18章から受難の物語の記事である。本日は、キリストが捕縛されるまでの場面である。捕縛は胸が痛む場面であるが、それは単に胸が痛むという場面ではない。キリストの場合、感動的ですらあるのである。キリストと弟子たちはエルサレムから東側にあるケデロン川を横切って園に入られた(1節)。「ケデロンの川筋」とは、エルサレムとオリーブ山との間を分ける川のことである。オリーブ山のふもとにはゲッセマネがあった。ここで「園」と言われているのがゲッセマネである。ここで裏切り者ユダが捕縛側に立って登場する。思えば、ダビデも裏切りにあってケデロン川を渡るという体験をしている。アブシャロムの反乱の時である(第二サムエル15章23節)。この時、側近のアヒトフェルはユダのようにダビデ裏切って、ダビデを殺すことを計った。しかし、後に自殺している(第二サムエル17章23節)。ダビデもダビデの子キリストも、裏切りと関連してケデロン川を渡ることになった。ケデロン川はゲッセマネの辺りでは、神殿が立っている丘よりも60メートルも低く、谷と言ってよい。「川筋」という表現が取られているが、原語<ケイマロス>は、文字通りには「冬に氾濫する」であり、欄外註にあるように「冬になると激流になる川」であった。

キリストたちが向かった「園」とは、オリーブ山のふもとにあるゲッセマネであったわけだが、なぜかヨハネは、マタイ、マルコ、ルカとは違って、「ゲッセマネ」という名称を使わず、ただ「園」としか言わない。ヨハネはキリストの十字架と復活の場所の言及にしても「園」と表現している。次の箇所をご覧ください。19章41節「イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった」。20章15節「・・・彼女は、それを園の管理人だと思って言った。・・・」。「園」で真っ先に思い出すのはエデンの園である。そこで人類の堕落が始まった。それに対して受難と復活の園は人類に救いをもたらす。人類の堕落が始まったエデンの園と対照的である。ヨハネは、このエデンの園を意識していたのだろうか?

ここで園と言われているゲッセマネは、オリーブの木の小さな森であり、「油しぼり」がその意味である。オリーブの果実から油をしぼる圧搾所があったことから、そう呼ばれたと思われる。ヨハネの福音書には記されていないが、キリストはここで、血の汗というか油をしぼって祈りをささげ、十字架に向かう力を得ることになる。

2節からわかるように、このゲッセマネはキリストたちの会合の場所となっていた。キリストたちが会合に使った場所は公共の場所というよりも、持ち主がいた庭園だったと思われる。エルサレムは狭い山の上にある住宅地なので土地がない。庭園を造りたい場合、ケデロン川を渡って、オリーブ山のふもとにある地所に造ることが習わしだったようである。このオリーブ山のふもとの庭園は、人目を気にせず、祈ったり話し合ったりする場所として最適であったのだろう。ユダは、使徒の一人なので、オリーブ山のふもとの、この会合の場所を知っていた。

時が来て、キリストを捕縛する者たちが現れる。「そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た」(3節)。随分、物々しい光景である。捕縛する者たちを引き連れて来たのは十二使徒の一人ユダ。仲間の使徒たちは唖然としただろう。そして捕縛に来た者たちは一人や二人ではない。「一隊の兵士」とあるが、これはローマの兵士たちである。ユダヤの立法府サンヘドリンはローマ軍の力も借りようとした。欄外註には「ローマの軍隊の一単位で通常六百人」とあるが、二百人の歩兵中隊にも当てはめられていたことばなので、文字通り六百人が来たと解する必要はない。しかし、大勢のローマの兵士がやってきたことはまちがいない。彼らを率いてきたのは12節からわかるように、千人隊長である。彼らは、武装して武器も持っていたわけである。そしてサンヘドリンが送り込んできた「役人たち」がいた。これは神殿警察と言って良い。時は過越しの祭りで、大勢の人がエルサレムに集まるという時だけではなく、以前にもお話したように、過越しの祭りは第二の出エジプト、ローマの支配からユダヤ人を解放するメシアの出現を待ち望む時でもあったので、エルサレムで騒動があってはいけないと、ローマ側もユダヤ側も神経をとがらせる時だった。民衆は、いつ暴徒と化すのか分からなかった。政治上、不安定になるこの時期、兵士や役人たちは、当然のことながら待機していた。そして彼らは、紛争の火種とみられていたイエスという男を合議の上、逮捕しに来た。場面は夜。それは彼らの闇の霊性を象徴するかのような時間帯だった。

彼らは、ヨハネの福音書でこれまで啓示があった世の光キリストに対して、すぐに消えてしまう人工の光、ともしびとたいまつをもってやって来た。そしてイザヤが平和の君と預言したキリストに対して剣などの武器をもってやって来た。しかも大勢で。彼らは、キリストたちがすぐに見つからず、捜し回らなければならないことも想定したと思う。逃げたときに、追跡することも想定したと思う。また、ある程度の戦いになることも想定したと思う。キリストが奇跡を起こす可能性も念頭にあったかもしれない。それで準備万端で臨んだ。絶対に取り逃がさないぞと。

