前回は、キリストが過越しの食事に際して、上着を脱ぎ、奴隷の身なりで、腰をかがめて人の足を洗うという奴隷の奉仕をされたことを見た。それはまことに卑しい奉仕だった。このキリストの仕える姿は、十字架の愛のシンボルだった。キリストは奴隷に対する処刑手段である十字架刑によって、全人類のためにいのちを献げることになる。キリストの洗足の行為は、十字架の影を帯びていた。また、この洗足は弟子たちの模範として示したものであった。お互いにへりくだって、愛をもって仕えあうようにと。この時、キリストは十二弟子の足を洗ったわけだが、その中には、裏切る意志をもっていたユダも含まれていた。キリストはその意志をご存じであられながらも、ユダの足を洗い、愛を示された。

そして今、場面は過越の食事が佳境に入るところである。この時、キリストの口から重大な発言があった。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります」(21節)。この発言に、弟子たちは、いったい誰のことを言われたのかと、お互い顔を見合わせて当惑してしまう(22節)。ミステリー推理小説で、一部屋に複数の人たちがいるという設定で、探偵が、「この中に犯人がいます」と指摘する場面があるが、それを思わせるような場面である。

この場面での席順について、少し触れておこう。これは過越の食事なので、完全にユダヤ式で行われる。低いテーブルを前にして、左ひじを突いて、体を斜めに投げ出して寝そべったスタイルで、右手でつまんで食べる。食卓はコの字型(Uの字型)。キリストを中央に三人、そして左右のテーブルに五人ずつであったと思われる。座るのは長椅子か敷物の上。結婚式等でも席順が決められているように、上座というものが決まっていた。テーブルマスターが座の中央の席に着く。キリストがその席に着いておられる。上座はマスターの席と、その両隣ということになる。マスターの左側が第一の席である。マスターの右側が第二の席である。そしてふつうは左右交互にランク付けがされている。第二の席はマスターの右側ということだったが、その席には23節にあるように、ヨハネが座っていたようである。では第一の席である左側には誰が座っていたのだろうか。ペテロと思われるかもしれないが、その可能性は高くはない。24節を見ると、ペテロはヨハネに合図をして、それは誰のことを言っているのか教えるように告げる。もしペテロが第一の席に着いていたのなら、合図などしないで、キリストの肩越しに、「おい、ヨハネ、教えなさい」となるわけである。

では左側の第一の席には誰がいた可能性が高いのだろうか。レオナルド・ダビンチの最後の晩餐の絵ではヨハネの兄弟のヤコブが描かれているが、一番可能性が高いのはユダである。26節を見ると、キリストはヨハネの「主よ。それはだれですか」という質問に答えて、「それはわたしがパン切れを浸して与える者です」と言われている。この「パン切れを浸して与える者」がカギとなることばである。過越の食事の習慣にあって、マスターが栄誉を与えたい者に、食べ物の一片を浸して与えるというものがあった。常識的に考えると、マスターが栄誉を与えたい者は上座に座っている。特別な来賓やマスターの好意に与っている者は、上座に迎えられた。そして、浸された食べ物の一片を渡された。これは、日本のお酌のようなもの。ヨハネも上座に座っていたが、浸したパン切れを受け取った者はヨハネではない。わかりきっていることであるが、ペテロでもない。浸したパン切れは、常識的に考えると、マスターの左側の第一の席についていた者に与えられる。第一の席は栄誉の座、光栄の座である。ここにユダが座っていた可能性が高い。実際、ユダがどこに座っていたのかはわからないが、彼は、主に足を洗っていただいたばかりか、来賓が受ける浸したパンまで受けている。キリストは裏切ろうとしている者を名指ししないで、それどころか来賓のように扱い、ギリギリまで悔い改めるチャンスを与えておられたようである。

