前回からキリスト裁判に入った。キリストは被告人である。本来なら、裁判官の席に座るべきお方である。その訴状は死に値するというものである。全くの不埒な裁判である。前回はユダヤ側での裁判について見た。ヨハネの福音書ではユダヤ側での三回の裁判のうち、アンナスの前での裁判がクローズアップされていた。アンナスは大祭司一族のボスであった。アンナスの娘婿のカヤパがその年の大祭司であった。ユダヤ側で死刑の判決を下したのはこのカヤパである。今日はローマ側での裁判である。

「さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった」(28節)。「総督官邸」とは、ローマ総督ポンテオ・ピラトの官邸である。ヨハネ福音書の特徴の一つとして、ピラトの前での裁判の様子を詳しく描いているということがある。今日は、その前半を見たい。ローマ総督というのは、ローマの行政長官である。ピラトはローマ皇帝カイザルからユダヤ州に派遣された第5代目の総督である。キリストはピラトが住む「総督官邸」<欄外註:プラエトリウム>に連れて来られた。ピラトは、通常は地中海沿岸にある港町であるカイザリヤの官邸に住んでいた。しかし、祭りの期間や、その他の所要で、エルサレムに滞在しなければならない時は、エルサレム神殿の西側にあるヘロデの宮殿を官邸として使用していた。ところが、キリストが捕らえられた過越の祭りの時には、ガリラヤとペレヤの領主ヘロデ・アンティパスが宮殿を滞在場所としていたので、ピラトはこの時、神殿の北西角のアントニヤ城塞を官邸として使用していたのではないかと言われている。アントニヤ城塞は町の防備のために造られたものであるのであるが、このアントニヤ城塞から、キリストを捕まえるローマの歩兵隊がゲッセマネの園に向かったようである。キリストの十字架刑が確定する裁判も、このアントニヤ城塞で開かれたと思われている。

連れて来られた時間帯は「明け方」とある。前節では、ペテロの否定とともに鶏が鳴いたことが記されている。鶏は時を告げる鳥である。ローマ時間で第三時は「鶏の声」と呼ばれていた。第三時とは零時から午前3時である。鶏は夜が明けない午前3時かその前あたりに鳴いたと思われる。そして「明け方」とは第四時を意味する。それは午前3時~6時の時間帯である。早朝の6時頃には官邸に連れて来られ、そして審議が始まったものと思われる。こんな時間帯に審議と思われるかもしれないが、ユダヤ側としては早くしなければならない事情があった。この日にキリストを処刑にしてしまわなければ安息日がすぐに来てしまうわけである。余裕はない。また、ローマの役人の執務の時間帯は午前中であった。早朝に始まり(場合によっては夜が明ける前)、午前10~11時に終了したと言われている。ローマ側としても早い審議自体は問題がない。

キリストを連行したユダヤ人側は「官邸に入らなかった」ことが言われている(28節後半)。異邦人の家に入ると儀式的な汚れを受けると信じていたからである。むろん、このようなことを是認する旧約聖書の戒めはない。彼らの拡大解釈にすぎない。彼らが官邸に入らないものだから、総督が外に出て来るしかない(29節)。

