アブラハムの生涯の講解メッセージ二回目である。前回は11章27節~12章5節までから、アブラハムの召しと旅立ちについて、また、その服従の姿勢について学んだ。アブラハムの召しは二回あった。一回目の召しは、故郷のウルであった(11章31節)。二回目の召しは途中のハランであった(12章1~3節)。しかしある方は、アブラハムの召しは一回だけで、ハランであっただけでは、という疑問を持つかもしれない。確かに11章にアブラハムの召しの記述はない。11章31節では、父親のテラがアブラハムたちをウルから連れ出した文章になっている。しかし、アブラハムへの召しは、一番最初に故郷のウルであったことは疑いえない。それは使徒の働きに見るステパノの説教からもわかる。使徒の働き7章2~4節を読んでみよう。「・・・私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前またメソポタミヤにいたとき(ウルにいたとき)、栄光の神が彼に現れて、『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』と言われました。・・・・」。ステパノの説教からも、アブラハムの召しは最初に、故郷のウルであったことがわかる。そして父親のテラを中心に旅立った。前回お話したように、アブラハムたちが旅立った紀元前二千年頃は民族大移動の時代だった。引き金は気候変動である。土地は乾燥し、塩害が発生し、大麦などの作物は獲れなくなり、メソポタミヤのシュメール文明(現代のイラク南部)はこの頃、崩壊している。戦いもあった。父親のテラは、動乱のこの時期、新天地に向かって旅立つことを考え、息子に相談していたのかもしれない。「もっと安定した地で暮らそうと思うのだが」。その後に息子アブラハムに啓示があって、お父さんと一緒にウルを旅立つ決断をしたのかもしれない。いやそうではなく、最初にアブラハムに神の命令として啓示があり、そのことを父親に告げた時に、「息子よ。私も行く」となったのかもしれない。詳細はわからないが、はっきりしておきたいことは、アブラハムがウルを旅立ったのは、生活しにくい環境だったからとか、偶像崇拝の地だからとか、父親に誘われたとか、そういう理由ではなく、それは一つあったとしても、それは二次的な理由で、アブラハムが故郷を旅立ったのは、あくまでも神の命令があったからということである。聖書は、そこに目を止めさせようとしている。

今日の記事からは、私たちは地上にあって旅人であり、寄留者であることを学ぶことができる。アブラハムはまさしく、旅人、寄留者としての人生を過ごした。今日の箇所を見れば、「出かけた」「出発した」「地に入った」「その地を通って行き」「移動して」「天幕を張った」「なおも進んで」「旅を続けた」といった表現が続いており、彼の旅人としての、寄留者としての生活を描いている。

では、彼の寄留者としての歩みについて見ていこう。4節前半に「アブラハムはお告げになったとおりに出かけた」と、神の命令に従ったのである。これはハランに滞在していた時、75歳の時のことであった(4節後半)。この頃、所帯も大きくなっていたようで、そこにはハランで加えられた人々も入っている(5節)。それは大キャラバンの様相を呈していただろう。所帯が大きくなってしまっている。今の環境に慣れ親しみ生活も落ち着きを見せている。年齢的にも若くはなかった。しかしながら、そうしたことを神に従わない理由にすることはできなかった。彼は従ったのである。ハランは紀元前1800~1900年頃、栄えていた町として知られている。ちょうど、アブラハムが滞在していた頃がそうであっただろう。しかし、神の命令で旅立った。

アブラハムは亡くなるまで、ほぼ一世紀にわたって、あっちに移動し、こっちに移動しと天幕生活を送っていった。ラクダか何かの動物の毛皮で作った、軽くてもろい天幕に住んでいた。そこに根を下ろさないで住むための天幕、簡単に折りたたむことのできる天幕、半時間のうちに建て上げることのできる天幕、その天幕が彼の生き方を象徴するものであった。アブラハムは、まさしく旅人であり、寄留者であった。

5節後半に、「こうして彼らはカナンの地に入った」とある。ハランからカナンまでは約800キロある。約一ヵ月はかかる距離である。ハランからカナンに至るまで、途中、旅人が足を止める、木が茂っていて美しい地があるという。しかしアブラハムはそこに長居することなく前進し、カナンの地に入った印象がある。信仰の旅路は途中、誘惑がある。それは足を止めてしまうものである。だが、アブラハムは迷いなくカナンに地に進み、そこに入った印象がある。