けれども、そのような心配は無用だった。キリストの覚悟は決まっていた。7章30節にはこうあった。「そこで人々は、イエスを捕えようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである」。しかし、キリストはこの時、ご自身の時が来たことを認識されていた。13章1節にはこうある。「さて、過越しの祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので・・・」。

4節をご覧ください。「イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、『だれを捜すのか』と彼らに言われた」。「出て来て」と、キリストは逃げも隠れもしない。そして無防備である。ある伝説では、キリストたちは洞窟にいたとも言われているが、いずれ、キリストの捕縛を恐れない姿勢を見ることができる。捜索の対象となっているご自身自らが、「だれを捜すのか」と問うた姿には、腹をくくっている姿を見ることができる。

そして、続く場面があまりにも印象的なのである。「彼らは、『ナザレ人イエスを』と答えた。イエスは彼らに『それはわたしです』と言われた。・・・イエスが彼らに、『それはわたしです』と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた」(5,6節)。彼らが捜しているのは「ナザレ人イエス」だった。「ナザレ」はガリラヤ地方という田舎にある村で、しかも当時の文書にも名前が出て来ないような寒村だった。キリストの弟子となったナタナエルは、弟子となる前に、「ナザレから何の良いものが出るだろう」(1章46節)と言っている。「ナザレ人」と聞けば卑しいという印象をもつ。だが、そのナザレ人の正体が驚きなのである。

そのナザレ人は応答した。「それはわたしです」。直訳は「わたしはある」。共同訳は「私である」と訳している。原語は<エゴー・エイミ>である。<エゴー・エイミ>はヨハネの福音書に度々登場する。それは神名(神の名前)である。ヤハウェなる神の呼び名である。「わたしはある」と訳す<エゴー・エイミ>は、出エジプト3章14節において、神さまがモーセに教えたご自身の名前「わたしはある」のギリシャ語訳である。「わたしはある」には二つの意味を認めることができることをすでにお話した。一つは、神は自立自存の存在であるということ。何にも頼らず、ご自身だけで存在できるということ。空気も水も、人の助けも全くいらない。ご自身だけで存在できる。もう一つは、神は永遠の実在であるということ。まことの神はいつでも在る。まことの神は自立自存の存在、永遠の実在なのである。何にも頼らず存在し、すべてのものが過ぎ去っても「わたしはある」という唯一の存在なのである。

復習として、キリストが<エゴー・エイミ>を宣言された箇所の中から有名な二箇所を見てみよう。6章20節「しかし、イエスは彼らに言われた。『わたしだ<エゴー・エイミ>。恐れることはない』。これはガリラヤ湖上での弟子たちへのことばである。続いて8章58節「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです<エゴー・エイミ>』。これは敵対するユダヤ人たちへのことばである。この後、ユダヤ人たちは、キリストが自分自身を神とみなしたことを知り、冒瀆罪に相当するとして石打ちにしようとした。

18章に戻ろう。卑しいナザレ人と<エゴー・エイミ>が並べて置かれている。二つは全く会い入れない存在に見える。だが、卑しいナザレ人は<エゴー・エイミ>、ヤハウェなる神だったのである。このギャップが強烈である。キリストは<エゴー・エイミ>という、とこしえから生きておられる至高の神であったにもかかわらず、神のあり方に固執せず、ご自分を無にして、仕える者の姿を取り、人となってくださった。しかもナザレ人と呼ばれることをいとわずに。

キリストが<エゴー・エイミ>と宣言された時、「彼らは、あとずさりし、地に倒れた」とある。将棋倒しのようになったのだろうか。何がこのようにさせたのだろうか。それはキリストの<エゴー・エイミ>としての威厳、尊厳だろう。キリストが単に堂々としていただけでは説明がつかない。兵士や取り締まりの役目を担う大の男たちが、バタバタと倒れたわけだから。キリストの神としての威光が彼らを打ち倒した、キリストの神としての威風が彼らを打ち倒した、と言えるだろう。地震が起きたのでも何でもない。倒れた者たちの性質を考えてみよう。5節では、「イエスを裏切ろうとしたユダも彼らといっしょに立っていた」とあるが、ユダについては13章27節で「サタンが彼に入った」と言われている。つまり、サタンが率いる闇の軍団が、武器を持っていない<エゴー・エイミ>お一人の前になぎ倒されてしまったということである。痛快な場面である。

