今日は、信仰の者の父アブラハムの最初の失敗の記事である。アブラハムは神に召され、生まれ故郷ウルを旅立ち、約束の地カナンに入った。ところが、このカナンの地で、様々な試みに遭うことになる。その一つ目が今日の記事である。アブラハムは8節にあった「神の家」を意味するべテルから南へ下ってネゲブまで旅をする。「それから、アブラハムはなおも進んで、ネゲブのほうへと旅を続けた」(9節)ここで彼は試みられる。ネゲブはエジプトとの境界である。いやな予感がする。この境界の地のネゲブで飢饉があった(10節)。「ききんは激しかった」とあるが、ネゲブの名前自体が「乾燥した」という意味であり、もともと乾いた地であった。そこに激しい飢饉である。アブラハムはエジプトに下った。

皆さんは、このアブラハムの行動をどう思われるだろうか。エジプトに下ったことは正解だった、と評価することもできる。神さまもそれを望んでいたと。当時のパレスチナは灌漑施設もなく、雨期の雨量に依存するしかない。雨が降らなければ飢饉と隣り合わせである。それに対してエジプトは、ナイル川がもたらす滋養供給で、世界有数の穀倉地帯として安定していた。古代ではパレスチナに飢饉が襲った時、エジプトに助けを求めて人々の移動があるというのは普通のことであった。そしてアブラハムの場合は寄留の民。カナンの定住民ではなく、周囲からの助けを期待できる立場にもない。よそ者たちに長期にわたり食料を分けてくれそうな人もいそうにない。この激しい飢饉に際して、一時的にエジプトに滞在するというのは自然の成り行きのようにも思える。皆さんはどう思われるだろうか。

それに対して、エジプトに下ったのは不信仰だと結論付ける立場もある。エジプトを、ここでもこの世の型と見るわけである。後の時代、イスラエルの民は、モーセを先頭にエジプトを旅立った後、乾燥した荒野での生活がつらくなって、モーセに向かってこんな不満をもらしたことがある。「エジプトの地で、肉なべのそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです」(出エジプト16章3節)。「いったいなぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるのですか」(出エジプト17章3節)。しかし神さまは、荒野の旅において、飢えや渇きでイスラエルの民を死なせることはなかった。神さまは完全に養ってくださった。神さまは荒野でイスラエルの民の信仰を試みられたわけである。こうした事例と比較するわけである。アブラハムは供給の源である神さまに信頼し、カナンの地にとどまっていれば良かったのだと。

アブラハムがエジプトに下ったことは良かったのだろうか、それとも悪かったのだろうか。見解が分かれる中で私も思い悩んでいたが、私は、こうした行動以前のこととして、彼の信仰に問題があることに気がついた。それは、アブラハムは心から神に拠り頼んでいる節がないということである。エジプトに頼る姿勢、自分の知恵に頼る姿勢は見えるが、アブラハムの信仰は沈黙しているように見える。

今日の記事からアブラハムの問題を五つに分けて見ていこう。第一は、信仰の沈黙。アブラハムのエジプト行きは神さまが許されたことであったとしても、神に祈り、神の導きを確信してそうしたというアブラハムの姿勢が見えてこない。「さて、この地にはききんがあったので、アブラハムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った」(10節前半)とあるだけで、神さまに相談した印象は薄い。アブラハムの信仰はこの飢饉を通して試された。家族や親戚、そして多くのしもべ、家畜を養わなければならない。自分は寄留の民にしかすぎない。さて、どうするか。エジプト行きは当然の帰結となった。しかし、この決断に至るまで、神さまとのやりとりはどれほどあったのだろうか。彼はこの危機に際して、神に拠り頼むというよりも、人間的なものに拠り頼む姿勢が勝っていたのではないだろうか。すなわち、エジプトそのものに拠り頼む姿勢ということである。

第二は、礼拝姿勢の沈黙。アブラハムが去ったベテルは礼拝の場所であった。ベテルの意味は「神の家」だった。8節では、「彼は、主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った」とあった。エジプトでは礼拝や祈りの記述はない。祈りの記述が再び出てくるのは、エジプトを出てベテルに戻った時のことである。13章3~4節をご覧ください。アブラハムはベテルに戻った時、再献身している。アブラハムはエジプトでは、神を信じる者としては煮え切らない悶々とした日々を送っていたのではないだろうか。私たちは神に拠り頼むことをおろそかにする時、祈らなくなる、みことばを求めなくなる、礼拝をささげなくなる、口でしている信仰告白と行動が矛盾してくる、ということが起きて来る。気づいたら、この世の人たちと変わらない生活を送っているということになる。何とも煮え切らない偽善的な信仰生活が続くことになる。

