今日は、テベリヤ湖畔での復活の主との出会いの記事の前半である。物語もいよいよクライマックスを迎える。舞台の「テベリヤの湖畔」(1節)とは「ガリラヤ湖」の湖畔のことである。ガリラヤ湖は漁師であるペテロたちの仕事場であった。ふるさと漁場である。この時、ガリラヤ湖にいた弟子たちは7人である(2節)。名前を特定できない弟子は二人。「ほかにふたりの弟子がいっしょにいた」としか記されていない。わざと名前を特定できないようにした、ということではないだろう。その前の「ゼベダイの子たち」という表現も、名前は特定できても簡略化した表現となっている。ただ、ここで心に留めておきたいことは、弟子の筆頭にキリストを三度知らないと否定したペテロが挙げられていることと、二番目に、20章で復活の主との感動的出会いを果たした疑い深いトマスが挙げられていることである。

彼らはなぜガリラヤにいるのだろうか。それは復活の主の命令だったからである。墓を見に出かけた女たちに、御使いと復活の主キリストは、「ペテロと弟子たちにガリラヤに行くように言いなさい」と命じた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(マタイ28章10節 同7節,マルコ16章7節参照)。エルサレムからガリラヤまでは約二百キロの距離がある。彼らはこの命令に従ってガリラヤに来たのである。絶望して、すべてを投げ出して故郷に戻ったというのとは少し訳が違う。

弟子のリーダー格であるペテロはガリラヤ湖で漁をしに行くことに決め、他の弟子たちもついて行った(3節前半)。ペテロがなぜガリラヤ湖で漁をしようと思ったのか様々なことが言われる。例えば、ペテロはキリストが築き上げる王国の担い手となるという夢が破れ、ほぼ信仰を失い、ガリラヤに舞い戻り、昔の仕事についてしまったのだ。深い失望から、ガリラヤに帰郷し、昔の仕事に戻ることに決めたのだ等。だが、先ほど述べたように、ガリラヤ行きは主の命令であったことを忘れてはならない。彼らはそれに従おうとした。そして、14節で「イエスが死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である」とあるように、すでに、復活の主と二度会っていることを忘れてはならない(20章)。彼らは復活の主を見て、信じて、喜んだ。「平安があなたがたにあるように」というあいさつを受け、平安と喜びを取り戻した。主を裏切ったという負い目はあるものの、信仰を捨てたわけでもないし、キリストの弟子であることをやめたわけでもない。復活の主と出会い、気持ちは上向きとなり、復活の主に従おうとしていた。

彼らは主の命令どおりガリラヤに向かったけれども、何日の何時のどこで会いましょうと具体的指示を受けていたわけではない。ガリラヤに到着したけれども、何をいつどうしたらいいかわからない。大の男たちがボ~ッと何もしないでいるわけにもいかない。食料だって確保しなければならない。人は食べなきゃ生きていけない。実際、食べるものがなかったことは5節からわかる。だから、昔なじんでいた漁に行こうと思うのは自然なことである。

ペテロたちが漁をした時間帯は夜中である(3節後半)。この地方では、夜が漁のベストの時間帯であった。ペテロは一生懸命漁をしたにちがいない。7節に「裸だったので」とあるが、腰巻一枚で一生懸命漁をした雰囲気が伝わってくる。しかし、何もとれなかった。

夜が明けるころ、岸辺に一人の人物が立っていた(4節)。暁の光の中に立つ影は、なんとイエスさまであった。「けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった」とあるが、なぜ三度目の顕現なのにわからなかったのだろうか。わからない弟子が一人ならまだしも、7人全員がわからなかった。薄明りでわからなかったというのは、たいした理由にならない。岸辺までの距離は約90メートルである(8節)。わかるはずの距離である。キリストが姿を変えていたとも言われてはいない。岸辺に仲買人が魚を買いに来ることがあるので、その人と見まちがえたのだろうという説もある。いずれ、弟子たちはイエスさまであるとわからなかったのである。

キリストは声をかけられる(5節)。弟子たちは声を聞いてもまだわからない。その声は愛の御声だった。「子どもたちよ。食べるものがありませんね」。「子どもたちよ」は親しみを込めた呼びかけである。先に紹介した批判者たちのように、「お前たち、どうして漁師に舞い戻ってしまったのか」などど、無為な批判はされない。「食べるものがありませんね」と、心配してくださっている。

