子どもの時の夢として、偉い人になりたいと言うこと良く耳にしたものである。しかし、別に偉い人なんかになりたくない、という意見も耳にする。皆様はどちらだっただろうか。どちらにしろ、私たちに対しての神の評価というものがあり、神さまが誰が偉いかを決められる。

今日の最初の記事は、悪霊につかれた息子がいやされる物語である(37~43節)。37節で、ルカはこの出来事の日付を「次の日」と記している。前日は高い山において主イエスが、本来の栄光に満ちたお姿に変貌した出来事であった。変貌の山において、31節にあるように、主イエスはご自身の最期、すなわち十字架の苦しみについてモーセとエリヤに話されている。そしてキリストの変貌の八日前は、22節にあるように、第一回目の受難の予告があった。そして44節を見ていただくと、第二回目の受難の予告がある。こうした受難の予告に挟まれるようにして、この奇跡物語がある。この物語は、マタイ、マルコ、ルカの三福音書に記されている物語である。マルコが一番長い。ルカの記述が一番あっさりしていて、三福音書の中で一番字数が少ない。マルコの半分以下である。だが、受難予告の文脈の中に位置づけられているという特徴がある。

主イエスの一行が山から下りて来ると、主イエスを心待ちにしていた群衆がいたが、その中でもとりわけ心待ちにしていた人がいた。それは悪霊につかれた一人息子の父親である(38節)。ここにもルカの特徴がある。それは「一人息子」という表現である。ルカは、ナインの村のやもめの息子の生き返りのときも「一人息子」と言っている(7章12節)。そして、ヤイロの娘の生き返りのときは「一人娘」と言っている(8章42節)。ルカはいやしの対象を、わざわざ「一人〇〇」と表現して、主イエスのあわれみ深さを伝えようとしているようである。

父親は最初、主イエスと一緒に山に登らなかった弟子たちに、霊を追い出してくれるように願った。しかし、弟子たちはできなかった。それに対する、主イエスの嘆きのことばが記されている。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」(41節)。この嘆きのことばで、一つのかぎになることばは「いつまで」である。「いつまで」という嘆きは、ご自分がもうしばらくすれば、捨てられ、十字架につかなければならなくなるということを意識してのことばである。時間的猶予はそう残されていない。しっかり独り立ちして欲しいという願望がそこにはある。主イエスと一緒に山に登ったのは、三羽烏のペテロ、ヤコブ、ヨハネ。それ以外の弟子たちが残っていた。十二使徒としては、それ以外の9人が残っていたはずである。彼らは9章1節を見れば、主から権威と力を授かり、町々、村々に派遣されていたことがわかる。だが、なぜかこの時は信仰不足でできなかった。主イエスは「ああ、不信仰な曲がった時代だ」と言われている。「時代」は「世代」とも訳されることばである。主イエスがこの時、意識していた世代とは、十二使徒全部、そして、その他の弟子たちと、この場にいた人々全部であろう。だが、特に、「いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか」と、弟子たちが意識されている。

主イエスはこの後、いやしのみわざを行われるが、それに対する人々の反応が記されている。「人々はみな、神の偉大さに驚嘆した」(43節)。新改訳第三版では「神のご威光に驚嘆した」と訳されていた。「偉大さ」は「威光」と訳せることばである。「神の偉大さ」のところに、2)が付いていて、43節の欄外注を見ると、②Ⅱペテロ一16とある。そこは前回引用した箇所であるが、ペテロのことばとして、「私たちはキリストの威光の目撃者なのです」とある。変貌の山でキリストの威光を目撃したことを告げている。「偉大さ」と「威光」は原語で同じことばである。今日の場面では、山の上でペテロとヤコブとヨハネが見た威光を、今度は人々が別のかたちで目撃したというわけである。それは偉大な威光に満ちたメシアの姿の片鱗であった。このようにルカは読者たちに対して、主イエスは受難のメシアであることをちらりちらりと示す中で、ともに、主イエスは栄光のメシアであることをちらりちらりと示している。そういう手法を取っている。

43節後半~45節は、第二回目の受難の予告である。この受難の予告も弟子たちは理解できなかった。つまりは、主イエスは「受難のメシア」であるという理解ができない。まだ世俗的なメシア理解にとどまっていた。主イエスはローマの支配を打ち破り、ローマから独立し、地上にイスラエル王国を築き、王として君臨し、自分たちは右大臣、左大臣といった側近となる夢を思い描いていたであろう。

