本日より、ルカの福音書の講解メッセージを始めたい。中心主題はもちろんのこと、主イエス・キリストである。4月からの次年度のテーマを「キリストを知る」させていただきたいと願っているが、それも視野に入れて、ルカの福音書を選ばさせていただいた。ルカの福音書は、キリストの降誕から復活まで、キリストの生涯を丁寧に描いているという特徴がある。この福音書を通して、私たちがキリストをより知る者へと変えられていきたいと願っている。

本日は、福音書は全く信頼に値するものであること、ルカの福音書もそうであることをお話したい。鞭木由行氏は著書「聖書が本当に言っていること」の中で、「聖書に書いてあることは本当に信用できるのですか」という質問に対して、考古学的な発見や歴史上の文書が聖書の記述とよく一致していることを指摘した後、こう述べている。「新約聖書の場合は、客観的な記述の確かさと同時に、イエス・キリストの直接の目撃者が生存中に書き上げられたという特徴があります。それは、もし間違いがあれば、訂正することができる期間内でした。この点仏典とは違っています。仏典は、仏陀の死後、何百年も経って、すでに直接の目撃者が誰もいなくなってからまとめられたものです。しかし、新約聖書の記述は、イエス・キリストを直接目撃した人々が大勢生存している時に、記されました」。

本日の箇所はルカの福音書の序文であるが、ルカは1,2節で、初めからの目撃者の証言を記事にしたことを告げている。「初めからの目撃者」ということばを確認してください。福音書を書いたマタイやヨハネは十二弟子のひとりということで、文字通り「初めからの目撃者」である。つまり、キリストの公生涯の初めからの目撃者である。彼らは福音書を記した。ルカは「初めからの目撃者」ではないけれども、彼らと近い時代に生きていて、目撃者からの直接の証言や、目撃者からの伝承を正確に記事にした。そういう意味で、ルカの福音書も目撃者証言の書であり、信頼できるのである。

さて、著者ルカ(原音表記ルーカス)であるが、この書にルカの名前は全く出て来ない。ではなぜ、この福音書の著者がルカであると特定されているのだろうか。それは、古代教会の信頼のおける伝承があるからである。「マタイは、へブル人のために彼らの言語で福音の文書を記した。それはペトロとパウロがローマで伝道し、教会の基礎をつくっていた頃である。この二人が(天に)出立した後、ペトロの弟子で通訳のマルコも、ペトロが教えたことを私たちのために書き残した。パウロの同行者のルカも、パウロが教えた福音を書物にした。ついで、主の弟子で、主の腕によりかかりさえしたヨハネも、アジアのエフェソに滞在していたとき、福音書を著した」(エイレナイオス『異端反駁三・一・一』)。エイレナイオスは200年頃まで生存していたリヨンの司教で、子どもの頃に使徒ヨハネの弟子ポリュカルポスを見たと言われる人物である。彼はこの福音書がルカの手によることを伝え聞いていた。また、二世紀の文書でムラトリ正典というものがある。そこで、こう記述されている。「第三の書はルカによる福音書である。主の高挙後、パウロは医者であるルカを引き連れた。彼には文才があり、自らの名で資料をもとに著作し、彼自身は受肉の主を見たことはないが、それゆえに(出来事の経緯を)調べて、それを(書き記した)。したがって、その物語を、ヨハネ誕生から始めている」。このムラトリ正典では、使徒の働きもルカの手によるものであることを告げている。

以上の伝承は、この福音書がルカの手によるものであることを証している。これらの伝承は、ルカがパウロと関係が深いことを伝えていたが、それは新約聖書の記述からもわかる。彼はおそらくギリシヤ人であると思われるが、パウロの伝道旅行に同行した。パウロはコロサイ人の手紙4章14節で、彼を「愛する医者ルカ」と呼んでいる。パウロはこの時、獄中にいたが、ルカはパウロの身の回りの世話をしただろう。そして、パウロの最後の手紙、やはり獄中で記した第二テモテへの手紙4章11節では、「ルカだけは私とともにいます」と記しており、ルカはパウロの側近の弟子であったことがわかる。ルカはパウロの弟子であり、パウロの同行者であり、医師であり、宣教師であった。しかも文才に長けていた。ヒエロニムスの伝承によると、パウロと同じく、生涯独身であったらしい。また彼はアンテオケ出身(現在のトルコ)で、84才まで生きていたとされる。

