切りも経験した。命の危険に何度もさらされた。人ゆえの自分の力の限界というものをいやというほど味わった。自分の罪深さということも痛感させられただろう。体が思うように動かないことも、年とともに感じるようになっただろう。

こうした人生の過程で、樹木で言うと、刈り込みを味わってきたわけである。もちろん、刈り込みをされるのは神さまである。何も痛めつけようと思ってやってきたわけではない。果樹などの剪定の経験がある方はご存じのように、この木にとって一番良いことだと思ってやっているわけである。愛の刈り込みである。本人にとっては痛みが伴うわけだが。

この詩篇では、刈り込まれ、取り除かれたものが二つ挙げられている。一つは「傲慢」である。「主よ 私の心はおごらず 私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや奇しいことに 私は足を踏み入れません」(1節)。おごり、高ぶりは誰でも持つものである。「おごらず」の「おごる」とは「高くなる、ごうまんになる」という意味である。人間はバベルの塔が象徴するように、神のようになれると思い込み、神さまと肩を並べようとしている。自分の思い通りに何でもやれるかのような妄想を抱いている。自分の力を神としている。けれども、こうした姿は信仰者といえども無縁ではない。神なしで生きれるかのように思い違いし、自分の力やこの世の何かに頼ろうとする。ダビデもこの誘惑に遭った。自分の力で国を支配しているのだと幾分勘違いを起こし、国は一時、騒乱、疫病などでめちゃくちゃになった。組織も自分の思い通りにならず、手痛い目にもあった。そして自分の力の空しさを知った。ダビデは詩編の各書で、力は神にあることを繰り返し告白することになる。

ダビデは自分の人生の中で度々ジレンマも抱えたはずである。「なぜ神はそうするのだ。私だったらそうしないのに」。「なぜこのタイミングで、このような苦難を許されるのか」。自分の考えと違う方向に周囲が動いている。自分の計りごと通りに物事が進まない。「なぜ、神はそうされるのだ。なぜそれを許されるのだ」。このようなジレンマは誰しもが持つはずである。そして神に対して反抗心を燃やすこともある。だが、それはある意味、自分の知恵を基準にしているだけのことである。神の知恵は計り知れず、私たちはその深みを知ることはできない。ダビデは、「塵にも等しい私が何を・・・」とへりくだり、神に信頼することを学んでいったのだと思う。ダビデは激しい葛藤の中で、何度も頭を冷やされ、この1節の告白に至ったのだと思う。そして、ダビデのへりくだりや信頼という姿勢は、2節の「乳離れした子」という表現に反映されていく。

刈り込まれ、取り除かれたもう一つのものは、「幼稚な依存心」である。「まことに私は自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が 母親とともにいるように 乳離れした子のように 私のたましいは私とともにあります」。新改訳2017は直訳的に訳しているが、意味が通りずらい文章である。協会共同訳は2節後半を次のように訳している。「私の魂は母の傍らの乳離れした幼子のようである」。ポイントは、ダビデは自らを、母親の傍らいる乳離れした子になぞらえているということである。「乳離れした子」と対比されるのが「乳飲み子」である。ダビデは自らを乳飲み子とは言っていない。乳離れした子である。この二つは区別されなければならない。「乳飲み子」は母親と自分の分化ができていない。母親に対して、独立した人格として自覚的、自発的に信頼する姿勢はなく、母親と未分化でべったりである。ちょっと離れるとギャーと泣き、パニックになる。だが「乳離れした子」はそうではない。母親の傍らで、安らかに、静かにしている。「たましいを和らげ」の「和らげる」は「平らにする,平静にする」という意味である。「静めました」の「静める」は「穏やかにする」という意味がある。どちらも落ち着いたさまを表している。乳飲み子とは違う。

