今日の記事は、実に貴重な、ルカの福音書にしか記されていない、主イエスの少年時代のエピソードである。内容は行方不明事件である。でも、迷子とも、失踪とも違う。年齢は12歳(42節)。時期は過越の祭りの季節である(41節)。イスラエル人が毎年エルサレムの神殿に上る巡礼の祭りは、旧約聖書に三つ定められている。過越の祭り、五旬節(ペンテコステ)、仮庵の祭り。過越の祭りは5月ないし4月に開催される。この祭りは、出エジプト(エジプトからの救い)に起源があるわけだが、本質的には、世の罪を取り除く子羊キリストを表す祭りであった。この祭りでは子羊がほふられる習慣があった。主イエスは33歳頃、この祭りの時に、世の罪を取り除く神の子羊として十字架につくことになる。実はこの祭りに必ずしも女性は同行する必要はなかったが、ヨセフとマリアはカップルで行動をともにする。そして子どもが同行する必要もなかったのだが、少年イエスが同行したのは12歳という年齢がカギとなる。ユダヤ人の男性は13歳が成人。当時の慣習では、12歳頃の男の子を連れて行って、律法を守る予行練習をした。主イエスは前回の記事で見たように、生後40日が過ぎたときに、初めてエルサレムに連れられて上ったが(2章22節)、この時12歳が二回目であったのかもしれない。

ナザレからエルサレムまでは約120キロで3~4日の道のりである。ユダヤ暦ではニサンの月の14日に神殿で小羊をほふり、夕方に食べ、それから1週間過ごす。そして帰路につく。この時、事件が起こった。両親はエルサレムを旅立ったが、我が子がいないことに気づく(43~45節)。気づくのが遅かったのではと思われるかもしれないが、必ずしも親子いっしょに帰途につくというものでもなかったらしい。巡礼の一行が疑似家族のようなものであった。全体がファミリーとして行動した。また、主イエスの年齢は成人年齢近く達していたわけである。幼子ではない。そして、見つかった時のマリアの発言、48節の「どうしてこんなことをしたのですか」からわかるが、両親が目を離してしまっての監督不行き届きというよりも、主イエスご自身の固い意志によったということである。

ヨセフとマリアは我が子がいないと気づいたときは、相当慌てただろう。何かの事件に巻き込まれたのか、誘拐されたのかと。顔が青くなったはずである。エルサレムには、ナザレからの一行だけでなく、他の村々からも上って来ていたわけだから、捜すのは大変であったはずである。親族、知人の中も捜した。そして、とうとうエルサレムに引き返すはめになった。もしや、まだ神殿に残っているのではと。帰路につくことになってから、三日後のことであった(46節)。イエスは神殿警護に当たっている人に保護されていたとか、そういうことではなく、律法の教師たちに囲まれて問答をしていた。その姿は余りにひょうひょうとしていたわけである。うつむいてうなだれていたとか、不安そうにしていたとか、そういうものではない。落ち着いた表情で大人たちと対話していて、大人たちのほうが驚きの表情を見せているという具合である。「聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた」(47節)。神殿でユダヤ教の教師が生徒に教えるという光景はあった。だが、この時、教師たちは、「この少年はふつうの子ではない。12歳でなぜこれほどまでに律法に精通しているのか、大人並みに習熟している。いや大人以上だ。彼の知恵には驚かされる」、そういう反応であっただろう。「聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた」という記述にメシアの片鱗を見る。旧約聖書では、「知恵」はメシアに豊かに与えられるものとされている。「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる知識の霊である」(イザヤ11章1~2節)。メシアには豊かな知恵がある。主イエスはみことばの解釈ということにおいて適格で、洞察力にすぐれ、年齢不相応であり、大人たちも思わずうなってしまうことばを語ったのだろう。律法を暗記する達人たちもいたようだが、暗唱聖句を語ったレベルの話ではないはずである。また、昔の人はこう言ったと、ありきたりの伝統的解釈では収まらなかったはずである。「知恵」とは「洞察力」とも訳せることばだが、神という存在についてだけではなく、世界の現象や生活に関する事柄を、神の視点から語ることができたのだろう。また「答え」とあるが、原文では複数形で、もろもろの答えをされたということである。それらに教師たちは驚いていた。「驚いていた」を「正気を失うほどに驚いていた」と訳す聖書もある(岩波訳)。

教師たちの驚きに続いて、今度は両親たちが驚く(48節)。ルカは「驚く」という表現を2章で良く使っている(18節、33節)。これらからもわかるように、マリアとヨセフは、我が子に驚かされっぱなしである。けれども、少年イエスは、この場合、両親の驚きに共鳴しない。