キリストは先の洗足の場面でも、ユダの裏切りを暗示しておられた。前回は見なかったか、18節の裏切りの預言にも触れておこう。「しかし聖書に、『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた』と書いてあることが成就するのです」。これは詩篇41編9節の引用である。「かかと」と訳されていることばは、ヘブル語で<アーカーブ>。<アーカーブ>はイスラエルの父祖のヤコブの名前の由来となっている。ヤコブはエサウのかかとをつかんで生まれてきたわけである。<アーカーブ>ということばは、実は、「かかとをつかむ、たくらむ、だます」という意味を持つことばから派生している。ユダはこの時点ですでにたくらみを持っていた。たくらみはガリラヤ伝道の前期からすでにあった(6章71節)。この頃になると、キリストを引き渡すために、祭司たちと事前の相談までしていた。「かかとを上げた」という表現自体にも注目してみよう。この表現は「馬がかかとを上げて蹴とばす」といった意味である。キリストはユダの足を愛を込めて洗い、そして手拭いで拭いた。ユダは主に洗っていただいたその足で、主を蹴とばさんとする行為に出ようとしていた。けれども、主は、皆の面前で、ユダの悔い改めを待った。

キリストは、古代世界において賓客に対する最高級のマナーである食べ物を浸して与えるという行為までして、悔い改めを待った。しかしユダはこの最高級のマナーに心動かされることもなく、悔い改めを拒んだ。キリストの余すところのない愛を蹴った。一蹴した。もう彼に、悔い改めのチャンスは残されていなかった。彼に恵みとして備えられていた悔い改めの期間が終わりを告げた時、サタンが彼に入った(27節前半)。

サタンが彼に入った時、キリストは「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」と言われている(27節後半)。これはどういうことだろうか。これまでキリストは、彼の罪の衝動にブレーキをかけていた。だが、「あなたが悔い改めを拒んだので、ブレーキという恵みは取り去られた。あなたが望むままにしなさい」ということである。このことについてはローマ人への手紙1章後半が参考となる。開いてみよう。1章24節以下は、悔い改めない者たちに対する神の処置について言われている。24節「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに引き渡され」、26節「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡され」、28節「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され」。悔い改めの恵みが取り去られるというのは、神さまがブレーキから足を離したことにより、自分の欲望のままに、ますます罪の深みにはまり込んでいくということである。悔い改めを待つ神の忍耐は無期限ではない。そのような意味で、神を恐れなければならない。

ヨハネの福音書13章に戻ろう。他の弟子たちは、この時点になっても、ユダの裏切りに気づいていない(28,29節)。弟子たちのある者は、ユダが買い物を頼まれたのだと思った。こんな時に買い物?と思われるかもしれないが、この時は木曜夜で、金曜日は過越の祭りで最高潮、土曜日は安息日で買い物ができない休みの日となる。今のうち足りない者を買いに行きなさいと言われてもおかしくない。また、ある弟子たちは、貧しい人々に施しに行けと命じられたのかと思った。実は、過越の前夜に貧しい者たちに施しをする習慣があった。だが、どれも検討違いだった。とんでもない裏切りの計画を持っていたのである。だが、誰もユダを疑った形跡がないのである。その理由として、キリストが他の弟子たちと隔たりなく接されたこと、そしてユダにパン切れを浸して渡すという最高級のマナーを示されたということもあるだろう。ユダが会計係であったことも関係しているかもしれない。会計係は信用できる者にしかまかせない仕事である。ペテロなんかにお金を預けていたら、落とすし、なくすし、忘れるし、何かの拍子に後先考えないで、パーッと使ってしまうかもしれない。また計算もまちがえそうで、なんとなく危なっかしさを覚える。ユダは、堅実で、信頼できる人物である思われていたのかもしれない。それとともに、彼が疑われなかった理由は、ユダが完璧に仮面をかぶり、悟られないようにしていたということがあるだろう。彼はペテロとちがって本心を表さない人物である。ボロを出さない人物である。人前ではそつなくふるまっていただろう。他の弟子たちは、彼の本心を、その闇を、その彼の隠れた行動を、気づいてはいなかった。まさか、あのユダが、であったと思う。

ユダはパン切れを受け取ると、すぐに退席して、闇の中に消えていった。キリストにすべてバレていることがわかり、これ以上、居る理由がなかった(30節)。ヨハネは情景描写として「すでに夜であった」と記しているが、「夜」ということばでユダの霊性を表しているようでもある。ヨハネの特徴として、光と闇を対比させて描くということがある。それはヨハネの手紙でも同じである。光であるキリストのもとを去ったユダは完全に闇であった。悪魔そのものが闇である。