「乳飲み子」と「乳離れした子」を私たちに当てはめてみよう。乳飲み子のような人物は、ちょっとしたことでパニックになり、泣きわめき、恐怖心から神にしがみつこうとする。けれども、乳離れした子のような人物は、いつでも自覚的に、自発的に神に信頼を寄せているので、ちょっとやそっとのことで物怖じはしない。神の傍らで、静かに、落ち着いた様子でいる。神を信頼し切っていて、自分が願う前に神は私の必要を知っていてくださる、私に対して最善をなしてくださると悟っているので、パニックになってわめいたりしない。

このパニック状態で思い起こす福音書の記事が二つある。二つとも、ガリラヤ湖上での強風に関係している。「さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに『向こう岸へ渡ろう』と言われた。そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。すると、激しい突風が起こって波が舟の中まで入り、舟は水でいっぱいになった。ところがイエスは船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、私たちが死んでもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって風をりつけ、湖に『黙れ、静まれ』と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。イエスは彼らに言われた。『どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。』(マルコ4章35~40節)。もし弟子たちが乳離れした子のような信頼を発揮できていたのなら、恐怖心からパニックとなり、主イエスに対して「私たちが死んでもかまわないのですか」といったことばも出て来なかっただろう。もう一つは主イエスの水上歩行の時のことである。「イエスは『来なさい』と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。』そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ」(マタイ14章29~32節)。ペテロは強風を見て怖くなり、主にしがみつくような思いで、助けを求めて叫んだ。これも一つの信仰ではある。だが、乳離れした子のような人物は、恐怖心から、不安定な依存心をもってしがみつこうとするのではなく、自立した信頼心がそこにある。

また、乳飲み子のような人物と乳離れしたような人物を比較すると、乳飲み子のような人物は、ダダをこねる。何でも自分の思い通りにならないと気が済まないようなところがある。自己中心になりがちで、ダダッ子である。人生の中心はあくまで自分である。自分の願いがかなえられることだけに関心を持つ。だが、乳離れした子のような人物は、神さまが自分に何を願っているかを考えるようになる。人生の中心は自分ではなく、神となる。神を愛すること、神のために辛抱することも会得し、自分の思い通りにならないからといって、すぐに泣きわめいたりしない。静かな息子、娘として成長していく。神にわめきたてるのではなく、神に聴く姿勢をもって、みこころを探り、それを行おうとする。おかんむりを決め込んだり、すねたり、ふくれたり、そういう姿は見せない。自分では理解できない事態に巻き込まれても、落ち着いて信頼を寄せる。

乳離れした子のような人物の全貌は今述べた通りである。神に落ち着いて信頼することにより、たましいを和らげ、平穏でいる。乳離れした子が母親のそばで満足し切った表情でいるように、神に心を寄せ切っている。周囲の状況がどうあろうとも。嵐の夜も。この人の信仰は成長している。かつては、自分の心をまさぐり、気分が良いかどうかが関心の的であったかもしれない。感傷的に、感情的に信仰生活を送ってきたかもしれない。しかし、もはやそうではない。また、かつてのように神に甘えるだけの姿勢もない。厳しい現実にあっても、神に聴き、神の方法を求め、神の愛に応答していくことに関心をもつ。

次のような話を良く聞く。「神を信じ始めたばかりの頃は、爽快な気分だった。素敵な経験もあった。でも今は…」。昔は楽しかったけれども、今の自分には感情ではっきりと確かめられる神さまからの慰めが感じられないというわけである。これは多くの方が経験するところである。私も経験した。神さまは私たちが乳飲み子のようなクリスチャンにとどまっていることを願ってはおられないので、神さまは、ご自身の扱い方や周囲の状況に手を加えられる。

私たちは、乳飲み子のようではなく乳離れした子のようでありたい。成長したい。「乳離れした子」を、昔は「幼子」と訳すこともあった。どなたかが、人は成長するほど幼子のようになる、と言われた。それは子どもっぽくなることではなく、傲慢から救われ、自己中心から救われ、神さまへのまことの信頼を身に着けることである。私たちもそのような信頼を身に着けよう。そして、心の表面が波立つことがあっても、深いところで平安をいただき、主とともにこの年を歩んで行こう。