「すると、イエスは両親に言われた。『どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。』」(49節)。ふつうの受け答えでないことは一目瞭然。「どうしてわたしを捜されたのですか」だなんて、もう少し別の受け答えの仕方があっても良かったのではと思うかもしれない。しかし、両親に何かを理解させたいという強い意図があることを読み込むべきである。「わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか」は意味深である。主イエスがここで、どうして「父」ということばを使ったのだろうか。それには理由がある。マリアが前節で、「お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです」と、「お父さん」と口にしたからである(新改訳第三版「父上」)。その「お父さん」を受けて、「わたしは父の家にいますよ」と返答している。「お父さんが心配している?父上が心配している?僕は父といっしょにいますよ」という返答である。「父の家」とは神殿のであるが、それ以上に主イエスが言われたいことは、「わたしはいつも父なる神の臨在の中にあり、父とともにある」ということである。主イエスはヨセフの子であると同時に、天の父なる神の子どもである。実は、48節のマリアのことば、「どうしてこんなことをしたのですか」の直訳は、「子よ、どうしてあなたは私たちにこんなことをしたのですか」である。マリアは「子よ」と呼びかけている。それに対して12歳のイエスには、わたしは天の父なる神の子どもである、という絶対的な認識があった。主イエスのアイデンティティが明確にされる場面である。公生涯に入ってはもちろんのこと、天の神を父と認識し、そう呼んで歩まれる(10章21,22節等)。信仰者も同じであるわけである。肉の父親がいると同時に、天の神を父なる神と呼んで歩むわけである。主イエスはその模範となっている。主イエスのバプテスマの時には、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」という声が天からかかる(3章22節)。私たちも、この声を心の耳で聞いて、心に安定感をもって歩んでいくわけである。12歳の少年とは思えない心の安定感は、父なる神の中にいるという確かな意識から来ている。私たちが無用な恐怖感や孤独感を抱いたり、人の非難にさらされて沈んだりするとき、天の御父の中で憩い、落ち着くべきである。そして、この少年イエスの姿から気づくもう一つのことは、成人年齢に達する頃に、肉の両親から精神的に自立していたということである。これが健全な成人の姿であると言わんばかりに。

主イエスは、天の父なる神に心をしっかりと結びつけていた。親から精神的に自立していた。では、そうして、この後どうされたかということである。「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた」(51節前半)。主イエスは父なる神とヨセフ、両方の息子である。父なる神に心を結びつけつつ、「両親に仕えられた」と肉親に仕えられた。主イエスは「わたしは自分の父の家にいる」と親から自立していた。「わたしにとって父なる神が真の親だ」という自覚があった。その上で、両親に仕えられた。「仕える」ということばの意味は、「下に自分を位置づける」という意味がある。神が人の子どもとなり、肉の親の下にご自分を位置づけられた。自由な精神でそうされた。具体的には、家の手伝いなどを自発的に、へりくだってされていっただろう。実は51節がヨセフに関する記事の最後である。だから、キリストの公生涯が始まる前に、ヨセフはこの世を去ったと思われる。とすると、片親となったマリアを助け、仕えるということもされていっただろう。立場的にはイエスさまは長男である。主イエスは、十字架上では、十字架の下にいる母マリアを見ながら、弟子ヨハネに対して、「ご覧なさい。あなたの母です」と語り、母親の世話を託された(ヨハネ19章27節)。こうして、子としての務めを全うされた。

52節は結びとして、「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった」とある。神であるのに「知恵が増し加わり」とはどういうことかと思わされる。一つの神秘に属するといえば属する。おそらくここでは、主イエスが人間として、実際の現場で、主なる神を恐れ敬う生活、主なる神に従う生活を学習していったということであると思う。箴言9章10節では、「主を恐れることは知恵の初め」とある。人間として主を恐れ、主の道を歩むことを学習していった。生活の現場での知恵の習得である。

最後に、マリアの言動に焦点を当ててみよう。今日の記事で、マリアの言動がクローズアップされている。マリアは1章43節で「主の母」と呼ばれているが、そうであるゆえに、ヨセフ以上に取り上げられるのかもしれない。マリアは48節で、神殿で見つかった我が子に対して、「どうしてこんなことをしたのですか」「なんということを」と、苦言を呈する。その返答である、「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか」(49節)に対するコメントとして、50節で、「しかし、両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった」とある。つまりこれは、両親は理解することが求められていたということである。主の母マリアはまちがいなく求められていた。マリアは受胎告知のとき、御使いガブリエルから、「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」(1章35節)と啓示を受けていた。だから理解しなければならない立場にはあった。

この「イエスの語られたことばが理解できなかった」というのはマリアだけのことではない。主イエスの弟子たちも同じである。「弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった」(18章34節)。弟子たちは主イエスの口から直接、受難と復活の預言を聞いたのだが、さっぱりわからなかったようである。マリアもこの時理解できなかったが、51節後半で言われているように、「母はこれらのことをみな、心に留めておいた」と、心に留めておくことをした。そして、やがて理解するに至っただろう。それまでどのくらいの年月を要したのかはわからない。私たちも同じような過程を踏んで行くのかもしれない。求道中など、理解できないどころだらけだった。クリスチャンになってからも、みことばのとんだ受け止め違いをしていたことに気づくことがある。また、えっ、ここにこんなすばらしいみことばがあったんだと、今更ながら新鮮に受け止めさせられるということも良く起きる。それまで、ただ目に入っていただけであったわけである。頭だけの理解で終わっていたということも良くある。ある年配の方が、「恵み、恵みと口では言ってきたけれども、今になって恵みということがわかった」と話されていたのを印象深く覚えている。私たちは誰でも学習途上である。みことばを理解したいという情熱を持ち続けたい。「イエスの語られたことば」なら、なおさらである。

ルカの福音書には「イエスの語られたことば」、またイエスに関することばがたくさん記されている。私たちはそれを、理解したいという情熱をもって、この福音書を読み、理解する者となり、主イエスと目と目を合わせたいのである。