信仰、それは主イエス・キリストを信じる信仰であり、この信仰を通して救われることを前回学んだ。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(13節)、それは本当のことであり、キリストを信じることがすべての人に対する神の願いである。

今日の箇所は、「信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう」(14節)で始まっている。

簡単に、日本に福音が宣べ伝えられたことを振り返ってみたいと思う。記録からわかるのは、奈良時代700年代前半、景教の宣教師であり外科医であった李密医というペルシャ人が仲間たちと日本に渡来してきた。彼は当時の天皇から位も授かり、皇族を中心に宣教したようである。ペルシャ由来の音楽で雅楽があるが、当事者たちは「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と言っている。景教とは、アッシリア東方基督教のことで、有色人種の間に広まっていった。それが中国で「景教」と呼ばれるようになった。景教の経典は、浄土真宗の本山の西本願寺にも保管されていて、親鸞が学んだと言われている。キリスト教は、日本では一般的に、1549年にフランシスコ・ザビエルによって西方基督教がもたらされたと言われているが、実際は、キリスト教自体は、それ以前に入っていた。学者によっては、二世紀にすでに、景教以前の東方基督教が日本に伝来したと推測する方もおられる。いずれ、ザビエル以前に、多くの渡来人が日本にいたことがわかっていて、古代、中世の人たちが無神論ということはあり得ないわけだから、それらの人たちが日本に様々な宗教と文化をもたらしたことはまちがいない。しかしながら、日本で信者の数が急速に増えていったのは、ザビエルの宣教が起点となる。1600年頃の日本の総人口は1400万人。東大教授であられた姉崎正治氏の見積もりでは、この頃のキリシタン総数は300万人。これは総人口の21%にあたる。この頃、檀家制度はなかったので、1600年頃、日本で一番信者数が多かったのはキリスト教だったと言えるのである。武家の多くも信者だった。私の郷里の話になるが、日本でも屈指の城下町を作り、当時、最も立派であったと言われる会津鶴ヶ城を建造したのは、安土桃山時代に会津の大名であった蒲生氏郷(1556~95)である。彼は洗礼名レオを名乗る敬虔なキリシタン大名であった。秋田には1600年後に伝播した。京都から来たキリシタンの武家が佐竹家中で伝道し、多くの者が信じた記録が残っている。この秋田県南にも、江戸時代から信者がいた。命がけの宣教師の働きもあった。キリシタン史跡も散見している。

プロテスタントの宣教師による日本宣教は幕末からとなる。私たちが関係をもっている保守バプテスト同盟の最初の教会は、お隣の十文字教会である。戦前、この横手でアメリカ人の独立宣教師モツセル・スマイザーが開拓伝道をしていた。彼は1935年、日本に来て間もないミス・クレイグ女史に秋田県で福音の種蒔きをしないかと声を掛ける。翌年、ミス・クレイグは、もう一名の婦人とともに秋田に来て、増田町を住居に定め、増田、十文字でスマイザー宣教師の働きを手伝う。戦後、ミス・クレイグ女史は保守バプテスト外国伝道協会の宣教師として再来日を果たし、1947年頃、十文字町に拠点を移し、開拓を始めた。私が仕えていた湯沢聖書バプテスト教会は、最初、十文字教会の伝道所であった。湯沢教会が教会として自立するまで、クレイグ女史を始めとする6名の婦人宣教師、そして1名の男性宣教師の働きがあった。男性宣教師ジェームズ・ウエーバー先生は、湯沢での働きの後、横手で開拓伝道をしてくださった。その後、錦秋湖でキャンプ場を始められた。私は、消えかかった横手の教会の灯を再点火するつもりで、今、ここにいる。私たちの教会の立場は、湯沢聖書バプテスト教会の伝道所である。

私たちが救われたのは、救わんがためであることを覚えよう。私たちに福音を伝え聞かせる人がいて、私たちは救われた。今度は、私たちが伝える番である。私は改めて、自分が救われるために、間接的に、直接的に、何人の人が関わってくださったのか、数えてみた。すると、少なくとも10人になった。お祈りしてくださった方々は数に入れていない。入れると、その3倍にはなるだろう。ありがたい話である。

私が神学校卒業後、茨城県に遣わされて、牧師1年生の時に、一人の婦人が信仰を持ってくださった。その方のことばで忘れられないことばがある。「私の家に、異端の人たちは来たけれども、教会の人は誰も来てくれなかった」。現代は伝える手段はインターネットを含め、増えているが、宣べ伝える人が必要なことには変わりがない。15節では「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱなことでしょう」と言われている。イザヤ52章7節の引用である。ヘブル語本文では「なんとりっぱなことでしょう」は、「なんと美しいことでしょう/なんと美しいことか(新改訳2017)」となっている。福音を伝えよう。福音のために、皆さんの個性、賜物、立場、関心、過去歩んできた道、そうしたものもすべて用いられることを願う。

次は、聞く側になってみよう。今日の箇所を読んで、「聞く」ということが強調されていることに気づいた。14節では、「聞いたことのない方を」「どうして聞くことができるでしょう」とあった。聞くことは、その後も強調されている。16節をご覧ください。「しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。『主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか』とイザヤは言っています」。実は、ここでも聞くことが言われている。どういうことだろうか。単語を構成する基本的な部分を「語根」と言う。語根は単語をこれ以上分解できないという基本的要素である。実は原語において、「従った」も、「知らせ」も、「聞く」と語根は同じである。「従う」「知らせ」「聞く」の三つは、同族のことばである。何を言いたいかというと、「従う」も「知らせ」も、聞くという意味を含んでいるということである。「従う」は「聞き従う」という意味である。「知らせ」は「聞いた知らせ」あるいは「聞いたこと」という意味である。新改訳2017は「知らせ」を「聞いたこと」と訳している。人は本来、聞いて従う者であるし、また聞かなければ信じようがない。だから17節において、「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」と言われている。信仰の始まりは、当たり前ながら聞くことにある。