1,2節を注意深く見ていただきたい。「私たちの間ですでに確信されている出来事(別訳「すでに成就された出来事」)については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので」と、ルカ以外にも福音書に類する文書を書き上げようとした人々がいたことがわかる。代表的な人物を二人挙げると、一人はマタイである。マタイについての伝承が残っている。ルカがこの福音書を執筆していたのとほぼ同時期に、キリストに関する伝承を収集していた人物でパピアスという人物がいる。パピアスはヒエラポリス(トルコの西部)の司教で、使徒8章に登場するピリポの娘たちと交流があったようである。彼はマタイ、ルカ、ヨハネの各福音書が出回っていない時期に伝承の収集をしていて、パピアスは、マタイがヘブル語で福音書を記したことを証言している。「マタイはロギア(イエスが言い行ったことの記録)をヘブル語で順序立てた」。ヘブル語とはアラム語であったかもしれないのだが、このヘブル語の福音書が元になり、聖書に編纂されることになるギリシヤ語訳のマタイの福音書が執筆されたようである。ルカは、このヘブル語の福音書にも目を通したのではないかと言われている。またパピアスは、マルコがペテロから伝え聞いて福音書を記したことを証言している。パピアスは次のように述べている。「彼(ペテロ)が記憶から述べた一つ一つを書き記したことに関して誤りはなかった。なぜなら彼(マルコ)は、聞いたことを一つ残らず(記し)、またそれらに関していっさい虚飾しないという一点に心を砕いていたからである」。ルカはこのマルコの福音書にも目を通したはずである。マルコの福音書は聖書に編纂された福音書としては一番最初のもので、60年代に記されたものとされているが、ルカの福音書は70~80年の間と推測されている。このように、ルカの福音書執筆時に、すでに幾人もの人たちが、キリストに関する文書を記していたことになる。そして、四福音書が完成した後に、先に紹介したエイレナイオスの記述が生まれた。
この福音書にとって重要な「初めからの目撃者」だが、どういう人たちが想定されるかをまとめると、「初めからの目撃者で」に続く、「みことばに仕える者となった人々が」からも推測できるように、十二使徒たちは間違いなく初めからの目撃者である。福音書とはキリストの公生涯を取り扱う。キリストの生涯、死、復活という出来事の目撃者であるためには、初めからキリストとともにいたことが重要であることは確かである。彼らはキリストの公生涯の初めからキリストと行動を共にした。キリストはヨハネ15章27節で十二使徒たちに語っている。「あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです」。十二使徒に関して、3~4世紀頃の古文書にこう記されている。「弟子たちは、託された務めを果たすのに、優れた才能も広い学問知識も、求められはしなかった。彼ら自身が創り出すものは何もなく、教えられたことに何一つ付け加えもしなかった。イエスが話したこと、行ったこと、受けた苦しみを証言することだけが、彼らの務めであった。『あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。』」(ヒレル3世の第七書簡)。この文書にはこうも記されている。「これが(キリストの証人となることが)弟子たちの務めであったので、教養は必要条件でなかった。証言者にとっていちばん必要となるのは、正直さと単純さ、勇気である。彼らを通して世界は福音を受けた。媒体は、透明度が優れていればいるほど、伝えるものを色づけしなくなる。その結果、われわれは世界に類を見ない、もっとも単純でわかりやすい物語を手にするに至った。ここには、歴史家は一人もいない。そこにあるのは、イエス・キリストとその教え、彼の人柄、生涯、奇跡だけである。時代の哲学や見解を紹介してみせようという試みは、一切ない」。ガリラヤの無教養と思われる弟子たちが、透明な媒体として初めの目撃者として選ばれた。これらの十二使徒を含む弟子たちの証言、情報が福音書の土台となったということである。また、ルカの福音書に特徴的なのは女性の弟子たちの記録である。ガリラヤ伝道で女性たちを登場させているというのが特徴的で、ルカはこうした女性の一人あるいは複数の証言も採用したであろう。ルカは、伝承として記録された資料に目を通すだけではなく、またエルサレム教会を中心とするキリスト者へのインタビューを行い、福音書を書き上げようとしたと思われる。

