キリストの弟子たちは、約3年間にわたって寝食をともにし、キリストの教えを聞いてきた。キリストの教えは、自然界を用いての教えやたとえ話も多かった。弟子たちはその教えを福音書に書き留めることになるが、キリストは十字架にかけられる前夜になって初めて、「新しい戒め」を口にされる。しかもそれは、遺言的メッセージだった。

13章は最後の晩餐の場面、木曜夜の出来事である。席の途中、キリストはしもべ(奴隷)の立場をとって弟子たちの足を洗い、愛を示された。足を洗っていただいた弟子の一人であるユダに悪魔が入り、ユダはキリストを裏切るべく、席を立って、闇の中に消えていった。今日は、その後の場面である。普通であるなら、これからご自分の身に起こる危機的状況を考えて、不安、あせり、苛立ち、絶望、そうした思いにかられて、落ち着かない様子になったり、緊張を口にしても不思議ではない。ところが31,32節を見ると、キリストは以外なことを口にされる。御父の栄光、ご自身の栄光ということを宣言される。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。・・・」。キリストが口にされている栄光とは、十字架によってもたらされる栄光である。それを先取りした表現をされている。キリストは十字架にスポットライトを当てているのである。もうすぐ、キリストに闇の力が襲いかかろうとしていた。しかしキリストは、闇は光に打ち勝てないことを知っておられた。光は闇に必ず勝利する。それが十字架の時である。悪魔に対する勝利のみわざ、そして人類に対する贖いと解放のみわざが、今や実行に移されようとしていた。それによって栄光は現わされる。キリストは33節では、十字架と復活の後の昇天に言及されている。「・・・わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない・・・」。昇天によってキリストが着座される御座は栄光の御座である。栄光から栄光へ、である。

この後に、キリストは新しい戒めについて語られるわけだが、実は、13章31節から17章26節までは、区分として、キリストの告別説教である。ここでの説教の記述は、古代世界で共通に見られた文学形式に沿っている。偉大な人物が自分の死期が迫っていることを告げる。そしてそれを悲しむ者たちを慰め、戒めのことばを与える。また将来に起こると思われる予言的ことばを語る。旧約聖書を見ると、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデの生涯において、こうした記述が見られる。

告別説教なのだから、当然、もっとも大切と思われることばを、遺言的戒めとして語るわけだが、キリストの場合、それが「新しい戒め」となる。それを見る前に、33節の「子どもたちよ」という呼びかけに注目していただきたい。原文では子どもを意味することばに<ミクロン>ということばが添えられていて、「小さな子どもたちよ」と訳せる。この表現は、ヨハネの福音書中、ここ一箇所だけである。この期間は過越しの祭りであったが、人々は過越しの食事を食べるために小グループを形成した。その小グループは一つの家族とみなされていた。そして小グループの中の一人が父親役を担った。この場面ではキリストが父親役である。そして父親役のキリストが、「小さい子どもたちよ」と愛情深い表現をとっておられる。

では34節を読もう。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。この戒めが与えられたタイミングを考えてみよう。ちょうどユダが去った後だった。正真正銘の弟子たちだけになった後に与えられた戒めである。今、世界は、宗教一致運動の潮流の中にある。宗教はどれも同じよ、と言わんばかりに。だが、光と闇、神と悪魔には何の交わりもないのである。使徒ヨハネは、ヨハネの手紙において、やはり、この新しい戒めを繰り返し強調して語っている。ヨハネの手紙執筆の背景には異端問題がある。つまり、偽の弟子が教会に入り込んできた。彼らはキリストの名を口にはするが、キリストはまことの神でまことの人であることを否定する人たちだった。その偽信者たちは教会から出ていった。そして教会に真の信者たちが残った。ヨハネは異端的教えに気をつけるとともに、真の信者たちに互いに愛し合うことを勧めたのである。ヨハネは、多少、まちがったことを信じていても兄弟姉妹、みんな仲良く、という意味で愛を説いたのではない。ヨハネは、偽りの弟子たちと妥協せず分離することを命じている。その上で、教会にとどまった正統的な信仰告白をもつ者たち同志が互いに愛し合うように命じている。キリストが語る新しい戒めは、サタンがユダに入って、ユダが出て行ったタイミングで、真の弟子たちに対してだけ語られたことを覚えておきたいと思う。