聞く耳をもって聞いていただきたい「キリストについてのみことば」とは福音である。「永遠の神が全き人となり、全人類の罪の償いのために十字架につき、私たち罪人に代わって処罰を受け、三日目によみがえってくださった。このキリストを信じる者に罪の赦しがあり、救いがある」、これがキリストについてのみことば、福音である。聞く耳がなければ、「キリスト?キリストは十字架についたことを知っているけど、ただの偉人だろ?西洋人だろ?復活なんて作り話だろ?キリストの十字架と現代の私たちには何の関係もないだろう?」そんな風になってしまう。聞く耳をもって、キリストとは誰で、何を語り、何をしてくださったのか、直接、聖書そのものに向き合い、聖書の教えに注意深く耳を傾けていただきたいものである。

私も聞く耳持たずで、大学一年の求道の初めの頃は、かなり、聞く耳はなかった。それどころか求道を始めて、数ヵ月が過ぎた時、聖書は神のことばと言うけれども、聖書を読むのはやめようかと思ったことがあった。それまで、聖書から教えられようと思って読んだことはなく、批判する精神で読んでいたわけだが、批判する精神が嵩じて、聖書に書いてある神を否定して、聖書の教えに対して完全に耳を塞いでしまおうかと思った。それはアパートに居た時であった。その時、言い知れない空しさに襲われた。一種の恐怖感と言ってもいい。自分はこれから何を信じて生きていけばいいのか?まるで、自分のたましいがどこかに飛ばされて消えてしまうかのような恐怖感を覚えた。「神があって人があるという命題はやっぱり無くせない。自分は素直になって、聖書のことばに聞くべきではないか?」それが転機となって、批判するためではなく、自分が神に立ち返るために聖書を読むようになった。そして、焦点はキリストに合わせた。聖書の中心主題がキリストだからである。ほどなくして、自分が救われなければならない罪人であることを自覚するようになり、大学一年の夏の終わり、アパートのベランダで、イエスを救い主として信じます、という告白の祈りをささげた(10節)。

18節以降は、聞く耳を持たない人たち、特に同胞のユダヤ人が意識されている。ユダヤ人たちは旧約時代よりみことばを聞いてきた。しかし全体的に聞く耳持たずであったため、異邦人のほうに救いが回ったことが言われている。ユダヤ人(イスラエル人)は、21節で「不従順で反抗する民」と言われている。聞き従わない反抗的な民ということである。使徒の働きを見ると、ステパノはユダヤ人にみことばを語って、天に上げられた主イエスに心を向けさせようとした時に、怒りを買い、石を投げられて殉教したことが記されているが、彼は説教の中で、「心と耳とに割礼を受けていない人たち」(使徒7章51節)と、彼らの聞く耳持たずを責めている。キリストは講話の中で、「聞く耳のある者は聞きなさい」と何度か言われた(マルコ4章9節、他)。信仰は聞くことから始まる。

私たちは親に対して反抗期というものがあっただろう。親の言うことに反発を覚える。同じように、人は神に対して反抗期がある。一生反抗して終わる方もいる。では、神のもとへ立ち帰って神の子どもとされた人には反抗期はないのだろうか。人によってはキリストの福音を信じた後も、神の子どもとして反抗精神がむらむらと湧くことがある。私もそうであった。バプテスマ前に一度あった。そしてバプテスマ後にもあった。神のことばに納得できないと、聖書そのものを壁に投げつけたこともあった。しかし、私の確信は、聖書は誤りのない神のことばであった。そこは揺るがなかった。だから、求道時代のように、聖書は誤りを含んでいるという前提に立って、聖書をマチガイ探しの本にして読むことはなかった。その反抗心というのは、有限の存在が、無限の知恵と力を持つ大いなる存在を理解しきれないところから来るジレンマであったと思う。なぜそのように計画するのか、なぜそのように行うのか。自分だったらそうしないのに…と。それは一種の高ぶりであったと思うが、今は、神の前に幼子の心を保ちたいと思っている。

詩篇131編1,2節には、こう記されている。「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように、私の前におります」。

また、申命記29章29節にはこうある。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである」。

私たちに求められているのは、「及びもつかない大きなことや、奇しいこと」「隠されていること」に首を突っ込んで詮索することではない。そうではなく、啓示されたみことばを慕い、心の耳を開いて、みことばに聞くことである。先ほど、「従う」ということばには「聞き従う」という意味があることをお話したが、従うために聞きたいと思う。批判するためでも、ただ知識として蓄えるためでもなく、神に従うために聞きたいと思う。キリストについてのことばを聞いて、信仰を持った私たち。私たちは聞く耳のある者として、みことばに日々聞き続け、神の子どもとしてさらに成長していきたい。また、救われたのは救わんがためであることを覚えて、まだキリストについてのみことばを知らない人たちが聞いてくださることを願って、このキリストの福音を伝えることに心を砕いていきたい。