第三は、肉の知恵への信頼。アブラハムの場合、それは、嘘をつくということである。アブラハムはエジプトに入ろうとする時、妻のサラに、エジプトでは私の妻ではなく、妹だと言っておくれ、と頼んだ(11~13節)。サラはアブラハムより十歳年下。そして美人だった(14節)。アブラハムは、自分の妻と言えば自分が殺されると判断し、肉の知恵に頼った。確かにサラは異母兄弟なので「妹」と言える存在だが、でも嘘は嘘。それは悪知恵でしかない。人間的なものに拠り頼む姿勢が勝っていると、肉の知恵にも寄り頼むことになる。自分の知恵でどうにか難局を乗り切ろうとやっきになる。その知恵は神から来るものではなく、こずるい知恵でしかない。アブラハムは妻を危機にさらすことになる。サラはエジプト王パロ(ファラオ)の妻とされてしまう(15節)。神のご計画は、アブラハムとサラの間にできる子どもを通して「大いなる国民とする」という約束を実現することであった。アブラハムの肉の知恵によってすべてはご破算となるところであった。またサラを不幸にするところであったが、すべては神のあわれみとしか言いようがない。神さまは力強い御手をもって、この問題にご介入くださり、アブラハムの未熟な信仰を免じてくださった。

第四は、罪の連鎖。罪は他の罪や災いを招くということである。アブラハムは嘘をついた。そしてサラにも嘘をつかせることになる。そしてサラがアブラハムの妻だと知らないパロは、サラを召し入れ、肉体的に知ろうとする姦淫の罪を犯しそうになる。それでパロの家は災いを招く結果にもなる。17節ではそれを「ひどい災害」と表現している。神さまの介入がなければ、アブラハムとサラという夫婦は引き裂かれ、サラも姦淫の罪を犯すところであった。もとをたどれば、アブラハムの肉の知恵、罪に起因していた。罪は感染し、連鎖し、拡大し、家族や周囲に何らかの悪影響を及ぼすことになる。

第五は、霊的貧困。エジプトではある意味、豊かさがあり、快適であった。飢饉から逃れることができたというだけではなかった。サラは宮廷に召し入れられる(15節)。アブラハムは家畜やしもべをさらに増し加える(16節)。待遇がかなり良かったのである。物質的には恵まれた。では霊的にはどうだったのだろうか。エジプトには、祭壇も、新しい約束もない。偽善と罪と引き裂かれた夫婦関係と良心の呵責と不安があるだけである。顔は青ざめ、神との交わりはぎくしゃくし、そこにあったのは霊的不毛と言ってもよい。快適な生活の代償がこれであった。アブラハムは自分が来た道を引き返し、13章4節で言われている「以前に築いた祭壇」に戻るしかない。信仰の原点というか、献身の地点に戻るしかない。

私が今朝、強調したいことは、アブラハムのエジプト行きの判断は良かったか悪かったかということを問うことではない。それ以前に問題があるということである。アブラハムは、一足一足主に頼るような姿勢を失っていた。先ず、アブラハムのエジプト行きはみこころではなかったという前提で考えてみよう。アブラハムは供給の源である神さまではなく、この世の型とされるエジプトに頼ったということになる。生活が助けられたということから、自分の判断は当然の帰結だという説明、言い訳が成り立つ。しかし、それは人の前に成り立っても、神の前には成り立たないということがある。危険や困難が降りかかった時、生活苦を味わう時、また何か助けが必要で困っているという時、それは誘惑の時ともなる。その誘惑となるものは魅力的に見えるために、その誘惑を合理的な説明で正当化することを試みてしまう。結果として、神とは関係のないところからの助けに依存してしまう。しかし、それが神さまが下さった助けだと思い込もうとすることで、自分の良心のうずきを消してしまう。自分の判断は間違っていないと。だが、どう理屈をつけようとも、神のみこころを踏み外すと痛手を負い、神との関係は薄くなり、苦々しい経験をさせられることになる。