46~48節を見ると、弟子たちの間で誰が一番偉いかという議論が持ち上がったことが記されている。「さて、弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった」(46節)。主イエスご自身は十字架刑という、言ってみれば偉さとは全く正反対の立場に身を置こうとしていた時の議論である。主イエスは受難のメシアに従うあり方をすでに教えていた(23~26節)。日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさいと。しかし、彼らの心には、こうした教えはまだ根づいていない。彼らの心にあるのは、今すぐにでも出現するであろうと思っていた王国での自分たちの地位である。主イエスは自らを低くし、これから血だらけになって十字架につこうとしているのに、筋違いの話である。

主イエスは「お前たちは何をくだらないことを論じ合っているのか。バカもん!」と弟子たちを一喝したりはしない。彼らの見当違いは別として、誰が一番偉いかというテーマそのものは重要であるし、正しく知っておくべきことである。主イエスは神の国では誰が一番偉いのかを教えられる。47節で、「しかし、イエスは彼らの心にある考えを知り、一人の子どもの手を取って、自分のそばに立たせ」からわかるように、彼らの心の中にある考えの根は、高ぶり、傲慢であり、だからこそ、視覚教材として子どもを用いようとされたということである。

「彼らに言われた。『だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです』」(48節)。これを読んで、わたしは子ども好きだから合格、と思ってしまうのは早計。まず、当時の子どもに対する見方であるが、現代では子どもを可愛いと、アイドル的にとらえたりする。ところが、古代では、子どもというのは価値なき存在とみなされていた。大の男がかかずらわない、女や奴隷にまかせておけばいい価値なき存在。無価値な存在、小さな存在。価値なき小さな存在。それが子どもである。日本でも「女、子どもの出る幕ではない」といった表現があったが、やはり、子どもを下に見た表現である。だが、そうした子どもを主イエスにあってどれだけ低姿勢で受け入れることができるかで、その人の偉さが決まる。

48節は三つの文章で成り立っている。最初は、「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです」。このような低く見られていた子どもの受入れ方は、「わたしの名のゆえに受け入れる」とある。「わたしの名のゆえに受け入れる」という表現自体は、イスラエルの伝統的表現であるようである。それは、「その人にはわたしの名が置かれている、その人はわたしの代理である、わたしの名を帯びている人である。そう信じて受け入れよ」ということである。この場合、「価値なき小さな存在はキリストであるわたしの代理である。わたしの名を帯びている。そう信じて受け入れよ」ということになる。そうして受け入れれば、「わたしを受け入れるのです」が実現する。価値なき小さな存在をキリストの名のゆえに受け入れることは、キリストを受け入れていることと同じである。結局は、価値なき小さな存在を、あたかもキリスト本人であるかのように受け入れることができる人が偉い人なのである。

次は、「また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです」。前の文章のつながりで考えると、「だれでもわたしを受け入れる人」とは、具体的には、先に見たように、無価値な存在とみなされている人を受け入れる人である。その人はキリストを受け入れる人であり、キリストを受け入れる人は、「わたしを遣わされた方」、すなわち、父なる神を受け入れる人なのである。だから、価値なき小さな存在とみなされている人を受け入れることができないで、自分は神を受け入れているとは言えないわけである。むしろ、神を拒んでいることになる。

価値なき小さな存在のモデルとして、主イエスは子どもを挙げたが、それは子どもだけではない。パリサイ人たちが見下し、受け入れなかった、主イエスのもとに集まった民衆、貧しい人たち、罪人と言われる人たち、病人たちもそうであろう。主イエスは彼らを受け入れ、丁寧に接した。そして主にある兄弟姉妹も小さな者たちである。主イエスは、貧しい兄弟姉妹や、旅人の兄弟姉妹や、病気の兄弟姉妹や、投獄されている兄弟姉妹をお世話した人たちについて、「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタイ25章40節)と語っておられる。主イエスの名は、兄弟姉妹の中でも特に、お腹の空いた人、喉の渇いている人、旅で宿を必要としている人、裸の人、病んでいる人、牢にいる人、そうした人たちに置かれていると言うのである。それらの人たちが「小さい者たち」と呼ばれている。その人たちには主の名が置かれている。

