前回は、キリストが十字架上で「完了した」と言われて、ご自身の救い主としての務めを全うされ、贖いのみわざを完了され、父なる神に霊をゆだねられた記事まで見た。今回は、死後の後処理の記事となるが、不思議なことに、キリストは死んで、ご自身としては何もできないのにもかかわらず、遺体処理を通しても、ご自身が救い主であり王であるということを証されているのである。著者ヨハネは、そこに着目させたいのである。

記事の前半(31~37節)はヨハネの福音書独特の記事である。キリストが亡くなられたのは「備えの日」(31節)とある。安息日の備えの日、すなわち金曜日である。またカッコ内に「その安息日は大いなる日であったので」とあるので、過越の祭りと関係していることがわかる。31節を見ると、ユダヤ人たちは、死体を十字架の上に残して置かないようにピラトに願い出たことがわかる。

ローマでは十字架刑で死んだ囚人は見せしめのために、そのまましばらくの期間、野ざらしにされる。ところがイスラエルでは、律法によると、それは許されていない。「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである」(申命記21章22,23節)。そして、特にこの日は安息日の前日である。安息日は金曜日の日没から始まる。もうそんなに時間は残されていない。

十字架刑は死の苦しみを長く味わわせる刑なので、二、三日かかって死ぬこともあった。けれども、早く死なせなければならない場合の処置として、すねを折るということがあった。そうすると体を支えきれなくなって、すぐに窒息死するわけである。兵士が大きな木槌や槍の鉄の矢柄の部分を使って、ボキッと折るわけである。この処置がキリストとともにつけられた二人の囚人に施された。ところが、キリストは33節にあるように、すでに死んでいると認められたので、すねは折られなかった。キリストの死が通常の囚人と比べて早かったというのは、キリストが私たちの罪を負い身代わりに裁きを受けるということが、どれほど過酷なものであったかを物語っていると思う。キリストは私たちが受けるべき神の御怒りの杯を一滴残らず飲み干してくださった。それは、キリストに計り知れない打撃を与えた。

兵士はキリストが死んでいることが認めたが、早すぎるという感想は抱いたはずである。マルコ15章44節では、「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて」と言われている。兵士たちは死を見届けるという任務遂行のために、念のためということで、34節にあるように、キリストのわき腹を槍で突き刺す。「しかし、兵士たちのうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出てきた」。「わき腹」とはどの辺りだったかと言われているが、心臓付近であったことはまちがいないと思われる。キリストは気絶していただけで死ななかったという人がいるが、たとい兵士たちの判断ミスですねは折られなかったとしても、槍で突かれて、なお生きていられる人はいない。キリストは確かに死んだのである。35節では、私ヨハネがその目撃者であると、キリストの死は確かであったことを強調している。

さて、わき腹を刺して出て来た血と水とは何だろうか。「血と水が出て来た」という特徴的な描写は、キリストが死んだことを証すること以上の目的がある。そのことを考える前に、物理的にというか医学的に、「血と水が出て来た」ということはどういうことなのか推定してみよう。幾つかの見解があるが、例えば、キリストは心臓が突然に破裂して死んだという説がある。心臓破裂の結果、血と血清に分かれて胸にたまり、その部分を槍で突いたために、「血と水が出て来た」ということではないだろうか、という説である。また、次のような説がある。こちらが現実的かもしれない。死ぬ間際は心機能不全を起こす。この結果、心臓の周りには心嚢水という液体がたまり、肺の周りには胸水という液体が溜まる。槍が心臓に到達していれば、槍を引き抜く時に、これらの液体と血が出て来る。真実は、今述べた、心機能不全から来る後者であったかもしれない。いずれ、私たちは血と水という描写で、医学的な関心で終わるべきではないだろう。ヨハネは、この「血と水」を何かのシンボル的に用いていると思われ、そちらに、より関心を向けるべきである。「血」は聖書において、罪を赦すために流されるもの、罪を贖うために流されるもの、である。ユダヤ人であればだれでもそう受け取る。では「水」はどうだろうか。水はきよめのシンボルとしてよく知られていた。だから、水でバプテスマを授ける習慣があった(1章26,31節等)。またキリストは水と聖霊をリンクさせている。ニコデモとの対話で、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国を見ることができません」(3章5節)。聖霊は神のいのちを与える霊である。キリストは聖霊に関して、「生ける水の川」という表現もとっている(7章37~39節)。以上のようなことから、水はきよめのシンボルというだけではなく、聖霊によって与えられるいのちのシンボルでもあることがわかる。私たちは「血と水」と聞くと、聖書から、「罪の赦し、贖い、きよめ、いのち」、こうした神の恵みをイメージするのだが、まさしくキリストは、こうした恵みを与えてくださる救い主なのである。そのことが自然と証されている。

ヨハネは、兵士たちの一連の行為に、聖書の預言の成就も見ている。「この事が起こったのは、『彼の骨は一つも砕かれない』という聖書のことばが成就するためであった」(36節)。過越の子羊に関する律法にこう記されている。「その骨を折ってはならない」(出エジプト12章46節後半)。ユダヤ人がささげてきた過越の犠牲とは、神の子羊なるキリストが十字架で血を流し、贖いのみわざを成し遂げる型であったわけだが、キリストは骨を折られない過越の子羊であることが証されたわけである。まさしくキリストは、バプテスマのヨハネが告げたとおり、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(1章29節)であられた。そして、すねが折られないということにおいて、詩篇のメシヤ預言が成就した。「主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない」(詩篇34編20節)。兵士たちが着物をくじで分けるという行為も預言の成就であったが、すねを折らないという行為も預言の成就となった。神さまの御手は十字架をめぐる細かな事柄にも働いていた。何気ない兵士たちの行為も、神の御手のうちにあった。さらに、もう一つの預言が成就した。「また聖書の別のところには、『彼らは自分たちが突き刺した方を見る』と言われているからである(37節)。これはゼカリヤ書12章10節の引用である。「私は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」。これは、黙示録1章7節にも登場する表現である。「見よ。彼が雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸部族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン」。救い主を釘付けにしてしまう、槍で突き刺してしまう、そうしたことを後悔し、嘆く日が訪れるというのである。

