前回は大群衆を前にしての主イエスの説教であった。「種蒔きのたとえ」を中心に、みことばに対して聞く耳を持つことを教えられた。今日の記事は場面が変わる。湖上での出来事である。場面はガリラヤ湖である。かつてペテロはこのガリラヤ湖で、一晩漁をして何も捕れなかった時、主イエスに「深みに漕ぎ出し、網を降ろして魚を捕りなさい」と命ぜられ、それに従ったときに大漁を経験し、主イエスに神性の輝きを見て驚いたことがある(5章前半)。こうした驚きが今日の場面でも生まれる。

主イエスは弟子たちとともにガリラヤ伝道を続けておられた。町から町へ、村から村へと。それはそれは多忙な毎日であっただろう。そんなある日のこと、主イエスは舟でガリラヤ湖を横断して向こう岸に渡ることを計画される。西側から東側というルートだろう。ガリラヤ湖は、長さは21キロ、幅は12キロ。湖は海面下215メートルにあり、丘陵に取り囲まれている。東側の丘陵は300メートル以上に達し、西側も南端あたりまでは同様に高いという。つまりはすり鉢状になっていて、丘陵から吹き降ろして来る風が湖面の温かい空気とぶつかり合うと、突風となる。ペテロたちは漁師であったが、彼ら漁師であってもパニックに陥る突風が吹き荒れることがあったという。まさしく今日の場面がそうである。

このような突風が吹き荒れ、慌てふためくのは当然のことのように思う。だが弟子たちは主イエスに叱責されることになる。「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」(25節前半)。厳しいことばである。以外に思われるかもしれないが、彼らは叱責されて当然だったのである。叱責されて当然な理由は、三つのポイントがあると思う。

一つ目のポイントは、舟で横断する計画を立てられ、実行に移されたのは主イエスであるということ。「ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した」(22節)。冷静になって考えれば、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたのは主イエスなのだから、沈没して溺死する結果で終わるわけはないということである。湖の向こう岸に渡る確信があったから、「湖の向こう岸へ渡ろう」とおっしゃった。だが、弟子たちは現況に慌てふためくだけの態度である。主イエスの指示もなく、自分たちの一か八かの計画で船出したのなら、どうなっても仕方がないが、そうではなかった。主イエスが「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたのである。主はこの船旅を、最後まで責任をもって守り導いてくださるだろう。では、前に進んで行って、途中、それが主の御計画でないと気づいた場合はどうだろうか。引き返すだけのことである。

二つ目のポイントは、主イエスが同船していたということ。「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた主ご自身が同船しておられた。嵐は中途半端ではなかった。舟が水を被って死の危険を感じる状態であった。にもかかわらず、この場面で、主イエスはぐっすり眠っていた(23節)。狸寝入りではなく、単純に疲れておられたのだと思う。陸に上がれば、またすぐに働きが待っている。舟での移動時間が休む時間である。弟子たちはそれをわきまえていて、最初の頃は起こさなかったのだと思う。だが、我慢の限界が訪れた。「そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、『先生、私たちは死んでしまいます』と言った」(24節前半)。弟子たちのこのことばには非難の思いが少しこもっている。平行箇所のマルコ4章38節では、「先生。私たちが死んでもかまわないのですか」となっている。そのようなことばも弟子たちの口から出たのだろう。主イエスは弟子たちが死んでもかまわないとは思っていない。主イエスは確かに寝ておられたけれども、主イエスの心、精神はいつでも覚めていて、弟子たちとともにある。寝ているけれども、いつでも弟子たちを助ける心備えがある。

実在の武士を主人公にした小説でユニークなものがある。その主人公は松林蝙也と言い、武術の達人で、門人たちや身の周りの世話をする女性に、私の虚を突いて私を驚かせたら褒美をやると約束していた。最高の機会は寝ている時と判断し、物音立てずに近づいて、ふすまに手をかけると、いびきがピタッと止まる。寝ていても心は覚めているという状態であった。完全に熟睡している時を狙っても作戦は失敗に終わる。彼は24時間油断なし、隙なし。寝ているけれども寝ていない、そういった人物であった。主イエスもこの時、肉体的には寝ていた。しかし、主イエスの心は、弟子たちのためにまどろむことなく、眠ることもない。いつでも助ける備えがある。むしろ寝ていたのは弟子たちである。彼らは肉体的には起きていたし、目も開けていたけれども、霊の眼が閉じていた。目の前におられる主イエスに対して閉じていた。私たちに無関心なのか?助ける気はないのか?何もできない方なのか?弟子たちこそ、眠っている霊の眼を開かなければならなかった。