そして、今日、価値なき小さな存在には、高齢者も入るだろう。現代では、子どもは古代以上に大切にされている。だが高齢者はそうとは言えない。子ども以上に価値なき小さな存在とみなされることがしばしなのではないだろうか。現代であれば、主イエスは視覚教材に高齢者を用いるかもしれない。

最後に、主イエスは弟子たちに、自らがより小さな者になるように教え諭す。「あなたがた皆の中で、一番小さい者が一番偉いのです」。直訳は、「あなたがた皆の中で、より小さな者が、より大いなる者なのです」。原文は比較級が用いられている。最上級の代理として比較級が用いられている。大小の比較となっている。弟子たちは互いに比較し合う中にいた。だれがより価値が大きいか、小さいか。大小の順番で並べるとどうなるかと。こうした背比べで、自分を一番小さい者として位置づける者こそ一番偉いと、主イエスは言われる。自分を大きくする者は小さい者を見下ろすだろうが、だが、その小さい者より、さらに自分を小さくできる者こそ偉いのである。しかし、誤解してはならない。その人の偉さは、生活の現場では、子どものような無価値で小さな存在を、キリストにあって受け入れることで証明される。だから、これは単なる、私のような者は、という卑屈な謙遜さとは別種類のものである。価値なき小さな存在とみなされている人を、キリスト本人であるかのように受け入れる謙遜さでまことの謙遜が証明される。そして、それが真の偉さということである。主イエスはこの世の偉さの概念をぶちこわし、神の国の偉さを提示している。主イエスご自身、この偉さの模範となって社会のアウトカーストのような人々も受け入れ、そして十字架に向かって行かれる。そこで私たちのような罪人のために、命を捨てられることになる。結局、主イエス以上に謙遜で偉い人物はいない。

最後に49,50節を見よう。このエピソードは先の話と無縁ではない。高ぶりに捕らわれると、私が一番と、自分という個を持ち上げることになる。そして他を排除することになりかねない。49,50節は、そのグループバージョンの誤りの指摘である。49節で、ヨハネは悪霊を追い出している人をやめさせたと言っている。その理由は「その人が私たちについて来なかったからです」である。新改訳第三版では「私たちの仲間ではないのでやめさせました」と意訳的に訳していた。その人はまちがったことを教えたり、まちがったことをしていたわけではなかった。「あなたの名によって」と、主イエスの名によってわざを行っていた。なのに、やめさせた理由は、私たちの仲間ではないからということなのである。悪い表現を使うと、ヨハネをはじめとする弟子たちはエリート主義者になっていた。私たちはエリート、選ばれし優秀な者たち、私たちが正統的なグループ。私たちの仲間に加わらなければ活動は認めない。悲しいかな、現代でも、キリスト教界内の教団、教派、教会で、このような態度を取る人たちがいる。主イエスの教えに耳を傾けるべきであろう。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です」(50節)。

もちろん、異端を認めていいとか、聖書の教えを踏みにじる教会と協力していいとか、そういうことではない。言い出しっぺが「ヨハネ」であることは興味深い。ヨハネと言えば異端反駁のスペシャリストになる人物である。ヨハネの手紙は異端反駁のために執筆されている。彼には偽りの教え、偽りの霊を見分ける賜物が高かった。彼は、キリストの名を口にしながら、実際はキリストの味方でもなんでもない輩に対して厳しかった。ヨハネが銭湯で浴槽に浸かっているとき、異端の人が同じ浴槽に入ってきたので、ヨハネはそこから飛び出した、という逸話は有名である。彼は偽りの教えに一切妥協しないし、妥協することを許さない。彼は厳しく線引きをする。このようなタイプの弱さは、排除しなくてもいい人まで排除する可能性が高い、ということである。排除とは「わたしの名のゆえに受け入れる」ことと反対の態度である。49,50節はヨハネらしいエピソードになっている。私たちは偽りを見抜く識別力が必要であるとともに、人に対して行き過ぎた裁きをしてしまわないよう心掛けたい。

いずれ、私たちの謙遜さは対人関係で試される。特に価値なき小さな者たちをキリスト本人であるかのように受け入れることができるかということにおいて。そして人ではなく神が、その人の偉さを決める。私たちは傲慢になって人をはじくのではなく、心を低くし、自らを小さな者としつつ、主イエスはこの人をどのように見ておられるだろうかと、主イエスを模範として人に接し、受け入れ、人に仕えていきたいと思う。