6節後半の「当時、その地にはカナン人がいた」という短い表現に目を留めよう。カナン人の先祖は、ノアの三人息子、セム、ハム、ヤペテの、ハムの子どもカナンである(10章6節)。この後、滅ぼされることになるソドムとゴモラに住んでいたのもカナン人である。この「カナン人」という呼び名は、後にカナンに住む人々の総称として用いられるようになる。アブラハムの時代から約600年後、ヨシュアによってカナンの地に派遣されたイスラエルの斥候たちは、カナン人たちを見ておじけづいてしまうことになる(民数記13章)。カナン人はイスラエル人にとって脅威であった。古代カナン人の遺伝子解析が行われたニュースを最近知ったが、カナン人の遺伝子は、現代のアラブ人だけではなく、ユダヤ人にも引き継がれていることがわかっている。ユダヤ人とカナン人は、最初はつながりがなかったわけだが、旧約聖書に見る、ユダヤ人とカナン人の雑婚の歴史を思い起こす。

このカナンの地で、主がアブラハムに現れてくださった。「そのころ、主がアブラハムに現れ」(7節前半)。これは重要なことである。神さまはどこでアブラハムに現れてくださったのだろうか。カナンである。その地にはカナン人が住んでいたわけだけれども、神もまたその地におられた。神はカナン人よりも偉大なお方である。神はカナンの地でも日本でもどこにあっても存在され、全地を治められる神であられる。使徒パウロはアレオパゴスの説教で、神の偉大さについてこう宣言している。「神は、ひとりの人々からすべての国の人を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいと境界とをお定めになりました。これは神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすことでもあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは神の中に生き、動き、存在しているのです」(使徒17章26~28節)。神はカナンの地の支配者であり、カナンの地に存在し、アブラハムから遠く離れてはおられなかった。そしてアブラハムに現れてくださった。それは、日本に住む私たちに対しても同じだろう。日本にあっても、神は私たちから遠く離れてはおらず、私たちは神の中に生き、動き、存在しているのである。

アブラハムはこのカナンの地で祭壇を築いている。「アブラハムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた」(7節後半)。偶像崇拝の地に主は現れてくださった。そしてアブラハムは祭壇を築いた。カナン人たちも祭壇を築いただろうが、それは偶像のための祭壇である。しかしアブラハムが築いたのは主のための祭壇である。アブラハムは三ヵ所で祭壇を築くことになる。最初は主が現れてくださった「シェケム」で祭壇を築いた(6節)。シェケムはパレスチナの中心地にある丘陵地帯である。エルサレムの北56キロの地点。後にアブラハムのひ孫にあたるエジプトの総理大臣となるヨセフは、エジプトに葬られることを拒み、ここシェケムに葬られる。シェケムの意味は「肩」。肩とは人のうちで最も力のある所で、手で持てないものを肩でかつぐ。よって、シェケムという名は「力」を現わしている。それは神の力を思い起こさせる。

次の祭壇は「べテル」で築いた(8節)。クリスチャンたちの間でも愛されている地名である。べテルはシェケムより南32キロの地点。エルサレムの北19キロに位置。べテルもシェケム同様、丘陵地帯である。べテルの意味は「神の家」である。「ベテル」には、神の臨在のある所、神の世界の入口、そんな意味合いが込められているように思う。祭壇とは当然のことながら、礼拝の祭壇、祈りの祭壇である。「彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った」(8節後半)。私たちも、礼拝と祈りの祭壇を築くようにして、主が置かれた地で、主を礼拝し、主に祈り、歩んでいくのである。

もう一ヵ所の祭壇は、13章18節にある「ヘブロン」。ここはエルサレム南南西30キロにある町で、妻のサラが葬られる地となる。アブラハムもここに葬られることになる。ダビデ王が最初の7年間、首都としていたのもヘブロンである。その意味は「交わり」である。神との交わりということを思い起こす名称である。アブラハムは聖書で三回、「神の友」と呼ばれている人物である(第二歴代誌20章7節、イザヤ41章8節、ヤコブ2章23節)。神の友と呼ばれているということは、アブラハムは神との親しい交わりの中にあったということである。祭壇も神との交わりの象徴である。祭壇を築くという姿勢に、アブラハムの信仰が表されている。日本人の家の多くは仏壇がある。現代人はテレビが祭壇になっている帰来もあるが、私たちは、アブラハムがカナンの地で祭壇を築いたように、この日本の地で、礼拝の祭壇、祈りの祭壇を築く姿勢を尊びたい。

