今日の記事を読むと、主イエスの活動も、いよいよトップギアに入った感がある。主イエスは公生涯をスタートされるとガリラヤ伝道に着手されたわけであるが、この頃になると、主イエスの評判はパレスチナ全土に広がっていたことがわかる。今日の記事はガリラヤ伝道に着手されて約半年が経った頃の記事である。

主イエスは弟子たちが増えていったのを見計らって、ガリラヤ伝道の前期に、十二使徒の選出に入る(12~13節)。「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた」(12節)。ガリラヤには数百メートルの山があるが、主イエスは山に登って「神に祈りながら夜を明かされた」と、徹夜で祈られて、十二使徒を選びだそうとされた。彼らの信仰と働きのためにも祈られただろう。彼らに教会の未来がかかっていたと言っても過言ではない。主イエスは真剣に祈られた。

ルカの福音書の特徴の一つに、主イエスの祈りの記述が多いということが挙げられる。一番最初の主イエスの祈りの記述は、バプテスマの場面である。「さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた」(3章21,22節前半)。このバプテスマの場面での祈りはルカ独特の記述である。続いての祈りの記述が今日の場面である。十二使徒選出の祈りの記述もルカ独特である。この後も、主イエスが祈っておられたというルカ独特の記述が登場する。ルカはなぜか、主イエスが祈っておられたという記述を他の福音書よりも多く記す。イエスさまは、活動の節目節目には意識して祈っておられた。イエスさまは神さまなのだから、祈らなくても何でもできたかのように思い違いしてしまうが、イエスさまでさえ祈られた。それならば、私たちも祈りなしに済まされるはずはない。

十二使徒について簡単に説明しておくと、十二という数字は象徴的で、イスラエルの十二部族に対応している。主イエスは十二部族にならって十二使徒を選出し、新しいイスラエルである神の民を形成しようとされた。「使徒」<アポストロス>は「遣わす、派遣する」ということばの名詞で、十二使徒は「神の国の福音を宣べ伝えるために遣わされた者たち」ということになる。彼らは教会の土台となることが求められている者たちである(エペソ2章20節)。このような者たちを選ぶのに、夜を徹して祈るということはふさわしいことであった。

選ばれた十二人のリストは、マタイとマルコの福音書にもある。名前が違っている者もあるが、当時、二つ以上の名前を持つことがあったので、不思議なことではない。ルカ独特なのは「タダイ」がいないということである。そしてルカだけに「ヤコブの子ユダ」がいる(16節)。よって、この人物は同一人物と思われる。三福音書で共通する書き方は、筆頭に挙げられているのがペテロで、最後は決まってイスカリオテ・ユダであるということである。筆頭がペテロであることから、ペテロが十二使徒のリーダーであることがわかる。イスカリオテ・ユダは、主を裏切った者として最後尾に置かれる。「イスカリオテ」は何を意味するのか論じられてきたが、おそらくは「ケリヨテの人」ではないかと言われている。<イス><ヘブル語~イシュ>が「人」である。つまりは「ケリヨテ出身の人」ということで、「ケリヨテ」がどこの地名なのか論じられてきたが、死海の真東30キロ地点、モアブの領土のある場所ではないかと言われているが、ユダヤ地方の場所ではないかとも言われている。そうすると、いずれにしろ、使徒たちの中でイスカリオテ・ユダだけがガリラヤ出身ではないということになる。

十二使徒の中になぜ主を裏切ることになる彼がいるのかということが良く言われるが、今は次のことを覚えておきたい。ユダの存在というのは、教会時代にあって、表向きは弟子の顔をしていて、内実はそうではない者が常にいることの象徴となっているということである。使徒ヨハネは反キリストたちが出現することを警告しているし、使徒パウロもエペソ教会の長老たちを集めた時、「私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています」(使徒20章29節)と語っている。主イエスも「毒麦のたとえ」(マタイ13章24~30節)を語って、良い麦と見間違えるような麦が、つまり悪魔の子どもたちが、神の国の子どもたちに混ざって世の終わりまで存在すると教えている(マタイ13章36~43節)。傍目には弟子に見えるが、実際はそうではないという存在。ユダはこのような存在の象徴となっている。ユダ的存在はいつの時代でもいるということである。黙示録には、世の終わりに登場する究極の反キリストの登場が預言されている。ギリシア語の「反」<アンチ>には「代用」「替え玉」という意味があるので、「反キリスト」とは、「キリストに似て非なる者」という意味がある。黙示録でこの反キリストは「獣」と呼ばれている。その出現は近い。そして黙示録では、反キリストを支持する、キリストの弟子に似て非なる者たちの存在も告げている。