三つ目のポイントは、主イエスは神としての権威を持っておられるということ。ルカの福音書は、主イエスの神としての権威ということも教えてきたが、これまでは、主イエスの病に対する権威、悪霊に対する権威、死に対する権威を教えてきた。主イエスの権威は自然界にも働く。今日の物語から何を一番学びたいかということだが、主イエスの神としての権威を信じて、嵐の中でも平安を保ち前に進むということである。覚えておきたいことは、当時、風や波を鎮めるというのは神の力に帰せられるものとして理解されていたということ。旧約聖書では、神だけが風にも波にも命じて従わせることができると証言している。「船に乗って海に出る者 大海で商いする者 彼らは見た。主のみわざを 深い海で その奇しいみわざを。・・・主が嵐を鎮められると 波は穏やかになった。波が凪いだので彼らは喜んだ。主は彼らをその望む港に導かれた」(詩篇107編23~30節)。外典のマカバイ記に、アンティオコス・エピファネスというユダヤ人を迫害したシリアの王様の記述がある。彼は紀元前2世紀の人物で、単にユダヤ人を迫害したばかりか、エルサレム神殿にゼウス神を祭り、神殿を汚したことで知られる悪名高き人物である。彼は奇病に襲われ急死するという末路を辿るが、それについて、こう記されている。「彼は今の今まで、人間の分をわきまえずにのぼせ上がり、海の波に命令を下し、高い山を天秤に載せようとすら考えていたのに、地面に投げ出され、担架で運ばれる始末であった」(第二マカバイ9章8節)。「海の波に命令を下す」というのは、神だけができることなのに、のぼせ上ってという記述である。しかし、主イエスは、それをやってしまわれる。「イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった」(24節後半)。

まとめると、弟子たちは「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたお方がどういうお方なのかをはっきり認識し、そのお方が同船しているとなれば、何があっても、ここまで慌てふためく必要はなかったということである。主イエスは責任をもって最後まで助け守ってくださると信頼していれば良かった。そうでなかったので、「イエスは彼らに対して、『あなたがたの信仰はどこにあるのですか』と言われた」(25節前半)のである。主イエスのことばは厳しい。容赦がない。一緒に寝泊まりして、これまで主イエスを身近に見てきた弟子たち。「まだわたしのことがわからないのか」と言わんばかりである。

私は、今日の物語から、色々なことが思い浮かぶ。神学校時代、夏期伝道実習で広範囲にトラクト配布を頼まれた時のこと。配るのはその日しかない。ところが、雨雲が広がり、いつ雨が落ちてきても不思議でない天候であった。天候のために祈り、トラクト配布をスタートした。最後の一件にトラクト配布が終わると同時に、その直後、ザンブリ雨が降って来た。神の御手をはっきりと感じた。また関東で牧師をしていた時に、夜中に放火事件が発生した。真夜中、教会員から電話がかかってきた。火が近くまで迫っていると。慌てて現場に直行した。教会員宅に火が迫っていたが、ぎりぎりで火が消し止められた。その時も神の御手を感じた。だが、大きな天変地異があった時には、世々にわたって、クリスチャンの方々もその災害を被っている。では、今日の物語をどう受け止めるのかということだが、主の御計画で、主の主権で、主の導きで始まったことは、途中、試練にあっても、そこでストップしないで前進できるということが一つある。何度も話していることだが、私が神学校入学1カ月前、結婚数週間前のこと、肺炎の初期症状が出てしまった。熱を上げ、レントゲンにも白い影が見える。医者も、もう肺炎でだめかもしれないという診断。私はその晩、「どうなってしまうんですか、主よ」と、熱を上げ、せき込みながら、聖書を開いて祈っていた。肺炎になったら、すべてがおしまいである。以前、入院した時、同室の子が肺炎で何週間も入院していたことも思い出し、不安になった。そうすると、主は、まさしくこのガリラヤ湖上の嵐の場面から、「あなたの信仰はどこにあるのか」と叱責された。私はこの御声を聞いて、「信仰の薄い者をお赦しください。信じます」と祈り、朝を迎えた。熱は下がり、快方に向かった。今もその時の後遺症を若干抱えてはいるが、主はご自分のプランを崩さなかった。

