二千年前まで呪いのシンボルでしかなかった十字架は、キリストによって、愛やいのちといったシンボルに変わってしまった。これほどまでにシンボルの意味が逆転した事例はない。なぜ十字架の意味することが変わってしまったのかというのなら、そこにキリストがついたからである。

今日は、キリストが十字架につけられる場面から教えを受けたいと思う。ユダヤ人たちは裁判の席についたローマ総督ピラトの前で、「十字架につけろ」と狂い叫び、ピラトは、彼らの声に押し切られることになってしまう。ピラトはキリストの無罪を個人的には確信しつつも、暴動になることを恐れてしまった。そして、ユダヤ人たちから、自らを王とする者を釈放するならローマ皇帝にそむく者だと脅され、撃沈してしまった。彼は、自らの良心にそむく判決を下してしまう。キリストの十字架刑は確定してしまった。こうしてキリストは、当時、最も残酷な処刑法として知られていた十字架刑に服することになる。人の罪の力と悪魔の力は結集してキリストに襲いかかり、キリストは十字架にはりつけにされ、残酷な死を遂げることになる。これが人類の救いの手段になると誰が想像しただろうか。これが人類の救いの手段となるのだとするなら、それは神のあわれみでしかない。

十字架はX 型やT型もあったが、通常は✝型で、19節に「罪状書き」とあるが、囚人の名前と罪状を掲げるのに、♰型は都合が良かった。囚人はまず、自分がつく十字架の横木を背負って、刑場へと向かう。他の福音書では、途中、クレネ人シモンがかつぐことが記してあるが、ヨハネは、「イエスはご自分で十字架を背負って」(17節)と、キリストが十字架を背負った事実そのものに注意を向けさせている。かつて信仰の父祖と言われるアブラハムは、息子のイサクを伴い、全焼のいけにえをささげるためにモリヤの地に向かった(創世記22章)。モリヤの地とは、今のエルサレムのことである。全焼のいけにえとなるのはイサク本人であった。全勝のいけにえにはたきぎが必要である。イサクは全焼のいけにえのためのたきぎを自ら背負っていた。アブラハムは現地に到着すると、祭壇の上にイサクをささげる。イサク本人もそれに従ったのである。最終的に、神は雄羊を代わりにささげるように取り計らってくださったが、この物語はキリストの十字架刑を指し示している。キリストは世の罪を取り除く神の子羊として、十字架の木を背負い、十字架の祭壇に自らをささげようとされていた。

刑場は「『どくろの地』という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)」(17節)だった。この地は「ゴルゴタ」という言い方だけではなく、「カルヴァリー」という言い方もされる。「どくろ」をラテン語に訳して<カルヴァリア>となり、そこから英語で<カルヴァリー>ということばが生まれた。いずれにしろ、「どくろ」とは、少々気味の悪い名称である。「どくろ」とは頭蓋骨のことである。なぜ、このような名称となったのかは定かではないが、丘の形状がどくろを思い起こさせたとも言われている。場所もはっきりわかっていないが、伝承としては、今のエルサレム市内にある聖墳墓教会の場所と言われている。

ゴルゴタにつくと、キリストは十字架につけられた(18節)。囚人は裸にされ、地面に仰向けに寝せられ、両手の手首を十字架の横木に釘付けにされる。次に足という順番であったが、横木に釘付けした後、あらかじめ地面に立てられていた縦木に、そのままつり上げ、固定し、最後に足留めということもあったようである。地面からずいぶん高い位置につけられている絵画や映画の場面があるが、29節にあるように、酸いぶどう酒を枝につけて差し出すと口元に来る高さだったので、地面から、それほど離れた高さであったわけではないようである。刑の執行者たちはローマ兵である。

キリストはもう二人の囚人といっしょにつけられたようで、その位置は真ん中であった(18節後半)。端ではなく真ん中というのが意味深長である。罪人たちの仲間として、罪人の代表として十字架についたという印象をもつ。ルカ23章後半では片側の囚人が回心し、もう片側の囚人はそうではなかった物語が記されているが、キリストの十字架の位置は罪人の運命を二つに分けてしまう位置でもあった。

