本日は、キリストが捕縛され、アンナスの前で審問がある場面である。キリストの裁判は、予備的なものを含めれば、計6回開かれている。3回がユダヤ側での裁判。そしてもう3回がローマ側での裁判である。ユダヤ側の裁判は、予備的な裁判であるアンナスの前での審問。次にカヤパを議長とするユダヤの最高法院であるサンヘドリンによる予備的な審問。そして同じくサンヘドリンによる公式な裁判。この公式な裁判でキリストの死刑判決が下されるが、被支配国であったために、彼らに死刑にする最終的権限はなく、訴状をつけてローマ側に引き渡し、ローマ総督に死刑判決を下してもらわなければ、死刑は確定しなかった。

ヨハネの福音書でのキリスト裁判の記述は特徴が様々ある。まず、アンナスの前での審問が記されているのは、ヨハネの福音書だけである。13節に記されている「アンナス」の説明をしておこう。アンナスは元大祭司で、紀元6年から15年まで務めた(キリストが降誕される十数年前まで大祭司職を務めた)。そして彼の息子の五人も次々と大祭司職に就き、今は、13節からわかるように、娘婿のカヤパが大祭司職に就いていた。アンナスは元大祭司であるにもかかわらず、今日の箇所で、終始「大祭司」と呼ばれている。彼は大祭司一族の長であった。神殿をつかさどる階級のトップに君臨していたわけである。キリストはエルサレム神殿の市場に何度か現れて、羊や鳩を売ったり両替している者たちの欲得を戒める言動に出たが、あの市は「アンナスの市場」とも呼ばれていて、アンナスが収益を吸い上げる黒幕として知られていた。アンナスはユダヤの闇の組織のボスといったところである。暴力団のボスとまでは言わないが、キリストを十字架刑に処する行程を見ると、暴力団のそれと同じである。

キリストは捕縛されると、まずユダヤの闇の組織のボスのところに、闇夜に連れて来られたわけである。アンナスはキリストと直接対面し、キリストとはどういう人物かを知り、少しでも訴える口実を得ようとしたと思われる。

ヨハネの福音書の特徴は、ペテロに関する記述にもある。ヨハネの福音書は、他の福音書と比較すると、ペテロの裏切りの描写の仕方が違っている。大きな違いは、ヨハネの福音書では、ペテロがキリストを裏切って激しく泣いたという有名な場面が描かれていないということである。ヨハネの関心と意図は別にあるようである。それでは、ヨハネの意図はどこにあるのだろうか。18章では、キリストの審問の場面にペテロの記述が随所に挟まれているが、これらの記述は時間的順番で並べられているわけではなく、キリストの動きとペテロの動きを対比的に取り上げているのである。キリストとペテロの態度の違いのコントラストを鮮明につけることに意図があるようである。

では、キリストとペテロの対比という視点を大切にしながら見ていくこととしよう。15~18節をご覧ください。捕縛の場面でチリチリバラバラになった弟子たちのうち、ペテロともうひとりの弟子が戻って来て、アンナスの中庭に入ったことがわかる。15節の「もうひとりの弟子」とは、最後の晩餐の席で「弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側に着いていた」(13章23節)と言われていた弟子のことである。彼は16節にあるように、「大祭司の知り合い」であったので、ペテロを手引きして、アンナスの中庭に入れることができた。「もうひとりの弟子」がヨハネだとすると、ヨハネは雇い人を使って、割に規模の大きい漁業経営を営んでいたようなので、大祭司一族側と取引の関係で、知り合いになっていたのかもしれない。

中庭でのペテロとキリストの態度は対照的である。同じ中庭で、ペテロは女中をはじめとする周囲の人々から質問を受け、臆病にもふがいない答えをしてしまう。片やキリストは、ユダヤの最高権威者を前に、尋問に対して、臆することなく堂々とした態度で受け答えをする。それはとても対照的である。対照的なふるまいが同じ中庭で行われていたのである。

