11章を読んで、何が心に留まるだろうか。幾つか心に留まることがあるが、一つは不従順な者に対する神のあわれみである。まさしくイスラエルの民は不従順であった。イスラエル、すなわちユダヤ人は、預言者たちを拒み、そして救い主であるイエス・キリストをも拒み、福音に聞き従わなかった。パウロは10章16~21節において、イスラエルの不信仰を語った。福音書を見れば、ユダヤ人たちがキリストを十字架につけたことがわかる。使徒の働きを見れば、ユダヤ人たちが激しくキリスト教徒に敵対し、迫害した記事が記されている。このようなユダヤ人たちに、もう望みはないのだろうか。

11章の概観を述べると、イスラエルの不信仰によって救いが異邦人に及んだけれども、最終的に、イスラエルはみな救われるということである(25,26節)。ただし、「イスラエルはみな救われる」というのは、イスラエル人全員が救われるということではない。救いはユダヤ人、ギリシャ人の区別なく、キリストを信じる信仰による。3章では、自分がユダヤ人というだけで救われるかのように思い上がっていた人々を想定して、パウロは、すべての人が罪の下にあるということ、そして、救いとは、あくまでもキリストを信じる信仰によって与えられるものであることを論証した(3章9節、21~23節)。ここで「イスラエルはみな救われる」というのは全体としてのイスラエルということで、イスラエルが全体として、民族として、神の民として回復する時が来るということである。

私は信仰を持ったばかりの頃は、ここを読んで、神はユダヤ人をえこひいきしているかのような感覚を持っていたが、ユダヤ人の歴史を勉強した時に、その余りにも悲惨な苦難続きの歴史を知って、最後に神にあわれんでいただいて帳尻が合うのかなと思うようになった。つまり、ユダヤ人ぐらい苦難の歴史を歩んできた民族はいない。そこで、今朝は、ユダヤ人の苦難の歴史を概観させていただきたいと思っている。

ユダヤ人は創世記に記述されている、紀元前二千年頃に登場したアブラハムを信仰の父祖とする民族である。苦難ということにおいては、子孫がエジプトで四百年間奴隷生活を送ったことが最初である。その後、モーセをリーダーとしてエジプトを脱出するも、今度は荒野で40年間の苦難の生活が待っていた。そこで大勢の者たちが神のさばきに遭う。ヨシュアをリーダーに荒野での生活を経て約束の地カナンに入るも、戦いと罪の誘惑の日々で堕落していく。ダビデの時代に王制を敷くことになるが、二つの王国に分裂し、王を始めとして民は罪に罪を重ね、自らに苦難を招き、そして北王国イスラエルは紀元前723年にアッシリヤによって滅ぼされ、南王国ユダは紀元前586年にバビロニヤによって滅ぼされる。この悲惨な歴史は列王記、歴代誌、各預言書に記されている。この国家滅亡は、罪に対する神のさばきであった。北王国イスラエルにはイスラエル十二部族のうち十部族が属していたが、完全に離散してしまい、国家再建はない。南王国ユダには二部族が属していた。生き残った人たちの多くはバビロニヤに捕囚として連れ去られていたが、支配国がバビロニヤからペルシヤに代わった時に、エルサレムに帰還して国家再建が許された。旧約聖書は、紀元前430頃までの国家再建の記録で閉じている。だが国家を再建して、これで、めでたし、めでたしとはならなかった。

旧約聖書と新約聖書の間の空白期間を「中間時代」と呼ぶが、国家再建後も苦難が待ち受けていた。紀元前334年、アレクサンダー大王がペルシヤを攻撃する。彼の死後、将軍たちがパレスチナを支配することになり、イスラエルはセレウコス王朝の支配下に入る。アンティオコス四世の時代を迎えると、彼はトーラーを廃止し、安息日、過ぎ越しの祭りなどの祝祭を禁止し、国中に異教の神殿を設けた。紀元前167年には、ユダヤの神殿は正式に異教の神殿に衣替えされ、祭壇には豚肉が献げられた。アンティオコスはまた、自分を神とあがめることを強要した。ユダヤ人は反乱を起こし、殉教者も出る。その後、100年近く落ち着きを見せるも、今度はローマの支配の時代に入る。新約聖書はこの時代からの記述となる。キリストが誕生したのは紀元前4年頃、ローマ帝国の初代皇帝アウグストの時代である。

このローマ帝国の時代に被支配国であったイスラエルは滅亡する。それはキリストも預言していたもので、紀元70年のローマ軍によるエルサレム陥落である。その前後の戦いはユダヤ戦争として知られているが、この結果、ユダヤは絶滅させられ、この戦いでは100数十万人が虐殺され、約9万人が戦利品として連れ去られたという。そしてユダヤ人はエルサレムに立ち入ることすら禁止された。このため、ユダヤ人の本格的な離散(ディアスポラ)が始まった。