アブラハムの時代から約1500年後、紀元前586年に、南王国ユダがバビロンによって滅ぼされた時、残された民たちはエジプトに逃れようとしていたが、預言者エレミヤに、「自分たちはここにとどまるべきかどうか、主に祈って、歩むべき道を告げてください」と願い出た。そこまではよかった。エレミヤに示されたみこころは「エジプトに下ってはいけない」であった。ところが民たちは、「エジプトに下るほうがいいに決まっている、ここにいたら死んでしまう」と頑なになり、エレミヤに「あなたは偽りを言っている」とまで言い放ち、エジプトに下り、結局、災難に遭うことになる(エレミヤ書41~44章)。彼らは、エレミヤに「私たちがどうしたらいいか、みこころを求めてください」と言いつつ、「エジプトに下っていきなさい」というお告げが与えられることだけを待ち望んでいた。本当の意味でみこころを求める姿勢はなかった。エジプトに下り、エジプトに頼ることだけを考えていた。

次に、アブラハムのエジプト行きはみこころであったという前提で考えてみよう。聖書には、神のみこころで、飢饉を避けるためにエジプトに下ったという事例がある。アブラハムの孫のヤコブの時代、やはり中東で飢饉が起きる。アブラハムが体験した飢饉よりも深刻で、年数も長かった。この飢饉の初め、ヤコブはエジプトに食料を買いに子どもたちを差し向けるが、後に、神の導きによって一族ごとエジプトに移住することになる(創世記41~47章)。当時のエジプトの総理大臣は息子のヨセフであった。ヨセフは「飢饉はまだ続くから」と言って、一族をエジプトに呼び寄せた。神さまは大飢饉が訪れる前に、先にエジプトにヨセフを遣わしていた。エジプトでイスラエルの民を養うことが神のみこころであった。ヤコブたちのエジプト行きはみこころであったわけである。「エジプト」イコール行ってはいけない場所ということではない。

私たちは、アブラハムが体験した飢饉の範囲や程度も具体的にわからないし、アブラハム一族が直面していた当時の詳細は全くわからない。神さまのみこころがどこにあったのか、決定的なことは言えない。エジプト行きは全うな選択だったかもしれない。だが、アブラハムのエジプト行きは結果としてみこころであったとしても、彼が神さまに拠り頼む気持ちで決断し、エジプトに出かけ、エジプトで神に拠り頼んで生活していたという姿は見えて来ない。人間的な成り行きで流されるようにしてエジプト入りし、エジプトに到着しても、肉の知恵で難局を乗り切ろうとする姿があるだけである。神さまに拠り頼み、すべてをまかせる信仰があったのなら、人間的な小細工には出なかっただろう。周囲にも迷惑をかけなかっただろう。

アブラハムは飢饉に際して、カナンの地でどうすべきだったのだろうか。「主よ。あなたの導きで、この約束の地に着きました。ですから、あなたが全責任を負ってくださると信じます。この困難の中にあって、どうすればいいのかを教えてください。あなたが望んでおられることを知るまで、ここにとどまり、あなたを待ち望みます。カナンの地のどこかに移動すべきならそうします。エジプトに行きなさいというのなら、あなたが許される時までそこに滞在します。エジプトに食料を買いに行って戻ってきなさいというのなら、そうします。どこであっても、あなたが私たちを養い、悪い者から守ってくださると信じます。どうかみこころをお示しください。あなたに従います。あなたが私たちの信頼の的です」。

神さまは、アブラハムの信仰の成長のために、飢饉を用いられたことは間違いない。ネゲブという乾いた地、しかもエジプトとの境界という地に滞在していたタイミングでの飢饉である。そしてアブラハムはエジプトで失敗を犯したことも間違いない。そして、この経験を通して、神さまのあわれみ深さなど、様々学んだだけではなく、自分が神に召された者であることを再確認できただろうし、約束の地カナンを離れてみて、約束の地の重要さも知ったことであろう。

私たちも平穏な時代に生きているわけではない。周囲の人々と同じく、気候変動や感染症や、政治的動乱をくぐらせられる。どう生きていくか、信仰姿勢が問われる。へブル13章5節にはこうある。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(13章5節)。このみことばは、環境の悪化、経済的問題、人からの圧力、そうしたことが念頭にあるみことばだが、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と、このように約束してくださる主に落ち着いて信頼して、主に祈り、主に聞き、主に導きと知恵を求め、みこころにかなった生き方を選択していきたいと思う。