皆さんは、主イエスの顔がどのような顔なのか知りたいと思ったことがあるだろう。私たちは主イエスの顔を直接見ていない。写真でも見ていない。画家が絵画で想像して描いたものを見るだけである。顔はその人の心や意志が表れるところと言われるが、主イエスの心と意志はみことばを通して知ることができるので、私たちは主イエスの顔の表情を心の中でイメージすることはできる。そこには、悲しむ表情、喜ぶ表情、優しい表情、厳しい表情などある。今日の記事の前半は、主イエスの顔が強調されていて、印象に残る箇所である。

ルカはこれまでガリラヤ伝道を記してきたが、9章51節から新しい局面に入る。ガリラヤ地方を後にして、ユダヤ地方のエルサレムに上る旅に出る。エルサレムに上るルートはユダヤ伝道だけではなく、サマリア伝道も意識されていたようである。主イエスの一行はサマリアを経由して、ユダヤ地方に向かう。

51節に、「さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった」とある。主イエスが天に上げられる、いわば昇天の言及である。「天に上げられる日が近づいて来たころ」の直訳は、「彼の上げられる日々が満たされる時に」である。「天」は原文にはないが補足の表現である。「彼の上げられる日々が満たされる時に」というのは、昇天という定まった予定の日の時まで、日が一日一日と満たされて行くという状況である。満たされていくために接近していのは、受難、死という出来事だった。主イエスは天に上げられる前にエルサレムで苦しみに遭わなければならないと知っておられた。ガリラヤ伝道を終え、自体は緊迫する段階を迎えようとしていた。

「イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた」(51節後半)。このお姿が緊迫する段階を迎えたことを示している。「毅然として」ということば自体、原文にはないが、「イエスは御顔をエルサレムに向け」という態度を伝えようとしている。「イエスは御顔をエルサレムに向け」の直訳は、「彼はエルサレムに向かう顔を固定した(据えた)」である。顔がエルサレムに向かって固定され、それはもう動かないというニュアンスである。もともと、これは、「顔を・・・に対して据える」というヘブライ的表現である。この「顔を・・・に対して据える」という表現で、明確な意図、決意、決心といったことを表現している。協会共同訳では、「顔」ということばは訳さず、顔を据えるということばのニュアンスを汲んで、「イエスはエルサレムに向かうことを決意された」と訳している。ひと昔前の新改訳第三版では、「イエスは、エルサレムに行こうとして、まっすぐに顔を向けられ」と訳していた。このように訳して、エルサレムに顔をまっすぐに固定した主イエスの決意を表現しようとした。

「顔」ということばは、もう二回使われている。「そして、ご自分の前に使いを送り出された」(52節前半)。直訳は、「彼の顔の先に使いを出した」。顔があっての使いである。顔は前方を向いている。つまりその人の目も心も前方を向いている。その先に使いを出した。もう一つが、「しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので」(53節前半)。直訳は、「彼の顔がエルサレムへと進んでいた」。足は向かっているけれども気は進まない、ということとは正反対のようである。気が進まないというのは、伏し目がちに下ばかり向くとか、出てきたところをなつかしんで後ろを振り返ってばかりいるとか、そういう態度で表される。ロトの妻がそうであったわけだが。そうではなく、「彼の顔がエルサレムへと進んでいた」。「顔」は原語で<プロソーポン>。それがラテン語で<ペルソナ>となり、英語で<パースン>となった。その意味するところは「人格」である。「人格」という英語は、ギリシヤ語の「顔」に由来している。つまり、主イエスの顔がエルサレムへと進んでいたということは、主イエスの全人格がエルサレムへと向かっていたことを意味している。そこでは十字架という苦難が待っていた。しかしながら、主イエスはそこに向かうのに、オロオロしていない。オタオタしていない。全人格をそこに向けて、毅然とした態度を取っておられたのである。