彼らが岸辺に立つお方はイエスさまだと気づくきっかとなったのは、6節の「舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば、とれます」の命令であった。舟の右側に網を下ろすのは漁師たちの常識ではなかったとも言われている。とにかく彼らは、岸辺に立つお方の声に従ってみた。すると、「おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」(6節後半)。この体験はルカの福音書5章に記されているガリラヤ湖上での体験と良く似ている。その時も、夜通し漁をしたのに何もとれず、「深みに漕ぎ出して、網をおろしなさい」という主の命令に従ってみたら、網が破れそうになるほど大漁となったという逸話である。この時の体験が生きていたのだろうか。弟子たちはようやく、声をかけた主(ぬし)が主であると気づいた。

そっこく気づいたのは、ヨハネであったようである。「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。『主です。』」(7節前半)。ヨハネは誰よりも視力が良かったということではなく(良かったかもしれないが)、霊的感知力が優れていた弟子であったことはまちがいない。彼がキリストから啓示を受けて黙示録を書いたというのも頷ける。彼は最後の晩餐の席では隣に座っていたし、キリストの裁判が行なわれる中庭にも入って、キリストを見ていた。十字架の下にも立って、キリストとコミュニケーションを取っていた。キリストの墓に最初に到着した男弟子は彼であった。こうした出来事も、彼がキリストに気づく感知力が高いことを暗示している。この時、ヨハネとほぼ同時に気づいた弟子もいたかもしれないが、少なくとも、ペテロより先に気づいたことはまちがいない。こうした霊的感知力は私たちも磨かなければならないだろう。キリストの臨在、キリストの御旨、そうしたことに敏感に気づく私たちでありたい。

「主です。」と聞いた裸のペテロは、瞬時に上着をまとって湖に飛び込んだ(7節後半)。湖に飛び込んだという行為に、一秒でも早くお会いしたいという思いが伝わって来る。「上着をまとったら、泳ぐスピードが遅くなるよ、ペテロさん」と言いたいところだが、上着をまとうという行為に、主を敬い、主の前にへりくだるという姿勢が伝わってくる。他の弟子たちは、ペテロに続けと、次々と飛び込んだらおもしろかったが、舟は放置できないし、とった魚を岸辺に上げないといけないし、岸辺から遠くはなく、時間的にもさほど変わらないわけなので、ペテロに倣うことはしなかった(8節)。

「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た」(9節)。「炭火」という設定が気になる。ペテロがイエスさまを三度裏切った場面は、まさしく炭火の前であった(18章18節)。この21章はペテロの回復の物語である。ペテロの回復については次回学ぼう。ここでも主の愛を覚えるのは、主自ら岸辺で炭火を起こし、魚とパンを用意してくださっているということである。どこからこの魚とパンを持ってこられたのかわからないが、主は朝の食事の準備をしてくださったのである。彼らのとってきた魚も加えて、主は焼いて準備してくださった。「さあ来て、朝の食事をしなさい」(12節前半)。ご自分を見捨てた弟子たちに対して、何と優しい態度ではないだろうか。

12節後半の「弟子たちは主であることを知っていたので、だれも『あなたはどなたですか』と尋ねる者はいなかった」という記述も心に留まる。復活の主の顕現の三度目にして、平穏な場面が訪れた。一度目は、弟子たちは幽霊を見ているのだと思って、心に疑いを起こし、ざわついた(ルカ24章36節~)。二度目は、「私は、その手に釘の跡を見、私の指を差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と疑いをぶつけていたトマスと主は相対した(20章24節~)。三度目の今日の場面では、その疑っていたトマスもいる。だれも「あなたはどなたですか」とは尋ねない。「あなたはほんとうに主ですか」とは誰も言わない。皆、復活の主との食事をしみじみと楽しんでいる。イエスさまのほうでも、夜通し働き疲れていた彼らを気遣って、彼らのお腹が満たされるまでは、積極的な語りかけはされない。先ずは食べなさい、である。

そして、ここでは朝の食事以上の場面である。13節では「イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた」とあるが、このことで思い起こすのが、主が五つのパンと二匹の魚で男五千人を養った物語である。そこでも、同じような表現がある。五千人の給食はすべての福音書に記されているが、ヨハネの福音書の場合、パンと魚を取って人々に分け与える五千人の給食に、聖餐式のモチーフを見ている(6章)。キリストは五千人の給食の後、「わたしがいのちのパンです」と宣言している。私たちが行なっている聖餐式は、他の信仰者たちとともに、いのちのパンであるキリストと交わる時である。その原型のような姿がここでも見られる。復活の主が主催する食事に招かれた弟子たち。復活の主が交わりの中心におられ、ともに食事する。それは至福の時であったはずである。