1節の脚注別訳を見ていただきたいのだが、ルカはこの福音書を「すでに成就されている出来事」(新改訳2017「成し遂げられた事柄」)と呼んでいる。何の成就なのかということになるが、それは、何千年も前から預言があり、約束されていた出来事である。人々はその約束の成就を待っていたが、ついに成就した。つまりメシア預言の成就である。三十九巻ある旧約聖書は、救い主キリストがやがて来られるということを記した約束の書。そのキリストが約束通り来られた。それを記事にしたのである。福音書はメシアの先駆者であるバプテスマのヨハネの活動をもって開始するが、ルカはそれプラス、バプテスマのヨハネとキリストの誕生の記録、またキリストの幼少期の記録を加え、約束の成就を描こうとしている。

3節前半には、「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います」とある。ルカは、想像で物書きをしようとはしていない。「すべてのことを初めから綿密に調べておりますから」と言われている。「綿密に」ということばは、「詳細に、丹念に」を意味することばである。いいかげんにではない。「調べる」ということばも、「追究する、細かく調べる」ことを意味することばである。福音書を、空想物語の民話レベルにまで引き落とす輩がいるが、とんでもないことである。もちろん、目撃証言に編集を加えていないというのではない。しかし、史実に忠実であろうとしたことを見逃してはならない。彼はまた「順序を立てて」と、史実を組み立てた。目撃者たちは、キリストのことばや行動を、切り抜きであちらこちら語っていたわけであるが、ピースを当てはめるようにして、一つの筋道が立った記録に仕上げていった。キリストはどこでどのようにして生まれ、育ち、どこでどのように働かれ、どのようにして苦しみを受け、十字架につけられ、どのようにして葬られ、どのようにしてよみがえられたのか、それを書き記した。ルカの福音書を読むと、キリストの生涯を初めから終わりまで、丁寧に書き記されているという印象がある。ルカはそれを目指した。

この序文でユニークなことは、宛先が書いてあるということである。3節後半に「尊敬するテオピロ(テオフィロ)殿」とある。ルカは、「あなたのために・・・書いて差し上げた」と言っている。「書いて差し上げる」という表現は、「あなたに献呈します」ということである。ルカは彼一人のためにこの福音書を執筆したのだろうか。古代の事情をお伝えしたい。当時は、書物は当たり前ながら手書きである。手書きの書物は何にもしなければ、その人の蔵書になって終わりである。人に挙げても、もらった人の蔵書になって終わりとなりかねない。では、ひとりの人が書いた手書きの本が出版されるためにはどうしたらいいだろうか。献呈の辞があれば良かった。それは、公にしてもいいですよ、公にしてください、というしるしであった。献呈の辞があれば、それを写して広めることができた。今、私たちがルカの福音書を手にしているということは、テオピロがこの福音書を読んで、感動し、広める窓口になったということである。

テオピロの名前は使徒の働き1章1節にも登場するが、具体的にどのような人物であったのかはわからない。ローマ社会で名士として知られていた人物であったのだろう。

彼のキリスト教との関わりは4節に記されている。「それによって、すでに教えを受けられた事柄が正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます」。テオピロは、キリスト教を熱心に求道している人か、入信して間もない人、そんなところだろうか。「すでに教えを受けられた事柄」と、彼は、キリスト教の基本的な教えをすでに学んでいたようである。神とはどういうお方か、キリストとはどういうお方か、救いとは何か、キリストの十字架と復活、そういうことをすでに学んでいたようである。ルカは、「私が書いたものを通して確信を深め、さらによく知ってください」という願いがあった。だから私たちもルカの福音書を読むのである。

