今日の記事は、主イエスの幼少時代の貴重な記録となっている。ルカの福音書にしかない記録である。「幼子」ということばが7回も登場している。それは生後八日目の記事から始まっている(21節)。これは旅先で出産したベツレヘムでの出来事だろう。「割礼」というのは男性の性器の包皮を切り取る手術であるが、イスラエル独特のものというわけではなく、古代オリエントの至るところで行われていた。成人の儀式、結婚式の一環として行われていた。衛生上の見地からも行われていた。神はこの儀式を神の選びの民とする契約の儀式として用いられ、それは律法で定められた。男子は生まれて八日目に割礼を施された。先ほど、割礼というのは古代オリエントでは至るところで行われていたと言ったが、生まれて八日目というのは、古代オリエントでも異例の早さ。この日、命名することが当時の習慣であったようである(1章59節)。この日、「イエス」と命名された。

22節からエルサレムの神殿に上る記事である。22節では「モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき」とあるが、男の子を産んだら7日間汚れ、産婦はさらに33日間汚れがあって、合計40日間、きよめの期間としてこもらなければならなかった(レビ12章1~4節)。このきよめの期間が満ちたとき、産婦は全焼のささげ物(全焼のいけにえ)と罪のきよめのささげ物(罪のためのいけにえ)をささげて、きよめの儀式をすることが律法で命じられている(レビ12章6,7節)。マリアは生後40日経って、エルサレムにある神殿にきよめの儀式に向かったわけである。

ある人は、今のお話を聞いて、日本の古来の習慣に似ていると気づかれたかもしれない。日本の古来の習慣では、生後七日目は「お七夜」と言って、誕生を祝い、この日に命名した。日本ではその後、生後1か月目にお宮参りをする。この一か月の間は、女性が出産で汚れている期間とされ、こもっていなければならなかったのである。こうした風習は日本の専売特許ではなく、遥か昔からイスラエル人の間で行われていたことがわかる。

このきよめの儀式にあずかるためにエルサレムの神殿に上るのは母親だけでいいはずなのだが、22節では、「両親は幼子をエルサレムに連れて行った」と言われている。これも律法に関係している。23節では初子に関する規定が言われている。「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」(出エジプト13章2節引用)。初めて生まれた男の子は家の子ではなく神のものであるという思想が旧約聖書にある。新改訳第三版までは、初めて生まれた男の子を「初子」と呼んでいた。初子は聖別して神に献げる対象なのである。

24節で、献げたささげ物の種類が記されている。きよめの儀式において、通常は、全焼のささげ物として1歳の子羊を、罪のきよめのためのささげ物として家鳩のひなか山鳩を献げる。しかし、ここで子羊の記述はない。鳩だけである。これは子羊に手が届かない人たちのための規定による。「しかし、もし彼女に羊を飼う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを取り、一羽は全焼のささげ物、もう一羽は罪のきよめのささげ物とする。祭司は彼女のために宥めを行い、彼女はきよくなる」(レビ12章8節)。ヨセフとマリアは極貧の貧しさにあったわけではないが、羊を献げなかったということにおいて、貧しい部類の夫婦ということになる。主イエスも貧しい子ということになろう。

このきよめに関して、もう一つ取り上げなければならないことは、22節で、「彼らのきよめの期間」と、きよめられなければならないのは「彼ら」と、すなわち、マリアとイエスとされていることである。イエスさまもきよめの対象になっている。罪がないにもかかわらず。これは幼子イエスが初めて生まれた男の子だからである。「あなたの息子のうち長子はみな、贖わなければならない」(出エジプト34章20節)。

さて、これまでの幼子イエスの記事から何が言えるだろうか。幼子イエスに関して三つのことが言える。第一は、人間との一体性。主イエスは律法の規定に従われたわけであるが、ガラテヤ4章4、5節にはこうある。「しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、私たちが子としての身分を受けるためでした」。これは、主イエスが全く人としての社会生活を送られたということである。割礼から始まって、律法の下にある者として歩んで行かれた。やがてはローマ法による税金も納めと、法の下で生きて行かれる。第二は、貧しい人との一体性。ご自身が貧しい子であることをよしとされた。前回、キリスト預言であるイザヤ61章1節の「貧しい人に良い知らせを伝えるため」で学んだように、主イエスは貧しい人に福音を伝えることになるが、主イエスご自身、貧しくなることを選択された。第三は、罪人との一体性。主イエスは今日の場面できよめの儀式に関連づけられている。この儀式は罪のきよめのためのささげ物に重点が置かれる。これは当然ながら、自分の罪のためにささげるものである。だが主イエスには罪はない。主イエスは公生涯の終わりに私たちの罪を負って十字架につくわけだが、この時すでに、ご自分が罪人と一体になることをよしとされている。そして公生涯の初めは、罪の悔い改めのしるしであるバプテスマを受けられることになる。罪がないにもかかわらず、ここまでされるのかという謙遜なお姿である。自分の罪を素直に認めないで文句ばかり多い私たち罪人の口を塞いでしまうお姿である。今日の記述は公生涯に入る前の一つの序曲になっている。