この後、ヨーロッパではユダヤ人虐殺が繰り返された。今度は、その歴史を追ってみよう。1世紀頃、ローマ帝国の十人に一人が信仰していたものがユダヤ教であったという。しかし、キリスト教が驚異的なスピードで伝播していくと、ユダヤ人はみな悪魔の子であるという誤った反ユダヤ思想が定着していく。初期キリスト教の指導者たち自らが反ユダヤの尖峰に立っていた。ローマ・カトリックによって列聖に叙せられた4世紀のヨハネ・クリュソストムスとアンブロシウスもそうであった。クリュソストムスは言っている。「ユダヤ教会堂は売春宿より腐敗している。そこは悪党たちの巣窟であり、野獣たちの休息所である。偶像崇拝にふける悪の神殿、悪魔とユダヤ人の犯罪集団の洞窟、キリストの刺客たちの集会所、悪魔たちの隠れ家である」。彼はあるキリスト教徒がユダヤ人と懇意にしていることを知って、こう非難している。「ユダヤ人は、神の子を殺害したのだ。どういうわけで神の子の刺客であり、死刑執行人である民とあえて関係をもつというのだ」。そしてクリュソストムスは、ユダヤ人に対するキリスト教徒の暴力を神学的に正当化した。それは神の御旨がもたらしたものだと主張した。こうして、ユダヤ人排斥を正当化する流れが4世紀頃に出来上がった。

これから語ることは耳にしたくないことかもしれないが、歴史的事実であり、知る責任があるので、お許しいただきたい。11世紀に入り、目に余る悲劇が待ち受けていた。先ずは十字軍である。十字軍はエルサレムを回教徒の手から奪還する運動であったが、十字軍は旅の先々で、実はユダヤ人をも罰しようとした。彼らはユダヤ人を見つけると、ユダヤ人にキリスト教徒になるか死を選ぶかの選択を迫った。信仰を強制され、洗礼を拒めば、概して即座に処刑されたという。第一次十字軍から第三次十字軍まで、こうしたことが繰り返され、虐殺と強制改宗が行われた。強制改宗を拒み、集団自殺もあったという。

そして、十字軍によらない悲劇も、ヨーロッパ各地で繰り広げられた。中世において、ユダヤ人は人間の姿をしていても実際はそうではない、悪魔の落とし子、反キリストの化身という人間観が浸透していた。中世の聖職者たちは、ユダヤ人に関するとんでもないデマを流布していた。それは三つに分けることができる。

一つ目のデマは、ユダヤ人はキリスト教徒を殺害し、儀式でその血を吸うというもの。たとえばイギリスのデマでは、「キリストが磔にされた聖金曜日に、ユダヤ人はキリスト教徒の子どもを磔にして殺した、それが毎年の慣例になっている」。こういう噂を流し大量虐殺が行われた。さらに、「ユダヤ人は殺したキリスト教徒の子どもの血を過越しの祭りに食べる種なしパンに使っている」と広く信じられるようになってからは、虐殺はさらに広範囲に及ぶようになった。ユダヤ人家族全員、時には地域のユダヤ社会全体が、しばしば生き埋めにされ、抹殺された。12世紀では、代表的なところで、イギリス、フランス、ウィーン、ドイツ、スペインで虐殺が起こっている。16世紀になっても、カトリックの公文書にはこうある。「ユダヤ人がキリスト教徒の子どもを殺害し、殺した子どもの血を吸うのは、キリスト教世界に対するユダヤ人の永遠の敵意のしるしである」。ユダヤ人の儀式殺人の虚言は20世紀まで続いた。

二つ目のデマは、ユダヤ人はキリスト教徒に毒を盛る。1161年、ボヘミアでは、ユダヤ人医師が住民を毒殺しようとしたとして、68人のユダヤ人が火あぶりの刑に処せられた。1300年代にヨーロッパ中にペストが大流行した。ユダヤ人が井戸、その他に毒をまき散らしてペストを広めていると噂が飛び交った。スイスではユダヤ人によるものであるとの裁決までくだされている。こうしてユダヤ人社会は破壊され、血を流し、国から追放されていった。ユダヤ人はキリスト教徒に毒を盛るという噂はなかなか消えなかった。

三つ目のデマは、ユダヤ人は聖餐のパンを冒瀆する。カトリックでは聖餐のパンを「ホスチア」と呼ぶが、ホスチアはキリストのからだの象徴ではなく、実体変化を起こし、キリストの現実のからだそのものであるとする。1241年、ベルリン近郊のユダヤ人地区の全住民がホスチアをいたぶったという訴えがあり、彼らは生きたまま焼き殺された。1389年、プラハでは三千人のユダヤ地区住民が殺された。こうしたことが続いた。