ここからヨハネ独特の記事となる。まずは罪状書きについてである(19~22節)。ヨハネは罪状書きを巡る記事を詳述している。罪状書きは「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」であった(19節)。囚人の名称は「ナザレ人イエス」、これに問題はない。ユダヤ人たちは「ユダヤ人の王」と書かれたのが気に入らなかった。しかも、これが20節にあるように、「ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語」の三ヵ国語で記されていたから始末が悪い。エルサレムは過越の祭りが祝われていたために、世界中の民族が集まっていた。十字架刑は公開処刑なので、誰でも見ることができた。ユダヤ人たちは、この罪状書きをユダヤ人にも異邦人にも誰にも目にしてほしくない。ピラトは、公開処刑なので誰でも読めるようにと三ヵ国語にしたと思われるが、ヨハネはすべての人に知らしめるスタイルを明記することによって、イエス・キリストは確かにユダヤ人の王であり、そしてユダヤ人だけではなく世界中の人々の王であることを世界に発信したかったのだと思う。18章の裁判の場でも、王という表現が飛び交っていた。ヨハネの福音書の特徴はキリストを王なるメシアとして描くということにある。ピラトが書いた罪状書きが気に入らなかったユダヤ人たちは、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と頼んだ(21節)。これまで、ユダヤ人たちの圧力に屈してきた彼であったが、ここでは毅然とした態度をとる。「私が書いたことは私が書いたのです」(22節)。同じことばを二度繰り返す表現となっているが、相手の抗議を断固として拒否する言い回しである。

こうして王の受難が全世界に証されることになる。十字架についたのは王であられた。先の裁判でのやりとりを振り返ろう。「そこでピラトはイエスに言った。『それでは、あなたは王なのですか。』イエスは答えられた。『わたしが王であることは、あなたが言うとおりです』」(18章37節)。キリストはユダヤ人の王ということのみならず、全世界の人の王である。ただ、キリストが王として治める国はこの世と性質を異にするということであった。「わたしの国はこの世のものではありません」(同36節)。キリストは神の国の王であられる。以前お話したように、ヘブル語の「国」<マルフート>は、「王」<メレフ>と語根を同じくする。つまり、聖書において「国」とは「王国」を意味し、「王の支配」の概念が強いことばである。神の国とは「神が王として支配する国」ということであり、主イエス・キリストがその王であるということである。キリストは民族主義国家の王ということではなく、神の国の王、御国の王であられる。王なるキリストは今、宮殿の王座に座しているのではない。かつて栄華を極めたソロモン王は象牙で作った王座に座った。そこには純金が被せられていた。だが、キリストが今いるのは、荒削りの十字架の上、血塗られた十字架の上である。そこに釘付けにされている。そこは名誉と権力の象徴の王座ではなく、地上で最も卑しい場所である。呪われた場所である。人々の罵声を浴び、虫けら扱いされる場所である。キリストは私たちの罪の身代わりとなるべく、この十字架につかれた。キリストの頭にあったのは宝石の王冠ではなく、茨の冠という王冠である。茨も呪いの象徴である。キリストは私たちの罪のために呪われた。父なる神は、このキリストを自分の王と信じ受け入れる者たちを、御国の国の民としようとされたのである。

次にヨハネは、兵士たちがキリストの着物を分ける場面を詳述しているが、これもヨハネ独特の記事である(23,24節)。当時、囚人を十字架につけた兵士たちが、囚人の着物を分ける習慣があったようである。まず上着を四つに分けたようである。兵士が四人いたからということらしい。この四つに分けるとはどういうことなのか、二つの考え方がある。一つは上着を縫い目に沿って四分したという説。けれども、そんな引き裂いたものをどうするんだということで、「着物」と訳されていることばが複数形であることに着目し、上にまとう四つの部分、着物、帯、ターバン、サンダルを四人で分けたという説も唱えられた。しかし、最初に述べたことが順当のような気がする。

次に下着をということであるが、下着は縫い目なしの一つに織ったものであった。縫い目がなく、頭から被るという、現代人からしてみれば、不思議な下着である。それでくじ引きをしたというのである(24節前半)。ヨハネは、これが詩篇に記されている預言の成就であることに着目させている。「それは、『彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの着物ためにくじを引いた』ということが成就するためであった」(24節後半)。これは詩篇22編18節である。開いて確認してみてください。「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」。詩篇22編自体、メシア預言が多く含まれているので、後でゆっくり味わってください。このような、くじで分け合うという小さな行為も、預言として成就しているのである。兵士たちは、もちろん、そのようなことに気づいてはいない。キリストは、これが預言の成就の一つであると、十字架の上から見ておられた。ヨハネは、十字架の下での小さな動作も預言として成就したということを記述することによって、キリストの十字架刑は確かに神のご計画のうちにあったこと、またキリストこそメシアであることを証したいのである。