さて、ユダヤ地方のエルサレムに到達する前に、まずサマリア伝道である(52節)。主イエスは、ご自分が行く前に使徒たちを派遣されたようである。「そして、ご自分の前に使いを送り出された」。「使い」は原文で複数形となっており、それは使徒たちのことであろう。先読みして、10章1節を見ると、「その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた」とあり、ご自分が行くユダヤ地方の町々村々に、主は使徒たちとは別に七十二人の弟子たちを遣わしている。

主イエスは遣わした弟子たちの後にサマリアに入った。ところがサマリア人は主イエスを受け入れなかった(53節)。かつて、主イエスはサマリアの女に伝道したことがあった(ヨハネ4章1~15節)。しかし、その時は、井戸の傍らでサマリアの女一人に対してであったが、今度は組織的な伝道である。けれども、サマリア人の心は固かった。サマリア人が主イエスを受け入れなかった理由が、「しかし、イエスが御顔をエルサレムに向けておられたので」と言われているが、これは主イエスがサマリア人を無視したということではない。主イエスは彼らに福音を届けようとしたのでサマリアルートを選んだのである。そのために先に弟子たちを遣わすことをしていた。では、サマリア人が主イエスを受け入れなかった理由は何だろうか。サマリア人は、主イエスがエルサレムに意識を向け、エルサレムに上ろうとしていたこと自体が気に入らない。それは歴史的な背景がある。かつてイスラエルは南王国ユダと北王国イスラエルに分裂した。サマリア人は歴史的には北王国イスラエルに住む人々だが、エルサレム神殿に対抗してゲリジム山に神殿を築いて、サマリア教団を形成していた。エルサレムに対抗する意識はとても強い。主イエスがサマリアで王様になってくれるならまだしも、自分たちの嫌いなエルサレムに心を定めて、そこに向かおうとしていたのだから受け入れられない。ヨハネの福音書4章で「ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである」(4節)とあるように、この頃はユダヤ人とサマリア人の関係はこじれていた。「サマリア人」というのは、もともと北王国の都サマリアの市民を指すことばであったが、紀元前722年にアッシリア帝国が北王国を滅ぼすと、アッシリア帝国の各地から、サマリアに色々な人種が送り込まれ、植民した。結果的に混血が行われ、それだけではなく宗教が混ざり合い、混淆宗教となっていく(第二列王17章23~25,27~33節)。ユダヤ人にとってサマリア人は軽蔑に値する民族なのである。サマリア人とユダヤ人の決定的な分裂は、旧約聖書最後の章と新約聖書の福音書の間の中間時代に起こった。紀元前128年、ユダヤのハスモン王朝ヨハネ・ヒルカノスはサマリアを徹底的に滅ぼし尽くす。この時からサマリア人とユダヤ人は完全な犬猿の仲となった。主イエスが昇天して十数年後の事件と思われるが、サマリアを通過してエルサレムに巡礼に行こうとしたユダヤ人をサマリア人が殺してしまい、内戦も勃発している。だから、主イエスがサマリアを通ってエルサレムに上ろうとした時も、受け入れられないどころか、悪くすればという事態が起きても不思議ではなかった。

執筆者のルカが強調しているのは、サマリア人のかたくなな態度ではなく、二人の弟子の態度である。これが悪かった。「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。『主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか』」(54節)。これはひどい発言である。弟子たちに対して寛容で忍耐深い主イエスも、このひどい発言には叱責せずにはおれなかった(55節)。彼らとしては、あっさりと口にしてしまえることだったかもしれない。古代世界では何かあったら敵を滅ぼすというのは当たり前のことであったし、全権大使がその役割を果たした。彼らはその役割を果たそうと思ったのだろう。その手段は天から火を下して焼き滅ぼすこと。この手段を思いついたのは、預言者エリヤに関する第二列王記1章のエピソードが念頭にあったからであると言われる。そこを見ると、サマリアに住んでいた悪王アハズヤが、山頂に座っている預言者エリヤに兵の一軍を遣わしたことが記されている。その時、天から火が下って来て、兵士たちは焼け死んだ。54節の欄外注には「異本に『エリヤがしたように』を加えるものがある」とある。とにかく、二人は調子に乗りすぎである。