「だれを捜すのか」「ナザレ人イエスを」「それはわたしだ<エゴー・エイミ>」のやりとりは7,8節でもう一度繰り返される。8節の「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう」の「それはわたしだ」が<エゴー・エイミ>である。捕縛する側のほうが大人数であるにもかかわらず、たった一人の人物に主導権を握られ、圧倒されている状況である。このままの勢いで闇の軍団を打ち破り、威風堂々とエルサレムに向かうことを人間的には期待してしまうのだが、キリストにその意志はないことが、続いての言動からわかる。「もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで帰らせなさい」(8節後半)。ただお一人で捕縛されるおつもりだった。著者ヨハネは9節で、その説明をしている。「それは、『あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりも失いませんでした』と言われたイエスのことばが実現するためであった」。この実現に至る「イエスのことば」とは、ケデロン川を渡る前に祈られた17章の祈りのことば、特に12節が念頭にある。そこでは、「御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく・・・」と記されている。使徒たちは、やがては将来殉教していくわけだが、今は、キリストお一人が全人類の身代わりに十字架につき、贖いのみわざを成し遂げる時だった。使徒たちは生かされてこの十字架の福音を宣べ伝えることがみこころのうちにあった。使徒たちは今、守られなければならない。

この時、血気盛んなペテロが剣を抜き、大祭司のしもべマルコスの右の耳を切り落とす(10節)。ペテロには神の贖いの計画は分からない。人間的な行動に出た。以前、当時の次のようなメシア観を紹介した。「人々は、メシアが強者から弱者を守り、反撃に出て復讐を果たし、剣によって帝国を築き、剣によってその帝国を守る者として期待していた」。闇の軍団はキリストの威光の前に打倒されたので、そのままの勢いで、弟子たちは剣で勝利を治め、御国の支配は拡大していく、そういうビジョンを思い描きたくなるところではある。剣、武力、政治的暴動等、いつの時代でも用いられ、人気のある手段である。時にクリスチャンと言われる方たちもがこうしたことを正当化し、神の国の実現を目指して、神の名のもとに戦闘を繰り広げてきた。また、それを支援してきた。しかし、キリストはそれを喜ばれるのだろうか?キリストが後にピラトの前で弁明しているように、キリストの国はこの世のものではない(19章36節)。それは剣によってもたらされる国ではない。そして何よりも、この国が到来するためには、先ず<エゴー・エイミ>なる神の御子が、罪人の身代わりに十字架につくことが絶対条件であったのである。

「そこで、イエスはペテロに言われた。『剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう』」(11節)。「杯」は、イスラエルでは、神のさばき、怒り、災い、悲しみ、苦しみといったことを表すのに用いられてきた。旧約、新約を見ると、神の怒りの象徴としてよく用いられている。旧約の一例を挙げると、イザヤ51章17節において、「あなたは、主の手から、憤りの杯を飲み」とある。新約の一例では、ヨハネの黙示録14章10節において、「そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む」とある。一連の流れを考えても、キリストが飲もうとした杯は祝杯とは無縁のものであることが分かる。マタイ26章39節を見ると、捕縛の前の場面で祈られたキリストの祈りが記されている。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」。キリストはこの同じ祈りを三度繰り返されたという(マタイ26章44節)。回転寿司に入店して、注文した寿司を取り損ねて、過ぎ去っていくのを眺めるのは惜しい気持ちになるが、キリストが飲み干さなければならない杯は過ぎ去ってほしいものであった。それは取りのけてほしいものであった。マタイだけではなく、マルコもルカも、この苦悩の祈りを記している。ルカは「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」(ルカ22章45節)とも証言している。だがヨハネにおいては、この苦悩の祈りは記さず、この祈りがもたらした結果のほうを記している。「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう」と。キリストはこの時、完全に肝がすわり、御父の杯を飲む覚悟ができていたのである。これぞ、最高の勇気ある姿であるが、この境地に到達するまでの苦悩はいかばかりのものであっただろうか。

キリストは、ご自分から闇の軍団の前に出て、「だれを捜すのか」と問いかけ、名乗りを上げ、威風で彼らを打倒した後、天の軍勢を派遣してもらい、彼らを全滅させることもできただろう。実際、マタイ26章53節には、「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか」というキリストのことばがある。しかし、キリストは彼らを全滅させる意志はないどころか、医者ルカの証言によれば、右耳を切り落とされたマルコスの耳をいやされている(ルカ22章51節)。敵一人の傷さえいやされたのである。なんということだろうか。そして、自らを敵の手に引き渡した(12節)。神の神、主の主、<エゴー・エイミ>は、私たち罪人のために受ける受難をよしとされたのである。無防備、無抵抗のまま、ほふり場に引かれていく羊のように、堕落した被造物たちの手に自らをゆだねたのである。そして、本来ならば、私たちが飲むべき杯を飲もうとされたのである。敵の傷さえいやして。こんなことがあり得るのだろうか。あり得ていいのだろうか。しかし、歴史の中で実際に起こったのである。

好き勝手に生きていきたいと思っていた私たちは、この事実を知ってしまった。ならば、自分の弱さにもだえつつも、聖書に記されているキリストのみこころに従おうという思いにならないだろうか。キリストのからだの一部として生きていこうという思いにならないだろうか。ペテロをはじめとする弟子たちのこの後の失態はご存じの通りである。けれども、彼らは後に、つまずいても、よろけても、キリストから離れることはなく、キリストの福音を宣べ伝え、教会形成に励んだのである。私たちもそうでありたいと思う。キリスト以外に、私たちの人生を献げる対象は無いのである。