では、後半の記事を見よう。前半は、いわば敵たちによる処理であったが、後半は、味方による処理である。

死刑囚のために、囚人用の墓というものはあったが、大罪人の場合、野ざらしにされて、鳥や野良犬の餌になることもあった。けれども、キリストの場合、こうしたみじめな処理はまぬがれた。王のような埋葬に与った。キリストが生前、こうしてくださいと十二弟子たちにお願いしていたことではない。だいいち、弟子たちは捕まえられるのを恐れて、散り散りになってしまっていたし、弟子たちに仮に遺体を引取る勇気があって、それが奇跡的にかなったとしても、十字架につけられた場所から近い、その日のうちに葬ることができる墓を所有しているわけがない。彼らの多くはガリラヤ出身であった。もし所有していたとしても、救い主にふさわしい墓を所有しているとは到底考えられない。しかし、この葬りにも神の御手は働いていた。なんとキリストを殺す計画を立てていた国家の中枢機関、最高法院サンヘドリンの議員の一人が、キリストの遺体の後処理をピラトに申し出た。彼の名前は、アリマタヤのヨセフである(38節)。彼はいわば国会議員であるわけだが、マルコ15章43節では「有力な議員」と紹介されている。彼はその地位のゆえにピラトに会うことができた。彼はどうやら隠れ信者であったようである。「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」と紹介されている。隠していた彼が、キリストの死に際して、大胆な行動に出た。ピラトから遺体の下げ渡しの許可をもらえるだろうかと不安はあったと思うが、彼は賭けに出た。彼はピラトから許可を得ると、「イエスのからだを取り降ろした」。キリストのからだを十字架から取り降ろした中心人物が彼であったようである。もう彼は隠れてはいない。もちろん、この行為に出たのは、埋葬の当てもあってのことである。彼はマタイ27章57節では「金持ち」と言われているが、その日のうちに埋葬できるりっぱな墓を刑場の近くに所有していた。神の摂理の御手が働いていいた。そしてキリストの埋葬を、もう一人の隠れ信者が手伝った。ユダヤ人の指導者のひとりニコデモである(39節前半/3章参照)。彼も人の目、地位、そうしたこだわりは捨てて、キリストの埋葬の行為に出た。

ヨハネの葬りの記事の特徴は何かと言うと、キリストを王として描いているということである。それが分かる幾つかの表現がある。一つは、アロエを混ぜた没薬が、およそ「三十キログラム」も用いられたということ(39節)。これらも香料の一種であるが、没薬はエジプトのミイラ作りには欠かせなかったものである。ヨハネは米一俵分もの没薬が使用されたということにおいて、王のような葬りであることを示している。十字架につけられた犯罪人が、このような扱いを受けたという事例はない。次に、墓の場所である「園」に注目してください(41節)。園の中に葬られるという記述は、旧約聖書では王様に対してだけのものである(第二列王21章18,26節)。園は悪人が葬られる場所ではない。よって、園はキリストにふさわしい埋葬場所である。キリストはまさしく王である。キリストの十字架上の罪状書き「ユダヤ人の王」という事実は、葬りでも証されている。さらに、「まだだれも葬られたことのない新しい墓」という表現にも目を留めていただいきたい(41節)。これは岩をほって造った墓であるが、「まだだれも葬られたことのない新しい墓」ということにおいて、王にふさわしい墓であるということが証されている。使い古しの墓ではない。誰かが入っている墓ではない。王のために取り分けられていた墓というイメージである。ヨハネは終始、十字架裁判においても、埋葬においても、キリストは王であるということを証しようとしている。

今日の記事から、キリストは死んで遺体となっても救い主であることが証され、王であることが証されたことをご一緒に見た。キリストは息を引き取られたわけだから、キリストの側で操作は一切できない。キリストは、すねは折られず、わき腹を槍で突き刺されることにより、聖書のメシヤ預言は成就し、血と水を流すことによっても、救い主であることが証され、園の埋葬においては、救い主は王であることが証された。聖書を丁寧に読めば、ナザレのイエスは大罪人であると判断できないし、ただの善人という判断もできない。ヨハネは、そのように判断をさせるつもりはさらさらない。本日の記事を通して、キリストは救い主であり王であるという確信を、さらに強められる。

また今日の記事から二人の隠れ信者が自分の立場を公にする姿を見ることができたわけだが、何か、すがすがしい思いにさせられる。しかし対面したキリストの遺体は悲惨な有様であったわけである。頭から顔面にかけて、茨の冠の傷で血だらけ。肩から背中にかけて、また足は、鞭打ちで傷だらけ。手足は太い釘で打たれた後の傷が。そして脇腹は槍の刺し傷の後。こうして全身、傷だらけ、血だらけになったキリストの遺体を引取った。十字架につけられたキリストを愛し、誇りに思う精神がなければできないことである。私たちも、十字架につけられたキリストを誇りとしたいと思う。

さらに今日の箇所から、私たちも死んでも証にならなければならないのだと思わせられる。自分の遺体の処置や葬儀について思い巡らしてみるのも良いことである。こうしたすべてのことも、キリストに栄光をお返しするためである。

キリストに栄光がとこしえにあるように。アーメン。