もし、こんな暴挙を振るえば、サマリア人の救いはどうなってしまっただろうか。彼らは頭に来て完全に主イエスに心を閉ざすことになり、福音はサマリアではこの後も拒否されることになっただろう。主イエスは、ヤコブとヨハネの進言を受け入れなかった。やがて、サマリアでは何が起こっただろうか。使徒の働き8章を見ると、ピリポたちの伝道によって、サマリアで福音が実を結んだことが記されている。「エルサレムにいる使徒たちは、サマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした」(使徒8章14節)。ヨハネは、かつて自分が気まずいことを口にしてしまったことを思い出しただろうが、改めて自分たちの進言を主イエスが受け入れなくて良かったと思っただろう。そして使徒たちはサマリアで伝道した。「こうして、使徒たちは証しをし、主のことばを語った後、エルサレムに戻って行った。彼らはサマリアの多くの村で福音を宣べ伝えた」(使徒8章25節)。

敵対心を抱くこと、暴力はいけない。それは証しにも何にもならない。主イエスはサマリア人に敵対するユダヤ人に対して、10章で「良きサマリア人のたとえ」を語られることになる(10章25~37節)。そして、ご自身は暴力という力ではなく、弱さに徹し、受難、死、そして復活を通して、福音の力を示そうとされた。

暴力はいけないということを、今日の箇所から学んでいれば、キリスト教史も変わっただろう。しかし、主イエスの名を使った暴力は横行することになる。中世で有名なところでは十字軍がある。現代では、ロシアウクライナ戦争など継続中である。主イエスであれば武闘派の教会をどのように叱責されるだろうか。

ヤコブとヨハネは兄弟であった。ふたりはマルコ3章17節で、このように言われている。「ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた」。二人は気性が激しいということである。短気であるということである。この性格も今日のエピソードに十分に関係していると言える。ヨハネは少し前のルカ章9章49節では、「『先生、あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。私たちについて来なかったからです』」と排他的になり、それに対して主イエスは、「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です」(50節)と答えられた。ヨハネは、今回のサマリア人は完全に私たちの味方ではなく、敵同然だから、敵として滅ぼしてかまわないと思ったのだろう。主イエスはこれを拒否され、彼らを叱った。そして、どうしたのだろうか。「そして一行は別の村に行った」(56節)。つまり、別の受け入れ先を探そうという平和的解決である。暴力ではなく、一歩引くという平和的解決である。

創世記26章17節以降に、イサクの井戸掘りの物語があるが、イサクが井戸を掘ると地元の羊飼いたちに邪魔をされる。別の井戸を掘ると、また邪魔をされる。イサクは平和的解決をはかって、別の所に移り井戸を掘る。そこでは争いは起こらず、イサクはそこが主が与えてくださった場所であると、主に感謝する。主のしもべは、無用な争いを避けることを選択することの事例である。そして主イエスは、敵に対する態度として、すでに重要な教えをされていた。「あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい」(ルカ6章27,28節)。私たちは、この教えにも心を留めておこう。隣人とのトラブルになった時、キレてしまったら、証は進まなくなる。

以上が今日の記事だが、私たちは今日の記事の前半からは、主イエスの御顔について考えた。十字架に向かう主イエスの決意、その堅固さは顔に現れた。それは父なる神のみこころを行わんとする強い意志である。自分の好きなように、思うがままに生きたいと思うのが私たちである。嫌なことからは逃げたいと考えてしまうのが私たちである。だが私たちも主イエスにならいたいと思う。私たちは、明日から始まる新年、自分の顔をどこに向けたらいいだろうか。神さまからの使命、みこころ、導き、それらをつかんだならば、まっすぐに、そこに顔を向け、自分の十字架を負って主についていきたいと思う。

今日の記事の後半からは、主に従って行く過程で、腹立つ人物に遭遇する時、どうしたらいいかを教えられた。それは、やっつけることではなかった。雷の子と呼ばれた短気なヨハネは、体験を通して学習して、「愛の使徒」と呼ばれる人物に変えられていくことになる。主は同じように、私たちのことも変えてくださるだろう。そして、私たちを証人として用いてくださるだろう。