前回は、日曜日夕方に、復活されたキリストが弟子たちの前に現れ、「平安があなたがたにあるように」と、あいさつされた記事をご一緒に見た。この時、悲しみにくれていた弟子たちはキリストを見て喜んだ。ところが、この時、弟子のトマスは不在だったようである(24節)。どこに行っていたのだろうか?他の弟子たちがユダヤ人を恐れて、縮こまって部屋に閉じこもっていた時に、主の墓が空だと聞いて、情報集めに出かけていたのかもしれない。もしくは、買出しに出かけていたのかもしれない。

彼は「デドモと呼ばれるトマス」と紹介されている。以前お話したように、「トマス」はアラム語で、意味は「双子」である。「トマス」がパレスチナ・ユダヤ人の間で人名として用いられた形跡はないようである。当時は、個人名があだ名で代用されることが良くあったので、「トマス」はあだ名であると思われている。併記されている「デドモ」はギリシャ語で、意味は同じく双子である。これも名前ではない。では、トマスの実名は何かということだが、シリア東方の教会伝承によると、彼はユダ・トマスと呼ばれている。もし彼の個人名がユダであったのならば、十二弟子には他にユダが二名存在するので、彼らと混同されないように、実名ではないあだ名が用いられた可能性が高い。彼が誰と双子であるのかはわからないが、ただ分かることは、彼は双子のうちの一人であるということである。

トマスは、この後、広範囲で活躍することになる。ヒエロニムスの「著名人の伝記」には、彼が、バルテヤ人(イラン付近)、メデア人、ペルシャ人、カルマニ人、ヒルカニ人、バクトリ人、マギ人に宣教し、インドで死んだとある。トマスは南インドで伝道して、チェンナイ郊外のマイラープールで石打にされ、槍で突き刺され、殉教したという伝承がある。現在インド南部の西岸に位置するケーララ州には、聖トマス・キリスト教徒の諸教会が存在する。彼がインドで残した功績は大きいものがあった。

トマスは復活のキリストと出会った弟子たちの証言を受けるが、その証言を信じない(25節)。彼は、実際に「その手に釘の後を見」なければ信じないと言っているし、見るだけではなく、実際に「私の指を釘のところに差し入れ、また私の手を(槍で突かれた)そのわき腹に差し入れて見なければ、決して信じません」と返答している。このようなところから、「疑い深いトマス」などと評されるようになってしまった。トマスは他の弟子たちが幽霊でも見たのだろうと思ったのにちがいない。自分の視覚、触覚で確かめてみなければ信じないという気持ちになっていた。実は、トマスだけを疑い深いと評する理由はない。他の弟子たちも同じである。ルカの福音書にも、他の弟子たちが復活のキリストと出会った時のことを記述している。参考に、ルカ24章36~43節を開いて見てみよう。他の弟子たちも「霊を見ているのだと思った」(37節)。つまり、幽霊だと思った。そして38節で、「どうして心の中で疑いを起こすのですか」と疑いを責められている。疑い深いのはトマスだけではない。続く39節でキリストは、「わたしにさわって、良く見なさい」とまで言われている。触って確かめてみなさいと。それでも信じられずにいたので、幽霊でないことを実証するために、42節にあるように、彼らの目の前で焼いた魚を一切れ食べてみせた。それで弟子たちはようやく信じたようである。トマス以外の弟子たちも十分に疑い深かった。トマスだけが疑い深いのではない。

ヨハネの福音書20章に戻ろう。25節の彼のことばで心に留まるのは、「決して信じません」という強い表現をとっているところである。他の弟子たちが何と言おうと、自分の目で確かめて、自分の手で触ってみなければ、決して信じないという強い決意である。これくらい信じないことに決めていた彼が、信じて、殉教もいとわない人物に変えられたとなると、キリストの復活は真実だったのだという確信が強まる。

さて、疑い深いトマスがキリストを信じたのは、それから八日後のことであった(26節)。「八日後」とは、19節の「週の初めの日」、すなわち、日曜日から数えて八日後となるが、ユダヤの時の数え方では、八日後とは日曜日のことになる。キリストは日曜日にこだわって出現されている。この時、トマスも他の弟子たちと一緒にいた。26節の様子からすると、まだ彼らは恐れの中にいたようである。キリストは前回と同じく、「あなたがたに平安があるように」という祝福のあいさつで出現される。弟子たちは前回の20節と同じく、「主を見て喜んだ」であろう。ところが、トマスだけがまだ、混乱と疑いの中にあった。表情はまだ曇っていただろう。

キリストはトマスに語りかけられる。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(27節)。キリストは25節で見た、ご自身が不在の時の弟子たちとトマスの会話の内容をご存じであられたようである。トマスが傷跡に触ってみなければ信じないと発言したことをご存じであられた。こうしたことは不思議ではない。キリストは1章47節で、ナタナエルが「どうして私をご存じなのですか」と問いかけた時に、「わたしはピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです」と答えている。キリストはその場にいなくとも、すべてのことをご存じなのである。

トマスはキリストを間近で見て、キリストの御声を聞いた。そして「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われて、彼はすぐに信じたようである。ところで、トマスはキリストの傷に触ってみたのだろうか。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。」を実践したのだろうか。このことについて聖書は何も書いていないが、触った形跡はない。トマスはキリストのことばに対して即答している印象があるし、29節のキリストのことば、「あなたはわたしを見たから信じたのですか」には、触ったという言及はない。彼は見て信じたのである。