ユダは真っ暗闇となってしまう前に、光であるキリストを他の弟子たちのように受け入れるべきだった。キリストもそれを願い、ギリギリまで愛を示し、ギリギリまで悔い改めのチャンスを与えた。「わたしを裏切るのは、ユダ、おまえだ」と名指しすることはなかった。だが、悔い改める最後のチャンスをふいにしたことにより、彼に恵みは残されていなかった。この時点で彼の人生は終わったといってよい。この重い事実は受け止めなければならない。

それにしても、私たちはキリストの愛の忍耐に感嘆してしまう。人間関係のアドバイザーをされている方が次のようなことを言っている。もし相手が自分に対して適切でないことを言ってきたり、受け入れがたい行動をしてきた際にどう対処したらよいのか、という質問に対して、こちらが理解してほしいことをきちんと伝えるというのが第一のステップだと言う。そして、もし伝わらないときは、距離を保ちなさい、と言う。近づいて傷つくことはないというのがその理由である。確かに、それはあてはまるだろう。自分に危害を加える人、自分を利用する人、自分をおとしめる人とは距離を保ち、きちんと境界線を引きなさい、というわけである。確かに、これは原則的な行動ではある。ただ、いつもそうすべきだとは限らない。キリストはユダと距離を置かなかった。それどころか13章の場面では、しもべとなってユダの足を洗い、そして晩餐の席では最上のマナーでユダに接している。ご自分の隣に座らせた可能性も高い。裏切ろうとしている者に対して、ふつうはここまでできない。翌日の金曜日、キリストは十字架刑が待っていた。ご自分のいのちを危うくする者に対して、ここまでできる方はそうはいない。

最後に、キリストの右側という名誉ある席に着いたヨハネについて見よう。「弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側に着いていた」(23節)。彼はユダと対極をなす存在である。ユダはキリストの愛から離れ、ヨハネはキリストの愛にとどまった。「イエスが愛しておられた者」という表現に、彼はキリストを愛する弟子であったことがわかる。それはヨハネ文書からわかる。彼の文書には愛という用語が満ちている。彼はキリストの愛に捕らえられていた。キリストが十字架刑に服していた時に、ヨハネは十字架のもとに立っていた。キリストが復活された墓に一番早く到着した弟子はヨハネだった。そして彼はパトモス島で、キリストの栄光の御姿を拝した。彼は常にキリストに近い存在だった。

23節の「右側で」は、欄外注にあるように、直訳が「御胸のそばで」となる。「右側」<コルポス>の直訳は「胸」である。よって新改訳2017は、「胸のところで」と訳している。キリストの右側で左ひじを突き、体を横たえると、彼の頭は、キリストの御胸の位置に来る。主の心臓の鼓動が聞こえる位置にいた。ここで「胸」を表すギリシャ語は、1章18節でも使用されている。「父のふところにおられるひとり子の神」。ここで「ふところ」と訳されていることばがそうである。「ふところ」<コルポス>という表現で、父なる神と最も親密な関係にあることを表している。父なる神と深い愛で結ばれており、一体の関係にあるということ。そして今、十字架刑を前にして、キリストのふところにはヨハネがいる。

私たちも、主との親密な関係を願い、主の御胸に、ふところに、と願いたいと思う。私たちの幸い、私たちの喜び、そして真理といのちは、ただ、キリストにある。ユダのようにキリストから離れるのではなく、キリストのふところを恋い慕いたいと思う。

最後にバッハのモテットから、二つのコラール(讃美歌)の歌詞を紹介して終わりたいと思う。

 

コラール「イエスよ、私の喜びよ」1節

 

イエスよ、私の喜びよ

私の心のいこいの広場

イエスよ、私の宝よ

なんと久しく長い間、

私の心は憧れ、

あなたを求めてきたことか!

神の子羊、私の花婿よ、

この地上であなた以外に、愛しい方はありません。

 

 

コラール「イエスよ、私の喜びよ」4節

 

すべての宝よ、消え失せよ!

あなただけが私を満たす方、

イエスよ、私の喜びよ!

空しい名誉よ、離れ去れ!

おまえに貸す耳はない、

おまえのことなど頭にない!

困窮に苦しみ、十字架と恥辱、そして死も、

たとえどんなに多くを苦しまなければならなくとも、

私をイエスから引き離すことはできないのだ。