この後、神殿でシメオンとアンナという二人の老人との出会いがある。初めにシメオンである(25~27節)。たいそうな人物であることは、25節で、「正しい、敬虔な人」とか、「聖霊が彼の上におられた」という臨在の記述からわかる。26節では「主のキリストを見るまでは決して死を見ることがないと、聖霊によって告げられていた」と言われているところから、救い主待望の信仰が半端なかったことがわかる。彼の職業は記されていない。伝説では、祭司とも律法学者とも言われているが、はっきりしたことはわからない。シメオンと幼子との出会いは聖霊の導きだった(27節)。彼は、御霊に感じて宮に入り、誰にも告げられなくとも、視野に入った幼子は救い主であるとわかった。

シメオンは幼子を抱いて、神をほめたたえて言う(28~32節)。これは「シメオンの讃歌」とも呼ばれているが、メシアの性格をよく謳っている。「私の目があなたの御救いを見たからです」(30節)。シメオンは、「イエス」イコール「救い」として提示している。「イエス」と御使いがつけた名前の意味は「主は救い」「主は救い給う」であるが、まさしく名は体を表すで、シメオンはそれを告白した。そしてシメオンは救い主の性格を正しく把握していることがわかる。シメオンは、主イエスがイスラエルだけの救い主と思ってはいない。「万民の前に備えられた救い」(31節)とか「異邦人を照らす啓示の光」(32節)という表現を使っている。当時の人たちが抱きがちだったメシア観、異邦人をけちらしイスラエル人を救ってくれる王様、そういう狭いものではない。全世界の、万民のための救い主、異邦人にとっても救い主、まさに正しいメシア観を謳っている。主イエスはもちろん、日本人にとっても救い主である。

シメオンとの出会いはヨセフとマリアに驚きを与えることになる(33節)。前回は羊飼いたちの報告で驚いた(18節)。今回は老人シメオンのことばで驚くことに。

この後、シメオンは驚いた両親を祝福するのだが、併せて謎めいたことばを投げかける。それは預言的である。しかも、それは調子のよい内容ではない。どういうこと?と眉間に皺が寄ってしまうようなことも告知する(34,35節)。幼子は救い主のはずなのに、34節では、多くの人が倒れるとか反対にあうとか言われている。「多くの人が倒れ」とは、さばきによって倒れるということ、滅びるということ。その反対の「立ち上がる」とは、救いにあずかる、永遠のいのちを得るということ。つまり、ここでは、救い主に対する態度で人々は二分されてしまうということが言われている。救いを受け入れるか拒むか。拒むならば滅びで、受け入れるなら永遠のいのち。そして「人々の反対にあうしるしとして定められています」も成就する。キリストはご存じのように、公生涯に入ると反対の嵐に身を突入することになる。この反対は誰に対する反対なのかというと、神に対する反対であるわけである。神に反対している、逆らっている、それがどうしてわかってしまうのか?キリストへの態度でわかる。神を敬っているはずの大祭司、パリサイ人、律法学者たちの多くが、民衆も含めて、キリストに反対することになる。それで彼らの本性が明らかになる。神を敬っているというのは口先だけの話であると。彼らはキリストに敵意と憎しみをぶつけた。それは神に対するものであった。