ユダヤ人は嫌いな異邦人の住居にまで赴いた理由は、何としてもキリストを処刑にしてしまいたかったからである。処刑にしたければ自分たちの手で処刑にしてしまえば良かっただろうと思う私たちである。けれども、そうしなかったというか、そうならなかったのには、幾つかの理由がある。前にも述べたように、この頃、ユダヤ政府は行政力を奪われていた。被告が大祭司のもとで死刑判決が下っても、その認証を受けるためには、ローマ総督に引き渡たし、そこで死刑の判決を下してもらわなければならなかった(31節後半)。場合によっては逆転判決も有りえた。ユダヤの法では自分を神としたというだけで死刑の判決となるが、ローマの法では自分を神としただけでは死刑にできない。だから、政治的理由も訴状に付帯しなければならない。ユダヤ人たちは、キリストはユダヤ人の王だと自称してローマに反逆しようとしていると訴えて、死刑判決を願った。けれども、例えば、使徒の働きを見ると、ステパノなどは、ユダヤ人たちの手によって石打ちで処刑されたわけだから、キリストをわざわざローマ総督の手に引き渡さすことなく、自分たちの手で石打ちにすればよかったのではないかという疑問も持つわけである(使徒7章58~60節参照)。ローマ側も、宗教的問題であったなら、自分たちの律法に従って裁きなさい、と突き返すことができた。実際、ピラトはそうしようとした(31節前半)。ユダヤ人たちが自分たちの手でキリストを処刑したとしても、ローマ側は片目をつむっただろう。しかし、一つの問題があった。この時、キリストの人気はラザロの復活を機に、民衆の間で非常な高まりを見せていた。実際、キリストは、歓呼の声を浴びながらエルサレムに入城したわけである。国家の最高法院、ユダヤの立法府であるサンヘドリンは、キリストの人気に非常な焦りを見せていた(11章47節)。過越しの祭りにはたくさんの民衆が上って来ていた。彼らはローマの手からユダヤ人を解放するメシアを待ち望んでいた。このような不安定な国内情勢において、自分たちの手で始末しようと図るのは得策ではないと判断したのだろう。大暴動が起きる可能性がある。自分たちの身も危なくなる。

また、預言の成就という観点からしても、十字架刑となることが必然だった。「これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった」(32節)。キリストは弟子たちに対して、ご自分が十字架につけられることを話してこられた。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者に引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるために異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります」(マタイ20章19節,ヨハネ3章14節参照)。ユダヤの処刑法に十字架刑はない。あるのは石打ちである。ユダヤ人たちはこれまで、何度かキリストを石打ちにしようとしてきた(8章59節、10章33節)。けれども、父なる神ご自身がこれを許されなかった。それは過越しの祭りの日に、世の罪を取り除く神の子羊として、十字架の上に上げられなければならなかったからである。

33節から官邸での審問が始まる。ピラトはキリストが公生涯が始まる前からローマ総督の地位に就いていたので、書記官などの官僚から、キリストの活動、そのメッセージを聞いていたことだろう。ローマ側において、キリストの活動をローマへの反逆として受け止め、取り締まってきたという記述はない。キリストはローマへの納税の問題で罠にはめられそうになった時、「カイザルのものはカイザルに返しなさい。神のものは神に返しなさい」(マタイ22章21節等)と知恵を示し、ローマへの反逆を否定された。ピラトは審問前から、イエスという人物はローマに反逆する意志はなく、ただユダヤ人たちのねたみによって引き渡されたのだと知っていただろう。ピラトはキリストを前にして何を感じただろうか。キリストに清廉潔白さを感じただけでなく、神的なものを感じ、威厳を感じ、畏怖の気持ちさえ抱いたのではないだろうか。キリストをゲッセマネの園で捕らえにきた兵士たちは、キリストの威厳の前に、地に倒れた(18章6節)。ピラトもその威厳を感じただろう。彼はキリストを前にして、聖なる瞬間を味わっただろう。