17節を見ると、ペテロは門番のはしために対して、自分がキリストの弟子であることを否定している。門番のはしためは、うら若い女性であったとも言われている。大の男がはしための質問に縮み上がってしまった。そして、これもヨハネの福音書で特徴的な描写だが、彼はキリストを捕縛した側の人々といっしょに、炭火に手をかざし、暖まっていたようである。「寒かったので、しもべたちや役人たちは、炭火をおこし、そこに立って暖まっていた。ペテロも彼らといっしょに、立って暖まっていた」(18節)。現代では、ストーブに手をかざし、という描写になるだろうか。この描写は25節でも繰り返されている。なんとも情けない姿になっている。キリストは復活された後、ガリラヤ湖畔において、この炭火の場面を再現し、ペテロの信仰回復のために用いるという味なことをされることになる。それは21章で学ぼう。

キリストは今、ペテロと違って、門番のはしためと向き合っていたのではない。キリストは今、国家の最高権威者を前にしている。しかもその人物は闇の帝王と言ったところである。歴史的な場面ですらある。けれども、キリストは臆することなく、恐れは全く見せない。その堂々とした態度は19~23節に記されている。

アンナスの質問は、19節にあるように、「弟子たちのこと」、また「教えのこと」だった。アンナスは、キリストと弟子たちがサンヘドリンにとって、また国家にとって危険分子であるという念頭のもとに取り調べをしようとしている。アンナスたちの危機感は、以前のサンヘドリンの会議でのことばに言い表されている。「もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる」(11章48節)。事実、この恐れは、キリストのエルサレム入場の際の群衆の熱狂でさらに強まることになる。「そこでパリサイ人たちは言った。『どうしたのだ。何一つうまく言っていない。見なさい。世はあげてあの人について行ってしまった』」(12章19節)。キリストは正式に学校に行って教師の資格を得ていないし、また按手も受けていないで活動していたわけだから、アンナスにとっては偽教師か偽預言者のたぐいにしか思えなかったかもしれない。だが、キリストは神のことばの真の伝達者だった。そしてキリストは、非難されるに値するやましい動きは一切して来なかった。サンヘドリンに対抗して、国家の転覆をはかるべく、彼らの目を避けて集会を催したり、秘密工作をしたりしては来なかった。こそこそした動きはしていない。キリストは会堂や神殿やなど、公の場で不特定多数の民に、平易なことばで神の教えを語ってきただけである。全くのオープンスタンスで、公明正大に語って来た。その活動は透明で後ろめたいものは何もない。何の隠し立てもしていない。群衆を扇動するような政治的に匂いのするものもなかった。会堂や神殿で語ってきたので、パリサイ人やサドカイ人たちも耳を傾けてきた。20節で言われている通り、公然と話してきた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮でいつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません」。こうしたことだから、キリストは21節において、「なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています」と言っておられる。このように語られるもう一つの理由は、裁判というものは証人を立てるものだからである。それが裁判の原理であり原則である。わたしのことばを聞いてきた人たちを証人に立てなさい、ということである。キリストには恥ずべきことは何もないので、自信をもってこう言える。サンヘドリン側ではこの後、偽証を求めることになるのだが、偽証作戦自体はうまくいかなかったようである(マタイ26章57節以降)。キリストは彼らが不正な裁判をすることを最初から知っておられた。

この後、無礼者ということで、そばに立っていた役人の一人が被告人であるキリストを平手で打つ(22節)。キリストは平手で打たれなければならないような暴言は吐いていない。裁判をするアンナスが平手打ちにせよと命じたわけでもない。この役人が勝手に打ってきた。キリストは平手打ちした役人に言われる。「イエスは彼に答えられた。『もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか』(23節)。ある人たちは、イエスさまは「あなたの右の頬を打つような者には左の頬も向けなさい」(マタイ5章39節)と言われたではないか、と言われるかもしれないが、ここは裁判の席である。不当と思うことは不当と主張していいのである。キリストは、この予備の審問において、潔白を主張し、威風堂々としていた。

「アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った」(24節)。カヤパがその年の大祭司であり、正式な判決を下す裁判官であったので、この後、カヤパが再び予備的な審問をした後、翌朝、正式な裁判といっても形だけのものだが、死刑の判決を下すことになる。けれども、ヨハネの福音書は、カヤパのもとでの裁判の様子を他の福音書とは違って一切伝えていない。それらの裁判については他の福音書を読んでくださいというスタンスである。ヨハネの関心は他にある。彼の関心はユダヤ側で裁判での、同じフィールドにいる、キリストとペテロの態度の対比にある。