さて、使徒として選ばれた人々は、生え抜きの凄い人たちかと思えば、拍子抜けするくらい普通の人たちだった。先ほど触れたように、ほとんどがガリラヤ出身。ガリラヤ地方はユダヤ地方から見れば、見下げられていた田舎の地方である。そして使徒の中には、ユダヤ教のエリートである祭司も律法学者もいない。十二使徒のリストは、四人ずつで三つのグループに分けることができると良く言われる。筆頭の四人組は、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネとなる(14節)。この四人がリーダー核ということになる。全員、漁師である。アンデレはバプテスマのヨハネの弟子であったと思われ、一番最初に主イエスの弟子となった人物である。彼はペテロと兄弟で、ペテロを主イエスのもとに連れていった人物である。ヤコブとヨハネは兄弟だが、気性が荒っぽかったらしく、主イエスから「雷の子」とあだなをつけられてしまう始末である(マルコ3章17節)。ペテロは一本気なところはいいが、安心して見ていられるタイプではない。彼らに漁師の気質を感じる。そして、さらに異質な者たちも使徒として選ばれている。マタイ(15節)は取税人で、ローマの下請けとして働き、ユダヤ社会から白い目で見られていた職業。取税人はユダヤ人にとっては裏切り者である。もう一人は熱心党員シモン(15節)。彼はローマからの独立を願う武力抵抗派で、ローマに媚びを売って生活している取税人とは犬猿の仲。敵対関係。こうしてみると、雑多な集まりで、社会で名の通った人も高度な教育を受けた人もいなさそうだし、異分子と思われるような人たちもいるし、正直、この人たちに教会の未来を託してもいいの?と思ってしまう。だが、そうではなかったのである。彼らは主イエスに忠誠を尽くし、ヨハネはパトモス島に流刑の身となり、あとは全員、主イエスのために殉教することとなる。彼らの忠誠心はみごとであった。主イエスの選びに狂いはなかった。彼らは二心なくキリストを愛した。最初の殉教者は14節のヤコブである(使徒12章2節)。彼はヘロデ・アグリッパ王によって剣で殺される。紀元43年頃である。

十二使徒をお選びになった主イエスは、その後どうされただろうか。「それからイエスは彼らとともに山を下り、平らなところにお立ちになった」(17節前半)。20節から6章最後までの説教が「平地の説教」と呼ばれているが、この「平らなところにお立ちになった」から来ている。ご存じのように、マタイの福音書には「山上の垂訓、山上の説教」と呼ばれる有名な説教があるが(マタイ5~7章)、ルカの方は「平地の説教」と呼ばれていて、内容も似ている。「平らな」と訳されていることば<ペディノウ>は、単に低い平らなところを意味することばではなく、山岳地帯の高原、台地も意味しうることばである。山岳とまではいかない、ほどほどに低い場所も入る。それで、どこにお立ちになったのだろうと様々推測されているが、場所はガリラヤ地方なので、ガリラヤ湖に近接する低地という理解をしておけば良いだろう。

17~19節は、平地の説教を聴くことになる人々が描かれている。彼らに注目してみよう。先ずは「大勢の弟子たちの群れ」(17節)。十二使徒を含んでいるわけだが、100人を超えていたかどうか確かなことは言えないが、それなりに人数はいただろう。10章1節では、十二使徒とは別に72人の弟子を指名したことが記されている。弟子たちの中には、出家の弟子だけではなく在家の弟子たちもいただろう。続いて、「ユダヤ全土、エルサレム、ツロやシドンの海岸地方から来たおびただしい数の人々」(17節)。大変な広範囲から大勢の人々が集まって来たことがわかる。平行箇所を見ると、「ガリラヤ」も記されているが、ルカは記述していない。おそらくは、ここがガリラヤであるからだろう。「ユダヤ全土」という表現でユダヤ地方だけではなくて、ガリラヤ地方も含むパレスチナ全域を言い表していると思われる(聖書地図参照~地図11:ローマ帝国支配下のパレスチナ)。ルカは「ツロやシドンの海岸地方」も加えているが、この地域は、キリスト時代のパレスチナから外れた、北方にある海岸沿いの町々で、外国の町々である。こうしてみると、パレスチナだけではなく、当時のパレスチナを越える地域からも集まってきたことがわかる。ほんとうに大雑把な計算だが、距離にすると、南北240キロ、東西80キロの範囲から集まってきた。ほぼ秋田県全土の範囲である。距離を考えると、数日がかりでたどり着いた人もいただろう。その数は「おびただしい数の人々」(「大勢の群衆」新改訳第三版)であった。一万人以上集まってきたかもしれない。主イエスは、パレスチナ全土にムーブメントを引き起こしていた。彼らがみな求道心が篤かったわけではないだろう。福音書の後半を読むと、イエスを十字架につけよと叫ぶ人々、十字架についた主イエスをののしる人々がいたことがわかるが、この平地に集まってきた人たちの中からも、やがて十字架刑を望む者たちが出てきただろう。民衆は容易に愚衆になりえる。だが、もちろんのこと、真剣な求道心を持った者たちもいたわけである。