ピラトはこの審問で四つの質問をしている。第一の質問、「あなたはユダヤ人の王ですか」(33節後半)。この頃、ユダヤ人の王はいなかった。キリストが処女降誕された当時、ヘロデ大王がユダヤを治めていた。しかしヘロデ大王が死ぬと、彼らの息子たちは「領主」(国主)に格下げされた。こうして、王が認められない状況下にあって「ユダヤ人の王」と主張するとすれば、それは問題である。キリストは、そのようなことは誰が言っているのですかと、逆に問い返している(34節)。ピラトは、引き渡した人たちです、と答えている(35節前半)。第二の質問、「あなたは何をしたのですか」(35節後半)。ピラトには、ローマの反逆者扱いされるような点は見受けられないのに、という思いがあったと思う。キリストはピラトの質問に直接的には答えず、深遠な返答をされている(36節)。「わたしの国はこの世のものではありません」。キリストは、「わたしの国はこの世に起源はない。武力で治めるようなこの世の国に属してはいない。わたしの国は全く性質を異にする」。このように主張されることにより、政治的反逆者であるかのような訴えも、裁判も筋違いであることを暗に告げられている。第三の質問、「それでは、あなたは王なのですか」(37節前半)。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです」(37節後半)。だが、キリストはローマの軍旗を一掃し、ローマを剣で打ち破り、剣で帝国を築き上げるという民族国家の元首ではない。キリストは天に起源をもつ神の国の王なのである。そして、キリストは一民族のための王というのではない。ユダヤ人の王であることには間違いないが、すべての民族の上に立つ王なのである。ユダヤ人、異邦人問わず、すべての人の上に立つ全世界の王なのである。そして、繰り返し述べるが、キリストは剣によって帝国を築き、剣によって帝国を守る王ではない。キリストはそのような国の王ではない。キリストは神の国の王である。この神の国は治める原理がこの世のそれとは異なる。それは剣ではなく真理のみことばなのである。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」(37節後半)。かつて、このような王がいただろうか。キリストの王としての武器は剣ではなく、真理のみことばである。国を治める原理がこの世とは全く異なる。キリストはゲッセマネの園の捕縛の場面で、剣を抜いたペテロに対して、「剣をさやに収めなさい」(18章11節)と言っている。キリスト者たちも剣をさやに収め、真理のみことばを武器とすべきである(エペソ6章17節)。

第四の質問、「真理とは何ですか」(38節前半)。もう、ここまで来ると、裁判官としての審問というよりも、個人的インタビューである。ピラトの歴史文献に残るローマ総督としての行状を見ると、決して良い記録はない。けれども、この場面で、キリストに畏怖の念を抱き、会話の流れの中で、思わず、「真理とは何ですか」と口にしてしまった。この質問は、全人類が持たなければならない質問であるはずである。真理とは永遠に揺るがざる真実である。真理は人に隠されておらず、開かれている。キリストが語られた神のことばが真理であり、キリストご自身が真理である。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14章6節)。ピラトは真理であるキリストを目の前にしていた。答えを目の前にしていた。ピラトは裁判官でありながら、もはや、気持ち的に、キリストの上に立ってはいない。裁判官として裁く立場でありながら、気がつけば、一人の土くれとして聖なるキリストに対峙していた。彼はユダヤ人のところに再び出て行って、「私は、あの人には罪を認めません」と告げる(38節後半)。これが第一回目の裁判である。予備的審問である。

ローマ側での裁判は、予備的な審問を含めて三回の裁判である。今見てきたものが第一回目である。キリストはこの後、ヨハネの福音書には記されていないが、第二回目の審問として、ガリラヤとペレヤの国主であるヘロデ・アンティパスのもとに送られる。キリストがガリラヤ出身だったからである。ヘロデ・アンティパスの前での審問はルカによる福音書23章6~12節に記されている。ヘロデはこの時、祭りのためにエルサレムに上って来ていた。初めのほうで述べたように、神殿の西側のヘロデの宮殿に滞在していたものと思われる。このヘロデもキリストに接見して、ローマに対する反逆の罪を見出せなかったようである。