こうして虐殺だけでなく、各地からユダヤ人は追放されていく。14世紀半ば、フランス全土からユダヤ人は完全に追放された。15世紀半ばにはドイツ各地から追放された。スペインでは15世紀末に追放されることになるが、このスペインでの迫害は有名である。スペインでは14世紀に、ユダヤ人は強制改宗されるか命を奪われるかの災いにあった。国外に逃げるユダヤ人が起こされていく中で、15世紀に異端審問所が設けられ、捕まえられた被疑者はぼろぼろになるまで拷問されるか、生きたまま火あぶり。この異端審問所に送られたユダヤ人たちだが「豚」(マラノ)と呼ばれた。「豚」と呼ばれるユダヤ人たちは、迫害を避けるために表面上は洗礼を受けてキリスト教徒になっていた隠れユダヤ教徒たちのことである。この「豚」という呼び名は他国でも用いられている。ユダヤ人は洗礼を受けてもその存在を認められることはなかった。ほどなくしてスペインでは15世紀末にユダヤ人追放令が出て、完全追放となった。これほどまでにユダヤ人は嫌われた。ユダヤ人といえば、悪魔の子、もしくは豚。人間として認められなかった。これが中世のユダヤ人観であった。

中世のヨーロッパにおいて教会が権力をもっていたわけだが、この時代の教会令(法律)は、反ユダヤ主義だった。幾つか例を挙げてみよう。ユダヤ人とキリスト教徒との会食を禁止、ユダヤ人の公務員の禁止、ユダヤ人は受難週に街頭に出ることを禁止、キリスト教徒がユダヤ人医師の治療を受けることを禁止、衣服にユダヤ人であることを示すバッチをつけるよう義務づける、強制的なユダヤ人居住地制定、キリスト教徒のユダヤ人への不動産賃貸および販売を禁止。そして、課税その他の経済面でも制限がかけられ、ユダヤ人の多くが貧困状態に陥り、その職業も行商人、中古品業者、質屋などの限定されるようになった。これらからわかるように、虐殺、追放をまぬがれても、生きていくだけで大変だったのがユダヤ人である。ユダヤ人蔑視の爪痕は教会堂の装飾にも見ることができる。ドイツの幾つかの教会では、教会堂の装飾として、豚が用いられている。世界遺産に登録されているルーゲンスブルグ大聖堂もそうである(ユダヤ人が豚の乳を飲むレリーフがある)。

16世紀に入ると宗教改革が起こり、プロテスタントが登場する。ドイツのマルチン・ルターが良く知られている。彼の「聖書に帰れ」の運動は良かったが、反ユダヤ主義は残念ながら、カトリックを継承してしまった。このことにおいては、聖書に帰れなかった。ルターはユダヤ人に対する態度を硬化させ、反ユダヤ主義の先鋒に立つことになる。その流れで、20世紀に入り、1938~1945年、歴史に残るユダヤ人の大量殺人「ホロコースト」が起こる。ヒットラーとナチスドイツによる大虐殺である。600万人のユダヤ人が殺されたと言われている。ヒットラーは人種を次のように階級づけた。アーリア人種の下に地中海人種がおり、その下にスラブ人種がいる。そして底辺にいる黒人種のさらに下に位置するのがユダヤ人種で、彼らは遺伝的に犯罪人種であり、文明を腐敗させ破壊させる存在である。ヒットラーは彼の言説を受け入れさせるためにルターの反ユダヤ主義の文章を利用したことは良く知られている。ヒットラーはユダヤ人迫害を正当化するために、反ユダヤ主義をつづったルターの文書を再販し、また繰り返し引用し、ホロコーストに突き進んだ。ナチスが最初の大規模なポグロム(破壊・虐殺行為)を1938年11月9日に行った。ドイツ国内のすべてのユダヤ教会堂を破壊し、数十人のユダヤ人を殺した。ナチスはこのポグロムをマルチン・ルターの生誕を祝う記念の行為であると発表した。ルターは、ユダヤ人に対してとるべき行動を八つに要約している。①ユダヤ会堂を跡形残らず徹底的に焼き払うべし➁ユダヤ人の住居を破壊せよ➂ユダヤ人の宗教書を没収せよ④ラビがユダヤ人を教育することを禁じる。従わないようであれば処刑せよ。⑤ユダヤ人の旅行を禁じる⑥ユダヤ人が非ユダヤ人に行う貸付金の利子請求を禁じ、ユダヤ人の資産を没収せよ⑦強制的にユダヤ人を肉体労働に従事させよ(ユダヤ人を農奴として働かせるべし)⑧キリスト教徒の住む地域よりユダヤ人を追放せよ。反ユダヤ主義のルターは、「我が国の病原菌、害毒、真の疫病神はユダヤ人である」とまで言っている。ナチスはこうしたルターの言説を利用した。ナチスの時代、ユダヤ人はドイツ人のクリスチャンと結婚し、洗礼を受けていても、孫の代までユダヤ人とされ、迫害を受けた。