さて、解釈が難しいと言われる11節を観察しよう。「シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった」。ヨハネは、とった魚の数を153匹と具体的に記載している。たまたま注意深く数え上げた数が記載されているだけなのだろうか。「たくさん」と記載せずに、わざわざ数を記載したのには訳があると考えるのが自然である。特にヨハネは、黙示録を見るとわかるように、数字を象徴的に用いる傾向にある。古代から、153という数字に込められている意味を見出そうと、大勢の人々がチャレンジしてきた。4世紀のヒエロニムスは、「ギリシャの博物学者は魚の種類の数を153と数えた」と言っており、153は当時考えられていた魚の種類の数であると語っている。ここから、あらゆる種類の人々が救われることを暗示しているという見方ができる。かつてキリストもこう言われた。「また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引網のようなものです」(マタイ13章47節)。そしてご存じのように、ペテロたちは、「人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1章17節)とキリストの召しを受けていた。

153をゲマトリアの観点から解明することも努められてきた。ゲマトリアとは、ヘブル語またはギリシャ語のアルファベットを数値に換算したもの。例えば、ギリシャ語でイエスは888、獣は666となる。神の子たちが153となる。とすると、153は神の子たちの象徴という理解となる。ヘブル語で愛の教会が153になるとも言われている。ヘブル語で魚は1224となり、分解すると153×8である。

153は1から17までの整数を足した数ともなる。17はトライアングラー(三角数)と言われ、17がキーワードになるとして、様々な推理がされてきた歴史もある。4~5世紀に活躍したアウグスチヌスは17=10+7と分解し、10はモーセの十戒である律法、7は聖霊の恵みと解した。黙示録1章4節に七つの御霊とあるからである。ある人は17=5+12と分解し、五千人の給食に結びつける解釈もある。「大麦のパン五つから出てきたパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごいっぱいになった」(6章13節)の5と12を足した数であるという解釈である。こうしたトライアングラーの分解の解釈は、まだまだある。17そのものに、あらゆる民族を読み込む解釈もある。使徒2章9~11節には、ペンテコステに集まってきた民族の名前が記載されているが、その総数を17と数えることもできる。

153に特に象徴的意味はないという意見もあるが、ないなら、100匹以上とか、およそ150匹とか、おおざっぱな数字を記載すればいいのに、なぜわざわざ正確な数字を記載したのだろうか。おそらく、151でも154でもだめで、153でなければならなかったはずである。ヨハネが153にどのような意味を込めたのか詳細はわからないが、世界中の人々が救われることを伝えたかったことはまちがいないと思われる。余談になるが、バッハが作曲した名曲「ヨハネ受難曲」では、最初の曲が、なぜか153小節で作られている。意図的であると言われている。

そして153という数字だけでなく、魚そのものに意味が込められていることもまちがいない。古代から魚は教会のシンボルであった。明らかに、この21章のこの場面で、ガリラヤ湖でとれた魚しか意識されていないわけはない。ギリシャ語で魚を<イクトゥス/イクソス>と表記するが、1~2世紀からクリスチャンたちの暗号として使用されるようになった。<イクトゥス>は次のことばの頭文字をとったものとした。「イエス・キリスト 神の子 救い主」。現代では、このイクトゥスの文字を書いた魚のステッカーを車等に張り付けているクリスチャンも多い。今、私たちは救われた魚であるけれども、また主の弟子として、網をおろして魚をとる働きに携わるのである。153匹の魚をとったこの場面から、「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人を弟子としなさい」(マタイ28章19節)という主の大宣教命令を思い起こす。

最後に、一つのことを付け加えよう。今日の物語はキリストの愛を印象付けているが、弟子たちの姿から教えられることもある。6節の「舟の右側に網をおろしなさい」の命令に従ったことは、私たちの模範としてよく取り上げられるが、もう一つ心に留めたいことは、その前の5節、「子どもたちよ。食べるものがありませんね。」の問いに対する、「はい。ありません。」の返事である。漁師はプライドが高く、とれてなくても、とれていないと言わないという話もある。自分の非を隠し、手柄を誇りたいのが人間である。私たちは、主との交わりにおいて、自分の弱さや失敗を隠す傾向にある。以前、ある方から、人に言えないでいた問題を、主に対しても何十年と告白できないでいたという話を聞いた。祈りとは主との交わりだが、主に対して正直になれなかったというか、勇気をもって告白できないでいた。だが、今日の箇所を見ると、「はい。ありません。」と答えたところから、すべては始まった。「いえ。何でもないです。」「大丈夫です。」「言いたくありません」。もし、そのようであったなら、祝福を失うだろう。「はい。ありません」。素敵なことばだと思う。私たちも、「はい。ありません。」と素直に告白するところから始めよう。