キリストを釈放したいピラトは、ユダヤ人側に一つの提案をしている(39節)。当時、過越しの祭りに、要求のあったひとりの犯罪人を釈放するのが習わしだったようである。祭りの恩赦である。ピラトはキリストの釈放を提案する。「あなたがたのためにユダヤ人の王を釈放しましょうか」というのは、ピラトのユダヤ人たちに対する皮肉的な表現となっている。ユダヤ人にとって期待する「ユダヤ人の王」とは、ローマ人の手から、武力と権力で祖国を奪回してくれる人物。けれども、キリストにその意志はない。キリストは政治的陰謀を企てる意志はない。ピラトはそれを念頭に、「あなたがたのためにユダヤ人の王を釈放しましょうか」と問いかけている。釈放しても、ナザレ人イエスはローマに対して暴動を起こさないとわかっていての発言である。そして残念ながら、ユダヤ人たちが釈放を要求した人物はキリストとは真逆の人物で、しかもローマにとっては危険人物だった。「すると彼らはみな、また大声をあげて、『この人ではない。バラバだ』と言った。このバラバは強盗であった」(40節)。どうせ釈放を要求するなら、もう少しましな人物を要求すればいいのにと思うが、これが罪人の世界の現実である。「バラバは強盗であった」とあるが、ルカは「都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入っていた者である」(ルカ23章19節)と説明している。彼は右翼のリーダー角の一人なのだろうか。新改訳2017の「強盗」の欄外註を見ると「扇動者」とある。彼は単なる強盗ではないようである。殺人も犯した政治犯で、危険分子のようである。人は自分たちの利益にプラスに働くとわかれば、ある意味、相手がどんな人物で、どれほど罪深いかは関係ない。彼らが釈放を願い出たバラバとは、彼らの罪と欲望を人格化したものとも言えよう。彼らにとって聖なるキリストは邪魔でしかない。「バラバ」の名前の意味は「アバの子」。「アバ」とは「父」を意味する。キリストのゲッセマネの祈りでは、マルコ14章36節において、「アバ、父よ。」という祈りのことばを見ることができる。ヨハネの福音書では、キリストは神のひとり子として度々紹介されている(3章16節、他)。すなわち、キリストも「アバの子」なのである。ユダヤ人たちは、全く対照的な二人の「アバの子」のどちらを選ぶかを迫られたわけである。「アバの子」という場合、バラバの場合のアバとは罪人でしかない。それは蛇に欺かれたアダムにまでさかのぼることができる。このバラバも罪に染まっていた。しかしユダヤ人たちは、もうひとりのアバの子、神のひとり子イエス・キリストを選ぶこともできた。けれども彼らが選んだのは、バラバという活動的な罪の化身であり、いのちの破壊者であった。彼らは、罪からの救い主であり、いのちの与え主であるキリストを選ぶことはなかった。なんという間違った選択だろうか。こうした間違った二者択一は歴史の中で繰り返されているのではないだろうか。キリストではなく、富を、罪を感染させる人物を、偶像を、偽りの神を選んできたのではないだろうか。今もってして、キリストを選ぶ人は少ないのではないだろうか。

次回は十字架刑が確定する裁判であるが、ピラトの心の動きにも焦点を当てながら見ていきたい。今日の裁判で特に心に留めたいことは、キリストがピラトの前で、ご自分が王であることを認めたことである。キリストは神の国の王である。ヘブライ語の「国」<マルフート>は、「王」<メレフ>と語根を同じくする。つまり、国とは王国を意味するものであり、「王の支配」の概念が強いことばである。神の国とは、「神が王として支配する国」ということである。その王とは、イエス・キリストなのである。キリストは福音宣教によって、神の国が始まったことを告げられた。それは、この世の目に見える政治的王国ではない。しかし、確かに始まり、からし種のように成長していくものなのである。そして、この神の国はキリストの再臨によって確立する。そして、万物が巻物のように消え去っても、この神の国はとこしえに在り続ける(黙示録21章)。この神の国の民とされるのは、悔い改めと信仰をもって王なるキリストに立ち返る者なのである。キリストこそ王の中の王、私たちの王である。

私たちは国々の民がキリストを王として信じ、このお方の恐れおおい御名をほめたたえ、このお方の前にひれ伏す日が来ることを願う。偶像の神々に手を合わせ、ひれ伏していた人々が、悔い改めと信仰をもってキリストに立ち返ることを願う。

キリストを王と仰ぐ私たちは、キリスト同様、真理を証していきたい。真理のみことばを伝え、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われたキリストを証していきたいと思う。