ヨハネは、ペテロに話を戻している(25~27節)。ここは二度目と三度目のキリストを否定する場面である。彼が暖まっていた炭火は、暖をとるためで、明るさはない。薄暗がりの中で、人々はペテロの顔に視線を向けながら、ペテロを追求していく。あの人の弟子ではないのかと。ペテロは否定し続ける。この時、被告人のキリストは、ペテロとそう遠くない場所にいた。ルカ22章61節では、ペテロが三度目に否定した後で、「主が振り向いてペテロを見つめられた」とある。石ころを投げれば、簡単に届く距離である。キリストは19節で、弟子たちについて尋問を受けた時に、わたしの弟子はあそこにもいますよと言って、ペテロを指さすこともできた。弟子の三羽烏の一人ですよと言って。けれども、それはされなかった。9節の捕縛の場面のみことばに「あなたがわたしに下さった者のうち、だれひとりも失いませんでした」とあるように、キリストは弟子たちを守ることに決めていたからである。それはそうとして、キリストを否定しまくったペテロは情けなかった。彼は少し前まで、「あなたのためにはいのちも捨てます」と豪語していた(13章36節)。

今日の箇所で、ペテロの否定のことばは二度記されている。17節の「あなたもあの人の弟子ではないでしょうね」の問いに対する「そんな者ではない」と、25節の「そんな者ではない」(新改訳2017「違う」)。原語は<ウーク・エイミ>。直訳すると、「わたしではない」となる。<ウーク・エイミ>の<エイミ>は「ある」を意味する一人称の動詞。<ウーク>は、それを否定することばである。それで「わたしではない」となる。<ウーク・エイミ>で思い起こすのが、キリストが捕縛の場面で、二度、ご自分を肯定したことばである。それは<エゴー・エイミ>。5,6節の「それはわたしです」と8節の「それはわたしだ」が<エゴー・エイミ>であった。復習として4~8節を読んでみよう。<エゴー・エイミ>は直訳すると、「わたしはある」。<エイミ>は先ほど述べたように「ある」を意味する一人称の動詞。<エゴー>は、「私は」を意味し、私を強調する用法となっている。「わたしはある」。これは神名(神の名前)でもあったわけである。キリストは、何にも誰にも頼らなくても常に「わたしはある」、すべてのものが過ぎ去っても永遠に「わたしはある」という存在。そして、ここでの<エゴー・エイミ>は、ご自身の神としての権威を示すと同時に、あなたがたが捜しているのは「わたしである」と、自分を強く強く肯定する意味合いを持つ。キリストは逃げも隠れもしない。「わたしはある」「わたしである」とご自分を強く肯定された。それに対してペテロは自分も捕えられるのを恐れて、<ウーク・エイミ>「わたしではない」と否定してしまった。対照的である。これは、「私はイエスの弟子ではない」という、キリストとの関係性の否定である。「違う、イエスの弟子なんかじゃない。私は関係ない。私はイエスなんていう男は知らない」。

このようにヨハネはペテロの情けない姿を描き、後にキリストの復活後に、21章において、ペテロがこの時の失態に心を痛めつつ、回復する姿をしっかりと描く。ペテロは、ご存じのように、キリストの復活後は、教会のリーダーとして、私はキリストの弟子である、というしっかりとしたアイデンティティのもとに仕えていくことになる。もはや、自分というキリストにある存在を否定したりはしない。彼は自分の失敗を通して、キリストの愛を知る者となり、死に至るまで忠実な者となる。

今日の箇所は、威風堂々としていたキリストと、臆病に縮み上がっていたペテロが対比されていた。ペテロは<エゴー・エイミ>と宣言されたキリストとの関係性を問われて、<ウーク・エイミ>と否定してしまった。キリストはご自分が大祭司の中庭でラフな取り扱いを受ける中、ペテロの情けないことばも聞いていた。それは、ご自身にとって慰めとはならないことばだった。三年間手塩にかけて育ててきた弟子のことばが<ウーク・エイミ>「わたしではない」。しかも弟子のリーダー格の男のことばである。なんていうことだろうか。けれども、キリストはこの惰弱なペテロを、いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともないような取り扱いによって、再び弟子として建て上げていくのである。キリストの愛と寛容、その慈愛には、ことばを失うほどである。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるのかを、続く物語から、さらに汲み取っていきたいと思う。