そして、今日の物語から教えられるのは、人生の嵐の中でも主イエスにあって平安を保つことができるということ、これを会得することを主は望んでおられるということである。ある聖職者の方が、クリスチャンであったお母様の思い出を語っておられた記事を読んだ。とても心配性なお母様で、息子が無事帰って来ますようにと祈るのはいいのだが、帰って来るまで必要以上に心配し通しで、何かにつけ、そのような感じだったそうである。祈るのはいいのだが、ゆだねていないと言うか、それが信仰には見えなかったということだった。私たちは、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と、年がら年中、叱責されなければならないとするなら、それは良くないだろう。嵐の中でも平安を保つということを会得しなければならない。

ここで、それに関する実話を紹介しよう。嵐が吹き荒れる船上で、弟子たちと正反対の信仰姿勢を見せた人たちが登場する。時は1735年、キリスト教界の偉人として知られるジョン・ウェスレーは福音布教教会の宣教師としてアメリカのジョージア州へ派遣された。その航海の途上で、ウェスレーの心を捉える出来事が起きる。ウェスレーはイギリスのオックスフォード大学のホーリークラブの指導者をしていた。そのクラブでは、聖書の学びと祈り、囚人伝道、貧しい人々への奉仕活動等に熱心だった。彼らは真面目で几帳面だったので、「メソジスト」(几帳面屋)とあだ名を付けられた。ウェスレーはイギリスの国教会の司祭の資格を持ち、宣教師としてアメリカのジョージアに向かうわけだが、航海途上で、激しい嵐に襲われた。彼は恐れに捕らわれ、死の恐怖を感じた。ところが、その激しい嵐の中で平安を保ち、神を賛美する人々がいた。モラヴィア兄弟団の人たちである。モラヴィア兄弟団とは、ドイツに本部があるアナバプテスト(再洗礼派)の流れを汲む人々である。恐れ惑う自分とは全く違う平安に満ちた彼らの態度に、ウェスレーは深い感銘を覚えることになる。アメリカ上陸後に、モラヴィア兄弟団の指導者が、「あなたはイエス・キリストを知っておられますか」とウェスレーに尋ねる。イギリスで熱心に活動し、アメリカの宣教師となったウェスレーに対してである。ウェスレーは、自分は彼らほどにイエス・キリストを知っていないと気づいていた。ウェスレーのアメリカでの伝道は大失敗に終わり、二年余りで帰国することになる。彼の落胆は大きく、「私は怒りの子であり、地獄の相続人である」とまで述べている。だが転機が訪れる。彼は帰国後、ロンドンの集会で、モラヴィア兄弟団の宣教師の信仰義認の説教を聞き、ルターの「ローマ人の手紙の序文」が朗読されたときに、心が「不思議に熱く燃える」という体験をする。これはウェスレーの第二の回心とも言える出来事として知られている。ウェスレーにとってイエス・キリストは真の意味で生ける存在となった。

私たちの信仰というのは、やはり、試練の時に試されるものである。その時、イエス・キリストをほんとうに知っているのか、どれだけ信頼しているのかが試される。私たちも、激しい嵐の中でも平安を保っているような人物でありたい。あわてふためく、うろたえる、恐れる、そういったことは最小限度にしたいと思いつつも、やはり、イエス・キリストに心の目が開かれていなければ、思うようにはいかない。前回のお話が、イエス・キリストに心の耳を開くことを教えるお話であるならば、今回は、イエス・キリストに心の目を開くことを教えるお話である。

最後に25節後半に目を落としてください。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか」。直訳は「この人はいったい誰だろう。彼が命じると、風や水までが彼に従うとは」。「この人はいったい誰だろう」という疑問文が、中心となることばである。「この人はいったい誰だろう」、それを心底知っている人は幸いである。今年度の当教会のテーマは「キリストを知る」である。

私たちは、主イエスの助けは遅いと感じられる時もあるだろう。ガリラヤ湖上の弟子たちの場合、死の予感が走るまで助けはなかったわけだが、主の助けのタイミングというのは、私たちが願っているより遅く感じられるときもあるだろう。しかし、主は無関心なわけではない。無力なのでもない。だから、「何とも思われないのですか」といった態度ではなく、そういう態度で祈るという話を聞いたことがあるが、それも主が許容されるかもしれないが、信頼と賛美を持って待ち望むことができればいいのではないだろうか。主の助けは、主の時に、主の方法である。人生の航海はちょっと危なっかしいのが当たり前である。ベストの航路を選択し、ベストのタイミングで船出してもである。私たちの航海もまだ続く。この航海を主とともに信仰をもって続けよう。