ユダヤ人排斥を扱った有名なミュージカルに「屋根の上のヴァイオリン弾き」がある。物語の舞台はウクライナである。東欧に暮らすユダヤ人にもポグロムの危険が差し迫っていた事実を物語っている。なんということだろうか。

今、ご一緒に学んでいるローマ人の手紙だが、第一回目の講解メッセージのときに、ローマの教会はユダヤ人と異邦人で構成されていることをお話したが、ユダヤ人を排斥するような言及は一切ない。むしろ、その逆である(14,15章で詳しくみよう)。他の書簡もユダヤ人を排斥するようなことは書いていない。だから、伝統的な考え方がどうかとか、キリスト教の偉い人が何を言っているかとか、大多数の考えはどうか、ではなく、みことばは何と言っているかがすべてである。だいいち、キリストは人としてはユダヤ人としてお生まれくださり、ユダヤ人を愛し、使徒たちもユダヤ人たちから任命してくださってはないか。使徒パウロも、もちろんユダヤ人である。パウロはユダヤ人の救いを願い、またユダヤ人と異邦人の融和を願い、涙し、労してきた。パウロが嘆き悲しむようなことを過去の教会はしてきた。世界最初の教会はエルサレムに誕生したユダヤ人教会であるということも忘れたかのようなユダヤ人排斥運動を続けてきた。ユダヤ人の苦難は、ユダヤ人の罪やナチスの責任で終わらせるわけにはいかない。

ユダヤ人にとって転機が訪れたのは、シオニズムというユダヤ人の国家建設運動とイスラエル建国である。紀元70年にローマとの戦い敗れ、離散の民となっていた彼らは、今見てきたように、散っていった先々で迫害されるという歴史を繰り返したが、1948年に国を再興するに至る。1900年もの間、流浪の旅を続け、絶滅することなく、国を再興したのは歴史上、イスラエル民族だけである。有名な歴史家のアーノルド・トインビーは、「ユダヤ人が存在していること自体、奇跡である」と述べている。しかしながら、ご存じのように、国を再興したと言っても、多難続きである。第一次世界大戦後、国際連盟からパレスチナ地域の委任統治権を得ていたのはイギリスであったが、イギリスが二枚舌外交をやってしまい、イスラエルにも、アラブにも建国を認めた。このことに端を発し、パレスチナでは混乱が生じ、戦争が勃発し、第四次中東戦争まで進み、その後もご存じのように紛争が続いている。そして、先に見たヨーロッパでは今もって反ユダヤ主義を引きずっており、今年に入っても、フランスで反ユダヤのデモが実施されたニュースが入ってきた。他の国でも迫害等が起きている。

黙示録を見れば、世の終わりにイスラエルが戦場になることが記されている。最後の最後まで、ユダヤ人は民族として苦難を舐めそうである。しかしながら、神の選びは変わらない。29節に「神の賜物と召命とは変わることはありません」とあるとおりである。これは慰めである。これは、私たち一人ひとりにも適用できるだろう。私たちは神のご計画のうちに救いに定められており、それはそのとおりになる。これは神のあわれみでしかない。パウロは30~32節で「不従順」ということとともに「あわれみ」ということを強調している。神のあわれみは不従順な者の上にあり、ユダヤ人日本人の別なく注がれている。だから、神は日本にも宣教師を遣わし、私たちをも、みことばを通して救ってくださった。そして、この終末の時代、ユダヤ人宣教も進んでいる。救われるユダヤ人が増し加えられている。

この世界の国々、民族、時代への神さまの介入には、神さまの測り知れない知恵が働いていることを思う。今はイエス・キリストをメシアと認めないユダヤ教徒たちも、イエスこそが約束されたメシアであったのだと、信じ、認めてくださることを願わずにはおれない。私たちは、すべての民族に神の救いが及ぶことを願っていこう。

パウロは最後に、33節から36節で、神への賛歌を述べて終わる。パウロはここで、探りきれない神の知恵と知識、究めることができない神の判断力、無限の深さを持つ神の救いの秘儀をたたえ、神に栄光を帰して終わる。神が救いの歴史を完成してくだるからである。こうして、破壊、破滅で終わるのではなく、回復、神の栄光に至る。

私たちはパウロとともに36節の頌栄を告白して終わりたいと思う。

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。

どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」