その告白の内容は「私の主。私の神」(28節)。この告白から、幾つかのことを心に留めさせられる。この告白はキリストが十字架につく前の告白ではない。十字架について墓に葬られた後の告白である。この告白は、キリストが復活したことを認めている告白である。彼は、キリストのよみがえりを信じ、認めたのである。そして、文字通り、キリストが神であると信じ、認めている。これはユダヤ人の告白であることを心に留めなければならない。ユダヤ人は唯一神教である。ユダヤ人は、神はただお一人、神は唯一と信じる人々である。多神教ではない。日本人のように、動物も月星太陽も、人間もみな神さまにしてしまう神観ではない。神はただお一人としか信じない。そのユダヤ人が復活した人物を神と呼んだのである。日本人が得体の知れない人物を生き神様としてあがめるのとは分けが違う。ユダヤ人は創造主のみを神と告白する。

キリストは「私の主。私の神。」という信仰告白を聞いて、「トマスよ。よくぞ告白してくれた」と称賛してはいない。「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです』」(29節)。トマスが見ずに信じる信仰があったのなら称賛があったかもしれないが、彼は見てから信じた。私たちは、この目で見なければ信じない、この目で確かめなければ信じない、肉眼で見なければ信じない、そうしたことばを良く聞くし、自分たちでも使ってきた。神さまが存在するならば我らに見せなさいと。しかし聖書は、信じるとは見ること、見ることは信じること、という次元で終わらせない。信仰を、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、といった五感の世界で終わらせない。確かに、信じるために見るといったことは大切なことではある。神さまは、この自然界や被造物のすべてを私たちに見せて、見ることを通して、創造主なる神が存在することを知るようにと招いておられる(ローマ1章20節参照)。しかし、キリストが神であると信じることにおいては、キリストのことばとキリストに関する歴史的証言を通して信じることが求められている。私たちにとっては、それは、キリストを証することがテーマとなっているみことばを信じる信仰となるわけである。思えば、私たちは、聖書を通して、キリストを見ずに信じる幸いに与ってきた。

第一ペテロ1章8~9節にはこうある。「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄に満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです」。私たちは、キリストを見てはいないけれども、みことばを通してキリストを救い主として、生ける神として信じた。それは単に知的同意ではない。キリストへの人格的信頼である。トマスも、その人格的信頼をもって、「私の主。私の神。」と告白した。そして、彼にも他の弟子たちと同じく、喜びと平安が宿ったであろう。

疑い深いトマスの「私の主。私の神。」という信じた告白が、この福音書のクライマックスに位置づけられているのは偶然のことではない。ヨハネは、この福音書の執筆目的をはっきり書いている。「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じていのち(永遠のいのち)を得るためである」(31節)。私たち一人ひとりが疑い深いトマスとして、この福音書を丁寧に読んでいくなら、「私の主。私の神。」という告白に行き着くはずである。いや、そうあって欲しいと執筆者は願っている。キリストご自身が「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」と、未来の者たちも視野に入れて語ってくださっている。思えば、この私も、ヨハネの福音書を通して見ずに信じるに至った。ひとりでも多くの方が、ヨハネの福音書をはじめとするみことばを通して、見ずに信じる幸いに与っていただきたいと願う。みことばは真理、キリストは真理である。すでに信じているという方は、信じ続けていただいたいと思う。27節後半の「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」は、次のように訳すことができる。「信じないままでいることを止め、信じる者となり、信じ続けなさい」。

最後に、主の日の礼拝について、少し付け加えさせていただきたいと思う。ご存じのように、公けの礼拝は週の初めの日である日曜日に開催されている。日曜日でなくて構わないという意見もある。土曜でも、月曜でもいいじゃないかと。しかし、主は秩序を重んじられる神である。主キリストは週の初めの日である日曜日によみがえられた。キリストは、よみがえられた日曜の朝に、マグダラのマリヤたちによって礼拝されている。「彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ」(マタイ28章9節)。以前お話したように、「拝んだ」は「礼拝した」と訳されていることばである(同17節)。同日、日曜日、キリストはエマオの途上のふたりの弟子にご自身を現わされる。この時、キリストは、パンを取って祝福し、パンを裂いて渡されるという、言わば聖餐の行為に出ておられる(ルカ24章30節)。同日、夕方、使徒たちの前に出現し、旧約聖書のみことば通して、神の救いの計画を解き明かされている(ルカ24章44節~)。そしてキリストは翌週の日曜日を選んで、再び、弟子たちの前に出現される。それが今日の場面である。この日、「私の主。私の神。」という信仰告白も生まれている。週の初めの日の日曜日は、礼拝のために取り分けられた日なのである。週の初めの日にキリストは復活し、この日に、礼拝行為があり、聖餐があり、みことばの解き明かしがあり、信仰告白があったのである。初代教会はこの日を礼拝の日として守った。「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった」(使徒20章7節)とは、日曜礼拝の記述である。私たちは、週の初めの日であるこの日、復活の主の臨在が礼拝の場に豊かにあることを願いながら、共に礼拝をおささげしたいと思う。週の初めの日という日曜日にスケジュールを調整しなければならないということで、時に犠牲を伴うことがある。しかし、自分の都合中心で、何の犠牲も伴わない余暇に礼拝をささげればいいというのは違うと思う。神さまという存在は余りの時間にお付き合いすればいいお方なのだろうか。暇な時に向き合えばいいお方なのだろうか。週の初めの日に礼拝するというのは、神さまを優先順位として第一に位置付けている証である。それこそ、私たちの信仰姿勢が問われる。私たちは、「私の主。私の神。」という告白をもって、共に主の日に、主イエス・キリストと会見し、新しい一週間を始めたいと思う。