こうした反対によって、「あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります」(35節前半)と言われていることがマリアに実現する。ここで「剣」ということばは両刃の剣を意味する。それが心を刺し貫くというのは、はかりしれない心痛を経験することになるということである。やがて十字架のそばにマリアは立つことになる。「イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻のマリアとマグダラのマリアが立っていた」(ヨハネ19章25節)。この時のマリアの心境はまさしく、剣で心を刺し貫かれたような痛みであっただろう。よく失神しないで立っておれたものだと思ってしまう(失神しかかったかもしれないが)。この十字架こそが、35節後半にあるように、「多くの人の心のうちの思い」をあらわにするものであった。キリストを十字架につけろという反発、そして十字架刑、それは神への不敬心、傲慢、反逆の思い、黒い心の表れだった。おぞましい悪のエネルギーが十字架に向かった。その悪のエネルギーは私たち罪人の誰しもが心に有しているものである。そしてキリストは一旦、絶命することになる。凄惨極まりない姿で。血だらけになって。この光景を目の当たりにしなければならないのもマリアの定めであった。マリアはこの時言われたことばを記憶にとどめていたからこそ、この福音書に記されている。

さて、続いて登場するのは女預言者アンナである(36~38節)。84歳のやもめの高齢者である。「アシェル族」とあるが、父祖のヤコブとそばめのジルパの間に生まれた二番目の子どもが「アシェル」(創世記30章1節)。その家系である。「アンナ」の名前の意味は「恵み」である。彼女は女預言者として神殿を離れず、断食と祈りの生活を送りながら、ひたすら神に仕えていたようである(37節)。彼女も幼子イエスがいるところにちょうど居合わせていて、この男の子は救い主であると認識した。近寄って来て、神に感謝をささげ、救いを待ち望んでいる人々に幼子イエスのことを語った(38節)。「幼子のことを語った」の「語った」という表現は、原文では「語り続けた」という表現である。

シメオンとアンナは老人である。体を活発に動かして仕事をするという年代ではない。しかし、二人とも祈りとみことばの生活をしっかりと送っていたようである。シメオンに関しては、25節で「敬虔」ということばが使われているが、このことばは「注意深い」ということばが語源になっている。彼は主のみことばに対して注意深かっただろう。アンナはというと祈りの達人のようであった。そして主イエスを伝えることにも時間を割いた。シメオンとアンナは祈りとみことばを通して主と交わる模範であるだけでなく、年老いて体力を失っても、祈りの奉仕ができる、また口を用いてイエスさまを伝えることができる、ということを教えてくれる。

39,40節は、その後の年少時代の要約である。ヨセフとマリアは住民登録の勅令により、ナザレからベツレヘムに上り、そこで出産したわけだが、律法の規定に従って産後の儀式に与った後に、ナザレに帰って行った(39節)。「幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった」(40節)というのは、42節からわかるように、12歳までの要約である。

今日、教えを受けたいことは38節までのみことばである。それは主イエスの生後8日目の記録と、生後1か月ちょっと経ってからの記録である。この記録を通して、主イエスに焦点を当てると、主イエスの人間との一体性、貧しい人との一体性、罪人との一体性を見ることができる。また、脇役の人たちに焦点を当てると、彼らは、救い主の性格を明らかにしてくれたということである。当然のことながら、幼い救い主は話もできなければ歩くこともできない。自分からは何もできない。にもかかわらず、律法の規定に従おうとする両親を通して、また年老いた二人の老人を通して、救い主の性格が明らかにされ、伝えられることになった。

救い主誕生で始まる2章1節からの物語を読むと、救い主の壮大なドラマの初めに、田舎者の貧しい夫婦マリアとヨセフ、卑しい職業とされていた下層階級の羊飼いたち、そして二人の後期高齢者が重大な役を担っていることがわかる。何ということだろうか。救い主の出現は遡るとアダムとエバの時代に約束があり、明確な約束は救い主がお生まれになる二千年前のアブラハムに啓示があり、人々はその後、首を長くして救い主の出現を待ち望んできたわけだが、いざ約束が成就し、歴史の大転換点となる救い主が誕生した時、その誕生のドラマを形作る配役は、意外にも、貧しい夫婦、卑しめられていた職種の者たち、そして後期高齢者の男女だったのである。この配役は全く人の思いを超えている。それが神の思し召しだったのである。

私たちは自分のことを無能鈍才と思うかもしれない。平凡な平民で何もできないと思うかもしれない。卑しい者にすぎないと思うかもしれない。自分の年齢の進みや体力の衰えを嘆くかもしれない。けれども、そこに焦点を合わせてしまうのではなくて、ただ主イエスに焦点を合わせて歩み、主イエスを喜び、自分を通してみこころが行われることを願って行くときに、神さまのご計画の中で、神さまの導きによって、私たちも神のドラマの配役を全うできるのではないだろうか。私たちのような者たちが選ばれ、救われたことをまず喜ぼう。そして神の配剤の中で、配役を全うできるように願っていこう。