彼らが集まってきた目的は、18節にあるように、教えを聞くため、また病気や汚れた霊からくる症状をいやしてもらうためだった。19節はルカ独特の記述である。医者らしいルカの記述である。「群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた。イエスから力が出て、すべての人を癒していたからである」。主イエスはもみくちゃにされなかったのだろうか。大混乱が生じなかったのだろうか。弟子たちが警備員のように、ある程度交通整理にあたっていたとしても、実に大変な光景である。「群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた」を直訳すると、「群衆はみな彼にさわることを求め続けていた」。気持ちはわかる。押し合い圧し合い、人をかき分けかき分け…。新約時代前の偉大な人物で、旧約聖書でも出現が預言されていたアレキサンダー大王(アレクサンドロス大王)がいる(紀元前300年代)。彼はしばしば群衆によってもみくちゃにされ、人々は彼のオーラや力に与ろうとして、彼の手や膝や上着にさわろうとしたという記述が残っている。主イエスはアレキサンダー大王以上の人物である。もし皆さんも群衆の一人であったらどうだろうか。病気ではなくとも、あの方にさわってみたいという衝動にかられても不思議ではない。「群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた」とある通りである。そして、さわった人はどうなっただろうか。「イエスから力が出て、すべての人を癒して…」ということが実現しただろう。この力は聖霊の力である。ルカ4章14節には「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた」とある。御霊の力が人々をいやした。

この主イエスにさわるというアプローチはこの後も続く。有名なのは、十二年の間、長血をわずらった女のいやしである(ルカ8章43~48節)。主イエスは、「だれかがわたしにさわりました。わたし自身、自分から力が出て行くのを感じました。」と言った(同46節)。当たり前ながら、旧約時代は「神にさわる」という話は出て来ない。神は姿、形を持たないわけだから。それどころか、神に勝手に近づいて死んでしまう話が出てくる。神の臨在のシンボルである契約の箱にさわって死んだ人の話もある。神はさわれない存在である。物質ではないということにおいて、またその聖さということにおいて。しかし、今や、神と人との仲介者となられた主がおられる。まことの神でありまことの人となられたイエス・キリストがおられる。主イエスはさわれる神となった。長血をわずらった女は汚れている自分が主イエスにさわったことを恥じ入るが、主イエスはとがめることなく、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と優しいお言葉をかけられた(48節)。私たちにも、彼女のようなアプローチが許されている。彼女は私たちのモデルとなっている。自分の汚れや、無力さ、弱さを感じる日々にあって、信仰をもって主に近づき、信仰をもって主にさわろう。主のいのちの力、聖霊の力に私たちも与ることができる。そのためにガリラヤに出かける必要はない。主イエスは今も、まことの神にしてまことの人であるが、体に制限されて、時間、空間に制限されて働かれるのではない。もうひとりの助け主である聖霊、すなわちキリストの御霊を通して働く。だから、信仰によって、ガリラヤの主に、いつでもふれることができる。祈りの手でふれることができる。何と幸いなことではないだろうか。

そして、一番大事なことは、主イエスの御力を体験して終わるのではなく、弟子としての心を身に着けるということである。次回の予告も簡単にしておきたい。主イエスが平地に立たれた一番大きな目的は、続く「平地の説教」にある。この説教で人々をふるいにかける。対象は弟子たちを含め、今見て来た人たちである。次回以降、「平地の説教」を四回にわたって学ぶことにするが、その語る内容は当時のユダヤ教の価値観ともローマの価値観とも相いれない内容である。それは神の国の価値観を教えるものである。私たちもドギマギしてしまうことを語られる。説教は「貧しい人たちは幸いです」(20節後半)で始まる。以前、何度かお話したように、ルカの福音書の大切なテーマの一つは「貧しさ」である。次回は、この貧しさを中心に、主イエスは幸いについて何と言っておられるのかを具体的に学ぶことにしたい。