ヨハネは一つ一つの記述に深い意味をもたせる傾向にあるので、世々のクリスチャンたちは、これが詩篇の預言の成就ということだけではなく、縫い目のない下着そのものにも意味をもたせているのではないかと考えた。主要なものには二つある。一つは頭からすっぽり被る縫い目のない下着は、キリストが大祭司であることの象徴であるというもの。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、大祭司の服は、上から下まで一つに織られていて、頭を通すだけの丸い穴が開いていたことを証言している。メシアとは王であり、祭司であり、預言者でもあるというのは常識であるので、このような説が生まれた。また、引き裂かれなかったこの下着は、教会は一つであることの象徴であるというものもある。3世紀のキュプリアヌスが唱え始めたものである。教会は一つであり、教会を引き裂くことの愚かさが暗示されているというわけである。これらの解釈が許されるかどうかはわからないが、はっきりしていることは、ヨハネは、預言の成就に心を留めさせたいということである。H.P.リドンという預言について研究した聖書学者がおられた。この学者はキリストに成就した預言は332あると発表した。さらに、これらすべてがどれだけの確率で成就するのかを計算した。分数で公表したのだが、何分の一ということになる。分子が一で、では分母がいくつになるのかということだが、言葉では表現しづらい数字で、84の次にゼロが97個ある数字。それ分の一である。確率としては天文学的で、気が遠くなるような数字だが、成就したということである。まさに神業である。キリストの預言の成就は、十字架の場面でまだまだ続く。

クリスチャンの方は、「兵士たちがある意味うらやましい。上着も下着も私がもらいたかった」と言われるかもしれないが、ガラテヤ3章28節には、「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです」とある。キリストはそのために裸となり、私たちの罪を負い、身代わりとなってくださった。今、私たちは、キリストの十字架のみわざのゆえに、罪を赦され、キリストの義をまとっているのである。

私たち人類が自分たちの救いのためにキリストに対して何か良いことをしたかというと、何もしていないことを覚えたい。十二弟子たちでさえもキリストを見捨てた。ユダヤは国家を挙げて殺害計画を企てた。処刑する権威のある裁判官も正義を曲げて判決を下してしまう。群衆はキリストに憎しみのまなざしを向け、「十字架につけろ」と怒号を挙げ続けただけである。キリストに残酷な死しか望まなかった。十字架に見出されるのは、人の罪と悪だけである。この世は、明確に救い主の存在を拒絶したのである。血を流して殺すという罪を働いたのである。しかし、それを神さまは救いの手段に変えてしまわれたのである。驚くべき神の恵みとしか言いようがない。

次回、十字架上の七つのことばから、幾つか学ぶが、十字架上の第一のことばは、ルカ23章34節に記されている「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです」であった。このことばは、直接的には、自分を十字架につけた兵士たちに向けられたものであった。この第一のことばの辺りで、兵士たちはキリストの衣を分ける行為に出ている。兵士たちは後に救われたのだろうか。ローマ皇帝カイザルこそ王である、そして神であるという教育を受け、忠誠を誓ってきた彼らであったが、ナザレ人イエスは王なるメシアであると信じることができたのだろうか。では、私たちはどうなのかと問われるわけである。

絶対王政の時代は終焉した時代に私たちは生きている。王室のある国はあるが、王本来の権威はない場合が多い。国の象徴的存在として敬われるだけである。だが、もともと王とは最高権威者であり、神のように敬われ、服従すべき存在なのである。この世は、裸にされ、十字架につけられ、呪われた人物が王であるべきではないと判断したいわけだが、ピラトは、罪状書きに「自称、王を名乗った」と書くことを許さなかった。神の御手が「自称」と書くことを許さなかった。キリストはまことに王であられるからである。十字架につけられた裸の王様、しかし、私たちは、このお方を神の国の王、全地の王、王の王、主の主としてあがめ、従っていきたいと思う。