最後に、寄留者の特徴ということを考えよう。私たちが、旅人、寄留者として生きるということはどういうことだろうか。それは今住んでいる家を出るということではない。導きで出る人もおられるわけだが。また、私は何度も引っ越ししてアパート住まいだから寄留者であるということではない。私の夫は銀行員で、5回引っ越しして私もついていった、そういう問題でもない。私は地元で育ち婿取りで、生まれてから一度も引っ越しの経験がないから寄留者ではない、ということではない。ようするに、心の在り方の問題である。

寄留者の普通の意味は、現代で言えば、ワークビザや旅行ビザで、その国に一時的に滞在している滞在者に過ぎない。その国の法律で守られる一国民ではない。私たちはこの地上で日本国民として日本で生き、土地や建物を所有していても、神の国の民とされているということで、霊的な意味では寄留者なのである。

参考に、へブル人への手紙11章8~16節を開いて読んでみよう。13節に「地上では旅人であり、寄留者であることを告白していたのです」とある。目指すは神の都であり、16節では「天の故郷」と表現されている。不思議と、信仰を持つと100パーセントの人が天の御国に思いを馳せるようになる。そしてこの地上は仮住まいの地だと思うようになる。アブラハムがそうであっただろう。私たちもアブラハムと同じ信仰をもって生きるときに、この地上では、霊的には旅人であり、寄留者なのである。信仰の旅人、寄留者は、世の人々が地上のことだけに関心を持ち、時代の風潮に流され、当世風の生き方に夢中になっている時、心を天に向けているだろう。服装も華美ではなく、食欲も控えめ、金銭には無欲、周りの人からの賞賛には無頓着で、神の国とその義とを第一に追い求めるだろう。ペテロもペテロ第一の手紙2章11節でこう勧めている。「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい」。寄留者というのは、色んな意味で身軽な生活を心がける。たましいを重くし、縛りつけるものも遠ざけるだろう。

さて、天に心を向ける者は地上のことには無関心なのだろうか。私たちはアブラハムと同じように旅人であり、寄留者である。アブラハムと同じく天の都を目指している。と同時に、アブラハムと同じように、地上の人々の祝福のために生きるわけである。アブラハムにあった12章1~3節の、アブラハムの人生を決定づける召しは、私たちが継続して引き継いでいる。地上のすべての民族がまことの神を信じ、救われ、祝福されるようにと、アブラハムは召された。それは今、私たちは引き継いでいる。寄留者は寄留者に過ぎないのだけれども、その滞在の期間、周囲の人々の祝福となるように召されているわけである。ワークビザで他国の人道支援にあたることと比較できるかもしれない。私たちは、「我もなく、世もなく、ただキリストあるのみ」、そう言って仙人のような生活をすることに召されてはいない。

アブラハムは、天の都を目指しつつ、地上での自分に与えられている働きということを自覚していた。バランスが良かったと思う。寄留者として地上で何をしていくか、それが分かっていた。天の都を目指しつつ、神の民を形成する働きをしなければならないとわかっていた。アブラハムの生涯を見ると、偶像崇拝の匂いはない。彼の環境はどこに行っても偶像ばかりである。彼はウルという月の神を拝むことで知られていた偶像崇拝の地で育ち、そして先週お伝えしたように、父親も偶像の神々を拝んでいたので、家庭環境も偶像崇拝だった。途中のハランも、到着したカナンも偶像崇拝の地である。しかし、アブラハムからは偶像崇拝の匂いが全くしない。彼はいくつか失敗を犯すも、偶像にも不道徳にも手を染めなかった。しかし、そうした消極的善を行って終わりではなく、次世代のために、自分の役割というものを全うした。信仰継承に心を砕き、家族としもべたちに神を伝え、まことの神を信じるアブラハム一族が形成されていくのである。異教の人々からは、あなたの神は生きている、神はあなたとともにおられる、と言われるような証を立てていくのである。

さて、私たちは寄留者として、それぞれがどうあるべきか考えてみよう。天の都に向かう足取りを重くしてしまっているものはないのか。千鳥足になってしまっていないか。まつわりつくもの、絡みつくものはないのか。心の中でしがみついているもので手放さなければならないものはないのか。神の国とその義とを第一に求めているのか。礼拝の祭壇、祈りの祭壇を築いて歩んでいるのか。天の都到達前に、具体的に、身辺整理しておいたほうがいいものはないのか。ルーティーン(決まった所作・習慣)はこのままでいいのか。こうしたことと合わせ、周囲のまだ救われていない人々に神を証しているのか。周囲の祝福の存在となることを目指しているのか。地上で自分に残された役割を自覚し、それを実践しているのか。私たちは、アブラハムに倣う寄留者の立場になって、今の自分を見直し、足取り確かに、信仰の旅路を歩んでいきたいと思う。