キリストは互いに愛し合うことを「新しい戒め」と名づけているが、互いに愛し合うこと自体は新しい戒めではない。この戒めを新しくしてしまうのは何だろうか。それは34節後半の、「わたしがあなたがたを愛したように」というキリストのことばである。そこで私たちは、キリストの愛に思いを馳せたい。最後の晩餐の席では、弟子たちの足を洗うことによって愛を示された。「それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきです」(13章14節)。この弟子たちの足を洗う行為が十字架につながる。キリストの愛が究極的なかたちで示されたのが十字架である。第一ヨハネ3章16節を開こう。「キリストは、私たちのために、ご自身のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のためにいのちを捨てるべきです」。ヨハネは十字架によって「私たちに愛がわかったのです」と言っている。そしてキリストが言われた「わたしがあなたがたを愛したように」とは、「兄弟のためにいのちを捨てる」ことであると教えている。

新しい戒めが与えられた時点で、弟子たちはバラバラだった。他の福音書を見ると、彼らは晩餐の席で、この中で誰が一番偉いのか、と論じ合っていたことがわかる。兄弟のためにいのちを捨てることとは無縁の話である。またペテロは、13章37節を見ると、「あなたのためにはいのちも捨てます」とキリストに対して告白しているが、「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います」(38節)と言われる有様である。ほんとうに、この新しい戒めを彼らは実践することになるだろうか。しかし、歴史の証言を読むと、彼らは変えられ、実践していったようである。一世紀、彼らは一万人を超える規模の初代教会の土台となっていく。そして、数百とも千を超えるとも言われる小グループが形成され、互いの間で新しい戒めが実践されていった。2世紀の聖徒テルトリアヌスは、異教徒たちがクリスチャンたちについてこう語ったと報告している。「彼らはなんと互いに愛し合っていることか。彼らはなんと互いのために死ぬ覚悟さえできていることか」。また2,3世紀の時代に生きたノンクリスチャン、E.R.ドットは、クリスチャンたちの間の真の愛と一致が、おそらくはキリスト教を広めた最も強力なただ一つの原因であろうと、と語っている。またドットは次のようにも述べている。「隣人愛というのは、クリスチャンの専売特許の徳ではない。だが私たちの時代において、クリスチャンたちは他のグループ以上に効果的に隣人愛を実践してきたことを示している」。

今見てきた初代教会の愛の証言は、35節を証明している。「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」。キリストが愛したように互いに愛し合うことが弟子のしるしである。この弟子のしるしが宣教の土台となり、宣教の推進力となる。キリストは互いに愛し合うことを「一つとなる」という表現でも言い換えている。その箇所は17章21~23節である。読んでみよう。この箇所でも気づいていただきたいのは、一つであらなければならないのは、「世が信じるため」(21節後半)「この世が知るため」(23節後半)と言われていることからである。

初代教会の特徴であったイエスのコミュニティのしるし、弟子のしるしは、やがて陰りが見えることになる。4世紀に入ると、キリスト教はローマ帝国の国教となる。コンスタンティヌス帝、ローマ皇帝がクリスチャンとなるという大きな転換期がある。ところが、4,5世紀頃から弟子のしるしに陰りが見えてきた。5世紀に活躍したクリュソストムスという有名な聖徒は、次のように語っている。「愛の無さを除いて、ギリシャ人をつまずかせるものは他にはない。私たちが彼らを偽りにとどまらせている原因である」。私たちは繰り返し、繰り返し、新しい戒めに立ち戻っていかなければならないわけである。