ルカはここで「正確な事実であることを」(新改訳2017「確かであることを」)と言っているが、このことばは、裁判の調書を取るという分野で良く使われたことばと言われている。それは正確性が求められるわけである。ルカは空想小説である民話を書こうとしたのではない。またよく偉人伝に見られるように、虚飾して描こうとしたのではない。私は小学生の時、様々な人物の偉人伝を読んで感動したが、青年になって、それらの偉人の実像を知って、その落差に寂しい思いをしたことを覚えている。だがルカはあくまで正確性にこだわった。事の真相真理を書こうとした。だから信頼できる。

私たちは、ルカの正確性にこだわる注意深い態度プラス聖霊の働きも覚えておきたい。ルカはパウロの側近の弟子であると言ったが、パウロは聖書について何と言っているだろうか。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(第二テモテ3章16節)。「神の霊感」と訳されたことばは原語ではただ一語で、直訳は「神の息によって吹き出された」となる。「神の息」とは聖霊である。つまり、聖書はすべて神の息すなわち聖霊によって生み出されたものということになる。ある人たちは、ここでの「聖書」とは旧約聖書だけを指すと言うが、すでにこの時、新約聖書の幾つかは記されており、パウロは、生み出されつつある新約聖書も念頭に、聖書全体の性質として「神の霊感」を語ったのだろう(「聖書はすべて」の「聖書」に定冠詞はついていない)。エイレナイオスはこう述べている。「聖書はまことに完全であり、なぜならそれは、神のみことば(キリスト)と彼の霊とによって語られたからである」。もちろん、聖書にはルカの福音書も含まれている。私たちはこれから学んでいくルカの福音書を全き神のことばとして受けとめ、キリストとキリストの教えを知ることを喜びとしよう。

最後に、1節の「みことばに仕える者」という表現に注目して終わろう。「仕える者」<ヒュペールペテース>は元々「漕ぎ手」を意味し、「船底で櫓を漕ぐ人」ということばである。昔の帆船(はんせん)は風がない場合、あるいは逆風の場合、奴隷が船底で一生懸命、櫓を漕いだ。<ヒューペールペテース>はこの船底で櫓を漕ぐ「舟漕ぎ奴隷」のことを指した。このことばはユダヤ社会では「下役」を意味するようになる。裁判官の下役(マタイ5章25節)、祭司の下役(マルコ14章54節)など。古代の文書記録では、下役の名前は文書に残っていないという。その程度の存在。下役は誰も名前を気にしない下っ端の存在。下っ端のしもべ。江戸時代で言えば「下郎」というところだろうか。みことばに仕える下役という場合、ただみことばだけが広められればいい、神のことばだけがあがめられればいい、とそこに徹する人。自分の名前が残らなくてもいい。自分の名誉なんていうことは気にしない。ペテロやパウロもそういう人たちだったと思う。むしろ、自分の恥の記録が残ることをよしとしている。他の弟子を見ても、マタイは自分の受けたあわれみを正直に書いているだけである。ルカは1章3節で「私も」と自分を指して言っているだけである。自分の功績を書き記すとか、歴史に名を残すぞとか、そういうことは使徒の働きを見てもうかがえない。ヨハネも控え目に自分のことは記し、他の使徒たち同様、自分の武勇伝のようなことを残そうとした形跡はない。文字通り、みことばに仕える下役だった。彼らは、ただ一生懸命キリストのことを書き記し、また伝えようとした。使徒たちをはじめとする弟子たちがこうであるならば、私たちもそれにならいたいと思う。「キリストの御名があがめられますように!」「神のことばが信じられ、広まりますように!」と、そのようにして、私たちも透明な媒体として、正直さと単純さと、勇気をもって歩んで行こう。