私たちは、「わたしがあなたがたを愛したように」というときに、キリストの洗足の行為に教えられるとともに、十字架を見上げて、主の愛の広さ、高さ、長さ、深さがどれほどのものであるかを思い巡らす必要がいつもあるだろう。全くの罪人にすぎず、土、汚泥、灰にすぎない私たちのために、キリストは何をしてくださったかを思い巡らしたい。キリストの愛の忍耐、赦し、与える愛がどれほど大きなものであったかを。「わたしがあなたがたを愛したように」を実践するというとき、この消極面は和解であると言える。兄弟姉妹に不快な思いをさせたと思ったとき、相手のところに行って「ごめんなさい」と謝る。また、自分に過失を犯した相手を赦す、ということ。コミュニティを形成していけば、必ず意見の違いや対立は生じる。しかし、そこで愛することをやめたり、その人を避けて離れていくだけなら、この世の人たちと何ら変わりがない。そこに弟子のしるし、見える愛はない。自分のプライドに頑固にしがみつき、和解を拒んだり、傷つく恐れから愛することをやめるならば、キリストを知らない者と同じである。「わたしがあなたがたを愛したように」の積極面は、先ほど見たように、兄弟のためにいのちを捨てる愛となるだろう。

アレキサンドリアのクレメンスという聖徒は、ヨハネの次のような逸話を書き残している。ヨハネは伝道旅行の際、ひとりの誠実な若者と出会い、やがてこの若者はクリスチャンになる。しかし、この若者は悪い仲間に引き込まれ、盗みを覚え、やがて自ら盗賊団を結成し、自ら首領となってしまう。ヨハネは彼が堕落し、教会から離れ、山に立て籠もっていることを知ると、衣を裂き、頭をたたいて悲しみ、馬を用意させ、山に向かう。ヨハネは見張りの山賊に捕まえられてしまい、首領と対面することになる。首領はそれがヨハネだと知ると、恥ずかしくなって逃げだす。ヨハネは追いかけて彼にことばを投げかける。「おまえはまだ救われる望みがある。おまえのために、私はキリストにとりなそう。もし必要なら、キリストが我らのために苦しまれたように、おまえのために喜んで苦しもう。私はおまえのためにいのちをあげよう。まことにキリストが私を遣わされたのだ」。これを聞いた首領はその場で改心し、ヨハネはその場でひざまずいてキリストに祈り、この若者の罪の赦しを宣言し、教会に連れ帰った。ヨハネは異端には厳しかったが、道徳的に堕落してしまったクリスチャンのためには、いのちを差し出す覚悟で回復を願った。

ヨハネ13章34,35節は当教会の理念のひとつ「家族愛」である。もし、これを無視するならば、主に対する熱心さも無に帰する。教会は教会として存在することはできない。主はこの世に証されることはない。この箇所は、キリストの告別説教の中心的みことばと言える。大切な遺言なのである。

ヨハネは晩年はエペソの町で過ごし、死んだと言われている。彼はからだを動かすのも難儀になり、弟子たちに支えられながら奉仕をするという老境に達してしまった時、彼は集会に出席した際はいつも、「子どもたちよ。互いに愛し合いなさい」と語っていた。ヨハネがいつも繰り返し繰り返し同じことしか言わないので、弟子たちも聞き飽きてしまった。そして、言った。「先生、どうしていつも同じことばかり言うんですか?」ヨハネは答えた。「それは主の命令である。これを守っていれば、それで十分である」。これは同時代に生きていたヒエロニムスが紹介している逸話である。ヨハネはキリストの告別説教の精神を受け継いでいた。ヨハネは13章23節で「イエスが愛しておられた者」「イエスの右側で席についていた」と言われる十二使徒の筆頭格である。黙示録という深淵な書も書き記した。ヨハネが生きていたら、どんなに興味深いこと、またどんなに深い話を語ってくれるだろうと思うが、やはり、「子どもたちよ。互いに愛し合いなさい」と繰り返し語るのではないだろうか。ある意味、平凡なメッセージにすぎない。だが、大切な戒めなのである。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。この戒めを実践することがキリストの弟子のしるしであることを、肝に銘じよう。